蒼竜と少年

年内最後の日

　翌朝、シルフにいつもの時間に起こされたレイは、ベッドに横になったまま大きな欠伸をした。

「おはよう。だけど今日はゆっくりして良いんだって。いつも行っていた朝練が無いと、何だか身体が鈍って仕方がないよ」

　腹筋だけで起き上がったレイは、腕をゆっくりと回して大きく伸びをした。

　もう一度大きな欠伸をしてから、また枕に抱きついて顔を埋めた。

「うう、でもやっぱり眠いよ……」

　小さな声でそう言い、そのまま黙ってしまう。

『あれ？』

『どうしたの？』

『どうしたの？』

　枕元にはブルーのシルフが現れて座り、他のシルフ達は急に黙ってしまったレイを心配そうに覗き込んだ。

『……また寝たな』

　呆れたようなブルーの声に、シルフ達が一斉に笑う。

『眠いの眠いの』

『眠いの眠いの』

『おやすみおやすみ』

『おやすみおやすみ』

『朝だけどおやすみー！』

　大喜びのシルフ達は口々にそう言いながら、またレイの襟元や前髪の隙間、それから寝癖のついたふわふわの真っ赤な髪の毛の隙間に潜り込んで眠るふりを始めた。

『朝だけどおやすみなの』

『おやすみなのねー』

『ああ、今日もお休みだな』

　笑ったブルーのシルフがレイの後頭部に潜り込むと、また大喜びで笑い合うシルフ達だった。

「あれ？ おかしいな……日が高くなってる？」

　抱きついていた枕から顔を上げたレイは、床を照らす光をぼんやりと見て、ゆっくりと起き上がった。

「おはよう。って、これを言うの今日は二回目だね。えっと鐘はいくつ鳴っていたか分かる？」

『おはようレイ。よくお休みのようだったな。かなり前に九点鐘の鐘が鳴っていたぞ。多分、もうそろそろ十点鐘の鐘が鳴るのではないか？』

　目の前に現れたブルーのシルフに、キスをしてそう言われて照れたように笑った。

「二日続けてお寝坊だね。明日はちゃんと起きようっと」

　ベッドから起きて、ブルーのシルフは顔を洗いに行くレイの後ろ姿を見送った。

「うわあ、やっぱりすごい寝癖！ どうしてだろう？ 寝坊すると寝癖が酷くなるみたいだよ！」

　扉を開けて大きな声でそう言って笑うレイを見て、シルフ達は揃って大喜びだった。

『寝癖可愛い』

『ふわふわのくちゃくちゃ』

『可愛い可愛い』

　実は、シルフ達が潜り込んでいるせいで寝癖が酷くなっているのだが、その事を知っているのは、この中ではブルーだけだ。

　だけど、ブルーも寝癖の付いたレイが可愛くて大好きなので、シルフ達に注意する気は全く無いのだった。

「おはようございます。もうお目覚めでしょうか？」

　ノックの音がして、ラスティが入って来る。

　空のベッドと顔を洗う音のする洗面所を見て、小さく笑って寝乱れたシーツを剥がしたのだった。

　いつもの竜騎士見習いの服に着替えて、ラスティと一緒に食堂へ向かう為に廊下に出た。

「あれ？ カウリは？」

「先程お目覚めになられて、今身支度を整えていらっしゃいます、如何なさいますか？ お待ちになりますか？」

　いつも、待たせてばかりだったことを思い出し、レイは笑って頷いた。

「じゃあ、カウリが準備出来るのを待ちます」

　そう言って窓の外を眺める。

　どんよりと曇った冬の空だが、雨が降るのだろうか。心配になったレイは、空中に向かって呼びかけた。

「えっとブルー、今日は雨が降るの？ 火送りと火迎えの儀式の時に雨が降ったら可哀想だよ」

　心配になってそう言ったが、目の前に現れたブルーのシルフは笑って首を振った。

『いや、晴天とはいかないが今日は雨は降らぬよ。心配はいらぬ。明後日あたり少し降るので、訓練所へ行くなら馬車の方が良いだろうな』

「あ、そうなんだ。じゃあ頼んでおくね」

　レイがそう言った時、扉が開いてカウリが出てきた。

「お待たせ。で、何を頼むんだ？」

　丁度聞こえたらしく、不思議そうにブルーのシルフを見る。

『明後日は雨が降るので、訓練所へ行くなら馬車にしろと言ったのだ』

「ああ、成る程。それは言っておかないとな」

　笑ったカウリに頷き、一緒に食堂へ向かった。

　いつもよりも少し人の少ない食堂で、まずはお腹いっぱいに食べる。

　食後のカナエ草のお茶と一緒に取ってきたのは、初めて見るお菓子だった。

「真っ白で雪玉みたいだね。これはどんなお菓子なの？」

　細かいお砂糖がしっかりとまぶされたまん丸なそれを、レイは三個取ってきている。

「おや、いつもよりおやつが少ないですね。レイルズ君」

　からかうようなカウリの言葉に、レイは笑って舌を出した。

「初めて見るお菓子だったからだよ。美味しかったらもう一度取りに行くもんね」

「普通それなら一つだよな」

　吹き出したカウリに、ラスティも笑って頷いている。

「それは白い雪の玉って名前が付いています。アーモンドの粉を使って作った、サクッとしているのに口の中で蕩けるような不思議な食感のお菓子ですよ。レイルズ様はきっとお好きだと思いますね。

　そう言われて一つ口の中に入れたレイは、無言で食べた後満面の笑みになった。

「美味しいこれ！ 本当だ。サクッとしてるのに中は柔らかくてあっと言う間に無くなっちゃったよ」

　目を輝かせてあっという間に三つ食べてしまったレイは、嬉々として追加を取りに行き、それを見たカウリは、堪える間も無く吹き出したのだった。

「いやあ、若いって凄えな。あれだけ食ってまだ入るんだ。あ、でも俺も一つだけ貰ってこよう。あれは滅多に出ないからな」

　三個残っていたのを全部もらって良いものか悩んでいたら、彼がいるのに気付いたお菓子担当者が目の前で追加を出してくれて、大喜びのレイだった。

「全部駆逐する気かよ。俺の分残しておいてくれよな」

　笑ったカウリに後ろからそう言われて、レイは驚いて振り返った。

「これ、カウリも食べるの？」

「おお、これは珍しいお菓子だからさ。一つだけ貰っても良いか？」

「もちろんどうぞ」

　笑って小皿に一つ取り渡してやる。

　レイの持つお皿には、全部で七個の白い玉が乗っていた。

「いやあ、よく食うな。感心するよ」

　顔を見合わせて吹き出し、そのまま一緒に席へ戻った。

　取ってきた真っ白なお菓子を嬉々として食べるレイの事を、皆、笑って見ていたのだった。

　一旦本部の休憩室へ戻り、少し休んでからラスティとヘルガーの案内で城へ向かった。

「何があるのか知ってる？」

　渡り廊下を歩きながらこっそりカウリに聞くと、彼は笑って振り返った。

「まあ楽しみにしていろ。お前は絶対喜ぶと思うぞ」

　カウリがそう言うのなら、きっと何か楽しい事があるのだろう。目を輝かせて小さく頷き、お城へ続く扉をくぐった。

　ここから先は、本部とは違い竜騎士は注目される。見習いといえども、それは同じだ。

　相変わらず慣れない視線に内心は戸惑っていたが、とにかく堂々としていろと言われているのを思い出して、顔を上げて必死になって前を歩くヘルガーに続いた。

　初めて通る廊下を通り、これも知らない扉を通り出た先は、いつもお祈りをしに来る精霊王の神殿の別館だった。

　ここには精霊王の大きな彫像があり、精霊王に従う十二神の英雄達の像も並んでいる。そしてエイベルの像もあるのだ。

　他にも、女神オフィーリアを祀った神殿の分所も、白の塔のすぐ横に別に作られている。

　そこには、初めてここへ来た時にタキスが見た、あのエイベルの見事な全身像が飾られているのだ。

　竜騎士達は、普段からこの精霊王の別館と、女神オフィーリアの分所の両方に参っている。

　特に、竜騎士達の恩人であるエイベルの像はそちらの方が大きい為、そこへ行く事も多い。

　大勢の人々が入っていて、礼拝堂の中はとても暖かい。

　数え切れないほどの蝋燭が灯され、香が焚かれたそこは、少し煙って空気が白っぽくなっていた。

　精霊王の像の前では、何人もの神官や僧侶達が行き来している。皆、普段とは違い第一礼装に身を包んでいる。

　両側の壁に並んだ十二神の前に、まずは順番にお参りをして蝋燭をあげる。

　レイも渡された蝋燭を、小さな燭台にそっと立ててお祈りをして回った。

　ずっとお祈りの声が聞こえ、定期的に鐘の音が鳴らされる堂内は、しかしとても静かだ。

　これだけの人がいるのに、騒めきは無く、皆熱心に祈りの言葉を紡いでいた。

　ここでこれから何があるのだろう。

　十二神に挨拶を終え、最後に一番大きな蝋燭を精霊王の前に捧げた。

　蝋燭の灯りに照らされた精霊王は、少し笑っているように見えたのだった。

　案内されて貴族席の前の列に座る。ラスティとヘルガーは、一礼して別の場所に行ってしまった。

　カウリがいてくれて良かった。

　密かにそう思って大人しく言われた席に座る。

『もう少し待っていなさい。きっと、気にいると思うからな』

　肩に座ったブルーのシルフにそう言われて、レイは満面の笑みで頷いたのだった。