佐藤十左衛門等の切腹

 佐藤十左衛門はもはや自分だけが生き残ることをよしとするつもりはなかった。高梁采女とその同心衆の切腹に際しても、十左衛門を励ましてその自裁を思いとどまらせようという人間は多かったが、十左衛門は検地が済めば腹を切って果てるつもりであった。

 そんな十左衛門のもとに一報が届いた。青木善右衛門の妻が亡夫のあとを追って喉を突き自害したというのだ。十左衛門はいよいよ追い詰められた。

「十左衛門、そなたもはや腹を切るより他にないぞ」

 佐藤家邸宅において、上島八郎右衛門は思い詰めたような表情で甥十左衛門にそう言った。佐藤家先代の弟で上島家へ養子に入った叔父八郎右衛門の助言に対して十左衛門は

「叔父上に言われるまでもございません。そのようなことは分かっております。然るべき時期が来れば……」

 と不機嫌そうにこたえると、八郎右衛門は

「それが今だ。今すぐにでも腹を切ってもらわねば佐藤家の存続が危うい」

 と続けた。

「佐藤のことはそれがしにお任せ下さい。叔父上は飽くまで上島家のお人……」

「世間では佐藤十左衛門は人に腹を切らせておいて自分だけ助かるつもりだ、女までが自害したというのにのうのうと生きておるとは侍の風上にも置けぬやつと……」

「おやめ下され!」

 十左衛門は怒号して八郎右衛門の言葉を遮った。

「いや、やめん。なんとしてもこの場で腹を切ってもらわねば殿の不興を買いかねん。そうなれば佐藤家は跡取りを立てることが出来ず断絶するかもしれんのだ。家の者は皆、そなたが腹を切ることを望んでおる。何故そのことが分からんのか」

 話を遮ろうとする十左衛門に対して八郎右衛門が放った言葉は、十左衛門を絶望させた。世間だけではなく家中の者にさえ死ぬように求められているのだと否応なく知らされたからであった。家族からこうもあからさまに自死を求められると、十左衛門でなくとも怒りを禁じ得ないというものであろう。

 八郎右衛門は怒りに震える十左衛門を尻目に

「次郎右衛門、源助、参れ」

 と呼ぶと、佐藤家の小者二人が十左衛門と八郎右衛門が談合していた部屋にずかずかと入り込んできた。次郎右衛門は背後から十左衛門を羽交い締めに締め上げ、源助はなおも暴れる十左衛門の両脚にしがみついてその動きを止めようとする。

「何をするか! 二人とも止めよ!」

 十左衛門は口角に泡を溜め、かかる不埒な身体の拘束から逃れようと必死にもがいた。八郎右衛門はそんな十左衛門から脇差を奪い取った。

「すまぬ十左衛門」

 八郎右衛門はそう言うと十左衛門の腹に脇差を突き立てた。八郎右衛門は切腹に見せかけて十左衛門を殺害するつもりなのだ。しかし殺されまいとする十左衛門が物凄い力で暴れるので、諸肌を脱がせて肌に直接刃を突き立てることが出来ず、八郎右衛門はやむなく衣の上から十左衛門の腹を突いた。八郎右衛門は左手に逆手に握った脇差を、十左衛門の臍下へそした、右脇腹近くに突き立てた。そこから力を込めて横真一文字に腹を切り裂いていく。凶悪な鋭さを湛える刃も、十左衛門の切り裂かれた腹からにょろにょろとはみ出てくる柔らかいはらわたに邪魔をされてすんなりと刃を進めることが出来ない。

「ぐわあぁぁっ!」

 あまりの苦痛に悶える十左衛門。無理もない話である。検地が終われば切腹することを決意していたとは言い条、少なくともこのタイミングでの切腹を十左衛門は決意していたわけではなかったのだ。十左衛門へ反射的に刃を握ってこれを防ごうとした。そのために十左衛門は右手の指を数本失った。

 十左衛門の動きを封じるためその両脚にしがみついていた源助の背中に、生温かい血液がこぼれ落ちる。滝のような量だ。最初こそもがいて暴れていた十左衛門であったが、次第にそれが拘束から逃れるためのものではなく、激痛による全身の痙攣に変わっていくことが、次郎右衛門にも源助にも分かった。十左衛門は大変な出血と激痛のなかで目を見開きながら絶命した。十左衛門を殺害した三名は皆、体中を十左衛門の血で真っ赤に染めながら肩で息をついたのであった。

 三名は十左衛門の死を切腹に見せかけるよう小細工をしなければならなかった。翌朝早くには陣屋に赴き藩主多田勝次に十左衛門切腹を報告し、検使を賜らねばならないからである。八郎右衛門は十左衛門から衣服を剥ぎ取り、火にかけて焼き捨てるよう次郎右衛門に言った。十左衛門が流した大量の血は、八郎右衛門に命じられてあれやこれやと邸内を忙しく立ち回る次郎右衛門や源助、そして八郎右衛門の血に染まった足跡をそこかしこに残した。

「腹を切った十左衛門を救おうとして邸内を走り回った結果出来た足跡だ。検使にはそう申し開けば良い。気にするな」

 八郎右衛門はそう言って二人を励ました。

 切腹に見せかけるため死体に衣服を着せる作業は大の大人三人がかりでも骨の折れる仕事であった。だがなんとかその仕事を終えた三人に安堵の表情はなかった。服を着せ直している作業の中で、十左衛門の右手の指が欠けていることに気付いたからであった。手指など自ら腹を切るに際して絶対に欠損するはずがない箇所だったからだ。

「いかが致しましょうか」

 小者どもにそう問われても妙案の浮かばぬ八郎右衛門。しかし無為に届出を遅らせれば出仕しないことを不審に思う陣屋から人が派遣されてくることは明らかだった。そうなる前に自ら甥の死を申告しなければならない。八郎右衛門は何の妙案も浮かばぬまま陣屋に赴かねばならなかった。

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