閉じ込めたい男の子

ハツカ

第1話 月曜日/僕の秘密基地

月曜日。

学校の玄関ホールに、先週行われた定期テストの、上位得点者の名前と点数が貼り出されていた。

中等部3年生の順位を見ると、『1位 釈氏(きくち) 伊織』と自分の名前を見つけた。

そしてその隣には『2位 楽々浦(ささうら) さやか』。

ニヤリと口元が歪む。

キョロキョロ見回して、楽々浦さんを探す―いた。

校則に反して髪の毛を染めるような生徒はいない進学校。

黒髪の学生の波の中でも、彼女のやたら艶のある髪はやたら目に付く。

僕は嬉々として彼女に近付く。

そして、後ろからポンポンと肩を叩いた。

クルリと振り向いた彼女は、僕を見た途端に顔を嫌そうに歪ませた。

「ゲッ…」

「やあ、楽々浦さん」

「…ドーモ」

「テストの順位、どうだった?」

「…2位」

「2位!?すごいね」

「…」

「まあ、僕は1位だったけど」

苦々しかった表情が、みるみる怒りの表情に変化していくのが面白い。

嫌だなあ。

こんな爽やかな日にそんな顔しなくてもいいのに。

今日みたいな気持ちのいい日は、僕のように笑顔で過ごした方が良いのに。

「じゃあ、また教室で」

「フンッ!」

僕は優雅に手を振って挨拶したのに、彼女は顔を逸らした。失礼な。


我が校は市内屈指の進学校だ。

クラスは成績によって分けられる。

なので、学年主席の僕と、次席の楽々浦さんは1年からずっと同じクラスだ。

まあ、そもそもクラスメイト全員ほとんどメンバーは変わらないんだけど。

きっと高等部に行っても似たメンバーだろう。

そして毎日いくつもの小テストが行われ、合格できなければ放課後に居残りで再テスト。

まあ、僕はいつも合格してるから、残されたことは無いんだけど。

今日も帰りのホームルームが終わると、すぐに学校を出た。

僕の自宅は、学校から徒歩10分ほどのマンションだ。

でも学校から出た僕は、自宅とは違う方向に向かった。

目的地は―僕だけの秘密基地だ。

大通りをテクテク歩く。

この辺りは人もお店も多い。

でも、いくつか道を曲がって賑やかなエリアから離れると、すぐに人もまばらで閉店した店ばかりのさびれたエリアになる。

このエリアの中でも特にさびれているのが、T商店街西通りだ。

商店街はアーケードによって雨風から守られているが、雨風から守らなければならない人間なんてほとんど通らない。

そもそも、この西通りに構えている20程の店はとっくに全て閉店済だ。

もちろん、僕の曽祖父母が営んでいた園芸店も。

赤茶色のサビが浮いた深緑色のシャッターに、鍵を差し込む。

―ギッ…ギッ…ギィ…ガッ…チャン

固い音を立てながら、ボロい鍵が開いた。

―ガッ!ガッ!ガッ!ガッ!

金具が歪んでいるせいでスムーズに動かないシャッターを、軋んだ音を立てながら1メートル程上げる。

僕は屈んでシャッターの下をくぐり中に入ると、また音を立てながらシャッターを閉めて、中から鍵をかけた。

店内は、奥の方にある窓から入る日の光で明るい。

営業していた頃に使われていた棚や椅子は壁に寄せられていて、かつての園芸店はがらんどうになっている。

上にあった物がどけられてあらわになったタイルの床が、日光で輝いて綺麗だ。

古い木製の丸椅子に腰かけて、太陽光を反射する床をぼんやりと眺める。

何回、何時間と見ても、この床を眺めるのは飽きない。

ベージュのタイルの中に、緑のタイルが花のように並んでいる。

床のくせに芸術品みたいだ。

住人も店員もおらず、今となってはガス、水道どころか、電気すら来てない古い建物。

でも、ここが僕の秘密基地。僕だけの楽園だ。


しばらく美しい床を眺めてのんびりとリラックスしてから、僕は気持ちを切り替えて椅子から立ち上がった。

勉強しなくては。

靴からスリッパに履き替え、2階に上がる。

1階は店と、台所や風呂。

2階は全て住居スペースで、僕は2階の1部屋を綺麗に整えて使っている。

押入れの中までスッカラカンの6畳間。

置いてある物は、折り畳みテーブル1台とフカフカの大きなクッションが1つだけ。

窓を開けて新鮮な空気を部屋に入れ、さっそく勉強を始めた。

カリカリと宿題をこなし、今日の授業を復習し、明日の小テストの勉強を済ませる。

ふと気付くと、部屋が薄暗くなってきた。

数時間没頭しているうちに、日が沈み始めたのだ。

やっぱり学校や塾の自習室より、この部屋が1番はかどる。

…自宅は論外。

僕はゴロリと畳に寝転んだ。

定期テストでまた学年主席だったと両親に伝えたら、2人はどんな反応をするだろう?

…止めとこう。

ガッカリする程つまらない反応をされるに決まっている。

『あぁ、そう』これだけだ。

中学1年生の時に散々ガッカリしたじゃないか。

僕が主席を取った時、最も面白い反応をしてくれるのは楽々浦さんだ。

今日、順位表の前で話した時だって、僕はとても愉快な気分だった。

嫌な気分の時は怒って、良い気分の時は笑って。

彼女は中学3年生の女の子にしては珍しいくらい裏表のない女の子だ。

それには理由がある。

彼女は小学校を卒業するまでは、男子に交じってサッカーチームに所属していて、結構な有名選手だったらしい。

おそらく彼女は、長い間男子社会にどっぷり浸かって成長したために、あんな分かりやすい性格になったんだろう。

…はっきり言って、女子の中では少し浮いている。

中学に入学して初めて彼女を見た時は、驚いたものだ。

髪があまりに短すぎて。

女子の制服を着ていたから女の子だと分かったけど、スカートを穿いていなければ男子にしか見えないくらい短かった。

でも、入学時はベリーショートカットだった髪は、今はセミロングヘアにまで伸びた。

墨のように濃厚で艶のある黒い髪。

生きている人間のパーツにしては美しすぎて、たまに大きな日本人形のように見える時すらある。

楽々浦さんなら、この秘密基地に入れてあげてもいいのに。

僕はもう何度したか分からない空想に浸り始める。

そう…ある日の放課後。

僕がいつものようにこの店のシャッターを開けている所に楽々浦さんがたまたま通りかかるんだ…。

『あれ、釈氏じゃん』

『やあ、楽々浦さん』

後ろから声をかけられて、振り返った僕に彼女は聞いてくる。

『何してんの?こんな所で』

『ああ、この店、僕の亡くなった曾お爺ちゃんの店なんだよ。

それで、たまに店の中に空気を通すように親から言われてるんだ』

『ふうん、家の手伝いってこと?えらいじゃん』

彼女が感心の眼差しで僕を見る。

『いや、大したことじゃないよ。それに、この店を自習室として使わせてもらってるし、これくらいはね』

『自習室として?』

『うん、飲食できるし、気が散る物も無いし、勉強がはかどるんだ』

『へえ…いいなぁ』

羨ましそうな顔の楽々浦さん。

『良かったら入ってみる?』

『いいの?』

『いいとも』

『じゃあ、遠慮なくお邪魔する!』

僕の誘いに、楽々浦さんは満面の笑顔で乗ってくる。

それから、彼女もこの秘密基地を使うようになるんだ。

このテーブルで2人向き合って勉強して、勉強が一段落したらたくさん話をする。

学校や友達のこと。

悩みも楽しい話も。

好きな物のことも嫌いな物のことも。

僕は楽々浦さんの話をたっぷり聞いて、楽々浦さんも僕の話をたっぷり聞いてくれるんだ。

僕の家の楽しくない話だって。

能天気なあの子なら、きっと前向きなアドバイスをくれるに違いない。

まあ、まだ僕の空想の中の話だから、具体的なセリフまでは分からないんだけど。

そう、空想だ。

僕は心地よいうたた寝から目覚めるように現実に戻った。

この6畳間にいるのは僕1人。

楽々浦さんはいない。

部屋の中はもう暗い。

そろそろ自宅に帰らなきゃいけない。

どうせあのマンションには誰もいないけど。

残念ながらこの秘密基地には電気が通っていないんだ。

そのうち大きな懐中電灯か何か、明かりを買ってきてもいいかもしれない。

僕は手早く荷物をまとめて、秘密基地を後にした。

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