第34話 魔法紋

 魔石に魔法紋を彫るといっても、すぐできるようにはならない。何度も練習してやっと成功するものだ。


 それでも水を出すための魔法紋は一番簡単だから、最初に練習するのには最適だ。


 レナリアは、ナイフに少しだけ魔力を流して魔石を彫ってみる。

 手に伝わる魔石の感触は硬い。

 レナリアはもう少し、魔力を多くしてみた。


 するとサクッとナイフの先が魔石に沈んだ。


 レナリアは手を止めて、天井を見上げる。


「レナリアどうしたの?」


 あんまりやりすぎないように、と釘を刺されて手持ちぶさたなフィルは、パタパタとレナリアの周りを飛び回っていた。


 少し気が散るが、ここで声をかけるとまた張りきってやらかしそうだと思って、レナリアはあえて話しかけずにいた。


 だが、ためらいがちに話しかけてくるフィルに、ずっと素っ気ない態度を取れるはずもない。

 うるうると潤む蜂蜜色の瞳にはほだされてしまう。


 レナリアは頬を緩めると、フィルの頭を撫でる。


 フィルは途端に顔を輝かせて羽をきらめかせた。

 今までのしょんぼりした姿が嘘のように、明るく元気だ。


(このままだと、すぐに魔法紋を彫れてしまいそうなの)


 レナリアは、他の人たちには聞こえないように、心の中でフィルに語りかけた。


「……? 魔法紋を彫る授業なんだよね?」


(ええ。そうよ。でもすぐに完成してしまうと目立ってしまうもの)


「レナリアが、なんで出来るのに出来ない振りをするのかは分からないけど……。このまま完成させたくないってことだよね?」


 レナリアはフィルの言葉に頷いた。


「じゃあ、ナイフでその魔石を割っちゃえば? ボクも力を貸せるし、すぐ割れるよ」


(フィル、絶対に絶対に、割らないでね!)


 フィルは気軽に言うが、そもそも魔石はそのままでは削れないほど固いから、ナイフに魔力を流して彫るのだ。

 なのに呆気なく二つに割ってしまったら、大騒ぎになってしまうだろう。


「わ……分かったよ」


 ちょっとしょぼんとしたフィルに、レナリアは慌てて声をかける。


(その……。もうちょっとで成功したのに、っていう程度の失敗をしたいのよ)


「それは難しい注文だなぁ」


 腕を組むフィルにレナリアも同意する。


 そもそも失敗するなら思いっきり失敗した方が楽だ。


 だが特別クラスではエアリアルの守護しか得られなかったのだと、レナリアを侮るものたちがいる。

 今のところ風魔法クラスでは同じ虐げられしものという認識で仲間意識を持たれている。


 ここでレナリアが突出した才能を見せたら、きっとクラスメイトたちに距離を置かれてしまうだろう。

 それは避けたい。


 ただ落ちこぼれという印象もつけたくないのだ。


 だからちょうど良い失敗具合にしたいのだが、これがなかなか難しい。


「う~ん。だったらさ、水の魔石と火魔法は反発するから、少し火属性の魔力をナイフに流してみたらどうかな」


(火魔法を? でもそれじゃ魔石を彫れないんじゃないの? ポール先生は、魔法紋を彫れるのは風魔法だけだっておっしゃっていたわ))


 レナリアが驚くと、フィルはレナリアの知らないことを教えてあげられるのが嬉しいのか、くるくると飛び回る。

 よく見ると、羽がキラキラと輝いていた。


「風魔法以外でも彫れるよ。ただ凄く魔力が必要だからレナリア以外の人は無理じゃないかな」


 では、魔法紋を彫れるのがエアリアルの守護を受けるものだけだと言っていたポール先生の言葉は、やはり正しいのだ。


「基本的に相性の悪い魔力を流すと……。えぇと、たとえばこの水の魔石に水属性の魔法紋を彫る場合は、火の魔力を足すと、全然彫れないか、魔石が壊れるかのどっちかだね。水の魔力なら彫れなくはないけど……かなり細かい調整をしないといけないかな。風魔法だと、そこまでの細かさは必要としないんだけど」


(そうなのね)


 他の属性でも魔石に魔法紋を彫れるのであれば、もし前世と同じように魔力を多く持つ人々がいたら、簡単に魔法紋を彫ってしまいそうだ。


 そうなるとレナリアを含めた風魔法クラスの生徒たちは、「風魔法でしか魔法紋を彫れない」というただ一つの優位性をなくして、今以上に肩身の狭い思いをしていたことだろう。

 そうならなくて、本当に良かった。


(じゃあ、火の魔力を少し流してみようかしら)


「ほんのちょっぴりだよ」


(分かったわ)


 レナリアは手に持つナイフに火魔法を流す。

 ごくごく少量の魔力だ。


 そこへ、ポワッと小さな炎が生まれる。


「レナリアのお手伝いする~!」

「え……?」


 小さな炎が踊るようにゆらめく。

 そしてレナリアの手の甲に乗ってきた。


「……え?」

「レナリア大好き! だからお手伝いするの~!」


 小さな子供のような声が、小さな炎から聞こえる。

 レナリアはこの声を前に聞いたことがある。


 アンジェを蘇生させた時に助けてくれた精霊だ。


「あなた……。もしかしてあの時のサラマンダー?」

「うん、そう! 覚えててくれたの? わぁ~い!」


 嬉しそうな小さいサラマンダーの声に、悲鳴のようなフィルの声が重なる。


「お前、この間のサラマンダーだな! レナリアはボクのだから離れろっ」


 フィルがサラマンダーに近づくと、サラマンダーはふわりと宙に浮いて逃げる。


「やだもん。私もレナリア好きだも~ん」

「ダメだっ。ボクだけのレナリアだっ」

「やだもーん!」

「ダーメー!」


 突然始まった追いかけっこに、レナリアはどうすることもできずに、ただオロオロと精霊たちを目で追った。



 

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