楽しみな夕食会の準備と竜の保養所での一幕
降誕祭の当日以外は、精霊魔法訓練所は通常通りの授業がある。
レイとカウリも、翌日からいつも通りに護衛の兵士達と一緒に訓練所へ向かった。
女性陣は降誕祭の期間中はお休みと聞いていたので、マークやキムと一緒にいつものように自習室で勉強をした。
何事も起こらない平和な日が続き、気付けばもう降誕祭の最終日だった。
「今日の会食は、お昼じゃなくて夕食会なんだってね」
その日もいつものように訓練所へ向かいながら、レイは嬉しそうに隣にいるカウリにそう言った。
「ああ、聞いたよ。お前は訓練所の授業が終わったらどうするんだ? 彼女達を迎えに行かなくて良いのか?」
「えっとね、ルークが送迎の馬車を手配してるから心配するなって言われたよ。帰りも、もちろん馬車で送ってくれるんだって」
「そっか、それなら安心だな」
実は、その送迎の馬車の手配をしたのはカウリなのだが、彼は笑って何も知らないふりで笑っていた。
「そう言えば、巫女達の配属先の変更もそろそろだろう? お前、何か聞いてるか?」
「あ、もしかしてディーディーとニーカがお城の分所務めになるって言ってたあの話だよね?」
「そうそう、昇格した巫女達の配属変更は、確か降誕祭の前にあったはずなんだけどな?」
「それなら、もしかしたら訓練所をお休みしている間に言われたのかもしれないね。二人共、降誕祭の前日からお休みしていたもん」
「ああ、そうか。それなら今日、何か言ってくれるかもな」
カウリの言葉に、レイは嬉しそうに笑った。
「早く来てくれないかな。そうしたら、お祈りに行く楽しみが出来るのに」
「毎朝毎晩、分所に通ってたりしてな」
「さ、さすがにそこまでは……しないと、思うよ」
詰まりながらそう言ったレイの言葉を聞いて、カウリは堪える間も無く吹き出した。
「待て待て。今の間はなんだよ。そこはきっぱり否定しろよ」
「ええ、そんな事言われたって、会いたいものは会いたいもん!」
「あ、こいつ開き直りやがったぞ」
呆れたようなカウリの言葉に、護衛の兵士達は、全員揃って同時に吹き出したのだった。
「あれ、まだ来てないんだ?」
いつもの自習室が空きの表示のままになっているのを見てレイは自分の受講票を出して先ずは自習室を借りた。
先に鞄を自習室に置いて、それから自分の本を探しに図書室へ向かった。
今日は天文学の授業がある日なので、もう少し予習をしておきたい。
暦の計算の問題集を取り、分厚い参考書も一緒に数冊まとめて積み上げて、自習室へ運んだ。
「お休みかな? 夜は夕食会に来てくれる事になってるから、もしかしたらお仕事が忙しいのかもね」
参考書に座ったシルフにそう言って笑いかけ、レイは自分の勉強を始めた。
黙々と計算問題を解いていると、ノックの音がして覗き窓からマークとキムの顔が見えた。
「ごめんよ、すっかり遅くなっちゃったよ」
「出掛けにちょっとやり残していた資料整理を終わらせようとしたら、なんだか全然終わらなくてさ。もう、本気で今日は訓練所へ行けないかと焦ったよ」
「構わないよ。お仕事ご苦労様。来てくれて嬉しいけど、無理はしないでね」
ノートから顔を上げたレイにそう言われて、二人は揃って苦笑いしていた。
実は、今夜も仕事を抜けるので、交代してもらった仲間の分も資料整理を引き受けていたのだ。
竜騎士隊本部付きの兵士達は、皆、何を最優先すべきか心得ている。なので、竜騎士達から直接お茶会や夕食会に招待される彼らの事も、ちゃんと理解して特別扱いしている
逆に、その特別扱いに慣れないマークとキムの方が、却って気を使ってしまい無理な仕事をしようとして疲れているのだ。
同僚達はそんな彼らに気付いているが、そのうち特別扱いにも慣れるだろう、程度にしか思っていない。
ギリギリまで勉強してから昼食に向かう。
降誕祭の期間中、何となく皆、言いたい事があるのに言えないよく分からない鬱屈のようなものを感じていたが、それもようやく解れてきたようで、食堂はいつもの賑わいを見せていた。
先に来ていたカウリは、既に食べ終えていたようで、レイの知らない年長の友人達とカナエ草のお茶を飲みながら談笑している。
レイの視線に気づいた彼が笑って手を上げ、レイもそれに応えてから料理を取る為にトレーを持って列に並んだ。
何でもない、こんないつもの日常がとても愛おしく嬉しいレイだった。
「おうおう、すっかり雪に埋もれちまったな」
呆れたようなガイの声に、一緒にいた者達も小さく吹き出した。
タガルノから送り届けた大地の三頭の子竜達は、無事に竜の保養所に届けられている。
しかし、その姿は一夜にして降り積もった雪の為に、大きな身体の半分近くを雪の中に埋もれてしまっていた。
「まあ、こうしていれば風も当たらないし、案外、雪の中って暖かいからな」
ガイはそう言って手袋をした右手を、そっと竜の額に当てた。
一瞬目を開いた子竜は、しかし自分を撫でているのが誰かを確認すると、安心したようですぐにまた目を閉じてしまった。
子供の大地の竜はじっとしていると大きな岩と変わらない。しかし、時折寝返りを打つ為、自然の岩とは区別出来る。
成長するに従って、体は更に巨大化して、一番大きな大地の竜は、竜の保養所の外れ、殆ど竜の背山脈との境の辺りにいる竜で、その大きさはこの国の守護竜である老竜フレアと変わらない程だ。
「まあ、無事に移動出来て良かったな。ここは安全だ。しっかり大きくなってくれよな」
優しいガイの声に、大きな三つの岩は、小さな音でそれぞれに喉を鳴らした。
「ロディナの連中に、こいつらの事って知らせなくて良いのか?」
「必要無いよ。この辺りは、ロディナの連中でも入ってこない森の深部だからな」
その深部へ易々と入り込んだ彼らは、改めて雪の中に埋まった竜達を眺めた。
「春になったらもう一度見に来よう。森の若葉が一斉に芽生え始める頃には、こいつらの身体にも苔が生えて花が咲くんだ。可愛いぞ」
一緒に来ていた若い連中は、大地の竜の事をあまりよく知らない。そのバザルトの言葉に、驚いたように雪に埋もれた竜を見た。
「ええ? 生きている竜の身体に苔が生えるんですか?」
「そうさ。なんなら春になったら大地の長老の所へ挨拶に行こう。春の長老のお姿は、そりゃあ素晴らしいんだぞ」
しみじみとそう言ったバザルトの言葉に、ガイも笑顔で頷いた。
「それなら、今からでも帰りに行かないか? 俺も長老にお会いするのは久し振りだし、キーゼルの事も報告しておきたいからな」
その言葉は、とても優しくて、バザルトは何も言わずに頷いて彼の背を叩いた。
「数日は、もうこれ以上は雪も降らないようだしな。確かに、キーゼルの事は知らせておくべきだろう。なら皆で行くとしよう」
頷いたガイに続いて、全員がラプトルに乗る。
「それではノーム達、子竜の事をよろしく頼むよ」
ガイの言葉に、雪の隙間からノーム達が姿を見せた。
『喜んでお世話致しますぞ』
『またのお越しをお待ちしております』
『次はどうぞ春にお越しください』
『新芽の季節の森は美しいですぞ』
「ああ、楽しみにしているよ。それじゃあな」
笑って手を振ると、六人の黒衣の者達は、バザルトを先頭に森の中に走り去って行ったのだった。
竜の保養所の奥地は、全く人の手が入っていない。
ここは蒼の森の深部と同じく、原始の森の姿を色濃く残している貴重な森なのだ。
彼らが茂みに分け入ると、茨の茂みが彼らを避けるように身をくねらせて道を開いた。
それは、この原始の森に受け入れられた者のみが入る事が出来る、隠された茨の道なのだ。
普通の人が仮に此処まで辿り着けたとしても、この開かない茨の茂みに阻まれて、大地の竜の長老の所へは絶対に行けないようになっている。
「また茂みが大きくなっているな」
笑ったガイが、そっと近くの茂みを手を伸ばして撫でると、まるでそれを喜ぶかのように茨の枝が身をくねらせて横に動いた。
「良いではないか。守りの茂みが大きくなるのは、長老がお元気な証拠だ」
バザルトがそう言って笑い、手前の茂みを乗り越えた。
「うわあ……これは凄い」
ガイの後ろにいた、ネブラと呼ばれている銀髪の若者が声を上げた。
彼らの目の前に有るのは、どう見ても巨大な一枚岩だった。上部は今は雪が積もっているが、数本の巨木が岩の隙間に根を下ろして、曲がりくねって枝を伸ばす幹を支えていた。
下側部分の岩の塊が僅かに動き、人の両手を広げてもまだ余る程の巨大な目が開いて彼らを映した。
「大地の竜たる長老にお目に掛かれて、我ら望外の喜び。新しき若木を連れてご挨拶に参りました。どうかひと時、我らと共にあられますように」
『久しいの……おや? あれがおらぬな』
岩が擦れるような低い声で、大地の竜の長老が口を開いた。
大地の竜の声を初めて聞いたネブラともう一人の若者は、驚きのあまり声も無い。
「長老、実は一つ報告があって参りました。キーゼルは……己が務めを見事に果たし、精霊王の御許へ旅立ちました」
バザルトの言葉に、大地の竜は僅かに身じろいだ。
『なんと……なんと悲しき事か……我が友がまた一人、我を置いて逝ってしもうた……』
大きな瞳が、ゆっくりと閉じられる。
「彼は、時の繭を見事に閉じてみせました。タガルノに巣食う、あの闇の片腕を落としてみせたのです」
ガイの言葉にもう一度僅かに身じろいだ。
『おお……時の繭、とな……精霊達が、大騒ぎをしておったのは、そのせいか……それは、見事なり。さすがは、我が友じゃ……少し前より……彼の地に、何やら慕わしい気配を感じて……不思議に、思っておったのじゃ……そうか……そうか……あの気配は、彼、だったのか……』
最後はもう、呟くような小さな声になり、目を閉じた長老は、またしても動かぬ岩と同化してしまった。
「春になればまた参ります。どうかそれまで御心が安らかであられますように」
「聖なる大地を守りしお方よ。我らは常にお側におります。どうか今は安らかにお休みください」
バザルトとガイがそう言って跪き、両手を握りしめて深々と頭を下げた。後ろの者達もそれに倣う。
しばらくの沈黙の後、六人はゆっくりと立ち上がった。
「では、一旦タガルノへ戻るとしよう。このまま森沿いに国境を抜けるぞ」
国境の砦のある切り開かれた場所では無く、彼らが進むのは鬱蒼と生い茂る国境の端にある森の中だ。
当然、普通の者達には入る事すら出来ない。
巨大な木々が密集し、その足元は茨の茂みと鋼のごとき硬さの絡まり合った蔓が支配する深き森だ。
しかし、それらは彼らにとって我が家も同然の親しき森なのだ。
その国境の森を前に、顔を上げたガイは鞍上で大きく伸びをした。
「降誕祭も今日で終わりだな。どうやら今年は大きな戦いも無く、なんとか無事に終わってくれそうだな」
ガイの言葉に、皆も笑顔で頷いた。
波乱続きだった去年とは打って変わって、今年はまあ色々あったが何とか平穏無事に過ぎてくれそうな気配だった。
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