第107話 マーシャとトリス 2

「………………」


「………………」


 路地裏から出たマーシャは一人の男と顔を合わせた。


 マーシャはその男に見覚えがあった。


 直接の面識は無かったが、シオンとシャンティの調査で、彼がファングル海賊団の副頭目であることを知っていた。


 名前はシデン・グリード。


 元々、ファングル海賊団は彼が作り上げたものだ。


 トリスの何を見出して彼に頭目をさせているのかは分からないが、彼を心配してこんなところまで付いてきているのは分かった。


 トリスの正体を知っているかどうかは分からないが、それでも人間にこんな相手がいてくれることが少しだけ嬉しかった。


「あいつのこと、頼むよ」


「あんたは頭目とどういう関係だ?」


 シデンはマーシャに対して警戒を緩めない。


 トリスのあんな無防備な表情は初めて見たのだ。


 以前にもこんなことがあった。


 あの時もかなり不安定だったが、今もかなり揺れている。


 大事な戦いを控えている段階で、この体たらくではシデン達が困るのだ。


「ただの幼なじみだよ。あいつに死んで欲しくない。そう願っているだけの、ただの仲間さ」


「……俺はあんたのことを頭目から聞いた覚えはないんだけどな」


「当然だろう。トリスが他の人間に自分の過去を話す訳がない。あいつは他人を信用しない。利用することはあっても、決して心は開かない。あいつとそれなりの時間一緒に過ごしていたんなら、それぐらいは分かっているんじゃないか?」


「……それが分かるあんたもかなりの時間を共有したんじゃないのか?」


「どうだろうな。そろそろそっちの方が長いかもしれない。私がトリスと同じ時間を共有していたのは、幼い頃のほんの短い間だけだったから」


「なるほど、な。もう一度訊くぜ。あんたは頭目の『何』だ?」


 敵か、味方か。


 それとも第三勢力か。


 それをはっきりさせなければマーシャを逃がす訳にはいかない。


 シデンの目はそう語っていた。


 マーシャと同じ銀色の瞳。


 しかしマーシャよりも荒んだ色合いをしている。


 彼にも色々あったのだろう。


「幼なじみで、家族。それ以上でも、それ以下でもないよ。というよりも、それだけだ」


 マーシャはその質問から逃げなかった。


 人目が無いことを確認してから、カツラを取った。


 黒い獣耳が露わになる。


「……なるほど」


「驚かないんだな」


「いや。他にも生き残りが居たことには驚いている」


 マーシャが亜人であることに驚かない。


 それはトリスが亜人であることを知っているということでもあるのだろう。


「トリスが自分からバラしたのか?」


「いいや。あの頭目はそこまで甘くねえよ。ただ、一緒にいる時間が長いと、思わぬ場面を目撃したりするものさ。着替えとかな」


「……なるほど」


 確かにトリスもずっとあの腰巻きやカツラを付けている訳にもいかないのだろう。


 気を抜いている時、着替える時は亜人としての特徴をさらけ出さなければならなくなる。


 気をつけていたつもりなのだろうが、それでも気付く人は気付いてしまうのだろう。


「トリスの正体を知った時、なんとも思わなかったのか?」


「ん? ああ、まあ、人間を信用出来ないのは無理もないなと思ったぐらいだぜ」


「………………」


「俺の方は、能力さえしっかりしていてくれれば文句は無かったしな。頭目の方も利用する気はあっても、誰彼構わず人間を憎むほど狂っちゃいなかったから、こちらとしても都合は良かったんだ」


「そうじゃなくて、亜人だと分かって見下したりはしなかったのかという意味だ」


「意味が無いだろう」


「?」


「亜人だろうと人間だろうと、自分より優れた相手を見下そうとしても虚しいだけじゃないか?」


「……なるほど」


 種族ではなく、能力で判断する。


 シデンはそういう手合いなのだろう。


 こういう人間が傍に居るのなら、亜人の正体がバレたとしても、ファングル海賊団が崩壊する可能性は低いだろう。


 動揺が広がったとしても、シデンがとりまとめてくれそうだった。


「一つだけ教えてくれるか?」


「私に答えられることなら」


「頭目は死ぬつもりだ」


「そうだな。それだけは止めたいと思っている」


「その時点であんたは味方だな。俺が分からないのは、どうして頭目が今回の作戦にそこまで拘るのかってことだ。いつもなら戦力差が開きすぎていたら、撤退して出直すぐらいの理性は発揮する。しかし今回は違う。ファングル海賊団を使い潰してでも、自分を使い潰してでも、戦い抜くつもりだ。その理由が分からない。相手は今までと同じエミリオン連合軍だ。今までと何が違う?」


「それはトリスのプライベートに関わることだから、詳しくは言えない」


「そうか」


「二つだけはっきりしているのは、トリスには絶対に取り戻したいものがあって、更に絶対に殺したい相手がいるってことだ。今回はその二つが揃っている。エミリオン連合軍への復讐よりも、それを優先している。エミリオン連合軍はあくまでも障害に過ぎないんだ」


「他の目的? 何だそれは」


「今回エミリオン連合軍が保護している相手がいて、トリスの狙いはエミリオン連合軍を蹴散らしてそいつを殺すことだ」


「それが、頭目がああなっちまった原因か?」


「そういうことだな」


「なるほどな。だからあそこまで必死で、同時に投げやりなのか」


 必死で、投げやり。


 矛盾しているが、分かる気がする。


 目的を果たすまでは必死だが、果たした後どうなろうと構わない。


 そういう気持ちが見えるのだ。


「だからあいつの戦いは今回で終わる。ファングル海賊団が生き残ろうと、消滅しようと、今後は海賊行為はしない。私がさせない」


「いいんじゃないか? 頭目には納得出来る決着があるんだろう? だったら付けさせるべきだろ」


「……貴方には無いのか?」


「俺はなぁ。取り戻せるものも、明確な復讐相手もいないからな。もう腹いせとか、八つ当たりとか、成り行きに近い感じだ。最初の方はそれで虚しい復讐心をぶちまけていたけど、繰り返すとそういう気持ちも落ちついてくるな。復讐心にたぎってる若い奴らの前じゃ言えないけどな」


「なるほど」


「それでも、頭目には生き残って欲しいと思うよ」


「そうか」


 どうしてなのか、とは訊かなかった。


 ここまで心配して付いてきたのだ。


 亜人相手であっても情が湧いてしまっているのだろう。


 そこでマーシャはふと気付いたことがある。


「もしかして、貴方の取り戻せないものというのは、弟なのか?」


「……そういうことを訊くなよ」


「すまない。うん。そういうことならトリスは安心して任せられるな」


 つまり、そういうことなのだ。


 取り戻せない弟の存在を、トリスに重ねている。


 顔立ちが似ているのか、性格が似ているのか。


 或いは、生きていたら同じぐらいの年齢になっていただけという程度の共通点なのかもしれない。


 だけどその気持ちがトリスを護る一部となってくれるのなら、どうでもいいことだった。


「なら、私はもう行く。トリスのことは頼んだぞ」


「ああ」


 マーシャはそのまま去って行った。


「やれやれ。あの頭目にあんな綺麗な想い人が居たとはなぁ。本人は認めないだろうけど、見てれば分かるし。こりゃあ、どうしても生き残らせてやりたいな」


 影から覗いてしまう形になってしまったが、トリスのマーシャを見つめる表情を見れば、どんな感情を抱いているかは分かりすぎるぐらいに明らかだった。


 会話の内容からすると、マーシャには既に相手が居るようだが、それでも想う相手がいるのなら、その気持ちを大切にするべきだ。


 無謀な突撃で死にかねないあの青年を、どうにかして護りたい。


 シデンはその為に何が出来るのかを考え始めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る