障害物コースと兵士達

 翌日は朝練と食事の後、第二部隊の駐屯地にルークの後についてカウリと一緒に行き、第四部隊との合同訓練の様子を見学した。



 そこは、第二部隊の名物と呼ばれる、あちこちに作られた障害物を走る訓練のコースだった。

 広い運動場に作られた様々な段差のある足場や泥の沼地、岩だらけの河原のような場所もある。それから木製の大きな塀もいくつも作られていて道を塞いでいて、そこは、塀の上から細い縄がぶら下がっているだけだ。そこを腕の力だけで這い上がり、4メルト近くある巨大な高い塀を越えなければならないのだ。

 また、丸太が置かれている場所もあり、枝が出て、樹皮もそのままの原木の丸太の上を走らなければならない場所もあった。

 要するに、ニコスとギードが石の家の上の林の横に作ってくれた訓練コースよりも、更に広くて大掛かりな仕掛けが作られた巨大な障害物コースだったのだ。



 小隊ごとにその訓練コースを懸命に走る兵士達に、順番を待つ兵士達は皆、大声をあげて応援していた。

「何あれ! ねえルーク、お願いです。僕、あれをやってみたい!」

 見るなり目を輝かせたレイに、出迎えて案内してくれた第二部隊のバイロン大佐は驚いて目を見張った。

「お前、無茶言うなよ。あれを走破するまで殆どの兵士は数ヶ月は掛かるんだぞ」

 呆れたようなカウリの言葉に、レイは逆に驚いて振り返った。

「そうなの? それほど難しい場所は無いように思うけどなあ」

 簡単にそう言うレイを見て、大佐はニンマリと笑った。

「ならば走ってみますか?」

「良いんですか!」

 身を乗り出して目を輝かせるレイを見て、もう一度笑った大佐はルークを見た。

「こう仰っておられますが、よろしいですか?」

「ええ、構いませんよ。しかしレイルズ。さすがにその格好で走るのは無理だろう。申し訳ありませんが、第二部隊の制服一式をお借りできますか?」

 確かに今のレイは竜騎士見習いのいつもの制服なので、この訓練コースを走るには、かなり無理のある格好だ。

 ルークの言葉に、レイは嬉しそうに何度も頷いた。

「ねえカウリもやろうよ、僕走りたい!」

 話を振られたカウリは、咄嗟に断ろうとしたが、周りからの大注目を集めているのに気付いて遠い目になった。

「お前なあ……ああ、もう分かったよ、行きゃあ良いんだろう」

 大きなため息を吐いたカウリが立ち上がってくれたので、レイは大喜びで大佐の後に付いて行った。

 付き添いで一緒に来ていた士官達は、全員が呆気にとられてその場に立ち尽くしていた。

「あの……よろしいのですか? 見て思う以上にあのコースは危険ですよ」

 カウリは下級兵士として一通りの訓練は受けている。当然、このコースも何度も走った事がある。しかし、一般からいきなり竜騎士見習いになったレイルズは、一般兵士の基礎訓練を受けていない。

「ご心配無く。さて二人で走らせますか?それとも、他の兵士達と一緒に走らせますか?」

 自信ありげなルークの様子に、大佐は更にニンマリと笑った。

「ならば最適な小隊がいますので、是非一緒に走らせましょう。少々お待ちください」

 そう言って立ち上がった大佐は、副官に幾つかの指示を与えた。

「いや、しかしそれは……かしこまりました。すぐに準備させます」

 一礼して下がる副官を見送り、ルークは笑いを堪えて広い訓練コースを見た。

 最後の者が走り終え、今はコースを走っている兵士はいない。



 しばらく待っていると、第二部隊の一般兵の制服を着た二人が出て来た。身に付けている剣帯や剣も一般兵のそれだ。

 二人が誰だか気付いた兵士達が、一斉にどよめく。

 そして彼らの背後には、二十人ほどの体格の良い兵士達が並んでいる。

 その兵士達が何者か気付いた見学の兵士達から、またしても大きなどよめきが起こった。



 レイとカウリの背後に控えている小隊は、この訓練コースの最高タイムを出した小隊で、実は後ほどレイルズ達が見ている前で全力で走って見せる予定だったのだ。ところが、いきなり大佐からレイルズ様とカウリ様と一緒にコースを走れ、しかも全力で、遠慮は無用との命令を受けて慌てて準備をして出て来たのだ。



 大きいと思っていたレイルズやカウリよりも、背後の兵士達はひと回りもふた回りも体が大きい。当然、手足も長い。

 中には、ヴィゴと並んでも見劣りしないであろう体格の兵士もいる。

 明らかに、竜騎士見習いの二人は体格で負けている。




 何度か飛び跳ね、足首を回して嬉々として準備運動をする二人を背後の兵士達は見ていて思った。

 竜騎士見習いである彼らを、正々堂々と叩きのめして突破出来るチャンスだと。

 大佐は遠慮は無用と仰った。それは裏を返せば、遠慮なく叩きのめせと言っているのと同意語だ。

 顔を見合わせた彼らは、ニンマリと笑った。



 竜騎士に憧れない兵士はいない。

 しかし、その憧れの感情の中は案外複雑で、自分だって負けていない、戦ったら勝てると思っている者も実は多いのだ。

「良いな、卑怯な真似はするな。それだけだ」

 小隊の隊長の声に、全員が揃って答える。

「では、参りましょう」

「はい、よろしくお願いします!」

 一緒に走ってくれると言われて紹介された、隊長である曹長の声に目を輝かせて答えるレイは、そんな彼らの複雑な感情など全く気付いていなかった。



「ああ……今更こんなおっさんに、難関障害物コース走らせるなよなあ。怪我でもしたらどうしてくれるんだよ」

 小さくそう呟いたカウリは、背後に控える小隊を見て、もう一度密かにため息を吐いた。

「しかも、最強のこいつらと一緒に走るってか。大丈夫かねえ俺」

 カウリは、背後に控えている彼らが誰なのか気付いていた。そして当然だが、彼らが自分達に抱く複雑な感情も正確に理解していた。

「まあ、みっともなくない程度に走らせて貰うとするか」

 屈伸をしたカウリは、何度か飛び跳ねてからゆっくりとスタートラインに向かった。




 彼らがスタートラインに並んだ途端に、その場は水を打ったように静かになる。

 全員が固唾を飲んで見守っていた。

 スタートラインの横に別の士官が立ち、ゆっくりと手をあげる。

「出発!」

 大声で叫び手を振り下ろした瞬間、全員が一斉に放たれた矢の如く走り出した。



 最初の障害は、土と石と木箱で作られた段差のあるコースと河原のような大小の丸い石が不規則に転がる足場の悪い箇所だ。

 ルート取りを間違えると、もうここで走れずに終わってしまう兵士もいる。

 しかし、先頭を走るレイは、最初の箇所は四角く平らな石の足場だけを跳ね飛びながらあっという間に走り終え、丸石の足場の悪いコースも簡単に走りきってしまった。その後ろを少し遅れて兵士達が続く。

 カウリは先頭集団にいる。



 次は、巨大な塀をロープだけを頼りに乗り越える仕掛けだ。

 ここもレイは一切スピードを落とさずにそのままジャンプして、垂れ下がるロープの真ん中あたりに飛び付いた。そのまま一気に壁を駆け上がる。


 見ていた兵士達から大歓声が上がる。


「なんだあの身のこなしは。あんなのあり得ないだろう」

「精霊の助けを借りているんじゃないのか?」

 レイルズの、あまりに簡単に走るその姿にあちこちからそんな声が上がる。

 しかし、第四部隊の兵士達は、全員揃って一斉に首を振り叫んだ。



 それは違う。レイルズ様の周りに手を貸しているシルフはいない。と。



 あっと言う間に塀を駆け上がり、そのまま一気に反対側に飛び降りる。あちこちから悲鳴が上がったが、レイは着地した瞬間、そのままくるりと地面を転がり一回転して平然と起き上がって走り出した。全くスピードは落ちていない。

 それを見て、また大歓声が上がる。



「だから無茶するなって」

 そのすぐ後ろを塀の上に立ったカウリが、反対側に降ろされたロープを持って一気に滑り降りた。

 普通はこうやって降りる。塀の上からそのまま飛び降りるような無茶はしない。

 巨大な丸太の原木の上を、これも全くスピードを落とさずに走りきった。既にレイの背後には誰もいない。

 泥の池に突入したレイは、ごく小さな足場を見事に見つけて飛び跳ねて渡りきり、靴の先に、僅かに泥が付いた程度で泥の池を終えてしまった。

 また大歓声が上がる。

 ここから最後まで最大の難関が続くのだ。

 


 最初は3メルトの高さに作られた、梯子がそのまま横倒しになった横棒が等間隔で並んでいる雲梯と呼ばれる箇所だ。これは、両手でぶら下がり、腕の力だけで交互に梯子を掴んで渡らなければならない。

 ここで殆どの兵士が落ちる。一度でも掴み損ねた瞬間に落ちてしまうのだ。

 一応、保護の為の網が張ってあるのだが、硬い網に落ちると実はかなり痛い。

 しかし、レイはここでは何と掴む梯子を一つ飛ばしで簡単に渡りきり、そのまま最後の難関に向かった。



 巨大な二本の塔のどちらでも構わない。まずは正面の壁一面に取り付けられた、小さな握りこぶしほどの突起が点在するそれに指と足を掛けて、ほぼ垂直の壁を登り塔の上まで上がる。それから、隣の塔の壁との隙間に両手両足を左右の壁に突っ張りながら、地面まで降りなければならない。

 ここでは、万一落ちた兵士はシルフ達が守ってくれる。

 スルスルといとも簡単に降りていくレイに、もう周りで見ている兵士達は大喜びだ。

 レイから遅れて走る二番手集団は、ようやく泥の池を超えて雲梯に辿り着いていた。しかし、彼らの足は泥だらけだ。カウリも膝から下は泥だらけになっていた。



 二番手集団にいるのだから、カウリも充分に健闘している。

 しかし、先頭を行くレイのあまりの速さに、全く目立たないのはある意味気の毒だった。



 あっという間に、地面に降り立ったレイは、そのまま地面に作られた真っ直ぐな道を走ってゴールしてしまった。



 まだ後続は誰も来ない。



 振り返ってルークに満面の笑みで手を振るレイに、見ていた兵士達は惜しみない拍手を送った。

 後続の二番手集団は、塔の壁を登り終えて最後の壁を降りる箇所で大変な事になっていた。

 靴についた泥のお陰で壁に突っ張る手足が滑るのだ。しかも、後ろになればなる程状況は不利になる。

 幸い、カウリは比較的早く降りられた為、三名の兵士達とほぼ同時に二番手の先頭集団としてゴールに駆け込む事が出来た。


「お前……その、速さは……あり得ねえ、だろう……絶対、その足と背中に翼を隠してるだろう! 出せ! 出して見せろ!」

 ゴールしたものの、そのままその場に転がって叫ぶカウリの言葉に、一緒にゴールした兵士達も揃って頷いている。

 その様子を半ば唖然と見ていた近くで見ていた兵士達は、堪えきれずに大爆笑になっていた。

 カウリ達も、地面に転がり文句を言いつつも大笑いしている。




「お疲れ様。大丈夫ですか?」

 笑いながら息を切らせて地面に座り込んでいる泥だらけの彼らと違い、レイは少し息を切らしているものの平然としているし、着ている服にも付いている泥の跳ねはごく僅かだ。

 カウリの所へ行って、まだ座り込んでいる彼に手を貸してゆっくりと立ち上がらせる。腕を引かれたカウリは、大きなため息を吐いて渋々立ち上がった。



 他の兵士達にも手を貸して、全員を立ち上がらせたレイは、また満面の笑みになった。

「すごく楽しかったです。ありがとうございました!」

 直立して敬礼する彼に、その場にいた全員が一斉に直立して敬礼をしたのだった。

「はあ、死ぬかと思ったぞ。十代のお子様の余りある体力に、四十代のおっさんを付き合わせるなって」

 敬礼しながら、あまりにも情けない口調で呟いたカウリの声が聞こえた小隊の兵士達は、ほぼ同時に吹き出して座り込み、また大爆笑になったのだった。



「いやあ、これは凄かった。予想以上の大健闘だったな」

 苦笑いしながらそう呟いたルークは、嬉しそうに笑いながら一緒に走った兵士達と、互いの健闘を称えて肩や背中を叩きあって大喜びしているレイルズとカウリを見つめていた。



 この日の出来事は、あっという間に一般兵士達に広がり、レイルズとカウリの人気が一気に上がる事になるのだった。

 そして、この訓練コースを走りたいと言う兵士が他の部隊からも続出して、係の者達は対応に追われる事になるのだった。

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