竜舎でのひと時
「な、な、何言ってるんだよ!ブルー!」
真っ赤になったレイの悲鳴に、ブルーのシルフは目を瞬いて彼を見た。
『だって、そうであろうが。せっかく久しぶりに会えたのだ、キスくらい当然だろうが』
「どこの世界の当然だよ! もう、この話はおしまい!」
耳まで真っ赤になったレイの叫びに、笑ったニーカが振り返って机を見た。
「私、もうちょっとお菓子を頂こうかな」
「待ってニーカ! 逃げないで」
慌てたように自分に縋り付くクラウディアを見て、ニーカは思い切り困ったような顔をした。
「ええ、お願いだから私を巻き込まないでくれるかなあ」
「駄目、行かないで!」
『恋は素敵』
『恋は素敵』
『大事な大事な贈り物』
『想いを込めた贈り物』
『素敵な恋に祝福を!』
『二人のキスは甘いキス!』
突然現れて一斉に歌い出したシルフ達のその声に、真っ赤になっていたレイは、頭を抱えて椅子から転がり落ちた。
「おいおい、大丈夫か?」
転がったまま起き上がってこないレイを見て、隣に座っていたカウリが笑って立ち上がり彼の横にしゃがみ込んだ。
「もう駄目……いっそ殺してください」
転がって顔を覆ったまま呻くようなその言葉に、カウリは堪えきれずに吹き出し、また休憩室は笑いに包まれたのだった。
「もう、本当に誰も助けてくれないんだもん」
ようやく笑いも収まって、立ち上がったレイが椅子に座りながら隣のカウリの足をつま先で軽く蹴った。
「こらこら、俺に当たるな。あ、ニーカ。帰る前にクロサイトに会って行くんだろう?」
明らかに話を逸らしたが、ニーカも笑って頷いた。
「ええ、出来たら会って帰りたいわ」
「もちろん構わないぞ。行くか?」
笑ったヴィゴがそう言って立ち上がり、皆も順に立ち上がる。
「ああ、少し待ってください。頂いた物を片付けないと」
机の上に、包みを解いて置かれたままの品々を見て、二人だけでなくマークとキムも慌ててもらった品物を包みなおそうとした。
「どうぞそのままにしておいてください。お帰りの際に、持ち帰り用の袋をご用意しておきます」
執事が側に来てそう言ってくれたので、恐縮する彼女達を連れて皆で竜舎へ向かった。
「ええと、俺たちはそれなら……」
「ええ、せっかくだから一緒に来てよ。クロサイトを紹介するわ」
遠慮して帰ろうとするマークとキムを振り返り、ニーカは笑って駆け寄り二人の手を引っ張った。
「だけど、関係者じゃ無い俺達まで一緒に行って良いのか?」
「大丈夫なんだって、行こうよ!」
レイの笑顔に頷いて、二人も竜騎士達の後に続いた。
一般人の竜舎への立ち入りは、竜騎士本人の希望する人物以外では、身内などのごく一部の場合を除き本来厳しく制限されている。
しかし、竜騎士隊付きの第四部隊に配置転換した二人は、直接的な関係では無いが、一応身内扱いになるので、竜舎への立ち入りも通常時には許可される。
本来、今ここにいる三人の中で立ち入りが制限されるのは、クラウディアだけだ。だが彼女は、表向きニーカの身内として竜騎士隊から直接の許可が出ているのだ。
「うわあ、竜舎には初めて来たよ。大きいんだな」
「本当だ、天井が高いな」
念の為、マーク達やクラウディアも竜舎に入る前にカナエ草の薬をもらって飲んである。
「スマイリー! 会いたかったわ!」
第二竜舎に飛び込んだニーカは、愛しい竜の姿を見て、そう叫んで駆け出して行った。
そのまま差し出された頭に飛び付き抱きしめる。
「ニーカ、僕も会いたかったよ……」
そう言ってそのまま喉を鳴らし始める。
「話には聞いていたけど、ニーカの竜は本当に小さいんだな」
「確かに、まだ子供だって言われた方が納得するよな」
少し離れたところで見ていたマークとキムの言葉に、レイも頷いた。
「以前、中庭で遠くから見たあの古竜は大きかったものな」
「ああ、去年の降誕祭の時だよな。確かにあれは大きかった」
二人の声に、振り返ったレイは肩を竦めた。
「僕のブルーとクロサイトが並んだら、ブルーの顔から首までの間にクロサイトが入っちゃうんじゃないかな?」
「確かにそうかもな。そりゃあ千年も年齢に差があるんだから、大きさは違って当然だよな。確か精霊竜もずっと成長するんだよな」
キムの言葉にレイは頷いた。
「そうだよ、よく知っているね。えっとね、竜によっては歳を重ねても身体はとっても細い子もいるんだ。だけど、翼の大きさは年齢で明らかに違うんだよ。だから、翼を見れば竜の年齢が判るんだよ」
「ああ、確かに。マイリー様が乗っておられる竜は細いけれど翼は大きいな」
またキムがそう呟いて何度も頷く。
「私のアンジーは、風の属性のみの竜だからな。風の属性のみの竜は、飛行速度が他の竜達よりも遥かに速い。その代わりに、ほかの竜達よりも身体が細くて小さい事が多い。タドラの竜も、風の属性のみの竜なので、身体が小さいんだ」
突然後ろから聞こえた声に、キムとマークは一瞬で直立した。
「ああ、すまない。楽にしなさい」
マイリーに背中を叩かれて、余計に硬直する二人だった。
「属性? 確かスマイリーは水の属性を持っているって聞いたけど、竜によって皆違うんですか?」
スマイリーを撫でながら、顔を上げたニーカがマイリーを見る。
「ああ、精霊竜は、まず全ての竜が風の属性を持っている。それとは別に、もう一つ持っている属性が、その竜の属性になるんだよ。だが時に風の属性のみの竜がいる。その場合は、相当上位の風の精霊魔法まで使えるし、言ったように飛行速度が桁違いに速いので、本気で飛べば、ここから国境までひと時半もかからずに行けるぞ」
「凄え。風の属性の竜ってどれだけ速いんだよ」
マイリーの説明に、実際の距離を知るマークとキムは思わずそう呟いて顔を見合わせた。
「ブルーは、クロサイトと同じ水の属性だって言っていたね」
レイの言葉に、顔を上げたスマイリーは嬉しそうに目を細めた。
「うん、そうだよ。今、ラピスやオパールに色々聞いて、水の流れの制御の方法を教わっているんだ。水の流れを整える事はもう出来るようになったんだよ。僕が、ニーカのいる女神様の神殿の井戸を管理しているんだ。あ、同じ敷地にある精霊王の神殿の井戸も管理しているんだよ」
自慢気に胸を張るスマイリーに、ニーカは笑ってキスを贈った。
「ありがとうねスマイリー。そうそう、料理長が喜んでいたわよ。今まで、夏になるとどうしても井戸の水の水位が下がった上に臭い匂いがして、酷い時にはお腹を壊す人が出たり、料理の味が変わったりした事が何度もあったんですって。だけど、今年の夏はあんなに暑かったのに、一度も水が減ることも無かったし、全然臭くなかったって言っていたわ」
「そう、上手く出来て良かった。今、新しい水脈の引き方を教えて貰っているんだ。今度の夏は、神殿の裏庭にも水を引いてあげるから、ごく浅い穴を掘るだけで綺麗な水が出るようにしてあげるよ。そうすれば、菜園や薬草園の水やりがぐっと楽になるでしょう?」
スマイリーの言葉に、ニーカとクラウディアが驚いて顔を上げる。
「凄い。そんな事が出来るの?」
「うん、簡単じゃないけどね。でも、かなり水の呼び方が分かってきたから頑張るね。今度の夏までには絶対に神殿の裏庭に水を届けてあげるよ。ニーカも他の巫女様方も言っていたでしょう。裏庭側にも井戸があれば菜園や薬草園の世話が楽になっていいのにって」
スマイリーのその言葉に、クラウディアは思わずその場で膝をついて両手を握りしめ、額に当てて深々と頭を下げた。
「クロサイト様の尽力に、心からの尊敬と感謝を捧げます。我らを支えてくださり、ありがとうございます」
それを見たクロサイトは嬉しそうに喉を鳴らしながら、そっとクラウディアの頭に伸ばした鼻先で触れた。
「どうぞ顔を上げてください、巫女様。まだまだ他の大人の竜達みたいに簡単には出来ないけど、少しでもお役に立てるように頑張るからね。あ、でも来年の夏は、二人共こっちの神殿の分所に来ているんだから、菜園の手入れはしないね」
今更気付いたようなクロサイトの言葉に、ニーカとクラウディアは揃って吹き出した。
「ううん、私達がいなくなっても菜園はずっと誰かがお世話をするんだもの。確かに裏庭に井戸があれば皆楽になるわ。ありがとうスマイリー。でも、無理はしちゃ駄目よ」
また鼻先にキスをもらって、嬉しそうにスマイリーは目を細めて喉を鳴らした。
神殿では、巫女達や神官達の修行の一環として、裏庭に菜園や薬草園を作って世話をしている。収穫される作物は、神殿の皆でいただき、薬草園では簡単な普段のちょっとした体調不良などの際に使われる民間薬と呼ばれる薬が作られる。白の塔で作られるような専門的な薬では無く、熱冷ましや腹下し、また打ち身などに貼る湿布程度だ。
それから、種類によっては干したり乾かしたりして、素材として業者に引き取ってもらうのだ。薬の素材は業者が喜んで高く買い取ってくれる為、何処の神殿でもかなりの場所が薬草園として耕されている。
「へえ、神殿ではどんな薬草を育てているの?」
目を輝かせたレイの質問に、薬草園を担当しているクラウディアがいくつかの薬草の名前を言い、いきなりレイと二人で薬草の育て方や収穫した後の保管方法の専門的な話を始めたのだ。
ニーカはまだそう言った事には詳しく無くて、言われるままに葉を摘んだり実を収穫したりしていたのだ。
嬉々として専門的な話をする二人を見て、苦笑いしたニーカはそっと離れてマーク達の側に来た。
「ううん、どうしても甘い雰囲気にならないな」
「まあ、これだけ他に人がいれば、二人の性格からしてこうなるか」
「だよな、このままここに置いていくか?」
「いや、さすがにここに置いていくのは不味いだろう」
その様子を、少し離れた所から見ていた若竜三人組とルークの内緒話に、側で聞いていたマークとキムは堪え切れずに吹き出したのだった。
彼らの上では、何人ものシルフ達が、同じように呆れたり笑ったりして大喜びしていたのだった。
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