諦めた選択に
「話の当人が出てきましたから、そろそろ本題に入りましょうか。
リルーフ・ルフェン、彼は敵に回れば非常に危険な存在となります。彼をこちらに引き渡してください」
「待ちなさい」
静かにその警告を拒否するかのように、話を止めるルディア。
彼女は、メティスが目的の為ならば、どんな手を使う者であると知っていた。だから、リルがメティスの手に渡ればどうなるか。
それを懸念したからこそ、彼女はこの行動に出る。
「あなたが何をする気なのかは知らない。彼が何をしてしまったかも。けれども、彼は三ヶ月より前の記憶がないの。
だったら彼が何を知ってしまったか、何をしでかしてしまったかを追求するのは早すぎるわ。せめて記憶を取り戻してからにして」
彼女がここまでリルを庇う理由、それはただお人好しなだけなのだろうか。
リルはルディアという人物をこの三ヶ月間見ていて、彼女が他人に優しい人間だという事を理解していた。
だが、今の言葉からすれば彼に対して肩入れしすぎている印象を受ける。一緒に住んでいただけの同居人だろうと、ここまで真剣になるだろうか。
「……ルディア、あなた一つ勘違いしているわ。
私は彼が記憶を失っているかどうかなんていうのはどうだっていいの。重要なのは彼という存在、彼そのものよ」
「どういう意味?」
「十六年前、この世界に魔王が襲来していたというのは知っているわね?」
「ええ、母さんとアンタ達で倒したっていう話はね」
リルはその事実に驚愕のあまり、ルディアを見たまま固まる。
今まで親族関係の話は一切聞かされてなかったが、まさか世界を救った英雄の娘だとは予想外すぎることだった。
ただ、ソフィは顔を一つも変えていないことから、その事は最初から知っていたようだ。
「その魔王、公言はされていないけど異世界からの来訪者だったわ。
……そして、魔王に限らず転生者は強大な力を持つことが多い。その意味、あなたになら分かるわよね?」
メティスが言う特徴、それにルディアは心当たりがありまくりだった。
リルが三ヶ月前の事件で見せたあの力、彼女がツクモという力がなければ苦戦していたあのエンプトを、それ無しで圧倒的なまでに押し込んだあの刹那の一撃。
恐れられる力と言えばそうなのだろう。しかも、素性が分からない者が持っているとなればなおさら。
「……シャクだけど、アンタの言ってる事は理解できるわ」
「納得したようね。なら彼を」
「納得なんてしてない」
けれども、彼女は警告をさらさら聞く気はなかった。
「確かに彼が何なのか、どういう人間だったかなんて知らない。過去も記憶もない。
けど、だからと言って私は彼を危険視する気はない。素性不明で、前例と同じ事が起こるかもしれない。そんな事を言ってしまえばあの人と……母さんと同じ苦しみを味わうことになる!
アンタも見てて苦しいと思わなかったの!」
次第に荒げていく彼女の声、剥き出しになっていく感情。
普段は表情をあまり変えず、戦いの中でさえも冷静さを失わずにいた彼女がここまで激しく、そして必死になることなどリルは初めて見た。
メティスはそのことに対し、一瞬だけ目を伏せたかと思えば、またすぐに冷ややかな表情に戻る。
「……それとこの話は別よ。全ての人間が彼女のような性格とは限らないわ」
「そうかもね。けど、少なくとも彼は悪人じゃない」
「どうしてそんな事が言えるのかしら?」
「そんな物、簡単よ」
彼の過去を知らないと言ったはずの彼女は自信満々に答える。この三ヶ月の間に彼の何を見て、何を知ったのだろうか。そしてその理由は……
「——直感、ただそれだけ」
第六感、あるかも分からない人間の感覚だと、ルディアは言い切った。
「そこまで言うなら、説得は難しいわね。その頑固さはきっと彼女譲りなのでしょうから」
だが、その反論のせいで事態が悪化した事は確かだ。
先ほどまでのメティスになかった敵意、それがいよいよ表立つ。恐怖がこの場を支配し、同時に宣戦布告となる。ルディアとソフィは戦闘態勢となり、それぞれが携えていた武器、ソフィは大剣、ルディアはツクモが宿る短剣を始めから構える。
ここから先は刹那の気の緩みも許されない。
「では、ここからは武力行使をさせていただ……」
「待ってくれ!」
そのはずだった。
止めたのは話の中心人物となっているリルだ。
「俺……そこまでして守ってもらう資格なんてない」
それはまるで何もかもを諦めたかのような一言。誰とも目を合わそうとせず、ただ。苦しい感情に耐えながらも無理に笑っていた。それはまるで何か卑屈になっているかのよう。
「だってさ、話を聞く限り俺、悪い奴かもしれないんだろ? しかも記憶は無いし、俺の持っている力も強すぎるし。そんな奴が危険だって言うのも当然だ」
リルはメティスの言い分を肯定しながらも、前へ進む。それはまるでメティスの要求を受け入れるかのように。
「そもそもさ、その強大な力っていうのも俺が元から持ってたとは思えない。どうせ、一般人が持ってちゃいけない力なんだろうな。そんな力は俺じゃあ持て余すだけだ。あの時だってがむしゃらにやった結果、力が出ただけ。そんなんじゃあ、またいつ感情に任せて力が出てしまうかも分からない」
一歩、また一歩と。正論をつらつらと並べながらも、彼は自身を肯定していく。これが正しいのだと内心言い聞かせる。
ルディアの気持ちをないがしろにしている事から、心臓に針を刺されたかのような痛みも感じていたが、これが最善なのだと彼自身はそう決断していた。
そして、彼は最後の一言、自身の運命を決める結論をメティスに伝えようとする。
「だからさ、メティスの言う通り……」
「ふっざけんじゃないわよ!」
だが、それはパチンという軽い音によって止められる。何をされたのか、リルは理解できていなかった。怒号とともに頰へ痛みが走ったことは確かだ。その怒号はルディアの物だ。
「ルディ……ア……?」
「なに諦めてんのよ! それっぽい事ばっか言って、自分を騙して、ホントはただ楽になりたいだけでしょ!
あの時もそうだった! 助けるだけ助けて、自分だけ死んでも良いと思って! 取り残された人がどれだけ悲しい思いをするか、アンタ全然分かってない!」
息継ぎもなしに、彼女は怒りをぶつける。それは憎いための怒りではない。どちらかといえば懇願が含まれているかのような怒りだ。
「あっ……」
それに何を共感したのか、彼の脳裏に何かが映し出される。ノイズが激しく、鮮明ではないが、彼女の言うことに当てはまる部分もあった。
血だらけの女性、それを抱き起こそうとするリル。そして……
「……けど、どうするんだよ。
素人の俺でもわかる! あいつはルディアでも勝てない! だったら、最初から大人しくしとけば……!」
不意にリルの目から涙が流れる。それはフラッシュバックされた記憶からか。
彼の言う通り、戦う前から彼女達はメティスに気圧されており、それでは勝てるはずもない。だが、怯むことなくルディアは答える。
「それでも、私はやる」
そう言って彼女はリルよりも三歩前へ出る。
メティスを止める、その事はもう確定事項だと言わんばかりに。
「なんで……」
「さあな」
そしてもう一人、彼の前に立つ者がいた。それはソフィだ。
「あいつはそういう性格なんだよ。誰がなんと言おうと何を想おうと、見捨てるなんていう選択はしない。その先に何が待っていようとな。
悔しいけど、それで勝っちまうんだ」
最後の部分、それは小さく呟かれた。しかし、リルに聞かれないようにボソボソと言ったわけではなく、気持ちがこぼれたような物だ。だから、彼が聞いたかどうかははっきりとしない。
「ま、けど今回はそう楽観できるもんじゃない。
相手は掛け値なしの英雄様だ。実績があるからとかじゃなくて、誰も出来なかった事をやりとげた奴相手に戦う。世界一の魔術師との戦いつっても過言じゃねないな」
「そんなのと戦うのになんで……まさかお前も……!」
「ああ、戦うつもりだ。けど、お前のためじゃねえからな。アタシ自身のために戦うだけだ。あんな大物とやりあう機会なんて滅多にねえからな」
強気な事をいう彼女であったが、いまだその膝は震えており、恐怖を抑え切れてはいなかった。ただ、本心であることは確実だろう。ソフィはリルに思うところはなく、案じることも今までなかったのだから。
「行くな……」
だが、それでも彼はソフィに、そして当然ルディアにも願う。
「行かないでくれ……」
二人の背中、リルにはそれが遠ざかって見えてしまう。
まるでそれは、もう届かないところまで行ってしまうように。
「頼むから……」
声は震え、顔はうつむき、歯を食いしばりながらも、また頬に熱いものが流れる。
——戦うか、止めるか?
ここで彼の中に選択肢が出てくる。
戦う、それは彼女らと共にメティスに立ち向かう。
止める、それは彼女らを止め、メティスの警告に従う。
——戦ったとして、勝てるのか……?
彼は自問自答していく。
戦うという選択は彼女らを守り、そして自身の行く末も勝ち取る。そんな素晴らしい選択だ。だが、もしそうするとして彼には一つの疑問が浮かび上がる。本当に勝てるのかという事だ。
自身には強大な力がある、それは確からしいが、扱いこなせるのだろうか。しかし、エンプトとの戦いではミスをしてしまい、そのことから彼は自信を失ってしまっている。
——だからといって、ルディアを止められるのか……?
その選択もおそらく無理だ。彼女達は戦う決意を持ち、リルにはそれを止める言葉などもうない。現に、止めようとして逆にルディアに押し込まれてしまった。
だがもう一度止めれば、いや強引にでも力づくであれば……止められるのではないか。
「どうする……どうする……!」
彼女たちの身を案じ自身の行く末を捨てるか、それとも、より困難な道を進み勝ち取るか。
彼の中で思考が渦巻く。死んで欲しくはない。しかし、それを実現する力があるのか。ならば、自身を犠牲にして、いやそれではルディアが……
「——え?」
判断を決めかね、どうしようもない状況におちいったリル、その彼の目の前に一つのナイフが転がってくる。
鞘に納められ、刃と柄の長さがほぼ一緒で、ルディアが使っている短剣よりは短めだ。
「これを持って、早く逃げなさい」
それを投げた人物はルディアだった。
意図はどうであれ、彼を思っての事は間違いない。ナイフは護身用なのか、それとも一人で生き延びろということか。ともかく、それは選択肢だ。その選択肢を彼は選んだ。
ナイフを拾い上げ、必死に彼は走る。涙を流し、目指す場所もないまま、目の前など見ずに。その行動はたった一つの理由だけだ。
ただここから逃げる。
選択ですらない選択。選択から彼は逃げたのだ。最初は自分だけ死んでもいいという思いから外れ、ルディアたちのことからも逃げた。
それはまるで未熟な子どものように。
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