第3話『神都ヴァルハラ』

漆黒のブリュンヒルデ・003

『神都ヴァルハラ』 





 神都ヴァルハラは辺境の勝利に湧きかえっている。



 主神オーディンにまつろわぬ辺境の蛮族どもが、やっと平定されたのだ。


 誰もが、この戦いに臨むのはトール元帥であると思っていた。誰もが、遠征軍の馬印はトール元帥の得物たるミョルニルのハンマーであると願っていた。


 しかし、遠征軍の中軍に掲げられたのは、プラチナの兜であった。


 プラチナの兜は、ヴァルキリアの主将たるブリュンヒルデの標である。漆黒の甲冑を身にまとうブリュンヒルデであるが、この漆黒に染められたプラチナの兜を被ることはめったになく、常にはセキレイの御旗とともに馬印として中軍に掲げさせている。


 姫が出陣なさるぞ! 数多の傷をものともせずに! 七百を超える御親征なるぞ! 


 漆黒の姫騎士の勝利は姫の使い魔たるフェンリルによって伝えられたばかりである。黒き狼は表情を殺しているが、七百を超える遠征の伝令を務めてきたため、神都の人々は、フェンリルのたてる風音だけで勝利が分かった。むろん、七百余度の戦はことごとく姫の勝利で終わっているが、勝利の有り方で風音が異なる。決戦の前に敵の主将が心臓まひで倒れた不戦勝では、不甲斐ない敵に立腹。姫が負傷した時は、どこか苛立ち、戦死者が少ないときは巻き返す風が軽やかであったりした。


 勝ち戦であることに疑いは無いのだが、此度のフェンリルの風音は、どこか怖れているようであった。人々は、わずかに戸惑ったが、フェンリルも歳なのだ、あまりの勝ち戦に身が震えているのであろうと合点した。そして、オーディンの城より正式な伝達が城下に触れだされると、まだ、姫の凱旋を見もせぬのに、それまでの最高潮に達し、城の儀典長は、どのように凱旋を祝えばよいか、嬉しい悩みに浸っている。


 その戦勝祝賀の空気の中を、いま一つの黒い影が疾駆した。


 神民の中にはいぶかる者も居たが、フェンリルの息子たちが父の後を継ぐために速駆けの稽古をしているのであろうかと、笑って納得した。


 しかし、その黒影はフェンリルの息子たちでも、フェンリルでも無かった。


 城の辰巳櫓の窓から飛び込んできたのは、いつになく漆黒の鎧に漆黒の兜まで身に着けたブリュンヒルデ姫、その人である。


 


 


 

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