降誕祭のツリーと始まりの歌
「おや、間違いが三つもある。どうしたんですか? そんなに難しかったですか?」
最近すっかり得意科目になった数学の定期試験で、レイはその日、三つも間違いを出してしまったのだ。満点続きだっただけに、教授が心配するのも当然だろう。
その原因が、授業が終わって見に行く予定の、降誕祭の始まりの歌が楽しみで気もそぞろだったと言う事は、絶対に内緒だ。
「えっと、ちょっと疲れてて計算式が頭の中で混乱しちゃったみたいです」
恥ずかしそうに小さくなるレイを見て、教授も苦笑いしていた。
「まあ、これからはもっと色々と忙しくなるでしょうから無理はしないでくださいね。ここでの勉強は、あくまでも貴方の知識を増やしてもらう事が目的ですからね」
「はい、気をつけます」
申し訳なくなって、レイは間違っていた問題だけをもう一度解き直して、間違っていないか見てもらってから授業を終えた。
「ありがとうございました」
教授にお礼を言って、大急ぎで机の上を片付けて鞄に詰め込んだ。廊下に出ると、もう三人とも揃って待っていてくれた。
「お待たせしました!」
慌てて謝ると、カウリに頭を突っつかれた。
「定期試験だったんだろう? もしかしてなんかやらかした?」
「えっと、ちょっと計算問題が大混乱しちゃって、答え合わせに時間が掛かりました」
「ええ、珍しい。ってか、それなら連続満点記録更新ならずかよ」
キムの言葉に、レイは小さく頷いて舌を出した。
「数学って、やっぱり難しいよね」
「お前にそれを言われたら、俺達全員何も言えないって」
苦笑いするカウリを見て、レイは大きく伸びをした。
「えっと、まだ間に合うよね? 待たせてごめんなさい。早く行こうよ」
レイの言葉に、三人も笑って頷き一旦外に出た。
「ここのツリーも立派なんだな」
中庭のツリーを見て立ち止まったカウリが、感心したようにそう呟く。
「そうだね、あれも山から切り出して来て荷馬車で運んでくるんでしょう?」
「もちろん。ああ、あいつら、今年は上手く振り分け出来たかな」
心配そうに小さく呟いたカウリの言葉に、レイは昨日聞いた話を思い出した。
あの飾りも全部ツリーごとに番号が振られていて箱詰めされて倉庫で管理されているのだと。
急にカウリ伍長がいなくなり、第六班の皆はちゃんとお仕事が出来ているんだろうか。今月中にはチェルシー上等兵も本部へ移動してくると聞いている。
「第六班って、人が少なくなっちゃうよね。大丈夫なのかな?」
思わずそう呟くと、横目でレイを見たカウリは小さく笑った。
「まあ、その辺は少佐が考えてくれるだろうさ。他の部署から移動して来てもらうか、いっそどこか別の街の部隊から、倉庫管理に慣れた奴を寄越してもらうかだな。申し訳ないけど、これはもう少佐を信じて任せるより無いって」
背中を叩かれ、レイも頷いてついて行った。
ツリーの下では、現れたノーム達が帰って行く彼らを見送っていたのだった。
ラプトルに乗った四人は、暮れ始めた空の下を塀沿いに進み、大急ぎでお城の正面横にある通用口へ向かった。
城の入り口でラプトルを預けて木札を受け取り、身分証を門にいた兵士に見せてからそのまま中に入る。
見覚えのある中庭に、去年と変わらない立派なツリーが飾られていた。
「うわあ、やっぱりあのツリーって凄え。高さが城の四階辺りまであるな」
感心したようなカウリの声に、レイは嬉しくなって頷いた。
「去年のも、あれくらいあったよ。本当に凄いよね」
中庭は、もう見学に来た者達でいっぱいになっていた。全体に一般兵の姿が多いが、騎士見習いの服を着た者も多い。
なんとなく周りを見回していたレイは、不意に少し前に立っている大柄な人に気付いて目を見張った
「あれ? あそこにいるのって……」
少し離れた場所にいるその見覚えのある後ろ姿を確認して、レイは思わずカウリの袖を引っ張った。
「ん? どうした?」
「あれ、ロリー曹長じゃない? あ、隣にルフリー上等兵もいるよ。あ! ねえ、チェルシー上等兵もいるよ」
レイが指差す方向には、懐かしい第六班の面々が全員揃って並んでいた。クリスは埋もれてしまって見えないが、恐らく一緒にいるのだろう。そしてチェルシーの横には、第五班の彼女と仲の良い女性の姿も見えた。
「えっと、カウリの結婚の事って……」
小さな声でそう聞くと、笑って首を振るカウリを見てレイは声をかけるべきかどうか考えてしまった。
今の自分は騎士見習いの服を着ているから、もし見つかっても大丈夫だとは思うが、それなら逆に、竜騎士見習いのカウリと一緒にいる理由を聞かれそうだ。
困ってカウリを振り返ると彼が笑ってもう一度首を振った。
レイは頷いて少し下がろうとしたが、しかし、後ろからどんどん入ってくる人波に押されて、とうとう彼らのすぐ近くまで来てしまった。
無言で慌てるレイと違って、カウリは平然としている。
レイの前には、年配の男性達の団体がいるだけで、そのすぐ前に第六班の皆が横に並んでいるのに。
「どうしたんだ?」
隣にいたマークの声に、レイは無言で首を振った。
前にいる彼らに気付かれずに、マーク達に今の状況を詳しく説明出来る自信は無かった。
そろそろ完全に日が暮れて周りはすっかり暗くなっている。
去年と同じく、広場に灯された明かりの数は少ない為とても暗い。これなら気付かれずにすみそうだ。
「そろそろ始まるかな」
カウリの声に、レイも慌てて前を向いた。
ツリーの奥から、第二部隊の兵士達が出て来て、ツリーの周りの人をもう少し下がらせているのが見えた。皆、おとなしく下がって来たので、レイも少し後ろに下がった。
騒めいていた広場が、一瞬で水を打ったように静まり返った。
広くなったツリーの前に、マイリーとルーク、タドラの三人がいつもの白い制服を着て現れた。去年は気づかなかったが、あれは第一礼装だ。
彼らの後ろにはお揃いの服とマントを羽織った男女の若者達が大勢出て来た。皆の手には、見覚えのあるミスリルの鈴の付いた笏もあった。それから、第四部隊の制服を着た兵士が数名、ツリーの周りに揃って立った。
「これこれ、第四部隊の奴なら、皆思ってるよ、いつか絶対やりたって!」
「確かに俺もやってみたい!」
キムとマークの声に、カウリとレイは小さく吹き出した。
「まあ気持ちは分かるな。確かに気分は良さそうだ」
何度も頷きながらそういうカウリの目は、少し前にいるチェルシーの後頭部を見つめていた。
第四部隊の兵士が揃って指を鳴らすと、一斉にツリーに飾られていた小さなランタンに火が灯る。
大歓声と拍手が沸き起こった。
「精霊王に祝福を」
「精霊王に祝福を」
「我、ここにめでたき生誕の祭りの始まりを告げる者なり」
ルークとタドラの張りのある声が中庭いっぱいに響いた後、続いてマイリーが朗々と響く大きな声でそう告げたのだった。
それから、三人が揃ってミスリルの剣を半分ほど引き抜き、一気に音を立てて鞘に戻した。聖なる火花が散り、一斉に精霊達が大喜びするのがレイの目には見えた。
それを合図に、背後に並んだ若者達がミスリルの鈴の付いた笏をゆっくりと振りながら、精霊王の生誕を祝う歌を歌い始める。
ルークとタドラ、マイリーの三人も揃って歌い始めた。
やや低いルークとマイリーの声と、少し高めのタドラの声は、揃うととても美しく響く。
そこに男女混成合唱団の透き通るような歌声が寄り添い、音に合わせて優しく打ち振られるミスリルの鈴の音が、美しい音を立てて響いた。
中庭の広場いっぱいに響く美しいその歌声に、レイはただ陶然と聞き惚れた。
確かに、去年の近くにいた人達が言っていた通りだった。マイリーの歌う声は優しい。
普段の厳しい声とは全く違う。低いその声は、全てを包み込むような優しさに満ちていた。
「いつ聞いてもマイリー……様の声は素晴らしいな」
うっかり呼び捨てにしそうになって、カウリが慌てて様を付ける。
「本当にそうだよね。ずっと聞いていたい」
「俺も、ずっと聞いていたい」
「俺も!」
隣にいたマークとキムの言葉に、四人揃って楽しそうに笑い合った。
歌い終わった三人が退場するまで、その場にいた人々は誰も動こうとしない。
マイリー達に続いて合唱隊の若者達が整列して退場し、最後に第二部隊の兵士達が揃って一礼してから去って行った。
一気に広場に騒めきが戻る。
マイリーの補助具の事は城では有名だが、実際に見た事がある人は限られている。こう言った祭事の際ぐらいしか竜騎士が一般の人達の目の前に出てくる事は無いので、マイリーの補助具を始めて見た人達は、一斉にその事を話していた。
「本当に普通に歩いておられたな」
「聞くところによると、お祈りの際には、他の皆と同じようにしゃがんで片膝をついて、そのまま立ち上がれるって聞いたぞ」
「ええ? 冗談だろう?」
「俺は、走れるって聞いた事があるぞ」
「ええ?」
あちこちでそんな声が聞こえて、レイとカウリは顔を見合わせて笑い合った。
そのまま静かに後ろに下がって出て行こうとした時、後ろからルフリー上等兵の声が聞こえた。
「あれ? あの赤毛ってレイルズじゃ無いか?」
「あ、本当ですね。確かにそう言われればそうかも」
同意するケイタム上等兵の声も聞こえて、レイは無言で慌てていた。
「そうかしら? 彼はもう少し小さかったと思うけどね?」
恐らく気付いているのだろう、否定するチェルシーの声が聞こえて、ロリー曹長が頷きながらルフリーの背中を叩いている音も聞こえた。
「確かに、彼の赤毛はもっと赤かった気がするぞ 。それに服が違うじゃ無いか。あの人は騎士見習いの服を着ているぞ」
「ああ、確かにそうですね。いえ、もしかして……ほら、訳ありだって事だったから詳しくは聞かなかったけど、貴族なのに一般兵扱いでしかも二等兵だったでしょう。だけどあいつは本当に良い奴だったからさ。もしかして、ご家族に認められて騎士見習いになれたのかなって思ったんです」
「そうだと良いな。確かにあいつは使える奴だったからな」
「あいつならきっとどこへ行っても可愛がってもらえるよ」
「だよな。あのデカい図体だった癖に、妙に可愛かったからな」
「確かに可愛かった」
「そうね、確かに可愛かったわ」
「こんなデカい奴捕まえて、可愛いは無いと思うよ!」
我慢出来なくなり、思わず振り返って叫んだレイを見て、咄嗟にカウリはその場から離れた。マークとキムがカウリを無言で隠して人の中に埋もれさせた。
「ええ? 本当にレイルズかよ!」
第六班の全員揃っての叫びに、レイは思わず天を仰いだのだった。
「ええと、皆……お久し振りです」
呆気にとられる第六班の視線が痛い。
とりあえず笑って誤魔化してみたが、その直後にルフリー上等兵とケイタム二等兵に両手を取られた。ジョエル二等兵とクリス二等兵も嬉しそうに駆け寄って来て腕や背中を叩いてくれた。
「なあ。その服を着ているって事は、認めてもらえたんだな」
「ええと……」
何と答えようかと内心パニックになっていると、目の前に、ニコスのシルフが現れた。
『まだ見習い期間中だよ』
『そう言えば良いわ』
「えっと……まだ、見習い期間中だよ」
小さな声でそう言うと、誤魔化すように笑って首を振った。
「今、まさにお前の噂をしていたんだよ。ああ違うな、あなたの噂をしていたところです」
満面の笑みのルフリー上等兵にそう言われて、レイは嘘を付いている自分が少し悲しかった。
「ありがとう、元気でやっているよ。えっと、ごめんね、人を待たせているからもう行くね。皆もお仕事頑張ってください!」
少し大きな声でそう言うと、皆笑って手を離してくれた。
「それじゃあね」
もう一度そう言って、急いで皆から離れてそのまま外へ出た。
早足でラプトルを預けている場所まで行くと、呆れたようにこっちを見る三人と目が合った。
「お前なあ。本当に潜入捜査に致命的に向いてない奴だな」
口元を覆ったカウリにそう言われて、レイは無言で彼の腕に掴まった。
「だって! 知らん振りなんて出来ないよ」
「それをやらないと、お前……生きにくいぞ」
カウリの言葉に意味が分からなくて顔を上げたが、隣ではマークとキムが小さく吹き出して必死になって頷いて笑いを堪えている。
「確かにレイルズは、もう少し上手く嘘をつく事を覚えないとな」
「それから、知らん顔をして聞き流して誤魔化す術も身に付けないとな」
「そうだな、グラントリーに確認しておくよ、その辺りの教育はどうなってるのかってな」
大真面目なカウリの言葉に、もう一度二人が吹き出しそのまま崩れ落ちた。
「駄目だ。笑い過ぎで腹が痛い……」
「俺も、いやあ面白いものを見せてもらったな」
「皆酷いよ! ちょっとくらい助けてくれても良いのに、僕を置いて逃げたね!」
レイも込み上げる笑いを我慢出来なくなって、今度は立ち上がったマークの腕に縋り付いてそう叫んだ。
「いやだって、この場合最大に守らなけりゃならないのは、カウリの方だろうが。彼らはカウリの身分を知ってるんだから、あの場に彼がいるのを知られるのはまずいんだって」
「まあ、それは分かるけどさあ」
口を尖らせるレイを見て、三人はもう一度吹き出す。
『全く、見ていてどうなる事かと思ったぞ。まあ、騒ぎにならなくて良かったな』
不意に現れた呆れたようなブルーのシルフの言葉に、今度は四人揃って吹き出したのだった。
「ほら、とっとと帰るぞ」
少し離れたところに、いつもの護衛に兵士達が待ってくれているのを見て、カウリがレイの背中を叩いた。
そのまま全員揃って、とにかく本部へ戻ったのだった。
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