第13話 新天地と別れ 7

 それからクラウスの住むリーゼロックの屋敷に到着した。


 かなり大きな屋敷だった。


 屋敷の大きさだけではなく、庭園の規模も凄まじい。


 車で門から入って、玄関に到着するまで、五分は走っている。


 その間、豊かな森や、整えられた庭園が目に入る。


「世界が違いますね……」


 その規模に呆れてしまうレヴィアース。


 屋外プールなどというものまで目にしてしまうと、もう完全に別世界の住人という感じだった。


 同時に、あのプールでマティルダ達を遊ばせたら喜ぶだろうなとも考えた。


「リゾートみたな自宅、というのが建造前のコンセプトじゃからな。遊び心満載じゃ」


「なるほど」


「この子達がここに住むなら、アスレチックフィールドを作ってみるのも面白そうじゃな」


「気軽に言ってしまえるのが凄いですね……」


 確かにこれだけの広さがあれば森の一部を改造して、アスレチックフィールドを作ることも可能だろう。


 そしてその資金もたっぷりある。



 そしてこれだけ広い環境ならば、外部の目を気にする必要がない。


 敷地内は一般人立ち入り禁止だし、亜人を囲っているという噂が流れることはないだろう。


 こういう人物に仕える場合はは口の堅さも求められるので、外部に漏れる心配も無い筈だ。


 そして外に出る時には耳と尻尾を隠せば問題ない。


 贅沢すぎる環境だが、理想的でもある。


 レヴィアース自身はリーゼロック家にマティルダ達を預けることには前向きになっていた。






 精密検査も終えて、マティルダの身体にどこにも異常が無いことが分かると、レヴィアースもトリスもほっとしていた。


 そして大きな屋敷と最新式の設備などを前にして、二人がワクワクそわそわしている。


 探検したいという気持ちがあるのだろう。


 レヴィアースも少しは同じ気持ちになっている。


 この大きすぎる屋敷に一体どんなものがあるのか、余すところなく見てみたいという気持ちがあったのだ。


 童心に返るという感じだが、楽しければそれも悪くないと考えるタイプなので、クラウスの許可を得てから庭の散策を始めるのだった。


 部屋の中については機密情報も含まれているので許可はしてもらえなかった。


 リーゼロックの規模を考えれば当然のことだったので、レヴィアースは不満に思ったりもしなかった。


「すごいな、この屋敷。歩いているだけでワクワクする」


「うん。面白い。プールとか、初めて見た」


 マティルダもトリスも嬉しそうに歩いている。


 トリスまでこんなに楽しそうにしているのを見るのは珍しい。


 マティルダの為に行動することが多いトリスは、自分の為に楽しむのは後回しになっている印象があった。


 だからこそ自分の為に行動して、楽しそうにしているのを見ると嬉しくなる。


「ここに住んだら自由に遊べるみたいだぞ」


「え?」


「?」


 きょとんとしながら首を傾げるマティルダとトリス。


 レヴィアースは二人にクラウスからの提案を話した。


 クラウスはマティルダ達のことが気に入ったので、孫みたいな存在として面倒を見たいと考えていること。


 そしてこの屋敷ならば亜人であることを隠す必要が無いこと。


 無理に仕事をしなくても、しっかりとした教育を受けた上で、将来をじっくり考えることが出来ることなど、溢れんばかりのメリットを伝えた。


 その話を聞いたマティルダ達の反応は、喜びよりも戸惑いの方が大きかった。


「どうして、初めて会ったばかりの私達にそこまでしてくれるんだろう?」


「うん。理由が分からないと、気になって頷けないかも」


 人間の悪意に晒され続けただけあって、警戒心もそれなりだった。


 しかし警戒よりも戸惑いの方が大きいのだろう。


 レヴィアースをはじめとして、今まで優しい人間に関わり続ける機会に恵まれたからこそ、そこに対応出来ずにいる。


 そんな二人の心境が手に取るように分かってしまう。


 しかしここは細かい理屈を説明するよりも、シンプルな感情を伝えた方が効果的だろう。


「人間の気紛れに細かい理由なんて無粋だろ」


「え?」


「え?」


「俺とマティルダ達だってこの前が初対面じゃないか。でも俺は二人にはかなり肩入れしているつもりだぞ? そうじゃなければここまで面倒を見たりしない」


「それは……確かに……」


「その通りかも……」


 初対面というのなら、レヴィアースの方こそそうなのだ。


 しかも彼は任務違反をしてまで二人を庇ってくれた。


 マティルダなどはレヴィアースを殺しかけたのに、それを恨むことなく、今も優しくしてくれる。


 レヴィアースがあまりにも自然にそうしてくれるので、初対面なのにどうしてそこまでしてくれるのかという、当然疑問を考えることすらしなかった。


 レヴィアースが優しくしてくれるのは、マティルダ達にとって自然なことで、傍に居ると安心出来る不思議な相手だった。


「クラウスさんも同じだよ。一目見て気に入ったんだろう。そして気紛れ一つでそこまで出来る程度には金持ちだ」


 実際は『程度』で済むレベルではないのだが、子供相手にそこまで金の話を突き詰めても仕方が無い。


 ただ、気紛れを起こしたところで大した負担にはならないということさえ知っておいて貰えればそれでいいのだ。


「俺としては二人がクラウスさんの提案を受けてくれると、すごく助かる。正直、どうやって仕事を探したものか悩んでいたからな。二人だって裏稼業で大変な思いはしたくないだろう?」


「それも覚悟はしていたけど」


「しなくて済むなら、その方がいいよね」


 子供二人が、そして亜人が自分達だけの力で生きていこうとするのなら、真っ当な方法では通用しない。


 だからこそある程度は手を汚す覚悟もしていたのだが、どうやら思わぬ出会いが素晴らしい幸運を招いてくれたらしい。


「俺も二人にそんなことはして欲しくない。話してみた印象だけど、クラウスさんは信用出来ると思う。あとは二人がクラウスさんを信用出来るかどうかだな」


「分かった。話してみる」


「うん。そして結論を出す」


「そうしてくれ。前向きな返答を期待してるぜ」


 散策を終えて屋敷に戻ると、クラウスが上機嫌で待っていてくれた。


 しかも三人の為にとんでもないご馳走を用意してくれていた。


「マティルダ達は肉が大好きのようじゃからな。肉食べ放題というのを用意してみた」


「っ!」


「っ!」


 部屋に持ち込まれたのは専用の鉄板付きテーブルであり、その後ろには霜降り肉の塊が置いてあった。


 そこから好きな大きさにスライスして、目の前で焼いてくれる。


 まるで高級ホテルのスペシャル接待のような環境にレヴィアースが呆れてしまう。


 しかしマティルダ達には大好評だったようで、鉄板とお肉を食い入るように見つめている。


 そして尻尾もぱたぱた揺れている。


 肉の匂いだけで幸せなのだろう。


 二人とも今にも涎が溢れそうだった。


「肉食獣に肉提供って……ストレートですね……」


「効果的じゃろう? 見ろ、あの尻尾を。ああやって分かりやすく感情を表現してくれると、見ている方は嬉しくなるのう」


 今は二人とも耳尻尾を隠していない。


 ぱたぱたと揺れる大きな尻尾。


 そして期待の眼差しで見つめられるシェフの男性。


 彼も二人が亜人であることは知らされているらしく、差別する気持ちは無いようだ。


 むしろ揺れる尻尾を微笑ましそうに見つめている。


 差別意識を無くせば、マティルダとトリスの存在は非常に可愛らしいものとして映るのだ。


 二人とも顔立ちは整っているし、素直な性格も持ち合わせている。


 普通に可愛がられる子供としての条件をしっかりと満たしているのだ。


「食べていいの!?」


「いっぱいっ!?」


 二人がクラウスに振り返ってキラキラとした瞳を向ける。


 クラウスの方はもちろんだと頷いた。


 そしてシェフの男性が厚みと焼き加減を訊いてくる。


 二人とも厚切りのミディアムレアを要求した。




 こうして、二人は思う存分肉を食べた。


 レヴィアースが呆れて、無理矢理に野菜も食べさせたほどの肉三昧だった。


 マティルダ達は野菜で腹を膨れさせるぐらいならもっと肉を食べたいという態度だったが、それは身体に悪すぎる。


 野菜も摂らないと胃がもたれて大変なことになるぞと説教してから、多少の野菜を食べさせることに成功していた。



 それからクラウスが改めてここで暮らすように提案すると、二人は迷うことなく頷いた。


『ここで暮らせば肉食べ放題じゃぞ』の一言が決定的だったらしい。


 かなり前向きだったのが、肉で陥落という感じだった。


 流石は恐るべき経営手腕の持ち主。


 亜人二人を食欲で誑し込むことなど、朝飯前ということだろう。


 ……経営手腕には関係ないのかもしれないが、なんとなくそう評したくなるレヴィアースだった。


「お世話になります」


「よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げるマティルダとレヴィアース。


 これからお世話になる人への礼儀はしっかりとしているらしい。


 これでようやく安心出来るレヴィアースだった。


「うむ。儂はマティルダやトリスのことを孫のように思っておるからな。『おじいちゃん』と呼んでくれると嬉しいぞ」


「………………」


「………………」


 緩みまくった表情でそんなことを言うクラウスを見て、困ったように顔を見合わせるマティルダ達。


 今までおじいちゃんどころか、家族と呼べる存在すらいなかったので、本当にそうしていいのかどうか分からずに困っている。


「お、おじいちゃん……」


「おじい……ちゃん……」


 それでもこわごわと名前を呼んでみる。


 するとクラウスは大喜びした。


「素晴らしいっ! これが孫を得るという喜びかっ! 今まで結婚もせずに経営一筋じゃった分、感動も大きいのうっ!」


 クラウス・リーゼロックは数多くの女性と付き合ってきたが、その誰とも結婚までは至らなかった。


 付き合ってきた女性の大半がクラウスの資産が目的であり、遊び相手ならまだしも人生の伴侶としてはあまり考えたくない相手ばかりだった。


 中にはクラウス自身を愛してくれた女性も存在したが、そんな相手は純粋すぎて、クラウスの利権を狙う相手の悪意に晒してしまうことが申し訳ないと感じてしまったのだ。


 結果として、彼は女遊びは盛んであっても、独身を貫いたのだ。


 綺麗に付き合い、綺麗に別れてきたので、子供も存在しない。


 それでいいと思っていたし、今後も経営に生き甲斐を感じて老後を過ごすつもりだった。


 経営する気力が尽きてきたらのんびりと老後を過ごすのも悪くないと考えていたが、孫を得るという喜びは何物にも代えがたいものだったらしい。


 息子や娘を得ることなく、孫を得てしまったという矛盾は存在するが、それでもクラウスは嬉しそうだった。


 そして大喜びしたクラウスはマティルダとトリスを両手で抱きしめてから頬ずりした。


 孫可愛がりというよりは、猫可愛がりの有様だ。


「く、苦しい……」


「は、離して……」


 そして手加減抜きで抱きつかれたマティルダ達は苦しそうに身をよじる。


 しかしその表情は嬉しそうだった。


 ここまで真っ直ぐな愛情を向けられたのは始めてなのだろう。


 戸惑いと、嬉しさで、気持ちがほっこりとしてくる。


「これからよろしくな、マティルダ、トリス」


「うん。よろしく、おじいちゃん」


「こちらこそ、よろしく、おじいちゃん」


 こうして、三人は家族になった。


 誰一人血の繋がりを持たない者同士の家族関係だが、それは他のどんな家族にも負けないぐらいに温かい関係だろう。


 そんな様子を見守っていたレヴィアースも安心したように表情を緩める。


 これでマティルダ達は安心だった。


 助けると決めて、手を差し伸べた以上、そこまでを見届ける責任があった。


 そしてようやく肩の荷が下りたと考えたのだ。


「これでようやく一安心だな」


 滞在は一週間の予定だったが、これならば早く戻っても問題はなさそうだ。


「予定が空いたならホルンの実家にでも戻るかな。家族の顔もあまり見てないし」


 残った休日の消化方法を考えるレヴィアース。


 心配が無くなったら、今度は自分の為の休日消化の方法を考えることに積極的だった。


 しかしそれを聞いたマティルダがぴくんと獣耳を動かす。


 そしてレヴィアースのところにやってきてぎゅっとしがみついた。


「マティルダ?」


「一週間いるって言った」


「え?」


「一週間いるって、言った」


「えーっと……」


 ふくれっ面で見上げてくるマティルダ。


 どうやら予定よりも早く帰ろうとしていることが不満らしい。


 マティルダにとってレヴィアースは自分達を救ってくれた大恩人なのだ。


 彼が居てくれたからこそ、クラウスに出会うことも出来た。


 これから明るい未来が見えてくるように思えたのは、そのきっかけを与えてくれたのはレヴィアースなのだ。


「いるって、言った」


「あー……うー……」


 涙目で見上げられると辛い。


 居なくなることは覚悟していても、それでも可能な限り傍に居て欲しいという気持ちが伝わってくる。


 短い期間でもそれだけ信頼してくれるのは嬉しくもあるのだが、だからこそ心配でもあった。


 本当に一週間後にきちんと聞き分けてくれるのだろうかと、それが不安なのだ。


「大丈夫。レヴィアースに迷惑を掛けるつもりなんてない。ここまでしてくれただけでも十分だって思ってる。帰る段階になっても、ごねたりしない」


「そうか……」


 そして察しも良すぎる。


 レヴィアースが口に出さずに不安を感じたことを、的確に見抜いている。


 見抜いた上で、今は駄々を捏ねているといったところだろう。


 そして捏ねられる範囲の駄々だと自覚しているのも分かる。


 つまり、確信犯。


「分かった。一週間は滞在する。それでいいか?」


「うんっ!」


 マティルダが尻尾を振って嬉しそうに抱きつく。


 そんなマティルダの頭をよしよしと撫でる。


 そこまで喜んでくれるのならば、レヴィアースとしても悪い気はしなかった。

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