ジャスミンとケイティ
少し休憩したジャスミンは、改めて顔を洗ってから着替えをした。
用意されていた服は、普段着ていたのと変わらないような比較的身体を締め付けない楽なドレスだ。
脛の辺りまである柔らかなスカートの下には、ふんわりしたパンツを履き、二重になったペチコートを履いている。膝下まである柔らかな革の編み上げブーツを履いているので、足は見えない。
胸元まできっちりと締まったそのドレスは、優しい薄紅色でスカートの縁の部分が新緑に染められてる。
「おかしくないかしら?」
「はい、とても素敵ですよ」
ファロウが笑顔でそう言い、髪を梳かしてくれた。
「ジャスミン様、これから常に同行する護衛の者達を紹介させて頂きます」
身支度が整った所で、ターシャに言われて、ジャスミンは慌てて座っていたソファーから立ち上がった。
ターシャの後ろには、背の高い女性が三人、整列して並んでいる。
全員が第二部隊の軍服を着ていて、腰には剣を下げている。
「ケイティ・ローネットと申します」
一番背の高い、恐らく190セルテ近くあるであろう赤毛の女性が、直立して敬礼しながら挨拶をする。
「メイジャー・ハーマニーと申します」
次に敬礼したのは、ケイティよりも少し背の低い、それでも180セルテ近くはあるであろう女性だった。
黒髪を頭の後ろで一つに括っている。
「エリナベラ・グレイブと申します」
三人目は金髪を短くした女性で、先程の二人よりも年長だ。
「ジャスミン・リーディングです。これから、どうぞよろしくお願いします」
軽く膝を曲げて挨拶するジャスミンに、三人は改めて敬礼した。
「本日は、私がお伴させて頂きます。我々は、基本的に何処へ行くのもご一緒させて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します」
ケイティのその言葉に驚いてターシャを見ると、彼女は頷いてケイティを見た。
「最初は慣れずに疲れる事もあるでしょうが、基本的に護衛の者は常にお側に付き従います。精霊魔法訓練所へも共に参ります。後ろで控えておりますので、どうぞ我等の事はお気になさらずに、普段通りにお過ごし下さい」
何か言いたげなジャスミンに、ターシャは大きく頷いた。
「これも、竜の主であるジャスミン様をお守りする為です。どうぞ、早く慣れてください」
小さく頷いたジャスミンは、まだ直立している彼女達に向き直った。
それを見て、ターシャはエリナベラの背を叩いた。
「彼女は、上級曹長の位を頂いております。ここにいる二人と、この階を警護する第二部隊の八名を管轄します」
「そうなんですね。お世話をかけます」
笑顔のジャスミンに、エリナベラ上級曹長は改めて敬礼した。
「この後は、本部にて、竜騎士隊の皆様がささやかながら歓迎会を開いてくださるそうですので、参りましょう」
ターシャの言葉に、ジャスミンは頷いた。
「では、いってきます」
見送ってくれたファロウにそう言うと、ジャスミンはターシャの案内でケイティと共に竜騎士隊の本部へ向かった。
一旦兵舎を出て、隣にある竜騎士隊の本部へ向かう。
本部の二階にある休憩室に入ったジャスミンは、驚きの声を上げた。
「まあ、なんて綺麗なのかしら」
部屋は、花であふれていた。真ん中に置かれた大きな机の上には、綺麗に人数分のカトラリーが並べられている。
「ようこそ、ジャスミン。さあどうぞ座って」
笑顔のタドラに迎えられて、ジャスミンも笑顔になる。
「改めて、タドラエイン・ルッツです。どうぞ、タドラと呼んでください。ここでの貴女の指導役になりました。何でも遠慮無く聞いてくださいね」
「よろしくお願いします、タドラ様」
「様は無しだよ」
「でも……」
「様は無し」
笑顔でもう一度言われて、困ったようにそれでも頷いた。
「分かりました……タドラ」
「うん、順番に覚えていこうね」
優しい笑顔に、ジャスミンも笑顔になる。
「ロベリオ、・マルセルだよ。よろしくね」
「ユージン・ディーハルトだよ。よろしく、ジャスミン」
笑顔の二人にもジャスミンは、ぎこちないながらも何とか様付け無しで呼ぶ事が出来た。
「ルークウェル・ファウストです。どうぞルークと呼んでください」
「よ、よろしくお願いします。ルークさ……」
何とか呼べたのはここまでで、大人組とは挨拶されて応えるのが精一杯の有様だった。
「だって、皆様、私よりもはるかに年上で立派な大人の方なのに、未成年の私が、よ……呼び捨てになんて、出来ません」
困ったように、まるでレイルズのように眉を寄せてそう言うジャスミンを見て、マイリーとヴィゴは顔を見合わせて相談を始めた。その隣では、カウリとアルス皇子も苦笑いしながら頷いている。
「分かった。確かにジャスミンの意見も一理あるな。まあ、呼び方については無理強いはしないよ。慣れるまでは構わないから好きに呼びなさい」
最後は苦笑いしたマイリーがそう言ってくれて、とりあえずは様付けで呼んでも良い事になった。
結局、ジャスミンが名前で呼べたのは、いつも訓練所で呼び慣れているレイルズだけだった。
「じゃあ、座ってまずは食事にしよう」
ルークの言葉にジャスミンは席に案内されて座る。
ささやかと聞いていたが、出される料理はどれも豪華な品々で、ジャスミンは目を輝かせて嬉しそうにお行儀良く出されたご馳走を食べては笑顔になっていた。
食後のお茶が出された時、ジャスミンは顔を上げて改めて一礼した。
「先程、部屋で皆様から頂いた贈り物を見せて頂きました。本当にありがとうございます、どれも素敵で、嬉しくてちょっとだけ涙が出てしまいました」
照れたようにそう言って笑顔になる彼女に、皆も顔を見合わせて笑顔で頷き合っていた。
和やかに歓迎会が終わり、皆がソファーで寛いだり、陣取り盤を取り出して遊び始める。
レイはジャスミンと話をしていて、さっきから気になっていた事を質問した。
「ねえ、あの後ろで控えている第二部隊の女性兵士の方って、ジャスミンのお世話係の人なの?」
女性の場合は従卒とは呼ばないかもしれないので、お世話係と言ったのだが、ジャスミンは首を振った。
「いえ、彼女は護衛の方なんですって。これからはいつも私と一緒にいてくださるそうです。訓練所へも、一緒に行くんですって」
「そっか、護衛の人なんだね」
納得して頷いたが、どうにも気になる。
振り返って部屋の隅の裏部屋に続く衝立のすぐ横で控えている彼女を見て、レイは不意に思い出した。
「あ! ねえ、もしかして彼女って……あの時の赤毛の女性じゃない?」
ニコスのシルフに小さな声で尋ねると、シルフ達は笑顔で頷いてくれた。
それを見たレイは。、そっと立ち上がってその女性兵士の側へ向かった。
ルーク達が、急に立ち上がったレイに何事かと驚いて振り返る。
「ねえ、この前、婦人会の夜会で一緒に踊った方ですよね」
無邪気なレイの問い掛けに、ケイティは唐突に真っ赤になった。
「いえ、あの……」
驚く竜騎士隊の皆に、この前の婦人会の夜会の最後に、順送りのダンスを踊った時に、彼女とだけ視線が同じでとても踊りやすかった話をした。
「ああ、そう言う意味か。確かにお前の身長だと、背の低い女性のお相手は苦労するだろう」
苦笑いするマイリーの言葉に、レイは立ち上がったジャスミンの前に立った。
「ほら、彼女はまだ小さいけど、だいたい皆こんな感じだからね」
もう190セルテを超えたレイルズは、マイリーよりも背の高さだけなら大きいくらいだ。
「婦人会の夜会に参加してるという事は、彼女は貴族の出身なんですね」
下級兵士の伍長の階級章を付けている彼女を見て、ルークが首を傾げる。
通常、貴族が軍人になる場合、士官学校へ行く事が殆どなので最初の階級が最低でも少尉となる場合が殆どなのだ。
庶子の場合は一般兵扱いな事もあるが、それなら婦人会の夜会に出るはずは無い。
その言葉に小さくため息を吐いたケイティは、頷いて一礼した。
「大変失礼を致しました。ヴェンディ子爵家の次女、ケイティ・ローネットと申します」
その挨拶に、竜騎士隊の皆は納得したように頷いた。
「ヴェンディ子爵家のお嬢さんでしたか。しかしその貴女がどうして下級兵士なのですか?」
ヴィゴの問いに、ケイティは困ったようにジャスミンを見る。ジャスミンが何度も頷くのを見てヴィゴに向き直った。
「実は、私が最初に軍人になりたいと申しましたところ、父に大反対されまして、その……」
「無理だと言われた?」
「はい。私は小柄な姉上とは違い、こんなに大きく育ってしまい、その……ほとんどの殿方よりも大きくなってしまったんです。この身長でヒールを履けば、はっきり言って男性の方でも私よりも背の高い方はごく少数です。それで、夜会へ行く度に私と踊るのを密かに嫌がる男性陣を見て、私にはドレスを着て夜会に出るのは向いていないと感じたのです」
レイは何か言いかけたが、ルークの目配せで口を噤んだ。
「それで、もう夜会には出ない。軍人になるのだと言ったら、父上と大喧嘩になってしまいまして、口論の末に最後にこう言われたんです。それなら一般兵として基礎訓練からやってみると良い。そんな簡単な事では無いって」
驚きに目を見開く彼らに、ケイティは笑顔になった。
「ところが、やってみたら本当に楽しくて、身体を鍛えて訓練する事も大変ではありましたが案外平気だったんです。それで、一年前に正式に第二部隊に配属されました。最初は身分を内緒にしていたのですが、正式に採用が決まった時点で上司に報告したら、その……二等兵からあっという間に階級が上がって今は伍長の位を頂いております。士官学校へ行かないのかと何度も言われたのですが、正直言って一般兵の方が、私には性に合っているようです」
「父上とは、その後は?」
「母上や姉上は、今では応援してくれています。実は、父上だけは引っ込みがつかないみたいで、いまだに口をきいてくれません」
苦笑いしながらのその答えに、ヴィゴとマイリーが笑う。
「それはいかんな。今度会ったらヴェンディ子爵を叱っておきます」
その言葉にケイティは小さく笑った。
「先日の婦人会の夜会は、母上から急に呼ばれて何も知らないままに連れて行かれたんです。その、どうやら私が軍人になったのは、母と不仲になったからだと言われたらしく、それは違うので、母の為に久し振りに夜会に出たんです。でも、とても誰かと踊る気分では無くて……」
「それで、最後の順送りのダンスに出たんだね」
「母上から一度くらい踊ってきなさいと言われてしまって断れなかったんです」
眉を寄せる彼女に、レイは笑顔で手を取った。
「僕は一緒に踊れて楽しかったよ」
またしても、唐突に真っ赤になる彼女を見て、ルークとカウリは顔を見合わせた。
「あの無自覚天然っぷり、なあ、どうすれば良いと思う?」
「俺に聞かないで下さい。でもまあ、面白そうだから、俺は離れて見学します」
二人の会話に、マイリーとヴィゴが吹き出す。
「ケイティ伍長だったね。貴族の常識を知る人が、彼女の護衛を勤めてくれるのは、我々としても有難いが本当に良いのかね? はっきり言って一生人事異動の無い勤め先だぞ」
「はい、お邪魔でないのならどうかここで働かせて下さい。精一杯お守りいたします」
剣を鞘ごと外し、目の前の床に横向きに置いて頭を下げる彼女を見て、マイリーは満足気に頷いた。
「貴女の覚悟は確かに見届けました。どうかジャスミンの事、よろしくお願いします」
「ありがとうございます。精一杯努めさせて頂きます」
顔を上げたケイティは、ジャスミンを振り返った。
「後ほど、詳しいお話をさせて頂くつもりでした。こんな私がお側にいてもよろしいでしょうか?」
その言葉に、ジャスミンは目を輝かせて何度も頷いた。
「ええ、もちろんよ、よろしくね、ケイティ」
そう言って手を取り合って二人は、照れたように笑い合った。
それは、二人の少女が互いの年齢も立場も超えて生涯の友となる人物と出会った、記念すべき瞬間でもあった。
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