幸せの月

育岳 未知人

第1話 竹取の翁

 美月はあるとき、街に出て通りの一角にある小洒落た古本屋に入った。すると、店内は少し薄暗いが以外と広く、古書が所狭しと並べてある。そして、その奥の一角には、カフェコーナーが併設されていて、ドビュッシーのピアノ曲『月の光』が流れ、数人の客が本を片手に思い思いにカフェタイムを楽しんでいた。美月は、本棚から数冊の本を手に取り、カフェコーナーの端の席に座り、ミルクやココアで描かれたアートが浮かぶカフェラテを注文した。どうやら、カフェを利用する客は、本棚から無料で3冊まで本を借りてきて読むことができるらしい。


 神尾美月(かみお みづき)は、東京の大学に通う二十歳の学生である。秋になると、こうして音楽を聴きながら、古書を読み耽るのが楽しみの一つとなっていた。借りた本の中から、明治刊行の『竹取物語』を手に取ると、早速ページを開いてみた。

『いまはむかし、たけとりの翁といふものありけり。野山にまじりて、竹を取りつゝ、よろづの事につかひけり。名をばさぬきのみやつこまろとなんいひける。その竹の中に、もとひかる竹ひとすぢありけり。あやしがりてよりて見るに、つゝのなかひかりたり。それを見れバ、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。・・・』


 美月は、竹林の小径を弟の光星といっしょに歩いていた。すると、光星が退屈そうに言った。

「姉ちゃん、七夕飾りに頼まれてる竹の伐採ってどの辺かな?」

「もう少し先だと思うけど、あの先の水辺の辺りじゃない?」

しばらく行くと、山から湧き出た清水が沢となって流れている。光星が葉ぶりのよい竹を根元から三本ほど切り倒すと、二人は傍にある竹の葉を取り、笹舟を作って、せせらぎに浮かべた。笹舟は、淀みでしばらく留まっていたが、にわかに流れに乗り、沢を勢いよく駆け抜けて行く。笹舟はこのまま川を下って海まで至るのだろうか。

二人がそんなことを語らいながら笹舟の行方を見守っていると、竹取の翁と思しき老人が、山を下って来て、美月たちに語り掛けてきた。

「おまえさんたちは、何者かね? あんたはかぐや姫によう似とるようじゃが・・・。」

「私たちは、許可をいただいて、七夕飾りに使う竹を切りに来た者です。怪しい者じゃありません。かぐや姫って物語に出てくる・・・えっ実在の方?ご存じなんですか?」

「よう知っとるわ。あんたたちは、かぐや姫のほんとうの話を知っとるかね?」

「いいえ、光る竹の中から見出されたかぐや姫が、大きくなり月が恋しくなって、月に帰って行くというお話じゃないんですか?」

美月が怪訝そうに答える。

「表向きにはそうなんじゃが、ほんとうのかぐや姫とは、神様に仕える神具夜姫なんじゃ。つまり、巫女さんの話なんじゃよ。遠い昔、この辺りで巫女を育てておった。その修業は、とても辛いもので、うら若い乙女が、一人竹林の小屋で神に祈って夜を明かすのじゃよ。逃げ出すものもいた。気がふれてしまうものもいた。父無し子を産み落とすものもいた。」

「・・・」

「精霊流しというのは知っとるかね。」

「死者の魂を弔って小舟を川に流す行事ですよね。」

「そうなんじゃが、その昔、死産した幼子を葦舟で川に流したんじゃ。川は海につながっておる。海は空につながっておると考えられていた。幼子は蛭子(ひるこ)と呼ばれた。蛭子は神になって恵比寿になったんじゃ。そして、恵比寿様は事代主神になった。事代主神は、出雲の神様じゃ。出雲大社でお祀りしている神様は、事代主神の御父上の大国主命じゃ。そして、大国主命は、実は夜の国を司る月読命と同じ方なのさ。出雲大社に行くと、境内のあちこちに兎がおる。それって、お月様で餅つきをする兎と同じじゃろ。」

「そう言われれば、お月様と兎って関係あるように見えますけどね。それに餅もね。」

「あるとき、出雲国から事代主神の娘が巫女修行に来た。その娘は大そう器量よしで、光り輝いておった。世間の男は黙っておるはずがなく、次々に娘に求婚を申し出た。しかし、娘は悉く断って、巫女の修行に専念したんじゃ。そのことを聞きつけて帝も大そう気に入り、娘を訪ねてきた。そして、娘は帝と文を取り交わす仲になったんじゃ。しかし、娘は事代主神の大事な御子だから、巫女修行が終わる頃になると、出雲に帰らねばならぬ。皆は名残惜しくて、娘を引き留めようとしたが、出雲の使者が迎えに来て、とうとう月の国出雲に帰って行ったってことなんじゃ。」

「月の世界は出雲で、かぐや姫は出雲の人だったってことなんですね。」

「そういうことじゃ。しかし、出雲の神様は、夜空のお月さんとほんとうにつながっておるかも知れんの。」

「ええ?神様は宇宙とつながっているってことですか?」

「ああ、そんな気がするんじゃ。天の川で出会う織姫と彦星の話を知っとるじゃろう?あれは、伊邪那美神と伊邪那岐神が夜空につながって、一年に一回、七夕の夜、織姫と彦星として出会う物語じゃなかろうかと思うとる。」

「古事記の国生み神話に出てくる神様ですよね?やっぱり、宇宙につながってるんですか?」

二人は、半信半疑で聞いている。

老人は、それでも構わず先を続けた。

「七夕の二人は一年に一回は会えるが、北の極みを廻る親子星はいつまで経っても出会うことができん。そして、太陽と月も同じなんじゃ。丸く大きな黄色い望(餅)の月は夜の空にあってこそ明るい光を放つことができる。しかし、取り残され、太陽の光を浴びた有明の月は、輝きを失い、消えて行くんじゃ。有明の月は、暁の月なんじゃ。」


 初老のマスタが、三日月の浮かんだラテ・アートを運んで来てくれた。そして、美月は、何とか竹取物語の世界から抜け出すことができたようだ。マスタは、どことなく竹取の翁風でもある。美月は、どうやら、本を読みながら寝込んでしまっていたようだ。


 新品の本のほうが、現代文で書かれているし、紙面もきれいだから読みやすいのだが、古文で書かれたセピア色の紙面の古本は、その時代の雰囲気をどことなく醸し出しており、古典の文学とクラシック音楽の相乗効果が読み手を遠い昔に連れて行ってくれる気がして、美月の楽しみの一つになっていた。それに、高価な古本でも、飲み物一杯で、好きに読めるのもありがたいのだ。美月は、ラテ・アートを味わいながら、本の続きを目で追った。しかし、先ほどの夢が気になって、どうも読書に集中できない。

「かぐや姫は巫女さんで、恵比寿様の娘? 出雲大社の神様はお月様? 神様は宇宙につながってる? 太陽と月はいつまで経っても出会うことができない。月は夜でないと輝けない。」

美月は、老人の言った言葉を反芻しては、小さい頃に読んだかぐや姫の話と比較してみるが、あまりに逸脱していて、何が何だかよくわからなくなった。それに、自分の名前の『月』が、かぐや姫と自分を重ね合わせているような気もする。


 美月は、カフェラテを飲み終えると、借りた本を棚に戻し、店を後にした。外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていて、宵の月が出ていた。

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