Zwilling(ツヴァイリング)
翡翠 蒼輝
プロローグ 一人の迷い子と二人の兵器
からからから、と軽快な車輪の音が響く。大きな荷台を引く馬は少し疲れているだろうか。雨音はしないから、外は晴れているのだろうか。
そんなどうでもよいことばかり考える。そのくらいしか、考えたくはない。
私はゆっくりと顔を上げる。視界に入ってくるのは暗闇。とはいえその闇に慣れた目で見れば、見えるのはいくつかの荷物と、私と同じように『盗まれた』人たち。
人が足りないから奪う。盗む。
大きな戦争が終わり、ようやく平和が訪れたと彼女たちは思った。だけど、それは大きな間違いだった。
新たに増えた領地。そこに建てられる工場。必要とされる奴隷。だけど、その奴隷だけでは人が足らなくなるほどにこの国は拡張しているのだと先生は言っていた。
では奴隷が足りないとなるとどうすればよいのか。さすがに国民を奴隷同様に扱ってしまうのはまずい。
だから、どの国にも所属しない『迷い子』を使う
身元不明の人間。身元が分からなければ国民ではないかもしれない。だから、対象の戸籍を消去し、盗む。それが『盗人』。私たちは消され、盗まれた『迷い子』。
この国の法は酷く歪だ。以前図書館で興味本位で法の本なぞ読まなければよかった。さすがに呆れてしまったから。
……そういえば、あの先生もいつの間にか見かけなくなっていたな。転勤したのかはたまた消されたのか。まぁ、どうでもいいか。考えたところで、絶賛馬車の荷台にて配送中の私がどうなるわけでもない。
──一通りの状況確認を終え、そのうえでそこまで悲観していない自分を認識する。いや、情報があるからこそ、これから何をされるかある程度の予想がついている。だから、知らないという恐怖に苛まれることがないだけか。
ふぅ、と軽くため息。手持無沙汰になると髪を弄る癖はいつまで経っても治らない。母親譲りの金髪に父親譲りのくせっ毛。外に軽く跳ねる髪は、弄るのには持ってこいの位置にある。
両親は元気だろうか。まぁ、あの親が簡単に死にもしないだろう。図太さと大胆さ。そして悪運の強さはピカイチだ。
……それのせいで今までもいろいろと大変ではあったけど。
基本的に被害にあうのは毎回私なのは本当に納得がいかない。今回の件も元をたどればあの両親のせいだと思えてくる。
まぁ、それを考えたところでどうにもならないのだが。
ふと髪を弄りながら視線を横に動かす。そこにある荷物に何が入っているのかは知らない。けど……
「ここに武器とか入ってたら……まぬけよね」
「わかるわー。気づかれて反抗されるとか思ってないんかね」
「!?」
突然の返答に思わず飛び退く。周りをみるが、そこにいるのはうなだれ、絶望している人たちだけ。あんなお気楽な返答をするような人はいない。
が、なおも声は続く。
「ほんと、間が抜けてるんだか見下して余裕ぶっこいてんだか。あーあ、なーエルミカ。そろそろよくない?」
「……エリサ、声に出てる」
「えっ、……マジか」
驚くことに二人目もいるらしい。そして恐ろしいのが、その声が両方とも荷物の中から聞こえてくるのだ。
「……貴方たちは……誰なの?」
思い切って聞いてみる。希望を見出しているわけではないが、単なる好奇心だ。
「お、そこにいるのは珍しく現実受け止めちゃってる系少女だね。ふむふむ、私たちは何者か。それはだな!」
「……エリサ、声が大きい」
「おっと、ばれたらいけないもんね。失敬失敬」
……どうやら、片方のはきはきとした少女のような声の主はだいぶ間が抜けているみたいだ。
「……まぁ、いいや。そこの貴方、一番上の箱の蓋を開けてほしいのだけど、届く?」
「えっ? はぁ……一応ギリギリ届きますけど」
身長は同年代でも高いほうだ。この荷台の中に積まれたものであればある程度は手が届く。
「そ。んじゃ開けて。下ろさなくていいし、取り出さなくていいから」
「はぁ……」
状況はよくわからない。とはいえ他にやることもないので言われた通りに箱の蓋を開けてみる。
ギリギリ中を覗いてみると、そこには白い銃──確か、アサルトライフルという種類だっただろうか──が入っていた。けど、白い銃なんて珍しいな。
「あー……どいてもらえる?」
「!? ご、ごめん……」
覗くのをやめ、とと、と後ろに下がる。
今、銃から声がしたような……。と、思った瞬間──
「っと」
今しがた覗いていた箱から誰かが飛び出してきた。って、え、今の箱から!?
よく見ると、それは長い白髪の少女だった。年は十五歳くらいだろうか。私よりも幼い印象を受ける。長いローブのようなものを羽織っており、飛び出したときにはためいていた。
少女は私の驚きを他所にいそいそと飛び出してきた箱と、その下にある箱を下ろし始めている。そして、一番下の異様に大きな箱にたどり着くと、その箱を開いた。
その箱に入っていたのは……鎌?
黒い、とても大きな鎌だった。先ほどの白い銃とは真逆の印象を受ける。
「ん、もういいよ」
白髪の少女が語り掛ける。──大鎌に。はたから見れば怪しい人だが、そもそもこちらを気にするような人はいない。
「はいよー」
そして、当然のように大鎌から返事が返ってくる。
白髪の少女が一歩下がると、先ほどのように箱から一人の少女が飛び出してきた。
今度は先ほどと違い、はっきりと視認してしまった。
この少女は今、大鎌から変化した。
「んー、やっと出られた。ほんと暇だったんだから」
「仕方ない。潜り込むのはこれが楽だった」
大きく伸びをするのは黒髪をポニーテールに纏めた少女。半袖のシャツにジャケットを羽織っており、これまた白髪の少女とは違うあっさりとしたシルエット。
年齢も先ほどの少女と変わらなそうな印象を受ける。
だが、この少女たちは明らかにおかしい。おそらく、白髪の少女も先ほどの白いアサルトライフルから変化したのであろう。武器が人間になるなど聞いたこともない。
明らかに今、私は非現実の世界にいた。
彼女たちは『潜り込む』と言った。ということは意図してこの場に現れたのだろうか。
「私たちが受けた依頼は『盗人』の妨害だからね。貴方たちの身元を保証するわけでもないけど、とりあえず現状はぶっ壊しに来た」
「大丈夫、ラパエが身元は何とかしてくれる。たぶん」
雑だ。そもそもラパエが誰かも知らない。だが、ひとまず敵ではなさそうだ。
「貴方たち、とりあえず助けに来た……と解釈していいのかしら? これからどうするの?」
「どうする……当たって砕く!」
「いくらなんでも雑過ぎるでしょう……」
黒髪の子は先ほどから雑さが目立つ。今もさっさと行動したいと言わんばかりに視線をうろつかせている。
「エリサはいつもこうだから。ま、力はあるけど」
「そういう貴方はどうするの?」
「ま、見ててよ」
言うが早いか、白髪の少女はたったかと荷台の扉を開け放ち、颯爽と荷台の上へと消えていってしまった。
「……ねぇ、大丈夫なの?」
「まぁ、御者台の人は簡単に絞められるでしょ」
「……いや、今絶賛走行中なわけだけど、馬、操れるの?」
「…………」
黒髪の少女は口を噤む。……かと思えば明後日の方向を見始めた。
(絶対危険よね!?)
もしかしたらこの二人は凄く丈夫で馬車から振り落とされたとしても大丈夫なのかもしれない。だけど、乗っている人たちはどうだ。詳しくはわからないが、ほとんどがただの国民。所謂普通の人間だ。下手すれば死んでしまう。
「揃いも揃って阿呆がすぎるっう!?」
突如、ぐらりと荷台が揺れた。今までののんきな車輪の音ではなく、新たに聞こえるのは馬の嘶き。
これまで興味無さそうに黙りこくっていた他の人もさすがに悲鳴を上げ始めた。
「あ、やっぱエルミカ無理そう。馬キツイってさ」
「他人事みたいに言ってる場合かっ!」
もはや四の五の言ってる場合じゃない。というか、こいつらに頼ってられる状況じゃない。
白髪少女が開けていった扉から私も同様に荷台の上へ飛び乗る。
「おわっ!?」
何かが真横を掠めていった。後ろに目を向けると、御者台にいた人のように見えた。ということは……。
「っとと……おー、おちつけおちつけー」
案の定御者台には少女一人しか残っていない。明らかに馬もパニックに陥っているし、制御できそうな気が微塵もしない。だというのに少女は変わらず淡々と慌てている。……いや、表現がおかしいのは自覚しているが、実際にそのような振る舞いをしているのだからしょうがない。
「どいて。そんなんじゃ無理よ」
「およ?」
仕方なく少女を退け、ゆっくりと馬に近づく。
「ほら、落ち着いて。ゆっくり、ゆっくり」
馬は声の雰囲気をよく感じ取る。私自身が落ち着き、冷静に話しかける。
声をかけながら馬の背中や首を撫で、少しづつ落ち着かせる。この辺りが崖や山道ではなく、平坦な場所でよかったと本当に思う。
「……よし」
なんとか荷台が吹っ飛ぶ前に馬を落ち着けることができた。……ほんと、ひやひやする。
以前家の馬が暴走した際にいろいろと聞いて調べておいてよかった。あれも親の好奇心のせいだったような気もするけど……。
「……貴方、凄いね」
「うんうん。飛び出していったときはどうなるかと思ったよ」
黒い髪の少女も荷台から出てきた。白髪の少女も隣でぽけっとしている。
「貴方たちのほうがある意味凄いわよ……。というか……」
くるりと周りを見回す。気づけば既に武器を構えた屈強な男どもがこの馬車を包囲していた。護衛の者たちだろう。馬が暴れて近づけなかったのだろうが、今は私が納めてしまっている。
「こいつらどーすんのよ。さすがに無理よ?」
こちらは武器もない。いや、荷台に戻ればあるのだろうが取りには行かせてくれないだろう。
が、少女たちは特に気にした様子もない。ただ悠々と佇んでいる。
「何が無理なの?」
「無理じゃないさ。簡単だよ」
「でもこっちは今手元に武器もないし、どうしろってのよ……」
私だけでなく二人も丸腰だ。大人数相手に立ち回れるような状況ではない。
「……武器?」
白い少女がくすりと笑う。
「武器ならここに」
「舞う人もここに」
黒い少女も呼応するように動き出す。
「どっちが躍る?」
「どっちが殺す?」
「「私たちは舞い殺す」」
「今日はどちらが踊り人?」
「今日は私が踊り人」
「ならば私は見守るわ」
「ならば今宵は私の舞台」
「踊って踊って」
「舞いに舞って」
「「今夜は殺戮と参りましょう」」
くふふ、と妖艶な笑い声にて狂気を孕んだ詠唱は幕を閉じる。
──そして、殺戮の幕が上がる。
それは、本当にただの一方的な殺戮だった。黒髪の少女が大鎌に変わると同時、白髪の少女が大鎌の柄を持って跳躍。着地と同時に一薙ぎ。それだけで半数が消し飛んだ。
そのまま少女は大鎌を持って舞い続ける。ひらりとはためく白いローブと黒い大鎌が黒白の軌跡を描き、周囲の屈強な男たちを刈り殺していく。
大鎌は自在に伸縮し、的確に相手だけを殺していく。
響くのは男たちの悲鳴と少女が舞う音。そして大鎌が命を刈り取る音だけだ。
「……」
ものの数分で辺りは死体で溢れ、静まり返っていた。その中央に鎮座するのは二人の少女。白と黒の二人は、たった今大量に人を殺したというのに、特に気にした様子もなくそこに存在している。
「……久しぶりに暴れたねー」
「そうね。少し後処理が大変そうだけど、私たちの仕事ではないもの」
「……あのー……」
「ん?」
状況も割と謎ではあるのだが、今ここで質問できるのは私くらいしかいない。であれば私がここで問うしかないのだろう。
「私たちは……これからどうすれば?」
ここにいた『盗人』は死んだ。しかし、残されたのは戸籍を抹消された存在しない『迷い子』たちだけ。行く当てもなく、帰ろうにも既に自分は存在しないことになっている人間ばかりなのである。
つまり、この先の工場に連れていかれなかったとしても、何かが起きるわけでもない。ただただ無責任に放り出されただけになってしまう。
「それに関しては」
「大丈夫だと思うよ」
「え?」
「気にしないで。このまま帰って大丈夫」
白髪の少女が淡々と告げる。だが、そこに嘘偽りは感じられない。
「そういうこと。一応後ろの子たちにも伝えてこよっか」
「……いや、たぶんいろいろありすぎて処理しきれないと思うから後でいいと思う」
「そうなの? ならいっか。帰ろう!」
黒髪の少女は荷台の上に座り、揚々と拳を突き上げる。白髪の少女もすとん、と迷いなく隣に腰を下ろす。……これ、やっぱり馬を御すの私よね。
まぁ、それは良い。百歩譲って。でも、帰るには大切な要素がもう一つある。
「ねぇ、貴方たち」
「ん?」
「ここがどこで、どの道を通れば帰れるか、わかる?」
「…………あっ」
私は暗い荷台で時間を過ごし、彼女たちも荷台の中の荷物として時間を過ごした。つまり──
「帰り道……わからない?」
「あっははー……」
悲しい笑い声だけが響く。
工場働きは回避したものの、助けにきた少女たちは想像以上にポンコツでした。
そして、それが動き始めた私の最初の歯車だったのでした。
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