第65話 ランスのパン作り

 楽しくパンをこねていたレナリアは急に名前を呼ばれて驚いた。

 しかもエルマの話を聞くと、ローズとランスのパン対決の審判をして欲しいという。


「私より、ポール先生のほうが適任だと思うわ」


 そう言ってレナリアは辞退しようとしたが、エルマは「それじゃダメだよ」と首を振る。


「ポール先生が審判になったら、負けたほうが立ち直れないかもしれないでしょ。その点、レナリアさんなら同じ生徒だし大丈夫」


 何が大丈夫なのかさっぱり分からない。


 しかもレナリアとランスの関係は、今も微妙だ。レナリアとしては積極的に仲良くなる機会も必要もなく、ランスのほうも決して近づいてこようとはしない。


 これでもしローズのパンのほうがおいしかったとしたら、本当のことを言っても、ランスに後々恨まれてしまうのではないだろうか。


「そうだね。いいかもしれないね」

「でしょー。先生もそう思うよね」

「エルマさん、そこは、そう思いますよね、と一応敬語を使いましょう」


 貴族と平民では、言葉遣いが少し違う。


 平民にとってこの学園に通うことで貴族の言葉の遣い方を学べるというのは、かなりの利点だ。

 状況によって丁寧な言葉遣いができるのは、どこであっても重宝されるのだ。


「はぁい。ごめんなさい」


 素直に謝ったエルマに、ポール先生は「これからゆっくり覚えていきましょうね」と優しく声をかける。


 こうしたポール先生の生徒に寄り添う姿勢があるからこそ、生徒たちに信頼されるのだろう。

 レナリアは、風魔法クラスの担任がポール先生で良かったと心から思った。


「せっかくだから、大きいパンと小さなパンの両方を作ろうか。ロウソクの炎と同じ大きさの魔法をあてるには、これくらいの大きさにしなければいけないんだけど、全部の小麦粉を使うと大きくなりすぎるよね。だから小麦粉を少なめにするか、あるいは、ぎゅっと圧縮します」

「圧縮?」


 そこで初めてランスが質問をする。

 うまくパン生地をこねられないのか、手にはべったりとした生地がくっついている。


「水分を少なくすると、固い小麦粉のかたまりになるよ。ほら、こんな感じに。ただし、パンとして食べようとすると、歯が欠けてしまうくらい固くなるかもしれないけどね。ただ今回はパンをこねることで魔力の操作を学ぼうという授業だから、食べられるパンを作ろうか」


 ポール先生の言葉に、ランスは手についたベタベタの生地をどうすればいいんだろうと、うんざりしながら伸ばしてみる。


 大体、魔法の勉強にパン作りの何が役に立つというのだ。


 しかもおいしくなれと思いながら作るとおいしくなるなど、理論的でないにも程がある。

 しょせんは落ちこぼれの風魔法クラスの教師だ。授業も何もかもくだらない。


「おいしくな~れ」


 そこへエルマの言葉を真に受けたローズの声が聞こえた。

 馬鹿馬鹿しいことに、実践しているらしい。


 しかし、このままではパン生地がうまくまとまらない。どうしたものかと途方に暮れるランスに、おずおずとした声がかかる。


「ランス君は手でこねないで、ちょっと上から叩きつけるようにしてみるといいかも」


 ランスの手元を見て、見かねたエルマが助け舟を出してきた。


 ランスは平民風情がアドバイスなど生意気な、と思ったが、このままではまともなパンは作れないだろう。

 反発したくなる気持ちをぐっと抑えてエルマの方に向き直った。


 ところどころ跳ねた赤毛にそばかすの浮いた顔は、貴族の整った顔を見慣れているランスにはとってあまり好ましいものとは言えない。


 だがランスはそんな内心を隠して、貴族らしい微笑みを浮かべる。


「叩きつけるとは、どういう風に?」

「こんな感じ」


 エルマはパン生地をトレイに叩きつけた。

 ビタンッと響く豪快な音に、さすがのランスもびっくりした。


 ポール先生がお手本を見せてくれた時は生地を軽く上から落とすだけだったが、エルマのやり方だと思いっきり叩きつけている。


 食べるものを作るというのに、こんなに乱暴で良いのだろうか。


 レナリアたちも、いきなり聞こえてきた音にびっくりして目を丸くしている。


「はい。やってみて」

「あ、ああ……」


 パン生地を高い所から落とす。


 ビタンッ。


 もう一度落とす。


 ビタンッ。


 ……結構楽しいかもしれない。


 途中で様子を見ながらエルマが小麦粉を足してくれて、気がついたら他のみんなと同じように、丸くまとまったパン生地ができていた。


「良かったね、ランス君」


 鼻の頭に小麦粉をつけた赤毛の少女の笑顔を見たランスは、そばかすというのも中々愛嬌があっていいかもしれないと、考えを改めた。


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