第19話 宇宙《ソラ》を見上げる運び屋 3

 一方、レヴィの方はそれほど時間を掛けずにケネシスまで到着した。


 流石にケネシスに入ってしまうと、郊外でやらかしているような無茶な運転は出来ない。


 人の流れも車の流れも密度が段違いになってしまうので、どれだけ気をつけていても、無茶な運転をすれば事故の確率が跳ね上がってしまう。


 レヴィ自身はどうとでもなると考えているが、巻き添えを食らった方は大怪我をしてしまうかもしれない。


 自分の都合だけでそんなことになるのは避けたかった。


 それに交通規制もそれなりに厳しくなっている。


 郊外では速度違反などで捕まることもないのだが、都心部であるケネシスでは事故防止の意味もあってそれなりに厳しくなっている。


 合法的な運び屋とは言え、素性に後ろめたいところのあるレヴィとしては、警察の世話になることは避けたい。


 結果として、運転も大人しくなる。


 周りに合わせてのんびりと走っていた。


「出来れば着替えたいけど、家に戻ってたら間に合わないな」


 ケネシスに本拠地を構えているレヴィだが、この交通渋滞の中ではそこに辿り着くまでにそれなりの時間を必要としてしまう。


 厄介事になりそうな予感はあっても、美女との待ち合わせでライダースーツというのは避けたい。


「うーん。どこかで調達するか」


 ちょうど懐も温かい。


 新しい服でも買おうかという気分になっていた。


 無駄遣いはしない主義だが、カレン・ロビンスの示した前報酬だけでもかなりの金額になるので、多少は構わないだろうと考えている。


「よし。必要経費ってことで」


 新しい服を買うことに決めた。


 レヴィは大型のショッピングモールにバイクを停車してから、服を物色するのだった。





 スターリットは自然の景観を大切にする惑星なので、首都であっても高層ビルやネオンばかりがきらきらとしている、といった風にはならない。


 首都のケネシスはそれなりに緑豊かな地域でもあった。


 宇宙港付近の都市機能中枢部は高層ビルが集中しているが、それはきちんとエリア分けされた一部の場所であり、ケネシス全体から見ればわずかなものだった。


 もちろん道路整備は行われているので、道路そのものはかなり広く造られているし、車などの交通量も多い。


 自然豊かでのどかな田舎、という訳にはいかないが、歩いているだけでそれなりに自然を楽しめる、という程度には牧歌的な場所でもある。


 雑然とした石畳の道を照らすのは淡い街灯であり、夜の道を歩けばそれなりに幻想的な雰囲気を味わうことが出来る。


 観光地区でもあるので人通りは多いが、鬱陶しさを感じるほどではない。


 ほどよい田舎という雰囲気が気に入っているレヴィは、割とご機嫌に歩いていた。


 小さな路地を入り、少し進んだところで道が二つに分かれる。


 左側は石畳の階段、右側は緩やかな上り坂となっている。


 ちょうどその間に、若葉の蔦に覆われた石造りの建物がある。


 木造の扉には小さく『セレナス』と彫られている。


 何気なく通り過ぎる人たちは、ここが酒場だということも知らないのかもしれない。


 一見すると洒落た民家にも映ってしまう。


 酒場としては不似合いな雰囲気でもあったが、レヴィはそこも気に入っていた。


 行きつけの酒場でもあるので、いつも通りに気安く戸に手を掛けた。


「レヴィか。いらっしゃい」


 中に入ると店主が笑いかけてくる。


 ここは小さな酒場なので一人で切り盛りをしている。


 店主は細面の三十代ぐらいに見えるが、実際は六十を超えているらしい。


 恐ろしいぐらいの童顔だが、中身はきちんと老成している。


 顔立ちはかなり整っていて、女性客にも人気がある。


 藍色の髪を尻尾のように束ねて後ろに垂らしており、同じ色の瞳は穏やかにこちらを見つめてくる。


 落ち着きのある大人の男性、という言葉がとても似合う人物だった。


「今日はそんなに多くないな、マスター」


 レヴィはカウンターに座る前に中の客を見渡す。


 中年男性が二人、静かに酒を楽しんでいる。


 そこから少し離れた場所では、女性が一人でグラスを傾けていた。


 後ろ姿なので顔は分からないが、女性客が店主から離れた場所に座っているのは珍しい。


 酒の肴を楽しむ意味でも、女性客はカウンターの方に座って、美形の店主を眺めることが多いのだが。


 合計三人、レヴィを入れても四人だった。


 混んでいる時は満席にもなるので、今日は空いている日なのだろう。


「たまにはこういう日もあるさ」


「まあ、いつも忙しかったら大変だもんなぁ」


「そういうことだ」


 カウンターに座ったレヴィはふう、と一息吐く。


 バイクでアドレアまで行って、ケネシスに戻ってきて、更にはショッピングで衣類まで整えたのだ。


 休み無しで動き続けていたので、少し疲れてしまった。


「何にする?」


「そうだなぁ。何かお勧めはあるか?」


「うちの酒はどれもお勧めだ」


「それは知ってるけどな」


 セレナスの酒は全て店主が目利きしているものなので、基本的には外れが少ない。


 外れだと思うのは好みの問題であり、相性さえ合えばどれも美味しいと言える代物だった。


 レヴィはどちらかというとフルーティーな酒が好みなので、そちらに注文が偏ることが多い。


「じゃあこいつはどうだ?」


 店主は銘柄のシールが無い瓶をレヴィに見せた。


「なんだこれ。なんていう銘柄なんだ?」


「レイラ」


「女の名前みたいだな」


「女の名前だからな」


「やっぱり。由来は?」


「醸造主の奥方の名前だ」


「ああ、なるほど」


 個人が造った酒ならばそういうこともあるだろう。


「友人が趣味で造っている酒だな。小さな畑で管理出来るだけの量を育てて、それから醸造している」


「趣味の一品か。それで銘柄シールが無いんだな」


「市場には出回っていないからな。出来上がるのは年にたった七樽だけだ」


「本当に小さな畑なんだな」


「だから言っただろう。趣味の酒だって」


「その酒を友人の伝手で手に入れたってことか?」


「伝手というよりはもらいものだな。仕事の合間に飲んでくれ、だとさ」


「つまり贈答品か。いいのかよ。売り物にしちまって」


「他の奴の感想も聞きたいって言ってたから、いいだろ」


「なるほどね。そいつは本格的に醸造主になるつもりなのか?」


「いいや。本業は保険セールスマンだからな。醸造はあくまで趣味らしい」


「……変わった趣味だなぁ」


「酒が好きな奴だからな。給料の三割は酒を買い込んでる。うちのお得意様でもあるな」


「つまり、ここの酒も売りつけているってことか」


「スターリットの市場では手に入らないものもいくつかあるからな」


「だろうなぁ」


 セレナスの品揃えは一風変わっているが、各地の酒を集めている。


 品数は多くないが、店主が気に入った酒を宇宙各地から集めているので、滅多に飲めない珍しい酒も味わうことが出来る。


 そうやって仕入れた酒を友人として売って貰えるのはありがたいことなのだろう。


「じゃあその酒は礼みたいなものか」


「それもあるんだろうな。それで、飲むか?」


「じゃあ折角だからいただこうかな」


 奥さんの名前を付けるぐらいの酒がどんな出来なのか気になった。


 更に言えば酒の品質に拘るこの店主がわざわざ進めてくる酒というのも気になった。


 店主はグラスにレイラと名付けられた酒を注ぐ。


 ルビーのように真っ赤な液体が透明なグラスに色を付けていく。


「飲め」


「おう」


 レヴィは言われたとおり口を付けた。


「これは……」


 鮮烈な辛みが口の中に広がった。


 同時に後味がほんのり甘い。


 辛みと甘みが絶妙にマッチしている。


 好みがはっきりと分かれるだろうが、レヴィは気に入ったようだ。


「いいな。美味いと思う。でも、何だろう。他の酒とちょっと違う感じがするな」


「新しいからだろう」


「ん?」


「酒っていうのは寝かせればその分美味くなるだろう?」


「ああ。そうだな」


「だがこいつは一ヶ月前に出来上がったばかりだ。寝かせていないのさ」


「へえ。それは珍しいな」


 寝かせない種類の酒もあるが、今飲んだものは大体が寝かせる代物だった。


 だからこそ不思議な味わいだったのだろうが、それが美味しさを引き立てていると思える。


「自分の醸造でいろいろと実験をしているようだが、この作り方だと寝かせない方が美味いと言っていた。むしろ寝かせるだけ風味が落ちるとも言っていたな。つまり新鮮な内に飲んで貰いたいってことだろう」


「なるほどねぇ。面白い酒だな。もう一杯貰えるか?」


「構わないが、これで最後だぞ」


「何だよ。ケチケチすんなよ」


「ケチにもなる。貰ったのはこれを含めて三本だけだからな。あまり飲まれると俺の分が無くなる」


「なるほど。売り物じゃないんだな」


「そういうことだ」


 そういう酒を飲ませてくれたのはありがたい。


 それだけレヴィのことを特別な客扱いしてくれているということだからだ。


 まあ、単なる気紛れなのかもしれないが。


「じゃあ次は適当にお勧めを出してくれ」


「分かった」


「それにしても、いつになったら来るんだか」


「?」


「いや、実は美女と待ち合わせなんだ」


「……お盛んだな」


「生憎と、そういう関係じゃない。会ったこともない相手だしな」


「依頼人か?」


「そういうこと。美女の依頼人なんだ」


「なるほど。美女なら一人来てるけどな」


「マジで?」


「あそこに居る」


 店主は隅っこで飲んでいる女性を指さす。


 後ろ姿なので美女かどうかは分からない。


 しかし店主が美女だというのなら、その通りなのだろう。


 こういうことで嘘は吐かない。


「ふうん。顔が見られないのが残念だな」


 後ろ姿なので顔は見られない。


 しかしスタイルはなかなか良さそうだった。


 レヴィの視線に気付いたのか、後ろ姿の美女は振り返る。


「あ……」


 黒い髪と銀色の瞳が印象的な美女だった。


 年齢は二十歳になるかならないかぐらいだろう。


「カレン・ロビンス?」


「………………」


 それは前もってシャンティに見せて貰った依頼人の写真と一致している。


 美女ことカレンはにっこりと微笑む。


 そしてテーブルから立ち上がって、自分が飲んでいたグラスごとレヴィの隣へと移動してきた。

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