ロベリオの場合
「はあ、これがあるから結婚したくなかったって言ってる奴が多いのが、分かる気がするよ」
神官達が下がり、祭壇の前に座っているとはいえようやく一人になった途端に、ロベリオは小さくそう呟いて大きなため息を吐いた。
結婚式前日、ロベリオは城にある精霊王の神殿の分館の花婿となる人物のための特別室に、お相手のフェリシア嬢は女神オフィーリアの神殿の分所にある花嫁専用の特別室にそれぞれこもり、それぞれに決められた婚前の儀式を受けていた。
カウリもやったように、早朝から各神殿内に設けられた専用の泉で沐浴を済ませて身を清めてから、それぞれの神殿で精霊王と女神オフィーリアに一日がかりで結婚の報告のための祈りをひたすら捧げなくてはならないのだ。
午前中いっぱい神殿の精霊王の祭壇の前で決められた時間になる度に決められた祈りを捧げ、時に様々な捧げ物をした。
祈りの種類も捧げ物も全て事前に細かく決められていて、正直内心ではうんざりしつつもロベリオは大人しく教えられた通りに祈りを捧げたり、捧げ物を祭壇に置いて跪いて祈ったりしていたのだった。
しかも、ロベリオはまだ嫡男では無いために、これでもいくつかの祈りや儀式は免除されているのだ。
「カウリも言ってたけど、本当にもうちょっと簡単でいいと思うんだけどなあ……」
精霊王の像の前に置かれた椅子の最前列の真ん中に一人で座ったロベリオは、先ほどから若干不信心な呟きをしながら、見かけだけは神妙な顔で時間になる度に精霊王に祈りを捧げたり蝋燭に火を灯したりしていたのだった。
『おいおい、先程から黙って聞いていれば随分な言い草ではないか。精霊王に失礼であろうが』
ロベリオの膝の上に現れたブルーの使いのシルフの言葉に、真剣に祈るふりをしていたロベリオは俯いたまま小さく舌を出した。
「ラピスか。そりゃあどうも。何しろ不信心なものでねえ」
『ほう? 竜騎士というのは、高位の神官と同等の扱いを受けると聞いていたが、違ったかな?』
わざとらしいブルーのシルフの言葉に、ロベリオは小さく笑って顔を上げた。
「本音と建前って言葉、知ってるか?」
にんまりと笑うロベリオに、ブルーのシルフは鼻で笑う。
『失礼な奴だな。我を誰だと思っとるか。知識の宝庫である古竜に対して無礼千万なるぞ』
わざとらしい怒ったかようの言葉だが、その口調は完全に笑っている。
「それは大変失礼をいたしました。どうかお許しを」
これまた笑ってそう言うと、今度は本気のため息を吐いて天井を見上げた。
「冗談でも言わないとやってられないよ。聞いてはいたけど、この婚前の儀式の煩雑さと決まり事の多い事よ! もう本気で帰りたくなるくらいだよ」
もたれるにはやや低い背もたれに体を預け、天井を見上げたままのロベリオは顔を覆って小さく呟いた。
「だけどさ、好きになっちゃったんだから仕方ないだろうが!」
思いっきり情けなさそうにそう言い、また大きなため息を吐いた後、慌てたように起き上がって背筋を伸ばした。
ミスリルの鈴の音が鳴り、トレーを捧げ持った神官達が部屋に入って来たのだ。
神官達が近付くのに合わせてロベリオは頭を下げる。
俯いた彼の頭上でミスリルの鈴が振られる。
軽やかな音を聞いて、シルフ達が大喜びで集まって来て大はしゃぎし始めるのが分かって、俯いたまま小さく笑う。
「道の途中にて袖を引くものあらば、この実が代わりとなってくれましょう」
そう言って神官から渡されたのは、真っ赤な小粒の実を鈴なりにつけたさくらんぼの枝だ。
「恵みを感謝します」
決められた答えを神妙な口調で返し、両手でさくらんぼの枝を受け取る。
再びミスリルの鈴が振られ、軽やかな音を立てた後、一礼した神官達がぞろぞろと下がっていく。
祈りの時間など、決まった時間になる度にこの祭壇のある部屋の右側にある扉が開かれ、そこから何人もの神官達が入ってくる、そして退場する時には必ず反対側にある別の扉から出て行くのだ。
前日の儀式で出入りする扉は、誰がどれを使うのかまでを含めて厳密に決められている。
神官達が全員出て行き扉が閉じられたのを見てから、小さくため息を吐いたロベリオは受け取ったさくらんぼの枝を椅子の右横に置かれたトレーに並べる。
そこには最初に受け取った聖なる柊の枝が置かれていて、その右隣がさくらんぼの枝を置く場所だ。
「それにしても美味そうなさくらんぼだな。一粒くらい食べても……いや、それはさすがにまずいか」
思わず手を伸ばしかけたロベリオだったが、さすがにこれに手をつけては行けない事くらいは分かる。
苦笑いして首を振ると、小さくなった蝋燭から火を移して新しい蝋燭を燭台に差し込んだ。
次の祈りまで少し時間があるので、左側に置かれた小さな机に置かれたミスリル製のベルを軽く振った。
右側の扉から一礼して執事が入ってくる。
ロベリオの座る椅子の後ろをぐるっと遠回りして左側の扉の前へ行ったその執事は、一礼して扉をゆっくりと開いた。
「手洗い一つ行くのにしても、お許しをいただく為の祈りがあるって、どうなんだよって思っちゃうよ」
そう呟いたロベリオは、先程のベルの横に置かれた経典を開き、あるページを開いた。
真剣な表情で小さな声でそのページに描かれた祈りの言葉を呟き、経典を閉じて置いてから立ち上がって祭壇に向かって一礼した。
そのまま左側の扉から足早に外へ出て行く。
花婿になる人物は基本、早朝から深夜までここから離れる事は許されない。
例外が、手洗いに行く際と食事の時間だ。
今のはちょっと手洗いへ行って参りますと挨拶するための祈りなのだ。
そしてロベリオにはこの部屋の扉を自分で開く事は許されておらず、この場合は誰かを呼んでいちいち扉を開けてもらわなければならないのだ。
「この話、式が終わったらレイルズとティミーに教えてやろう。絶対大喜びするぞ」
楽しそうにそう呟いたロベリオは、祭壇を振り返って一礼してから扉をくぐったのだった。
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