第2話 ビーチガールズ
海の家の建ち並ぶ砂浜に設けられたステージの前は黒山の人だかりとなっていた。
ステージには
「20×× ミスグラビアクイーンコンテスト」
と華々しく横断幕が掲げられている。観客は七割が男だが、若い女性の姿も案外多い。
ステージ横の階段から司会の女性が登場した。
『みなさんこんにちはー。20××年ミスグラビアクイーンコンテスト、司会の森原桃恵でーす』
水色のマリンルックにミニスカートからすらりと長い脚を出した現役人気グラビアアイドルにヒューヒューと歓声が飛んだ。桃恵は綺麗な笑顔で答え、マイクを構えて話した。
『ええーとですね、最近のミスコンは、ねえ? あのー、いろいろあって(笑)、すっかり水着審査がなくなっちゃったんですけれど、「ミス・グラビアクイーン・コンテスト」!ですからね、目の前に青い空青い海が広がっていますし、最初から最後まで水着だけです』
笑う桃恵におお〜ヒューヒューと野郎どもの歓声が盛大に上がった。
『このコンテストは中央テレビ映像事業部の主催で、優勝者にはタレント契約のチャンスもあります。参加するルックス自慢の皆さん、えー、この後ろのテントに控えていらっしゃいまして、わたしもちょっと覗いてみましたけれど、えーーー、……すごいです』
桃恵の含みのある笑いにまた歓声が上がった。
『皆さん気合い入りまくりです。ほんとになかなかチャンスがなくなっちゃいましたからね、ここぞ!とばかりにハイレベルな美女たちが集まってライバル同士火花を散らしてます(笑)。
さあ、それでは!
美女たちに登場してもら……う前に、こちらも美しい特別審査員の方をお迎えしたいと思います。
最近ちまたで噂の、悪霊と格闘する美少女霊能師、
芙蓉 美貴さんです。
どうぞー』
階段を上がって芙蓉美貴が登場した。おおと声が上がる。
黒系の地味な格好が多い芙蓉だが、今日は白のセーラースタイルの短パン姿だ。グラビアアイドル屈指のスタイル自慢の桃恵と並んでも遜色なくきれいな長い脚をしている。
『初めまして。芙蓉美貴です』
芙蓉もマイクを構え緊張した固い声で挨拶し、
『わたしで済みません』
と頭を下げた。
『何をおっしゃいます、紅倉美姫先生とのW美女コンビで大人気ですよー? 済みませんと言えば、水着でないのが残念ですねー。あ、品のない野次は駄目ですよー?
芙蓉さんはどんな女性がタイプですか?』
『中身の綺麗な女性が好きです』
『脱いだ方がお好みということですか?』
『は?』
『実は関係者から密告がありまして、なんでも芙蓉さんは綺麗で可愛い女の子が大好物とか?』
『え? デマです。わたしは至って普通です』
『さっきわたし握手したんですけど、みょ〜に握りしめられてなかなか放してもらえなかったんですけれど?』
『いいオーラをしているなあって気持ちよかったんです』
『わたしの方こそなんだか女性フェロモンが活性化されたような気がするんですけれど(笑)。
そんな芙蓉さんの大好物のフェロモン美女たちがこのカーテンの後ろにぎゅうっと詰まっていますので(笑)、じっくり堪能して、審査の方よろしくお願いします』
『はい。よろしくお願いします』
ステージ横の審査員席におじさんたちに並んで座った芙蓉は、なによ大好物って、と不満の表情を覗かせた。密告した関係者というのはどうせ先生だろう、親身に尽くしている自分をいったいどういう目で見ているのかしら? と思っていたのだが。
『それではお待たせしました。
ホームページに寄せられた写真から、書類審査、面接審査を経て選りすぐられた25名の美女たちです。一斉にステージへ、どうぞ!』
音楽と共に中央の赤いカーテンが左右に開き、ビキニの美女たちが晴れやかな足取りで歩み出て、ポーズを取り、腰をひねって左に右に分かれて歩いていき、外側から順番に止まって前を向いていく。
ここがホールのような会場なら審査員席は正面の特等席に設置されるところだろうが、観客席はフリースタンディングなので、安全な横手になっている。
参加者たちは舞台の手前の端から順々に斜め後ろに立っていって、最終的に奥が下がったV字型に整列する。
目の前に女性たちの首から腰のS字ライン、丸く膨らんだ若いお尻、スタイル自慢の長い脚がずらりと並んでいくと、芙蓉の目の色が変わっていった。
爛々と輝きだし、直射日光を浴びる砂浜に負けない熱を帯びていった。
引力に引かれるようについつい前のめりになって、となりのおじさんの呆れた視線に軽く首を振って目が疲れているような小芝居をして上体を戻した。
お仕事、お仕事、
と思いつつ、
『役得だわ……』
と、三日月型に目を細め、口もとが緩んでしまった。
だらしなくエロい目で美女たちを眺めていた芙蓉は、あれ?、と、見覚えのあるお尻に目を留めた。エスニックな赤い縞模様のパンツだ。
『あのプリッと高いお尻は……』
芙蓉の審美眼に間違いなく、それは同じ白玉女学園大学の2年生、岩崎玲緒奈だった。
アルバイトでイベントコンパニオンをやっている、芙蓉お気に入りの綺麗な先輩だ。
全員整列し、
『この25名でコンテストが戦われます。この後一人一人じっくり審査していきますので、皆さん、大いにアピールしてくださいねー?』
と桃恵が激励し、参加者たちは揃って笑顔で手を振ると、クルリと後ろを向き、中央から音楽に合わせて颯爽とカーテンの中に退場していったが、玲緒奈は登場した時に気づかなかった芙蓉を睨むようにして微笑み、歩いていった。
芸能界入りを目指して上昇志向の強すぎる玲緒奈はプライベートの友人が少ないらしく、夏休みに入ってからも芙蓉は呼び出されてデートのお相手をしていたが、このコンテストに出るとは聞いてなかった。多分本人も芙蓉が審査員に呼ばれているなんて知らなくて、きっと気恥ずかしい思いをしていることだろう。
『楽しいなあー』
と、ますます芙蓉はご機嫌になった。
海上保安庁の灰色の巡視艇が到着し、海上に浮き上がった物体の回収、その他予想される海底に沈む物体の捜索にダイバーたちが潜っていった。
118番通報後その場を動かないよう指示され、船尾に漂う浮上した物体を回収後、ようやく帰還を許されたクルーザーは、乗り込んだ海上保安官の指示の下、指定の船着き場に向かった。
浮上した人の遺体の一部と見られる物体にはセメント片が付着していた。果たして深度30メートルの海底から次々セメントの詰まったブリキ缶が発見され、引き上げ作業が行われた。
一つ、二つ、ロープにくくられフックに掛けられたブリキ缶が巡視艇の甲板に引き上げられていった。
芙蓉美貴の師であるところの紅倉美姫は、グラビアクイーンコンテストの行われている砂浜にほど近いリゾートホテルの一室で、バルコニーへの窓を開け放し、サマーベッドに寝転んで、一応リゾート気分を味わっていた。
そこへおなじみひげ面熊の等々力ディレクターが慌てた様子でやってきた。
「ちょっとちょっと紅倉先生、たいへんですぜ!」
「なんです? 銭形平次のはっつぁんみたいに?」
気分で真っ黒なサングラスをかけた顔を向ける紅倉に、等々力ディレクターは息せき切って言った。
「東京の三津木ディレクターから連絡で、どうもこの近くの海水浴場の沖で遺体が上がったようですぜ。それも、セメント詰めのバラバラ死体が!」
三津木は中央テレビ「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」のチーフディレクターで、等々力は外部の制作会社「アートリング」の社長兼ディレクター兼カメラマンだが、この二人はしょっちゅう組んで悪巧みばかりしている。等々力はオカルトがほぼ専門の困った中年オヤジであるが、元々何でも屋で、今はビーチでコンテストの取材をしているはずなのだが。
紅倉はサングラスを外すと等々力に向けた目を不審そうに細めた。
「へー。まさかそれを見越して美貴ちゃんを水着の女の子を餌に連れ出してわたしをここまで引っぱり出したわけじゃあないでしょうねえ?」
「いや。先生には漁師を襲う海坊主の検証をお願いしようと企んでおったんですが。最近出るって噂なんですよ」
「…………………」
「冗談ですよお。中央テレビさんから先生への夏のボーナス代わりです。なにしろ先生は今や中央さんのドル箱スターですからなあ!」
中央テレビの思惑はともかく、この親父の魂胆は絶対にこれ幸いとオカルト取材に付き合わせるつもりだっただろう。
しかしそれどころの状況ではなくなったらしい。
「今ですね、海上保安庁が駆けつけて海底から続々バラバラ死体を引き上げておるらしいですわ」
ビーチのお色気水着ギャルよりバラバラ死体ですっ飛んでくるんだからこのおっさんも悪趣味だ。
紅倉は呆れて問う。
「で? それをわたしにご注進して、いったいどうするわけ?」
「いやあー…、ご興味がおありかと」
「ありませんよ。あなた方の同類にしないでください」
「そうですかあ?」
「そうですよお」
と言いつつ実は暇を持て余していた紅倉は、つい、そちらの方へ霊波のアンテナを向けた。
紅倉の白目が充血してピンク色に濡れ、ブドウの実の色をした瞳が赤く染まった。
「発見した人たち、特に女の子たちに気を付けるよう伝えてあげて」
「了解いたしましたあ!」
ひげ面の等々力は最敬礼し、張り切って飛び出していった。どういう情報網があるのか知らないが、マスコミの、それもゲテモノのオカルトが専門じゃあ事件の関係者にそう簡単に接触できるとも思えないが。
視力が非常に低い紅倉は芙蓉にバルコニーには出ないようきつく言われている。白い肌もドラキュラ並みに太陽光に弱く、珍しくショートパンツから脚を出したこの格好ではとても表には出られない。せっかくのサマーベッドも海とプールを見下ろせる白いバルコニーからうんと奥に引っ込んで、あぐらをかいた紅倉は陰気な目を遠い窓に向けると、
「間に合うといいのだけれど」
とつぶやいた。
ビーチのグラビアクイーンコンテスト。
水着美女勢揃いの至福の時を経て、優勝他各賞が決定した。
芙蓉は玲緒奈に審査員特別賞の盾を贈り、ティアラを被せ、司会の桃恵に促されてハグし、頬にチュッと祝福のキスをした。優勝は地元の高校生で、明るい親しみやすい笑顔とアンビバレントな健康セクシーボディーの子だったが、芙蓉は綺麗タイプの玲緒奈の方が好みだった。審査は大いに個人的趣味を押し出したが、芙蓉一人で玲緒奈を選んだわけではなく、玲緒奈が特別賞に選ばれて芙蓉も嬉しかった。
玲緒奈は苦節うん十年の演歌歌手みたいにぼろぼろ泣いて、けっこう周りに退かれていたが、前回せっかく大手芸能事務所に移籍するチャンスを逃して自信喪失していたところ、よっぽど嬉しかったのだろう。
入賞者たちといっしょに写真を撮られながら、
『せっかくだから玲緒奈さんを先生に紹介しよう』
と、お持ち帰りプランを立てる芙蓉だった。
発見時の状況を訊かれ連絡先を訊かれた男女4人ずつの若者たちは、取りあえず捜査から解放された。
「わたしたちもう帰るね」
女の子グループを代表して一人が言った。
「3日間予約してあるからさあ、休んでいきなよ? 一晩泊まってゆっくりして、帰るのは明日にしなよ?」
男の子グループの代表がなんとか女の子たちを引き留めようと食い下がった。彼らは男女それぞれ別の大学のグループで、合コンで知り合った彼女たちを男の子たちがお膳立てして招いたのだ。一人父親が会社経営の男の子がいて、親戚のおじさんからクルーザーを借りて、リゾートホテルの高い部屋だって奮発したのだ。
しかし女の子たちの方はすっかり色をなくした硬い顔をして、もうまるでリゾート気分なんて吹き飛んでしまっていた。
「ごめんねー。でも、もうここにいたくないの。海も、水も、見たくないのよ。早く帰って、自分の部屋で休みたいの」
男の子たちに気を使いながらも頑固に言う彼女に、男子諸君も仕方なく頷いた。
「そう。じゃあ……、気を付けてね?」
「ありがと。じゃ、ごめんね」
「うん………」
また、と言いそびれて、彼氏は内心ため息をついた。せっかくの一夏の経験が、おじゃんだ。
女性陣はホテルまで送ってくれると言うパトカーに乗って、海から離れた。
今は離れた沖で続々引き上げられるセメント詰めの缶は、当然殺人事件になるだろう。全ての部位の引き上げが完了し、海上の捜査が終了すれば、事件は陸の警察に引き継がれることになる。
パトカーを見送った男性陣も、
「なんっだよおー…」
と地団駄踏み、がっかりすると、クルーザーに乗り込み、契約の係留埠頭目指してとぼとぼ出発した。
ホテルで交代で簡単にシャワーを浴び、荷物をまとめた女性四人は、軽乗用車で東京方面向け出発した。
しばらくは海岸沿いの国道を走らなければならない。四人は出来るだけ海の方を見ないようにして暗い顔で黙り込んでいた。
運転しているのはこの車の所有者の女の子だったが、彼女は運転しながらしきりと息をつき、つばを飲み込むのを繰り返していた。眉を神経質に歪めて、見るからに気分が悪そうだった。
助手席の友人が
「だいじょうぶ?」
と心配し、
「どこかで休んでいこう?」
と提案した。
「うん…。ごめん、そうさせてもらう」
よほど悪いようで、ハアと息をつき、生唾を飲み込み、素直に頷くと、どこかドライブインでもないかと捜した。
「今度はわたしが運転するよ。ちょっち危なっかしいかもだけどー」
助手席の彼女は少しでも雰囲気をよくしようと冗談交じりに言った。運転の彼女は友人の気遣いに頑張って笑おうとしたが、
「…フグウッ……」
突然顔をひどく歪めてぐっと肩を上げ、背中を強張らせた。
「真奈美! どうしたの!?」
「わ…、分からない、む…、胸…が………」
顔からすっかり血の気を失って目の下をヒクヒクと痙攣させて、必死にハンドルを握っていたが、
ぐぐっ、
と変な風に喉を鳴らすと、ゲロッと真っ黒な物を吐き出し、
「ブフッ」
と、鼻と口から同時にタールを思わせる粘着質の黒いドロドロを噴き出し、白目を剥いてハンドルの上に倒れ込んだ。
「真奈美いっ!」
「きゃああーっ!」
車はグルッと反対車線へカーブし、走ってきた乗用車の前に飛び出した。
「きゃっ……」
ドンッ!、と前部側面に衝突され、グルッと車体が回転した。ギキイイッ、と鋭いブレーキ音が上がり、両方の車でポンッとエアバッグが開いた。
両車線で後続の車が急ブレーキを踏み、ブッブーとクラクションが上がった。
「ああ……」
三人の女性たちはショックで真っ白になった顔を上げた。ガックンと前に飛び出したがシートベルトで押さえられ、幸い衝突はスピードが落ちていたのと斜めにぶつかったおかげで衝撃が逃げ、派手に回転した割には車体がぐちゃぐちゃに潰れるようなひどいものにはならなかったようだ。
しかし。
「真奈美? ねえ真奈美、ねえ? だいじょうぶ? ねえ?」
しぼんだエアバッグの上にガクンと突っ伏したまま動かない運転手の肩を、助手席の彼女はおっかなびっくり触れ、名前を呼びながらそっと揺らした。
「真奈美? ねえ、だいじょうぶ? ねえ?」
ずるっと肩が力なく崩れ落ち、ハンドルに乗った首がグリッと横を向いた。
その顔を見て、助手席の彼女は、
「きゃああああーーっっ」
と悲鳴を上げた。
「きゃああっ、きゃあああああっっ、」
止めどなく悲鳴がほとばしる。
死んでいるのだろう。
横を向いた彼女の顔は、
吐き出した黒い粘液に汚れて、肌は漂白されたように白く、首から顎まで、汚い紫色に変色し、黒い血管がいっぱいに走っていた。
彼女が吐き出した黒いタールのようなドロッとした液体からは、海で嗅がされたあの臭いが立ち上っていた。
パニックに陥っている助手席の友人の様子に、恐る恐る運転席を伺った後ろの二人も、その姿を見、その臭いを嗅ぎ、悲鳴をほとばしらせると、慌ててシートベルトを外し、ドアを開いて外へ転げ出た。
助手席の子もやっと気付いたようにシートベルトを外しドアを開けようとしたが、衝突で変形して開かなかった。
きゃあきゃああと、異様な死体と一緒に閉じ込められた彼女はパニックに陥って悲鳴を上げ続けるしか出来ないのだった。
日差しが西に傾き、陰りを増した部屋の奥で膝を抱えて背中を丸めた紅倉は、
「間に合わなかったわね」
と、赤い目で陰気につぶやいた。
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