紫煙の下で

「おや、今日はレイルズは一緒じゃあないんだね」

 ゲルハルト公爵の声に、ルークは葉巻に火をつけようとしていた手を止めて振り返った。



 今夜の夜会は、香りを楽しむ会、という倶楽部が主催している夜会で、珍しい葉巻やワインを持ち寄って楽しむための集まりだ。

 その為、参加者達は年配の男性ばかりで女性は一人もいない。

 ルークはこの参加者の中では最年少で、貴重な若手として皆から大歓迎されている。



「ああ、レイルズは今日はリューベント侯爵夫人主催の夜会に招待されて参加してますよ」

「おやおや、魔女集会に一人で行かせたのかい?」

 火を付けた葉巻をルークに差し出したゲルハルト公爵は、呆れたようにそう言いながら笑っている。

「まあ、一応シルフは付けてあります。そろそろあいつも一人でも魔女達と対峙出来るかなあと思ってるんですけどね」

 差し出された葉巻に、持っていた葉巻を近付けて火をもらったルークは、そう言って笑いながら肩を竦めた。

「まあ、確かにあまり甘やかすのも本人の為にならないだろうが、最近のラフカ夫人は、何と言うかちょっと何を考えているのか分からない所があるから心配だよ。婦人会でも最近では求心力が無くなっていて、僅かな取り巻きだけでほぼ全員からつま弾きに合っていると聞くしね」

 葉巻を吹かせながらやや心配そうな公爵の言葉に、ルークも小さく頷いて葉巻を口にした。

 その噂はルークも耳にしている。しかし今夜の夜会はリューベント公爵も参加しているので。婦人会のように女性だけの夜会というわけではないからそう無茶はしないと思われた。

 ヴァイデン侯爵とミレー夫人も参加すると聞いているので、いざとなったら彼を守ってくれるだろう。

「確かに、このところ色々と追い詰められている感じはしますよね。リューベント侯爵も書記官の管理の役職から外れて以来、ろくな事がないみたいだし」

「今の役職は、文字どおりのお飾りだからな」

 事務方の長であるゲルハルト公爵は、ろくな仕事もせずに部下に威張り散らすだけのリューベント侯爵がいなくなって以降、正直言ってかなり仕事がしやすくなっているほどだ。

 そして部下達も密かに喜んでいる。

 その辺りの事情に詳しい公爵の話にルークも苦笑いするしかなく、互いに顔を見合わせて揃って肩を竦め、それから二人は、また葉巻をゆっくりと燻らせ始めた。




「それにしても残念だったね。今日はレイルズも来てくれると思っていたから、彼に葉巻の良さを教えてやろうと思って張り切っていたのに」

「それは申し訳ありませんでしたね。だけど、あいつに葉巻は向いてないと思いますよ。彼の従卒が言ってましたが、ちょっと喉が弱いみたいで、以前一度だけ吸わせたらかなり後まで喉に違和感があるって言ってたらしいんです」

「あれ、そうなのかい。それは残念だ」

 苦笑いした公爵は、そう言って胸元からシガーケースを取り出して見せた。

「ハシシの新しいのを手に入れたんで持って来たんだが、次の一本にどうだね。調合師の話によると、何でも薬草の配合を少し変えたらしく、吸った後の味わいが違うんだとか。曰く、夏らしい爽やかな口当たりらしいよ」

「へえ、それは面白そうだ。ぜひ一本分けてください」

 短くなった葉巻を揉み消したルークは、ゲルハルト公爵が得意げに差し出す紙巻きの細巻きの煙草を受け取り、机に置かれている豪華な燭台の蝋燭から煙草に火をつけた。

 揃ってゆっくりと新しい煙草を味わう。

「うええ、これってミントですよね。ちょっと、この配合は申し訳ないが俺の好みじゃありませんよ。これは駄目だ」

 苦笑いして即座に揉み消すルークを見たゲルハルト公爵も黙って首を振り、同じくまだ長い煙草を揉み消したのだった。




 そのあとは、いつものハシシの煙草に火を付け、ソファーで寛ぎながらのんびりと新しい竜の主となったティミーの事や、レイルズの最近の様子について話をしていた。

「ううん。やっぱり魔女集会の方が心配になって来たなあ」

 ゲルハルト公爵から、別の夜会でラフカ夫人がレイルズの事を名指しで罵っていたと聞き、だんだん心配になってきた。

「まあ、あれでも一応古竜がついてるんだから、そうそう問題は起こさないと思いたいがね」

 ゲルハルト公爵がそう言って苦笑いする。ルークも困ったように頷くと、揃ってまたゆっくりと煙を吐き出した。

 しばらく黙ったまま煙が揺らぐのを見ていた二人だったが、ルークはもう一度葉巻を吸ってから天井に向かって吹き出すみたいにして煙を吐いた。

「こうなると、逆にティミーの方も心配になってきたな。一応護衛は派遣してあるし、シルフの守りも付けてあるんだけど、ううん、あとは何をすべきだ」

 短くなったハシシを揉み消しながら上の空でそう呟く。

「まあ、手伝える事があれば遠慮なく言ってくれたまえ。これに関しては協力は惜しまないよ」

「そうですね。いざとなったらお願いします」

 そう言ってソファーにもたれかかっていた体を起こしたルークは、執事が持って来てくれた白のワインを受け取った。

 ゲルハルト公爵もワインのグラスを受け取り、二人は笑ってグラスを掲げた。

「未来ある若者達に乾杯」

 公爵の言葉にルークも笑ってワインを飲もうとした時、机の上にシルフが一人だけ現れて座った。

「あれ、伝言のシルフだ。待って、部屋を変えるよ。ちょっと失礼します」

 シルフを手の上に掬い上げてそのまま立ち上がろうとした時、シルフが口を開いた。

『すまんが緊急事態だ。すぐにレイの所へ行ってやってくれ』

 ブルーの声で話すシルフにゲルハルト公爵の目が見開かれる。

「失礼します」

 それ以上聞かずにルークは一度だけ頷いてゲルハルト公爵に一礼した。

「待て、私も行こう。もしもリューベント侯爵と何かあったのなら、仲裁人が必要だろう?」

 一瞬何か言いかけたルークだったが、一度深呼吸をすると頷いた。

「お願いします」

 立ち上がった二人は、そのまま主催者である年配のクーベック伯爵に挨拶をしてから、揃って足早に部屋を出て行った。

 その背後を、ブルーの使いのシルフをはじめとした何人ものシルフ達が揃って追いかけて行ったのだった。

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