歌と異変の兆候

 翌日、アルカディアの民達は、場所を移動してさらに奥地へと分け入り大地の長老の所へ来ていた。

 その巨大な体に絡まって遥か上まで伸びる枝の先には、数え切れないほどのブルーベルの実がたわわに実っている。

 大地の長老の体を取り囲むように前後左右に分かれた彼らは、そのブルーベルの収穫と乾燥作業をシルフやノーム達と共に手分けして行っていた。

 大地の長老は、そんな彼らを見て時折楽しそうにゆっくりと喉を鳴らすだけで特に会話も無く、そのほとんどの時間を眠って過ごしていた。

 アルカディアの民達も、最初に挨拶をしただけでその後は特に話しかける事もせず、忙しそうにブルーベルの収穫作業を続けていた。



 昼食を挟んでまた作業が再開されたが、かなりの量を収穫してもまだまだ長老の体には熟した果実があちこちにたわわに実っていた。

 それを見て皆笑顔になる。

 低く響く、長老の歌うような喉を鳴らす音に包まれて穏やかな時間が過ぎていった。



「遥かに遠き山並みの奥」

「幸なるもの棲むと聞き」

「会いたさ見たさに誘われて」

「我はるばると訪ね行く」


 籠を運びながら、退屈したガイが辺りに響くような低い声でゆっくりと歌い始める。

 それを見て、何人もが笑ってゆっくりとそれに続く。


「幸なるもの何処におわす」

「訪ね往けども姿は見えず」

「返るはただただ木霊のみ」

「幸いなるもの遥かに遠く」

「険しき山並み行くてを拒む」

「命からがら逃げ帰り」

「悔し涙に暮れる日々」

「尋ねる者らに我告げん」

「幸いなるものかような姿」

「幸いなるもの声聞く我ぞ」

「続かんとする者らに我告げん」

「幸いなるもの遠くに去りて」

「二度と会う事あたわざり」

「二度と会う事能わざり」

「遥かに遠き山並みの」

「更なる奥地の更に奥」

「幸いなるもの棲むと聞く」

「幸いなるもの棲むと聞く」

「二度と会う事能わざり」



 それは、遥かに遠い山の奥に『幸い』が住んでいると聞いて訪ねて行った愚か者の物語だ。

 必死の思いで山に登るも険しい断崖絶壁に阻まれてしまい、途中で命からがら逃げ帰ってくる。

 どうだったのだ。『幸い』はいたのかと口々に尋ねる人々に、その男はこう答える。

『幸い』はこんな姿で声はこう、自分はその姿を見て声を確かに聞いた、と。

 誰も見ていないのだから、男の嘘はバレる事もない。

 喜び勇んで男に続こうとする者達を見て、慌てた男はさらに嘘を重ねる。

「自分が会った『幸い』はもっと遠くへ去って行ってしまったから、もう会うことは出来ない」と。


 その後、男がどうなったかは誰も知らない。


 ただ、人々は男から聞いた事を伝え続けた。

 あの山の更に奥の奥に『幸い』が住んでいるのだ。だけど、ただ遠過ぎて会うことは出来ないのだ。と。

 手に入らないものを勝手に悔しがり。あれは遠過ぎるから手に入らないだけなのだと言う人々を歌った何とも皮肉な歌だ。

 しかしシルフ達は、収穫や乾燥作業の手を止める事もなくとても楽しそうに一緒に歌いながら、その歌声を聞いていたのだった。

 大地の長老も楽しそうに目を細めて、まるで伴奏するかのようにゆっくりと喉を鳴らしていたのだった。

 実際にはその『幸い』とは、この大地の長老を示している。

 そして、実はその遠き『幸い』に、知らぬうちに自分たちは守られているのだと歌う歌なのだ。

 しかし、人はそんな秘められた意味はとうに忘れ果て、今はただ言葉通りの皮肉な歌として楽しまれている。

 それを知るアルカディアの民達は、長老に感謝を込めていつもブルーベルの収穫の際には、この歌を歌っているのだ。






 その異変が起こったのは遅い午後の事だった。



 突然、楽しげに作業をしていたアルカディアの民達が一斉に手を止めて上空を見上げた。

 一気に緊張が高まり、中には腰の剣に手をかける者もいる。

 大地の長老でさえも、喉を鳴らすのをやめて薄目を開けて上空を黙ったまま見つめていた。

「シルフ。今のは何だ?」

 真顔のガイの言葉に、敷布の上に広げられたブルーベルに風を送っていたシルフ達が集まって来る。


『あれは私達が起こした風じゃない』

『あれは時折起こる不自然な風』

『少し前から時折あんな風が起こる』

『だけど吹くのは一瞬だけ』

『何故かあの風は不穏な気配を秘めている』

『だけどどうしてそれが起こるが私達には分からない』


 シルフの怯えたようなその言葉に、一同の間から騒めきと驚きの声が上がる。

「待て。この時間なら竜騎士達が面会に参加する竜達を連れてオルダムへ戻っている時間だろう。まさかとは思うが無事だろうな?」

 バザルトの言葉に、シルフは頷く。


『少し不穏な風に煽られたけど大丈夫』

『問題はない』

『蒼竜様が光の子達を使って調べてくださるって』

『浄化もしてくださるって』


 バザルトとガイは顔を見合わせてため息を吐いた。

「まあ、大丈夫だとは思うが、一応連絡しておくか。シルフ、蒼竜を呼んでくれるか」

 ガイがそう言ってその場に座る。

 周りの者達は、作業の手を止めて彼を無言で見つめている。



『ああ、其方か』

 見慣れた大きなシルフが現れてガイの膝に座る。

「今の風、どう思った?」

 前置きも挨拶もなしに、はっきりと尋ねる。

『ふむ、正直言うと妙な感じだ』

「妙って?」

『おそらく其方達も感じたであろうが、明らかに先程の風は不穏な気配を感じた』

『だが、聖なる結界の内部でこのような風が起こる理由が解らぬ』

「おいおい、古竜に解らん事が俺達に解るかよ」

 からかうような言葉だが、顔は真剣そのものだ。

『最近では減ったが、以前はオルダムの街の中でも時折闇の気配を感じる事があった。大抵は一瞬だけで後も残らぬ程度だったがな』

「だがそれでも、聖なる結界に守られた、しかも皇王がおわすオルダムの街の中で闇の気配がするのはおかしくないか?」

『我がそれを時折感じていたのは、あの降誕祭での無知なる子供達が起こした事件の前だ。なので、その気配はかの家庭教師達の気配かと思っていたんだがな』

「最近は?」

『この一年程は、ほぼ感じることは無くなったな。なのでもうあまり気にしていなかった』

『もちろんずっと定期的な光の精霊達による巡回はさせていたが、見つかるのは偶然の産物である低級の影程度で特に問題はないぞ』

『城壁の工事が済めば、街の浄化は更に進むだろう』

 その言葉に、ガイだけで無く、聞いていたバザルト達も安堵のため息を吐く。

「対応は完璧みたいだな。じゃあ精霊達の調査を待つしかないか。俺達に何か手伝える事は?」

 ガイの言葉に、膝に座ったブルーのシルフは首を振った。

『ここは我が守る。其方達は、其方達にしか出来ぬ事をするが良い。彼の地の竜達の快復は順調なようだな』

「おう、今年の秋の脱皮の時期には初めて鱗の剥がれたのが取れそうだよ」

『それは何よりだ。だが、無理はせぬようにな』

「おう、大丈夫だよ。それじゃあそっちの件は任せるからよろしくな。何か問題があれば連絡をくれ」

『うむ。気をつけておこう』

「おうよろしく、それじゃあな。ああ、そっちの竜騎士様方も竜の面会準備ご苦労さん、またお仲間が増える事を祈ってるよ」

 ヴィゴが複雑な顔で話を聞いている事が分かっていながら、ガイは平然とそう言って笑って手を振った。

 ブルーのシルフが堪えきれないかのように笑う。

 それからくるりと回って消えてしまった。

「そんじゃあ、あっちは蒼竜に任せておくとしようぜ。俺達はこっちだ」

 そう言って立ち上がると、空になった籠をシルフに渡した。それを見た他の者達もそれぞれの作業に戻っていったのだった。

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