四の月の終わり
翌日から、また忙しい日常が戻って来た。
様々な立場の人に会ったり、会食に呼ばれたりもする。また、夜会へ招待される事も一気に増えて来て、ゆっくり本を読む時間が全く無い日が続いた。
夜会へは、カウリやルークと一緒に行く事が多かったが、レイだけで行かなくてはいけない日もあり、毎回、相当に緊張してニコスのシルフに助けてもらっていた。
心配していたようなあからさまな色仕掛けはあれ以降無いが、夜会で年長のご婦人からからかい半分に誘われる事はかなりあって、その度にレイは困ったように眉を寄せては謝って逃げまわっていたのだった。
しかし、レイには遠回しな言い方では全く理解してもらえない事がどうやらご婦人方の間で密かな噂になっているらしく、逆に、どうしたら彼に振り向いて貰えるかと、あの手この手で絡んでくるご婦人方も増えて来ていた。
皆完全に遊んでいるのだが、これもレイにはよく分からない感情で、一々申し訳なさそうに自分には好きな子がいるんですと説明する彼の純情さに、いっそ本気でときめきそうになるご婦人が続出しているのだった。
精霊魔法訓練所へ行けるのは、もう週のうち一日か二日程度になってしまった。
ニーカやクラウディアとは、本部のエイベル様の所へお掃除とお祈りをあげに来てくれた時に、出来るだけ会うようにしているのでそれ程長く会えないわけでは無いのだが、逆にマークとキムの方が中々ゆっくり会う時間が取れなくなってしまい、少し寂しい思いをしているレイだった。
「まあしばらくは駄目だな。来月に入ればすぐに各地への巡行が始まるし、花祭りもあるだろう? 六の月に入れば閲兵式があって、殿下のご成婚があって、それが終われば竜の面会だからな。まあそれが終われば、しばらくは大きな祭事は無いから、皆に交代で休暇を取らせる予定だ」
ルークの説明に目を輝かせるレイに、隣で聞いていたマイリーも笑顔で頷いてくれた。
「休暇中はこっちでゆっくりするも良し。蒼の森へ帰っても構わないぞ。まあ、その時にどうするか自分で考えなさい」
元気に返事をしたレイは、手元の書類を改めて手に取って呻き声を上げた。
「ああ、中々まとまらない……」
今は、もらった草案を元にして自分なりの意見をまとめているのだが、どうにも収集がつかず、思考があっちへ行ったりこっちへ行ったりしているのだ。
「まあ、難しく考えすぎるな。最初から完璧なものなど求めてはいないよ」
「うう、もうちょっと頑張って考えます」
情けなさそうなレイの言葉に、マイリーが笑って書類でレイの頭を軽く叩いた。
彼らがいるのは、事務所の竜騎士隊の皆の席がある場所だ。
何も無かったレイの机の上も、段々と様々な物で埋め尽くされ始めている。
「そう言えば、巡行って僕も行くんですよね? どこへ行くか決まっているんですか?」
もう、明日で四の月が終わってしまう。巡行にいつ行くのかも含めて、そろそろ説明があるかと密かに期待しているのだ。
レイの質問に、書類を見ていたルークが顔を上げた。
「ああ、ジャスミンの引っ越しが終われば説明するよ。ちなみにお前が行くのは、十四日からだから、第二弾だな」
「僕は何処へ行くんですか?」
目を輝かせて身を乗り出すレイに、ルークは小さく笑ってマイリーを見た。
「もう言っても良いですか?」
同じく書類を見ていたマイリーは顔を上げてにんまりと笑って頷いた。
「何処だと思う? お前が行った事の無い街だよ」
マイリーのその言葉に、レイは小さく悲鳴を上げた。
「ええ、そんなの僕が行った事のある街なんて、ブレンウッドからオルダムまでの街道沿いの街しかありません! それ以外は全部名前しか知りません!」
情けなさそうに眉を寄せて口を尖らせるレイの顔を、正面から見たマイリーは堪える間も無く吹き出した。
「お前……話には聞いていたが、その顔の破壊力は相当だな」
マイリーに笑われた意味が分からなくて首を傾げると、また笑い、何故か頭を撫でられた。
「良いよ、お前はそのままでいてくれ」
全く解っていない風のレイに、マイリーはもう一度優しく笑ってまた書類に目を落とした。
「うう、結局教えてもらえなかったよ」
小さな声でそう呟くと、マイリーが笑って顔を上げた。
「じゃあもう一つヒントだ。きっと、お前は行ってみたかった場所だと思うぞ」
「えっと……僕が行ってみたかった場所?」
書類を手にしばし考える。
「ああ、もしかして! クレアかセンテアノスですか?」
目を輝かせるレイの言葉に、マイリーは黙って頷いてくれた。
クレアとセンテアノスは、オルダムから南側に伸びる街道を進んだ先にある街で、途中にある東へと続く交差点の街フルームを通り過ぎてそのまま街道を南下すると、ケヒラトという小さな町を通った先にあるのがセンテアノスだ。その先のクレアと共に、今も星系信仰が盛んな街でもある。
距離にするとブレンウッドとオルダム間よりもまだ遠く、最南端の岬にあるクレアの街までは、ラプトルで地上をいくと順調でも十日はかかる。
クレアとセンテアノスは外海に面する街で、どちらも漁業が盛んな街だ。
クレア名物の、魚の内臓を塩で漬け込んで熟成させた、罪作り、と呼ばれるそれは、その名の通り、罪を犯して盗んででも酒が飲みたくなると有名な品だ。
ロディナの干し肉と並んで、酒の友の双璧と呼ばれている。マイリーとヴィゴの好物でもある。
この二つの街の精霊王の神殿は他とは違っていて、精霊王の像の背後にあるのは天の山の森では無く意匠化された星の海なのだ。
いつかは見てみたいと思っていたそれが、まさかこんなに早く叶うなんて、嬉しさの余り机の下で足をバタバタさせて暴れていたらルークに叱られてしまった。
「子供か、お前は」
笑ったカウリの声にレイは顔を上げて舌を出し。またルークに咎められるのだった。
そんな話をしながら、各自がそれぞれの仕事をしていると、カウリの肩を叩く職員がいた。
「カウリ様。家具の納品書です、ご確認ください」
「おう、ご苦労さん。これで全部かな?」
納品書を受け取ったカウリが、それをめくって一通り確認する。
「もう搬入作業は終わったんですか?」
「はい。業者の方が、念の為、最終確認をお願いしますとの事です」
「りょーかい。んじゃあ、ちっと行ってきます」
書類を置いて、納品書を手に立ち上がる。
「お前も来るか?」
こっちを見ていたレイに、振り返ったカウリが笑いながら納品書を見せる。
「まあ、これも経験だ。最終検品って言って、納品された家具や品物が間違い無いか見るだけだけどな」
「行きます!」
元気良くそう答えて、書類をまとめて置いたレイも嬉しそうに立ち上がった。
四階の女性用の階の改装工事が終わり、まずはジャスミンの為の家具が、今日の朝から業者の手によって運び込まれていたのだ。
仲良く出て行く二人を見送って、ルークが小さくため息を吐いた。
明日、ジャスミンがここへ引っ越して来る。
そして明後日の月初めの城である会議の席で、陛下の口から直々に、新たな竜の主となった十三歳の少女であるジャスミンの事が話されるのだ。
その際に、彼女が成人した暁には、竜騎士では無く、竜司祭と言う新しく作られる役職に就く事も併せて報告される。
これに関しては、驚く程に神殿側も好意的だった。
神殿内では様々な思惑も有るのだろうが、表向き新たな役職にも特に反対意見は無く、ジャスミンの教育係として、神殿から正式にフォーレイド神官が派遣されて、女神の神殿から派遣された僧侶と共に、精霊魔法訓練所での授業の一環として、ジャスミンに神殿内での竜騎士の役割や、実際の祭事の際のお祈りなども教えている。
また、これらの授業にはニーカも同行して、ジャスミンと一緒に授業を受けているのだった。
様々な事が、様々な人々の思惑を巻き込み水面下で進められている。
しかし、そんな事とは露知らず、今までとは全く違う数々の出来事が続く事に、レイは期待に胸を膨らませているのだった。
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