オルダムへ帰ろう
「レイルズ、一旦戻るぞ。料理長新作のケーキがあるらしいが、いらないのか」
「はあい、今行きます!」
振り返って元気に返事をしたレイは、まだ側を離れようとしないトケラを見た。
「じゃあ、元気でねトケラ。ここの人達も皆優しいから大丈夫だよ。安心して過ごしてね。素敵な彼女と出会えるように祈ってるからね。トケラの子供が産まれるのを楽しみにしてるからね」
最後にそう言ってもう一度大きな角の先にキスをしたレイは、名残惜しげにしながらヴィゴ達のところへ走って戻った。
それを見送ったトケラは寂しそうに一声鳴いた後、ゆっくりと草原へ戻って行った。
それから応接室に通されたレイ達は、聞いていた通りに料理長の新作の、この地方でしか採れないブルーベルと呼ばれる果実で作ったブルーベルとカスタードのタルトを頂いた。
その濃い青紫色の小粒の果実は、初夏の僅かの間しか収穫時期が無い上に小指の先程の細長い実は柔らかくて潰れやすく傷みやすい。そのため、収穫量がごく僅かなのだ。育成場所も限られる為、ロディナ地方に住んでいても、ここ竜の保養所以外ではブルーベルの存在すら知らない人も多い。
「へえ、見てブルー。ブルーベルって名前の果物があるんだって。ブルーは知ってる?」
目の前に置かれた小さなジャムの瓶を見ながら、ブルーのシルフに向かって嬉しそうに話しかける。
『もちろん知っておるぞ。それこそ昔はその生の果実は不老長寿の薬とまで言われたほど珍しい植物だったのだ。今ではロディナの北側の森の一部に群生地があるようだな。それに薬としても取引されているぞ』
「おお、さすがによくご存じですね。そうです。これはその群生地から収穫します。それに、この果実をカリカリになるまで干して粉にした物は、貴重な薬としても高く取引されていますね。毎年、専任の薬師達が必死になって集めておりますからね」
「ええ、それじゃあそんな貴重なお薬になる果実をジャムにしちゃあ駄目じゃないですか!」
ジャムの瓶を見ながらレイが慌てたようにシヴァ将軍を振り返る。
「ご安心を。ジャムにするのは、その薬に出来ない潰れてしまった実を使いますからね。毎年、薬にするための状態の良いものだけを先に薬師の方に選んで取ってもらい、その残りをジャムにするんですよ」
「ああ、それなら安心だな」
横で聞いていたカウリも苦笑いしながら頷いている。
「そのブルーベルは、竜の背山脈にいる大地の竜達の元で咲いている花の実だな。毎年春になると大地の竜の体に蔓を伸ばして絡まって伸び上がり、鈴なりの花が咲いているぞ。精霊の鈴とも呼ばれる房状になった白い小花はとても可憐で愛らしい。文字通り精霊達が大喜びで突いて遊び、花粉を散らしてくれる」
「へえ、それも見てみたいね」
ブルーのシルフの言葉に、レイが目を輝かせる。
「なら、春になったら見に行くといい。あの花はシルフ達も大好きだぞ」
「竜の背山脈まで行かなくても、雪解けの頃に来てくださればここでも見られますよ」
笑ったシヴァ将軍の言葉に、目を輝かせるレイだった。
「甘酸っぱくて美味しいです」
「うん、キリルともまた違った味わいだな」
レイの言葉に、カウリも食べながらそう言って笑う。
秋に採れる真っ赤なキリルは、甘くて酸味は少ないが、このブルーベルは甘味もあるが酸味がかなりきつい。カスタードタルトの中に、所々ブルーベルのジャムを落とすようにして作ってある意味を理解した一同だった。
「ベリーのパイみたいに、ぎっしり全部をこのジャムで作ったら酸っぱくて食べられないだろうね」
食べながらレイが笑ってジャムの瓶を指差す。
「あれ、それならあのジャムって酸っぱくて食えないんじゃないか? ジャムの意味無くねえか?」
カウリの言葉に、レイも食べる手を止めてジャムの瓶を見つめる。
どうぞお持ち帰りくださいと言われてもらった瓶は三個。ディーディーの手のひらにでも容易に収まるくらいの小さな瓶だ。
「確かに、これはそのままパンに塗っては食べませんね。パンケーキの飾りに使ったり、甘いケーキに少しだけ混ぜて使ったりしますね」
お土産の準備をしてくれていた料理長が、大きな包みを持ってきてくれて笑顔でそう教えてくれる。
「へえ、そうなんですね。じゃあ帰ったらパンケーキを焼いてもらおうっと」
「俺も食ってみたいから、その時は独り占めせずに俺達にも分けてくれよな」
「もちろんだよ。美味しいものは皆で一緒に食べる方が、もっと美味しくなるんだからね」
無邪気なその言葉に、皆笑顔になるのだった。
お土産を貰って大喜びのレイは、料理長と一緒に大きな包を抱えて外へ出た。
一旦お土産を置いてそのまま竜舎へ向かう。
そこには、今回の竜の面会に参加する竜達が揃って待っていた。
「ブラックスター。ユナカイト。ゼオライト。そしてターコイズ。ではオルダムへ戻りましょう。それから、一度上がったらオルダムまで地上へ降りることはしませんが、本当に大丈夫ですか?」
ヴィゴの最後の言葉は、ターコイズに向けられていた。
「大丈夫だ。シルフ達も支えると言うてくれておるので、頑張って力の限り飛んで行きましょうぞ」
「心配無い。万が一の際には、ここへ来た時のように我が支えてやろう程に安心して飛ぶが良い」
ターコイズの言葉に、首を伸ばして覗き込んできたブルーが笑ってそう言う。
「よろしくお願いします。なれど、どうか始めのうちは手出し無用に願います。どれくらい飛べるかやってみたい」
力強いその言葉に、ブルーも嬉しそうに目を細めて喉を鳴らした。
「其方の勇気に祝福を贈ろう。まだ見ぬ主がいるかも知れぬかの地へ、己の翼でしっかりと飛んで帰るがいい」
ゆっくりと首を絡め合う二頭の竜をレイは目を輝かせて見つめていたのだった。
「では戻ると致そうか。レイ、大事な土産は忘れずにな」
そのままブルーの背中によじ登ろうとしたレイを見て、ブルーは面白そうに喉を鳴らしながら笑っている。
「ああ、そうだった!」
慌てて振り返って、苦笑いしている料理長から大きな包みを受け取る。
「ありがとうございます! 大事に残さず頂きます」
「お腹と相談して食べてくださいね。ではまたのお越しをお待ちしております」
笑ってそう言い、他の兵士達のところまで下がって巨大なブルーを見上げた。
竜舎から出てきた四頭の竜と共に、それぞれの主を背に乗せた竜達も揃ってゆっくりと上昇していく。
そのまま四頭の竜を取り囲むように先頭にヴィゴ。左右にルークとカウリが展開する。そしてレイの乗ったブルーはその竜達の下側を守るように位置についた。
ここならば、万一ターコイズが飛行途中に疲れて飛べなくなってもすぐに支える事が出来る位置だ。
ロディナの上空をゆっくりと旋回した後、歓声に見送られた一行はオルダムを目指して一気に飛び去って行ったのだった。
「行っちまったな」
「ああ、ここへ来た時には、あんなにも硬く強張っていた翼が、まるで溶けて柔らかくなったみたいに矯正でどんどん伸びていったのには驚いたよ」
「わずか二年で帰れるなんてな……」
「寂しくなるな……」
感無量のロディナの職員達の目には、もう飛び去って行った竜達の姿は捉える事が出来なくなっている。しかし、彼らはいつまでも竜達が飛び去って行った方角を黙って見つめ続けていたのだった。
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