祝福とからかい

「それじゃあ、明日の予定を確認したらシルフを飛ばすね」

「おお、よろしくな」

 見送ってくれるガンディとニーカ、クラウディアの三人に手を振り、レイはまた歩いて本部へ戻って行った。

「はあ、もう本当に恥ずかしくて死ぬかと思ったよ」

 歩きながら、俯いて思わず呟いた。

『大丈夫だよ。恥ずかしくて死ぬ人はいない』

 目の前に現れたニコスのシルフに話しかけられて、レイは小さく吹き出した。

「わかってるよ。えっと、これは比喩。例え話! 死ぬくらい恥ずかしかった!……って意味なんだと思うよ、多分」

『待て、なんだその自信なさげな物言いは』

 肩に現れたシルフがブルーの声でそう言って笑った。

「えっと、今読んでるお話に出てきた言い方だよ。恥ずかしくて死ぬかと思った!って。別に戦いがあったわけでも無いし、死ぬような場面じゃ無かったから、ちょっと考えてみたの。そうしたら、そうなのかなって思ったんだ。でも、さっきの僕の気持ちを表すなら、この表現がぴったりだって思ったから、言って見ただけ」

 照れたようにそう言って、また耳まで真っ赤になって顔を覆った。

「そう言えばこれ、まだ外しちゃ駄目なのかな」

 朝、転んだ辺りに来た時、思わず鼻に貼ってある湿布を抑えて笑った。

『よく似合ってるぞ』

「からかわないでブルー! 僕は今、色々と疲れてるから……苛めると泣くよ」

『それは大変だな、ではからかうのはやめにするか』

 面白そうにそう言って、そっと頬にキスを贈った。

『おめでとう、レイ。想いが成就したな』

「まさか、受け取ってくれるとは思わなかったけど、うん……素直に嬉しかったよ。これから先、どうなるかなんて分からないけど、彼女を大切にするよ」

『其方達の未来に幸あれ』

 ブルーのシルフは厳かな声でそう言うと、もう一度レイの頬にキスを贈り、笑って手を振っていなくなった。

「でもブルーも大好きだからね!」

 シルフのいた場所に向かってそう言うと、顔を上げて、朝転んだ場所をゆっくりと跨いだ。



「おかえりなさい……ええ! 一体どうなさったんですか!その鼻は!」

 竜騎士隊の本部に入ったところで、出迎えてくれたラスティがいて、彼の顔を見るなり驚いたようにそう叫んだ。

「あはは。大丈夫です。全然大した事無いです。えっと、朝ちょっと転んだの。そうしたらガンディにこんなことされちゃって」

 照れたようにそう言って鼻を隠すようにして笑う彼を見て、ラスティは困ったようにもう一度その顔を見た。それからそっと手を出して、鼻に貼った湿布に触れた。

「まだしっかりとくっついていますね。後ほどハン先生に取っても良いかどうか確認します」

「ガンディは、日に当たらないようにする為だって言ってたよ」

「それなら恐らく、もう外しても大丈夫だと思いますが……鼻血は出なかったですか?」

「大丈夫、ちょっと赤くなっただけだって」

 話しながら廊下を歩いていると、ちょうど部屋から出てきたロベリオと出会った。

「おう、おかえり……それ、何があったか聞いて良い?」

 ロベリオも面白そうに、レイの鼻を見て笑いを堪えている。

「ちょっと転んだの。そうしたらガンディにこんな事されたの」

 そう答えて舌を出すレイを見て、ロベリオは堪えきれずに吹き出した。

「どうしたのかと思ったけど、ガンディが診てるんなら心配いらないね」

 背中を叩かれて並んで歩き、一旦部屋の前で別れた。

「夕食は皆で一緒に行くから後でな」

「分かりました、それじゃあ後でね」

 休憩室へ行くロベリオを見送って、レイとラスティは一旦部屋に入った。



「はあ、疲れた一日だった」

 剣と剣帯を外しもせずに、ソファーに座ってそのまま転がったレイを見て、ラスティは驚いたように目を瞬いた。

 朝はベッドに飛び込んでいたし、今度はソファーに転がっている。ようやくラスティがいても、室内なら気分のままに自然に振る舞えるようになってきたようだ。

「大丈夫ですか? また何かありましたか?」

 着替えを手にしたまま心配そうに覗き込むと、目を開けたレイは小さく笑った。

「大丈夫だよ、でも、何だか色んな事があってもう頭の中はいっぱいなの」

 彼の護衛に付けていた者達からの報告はまだ聞いていないが、何か緊急の問題があれば即連絡が来ているはずだ。それが無いと言う事は、特に問題が起こった話ではないようだ。恐らく、花束の件だろう。

「大丈夫なら、まずは起きて手を洗ってきてください。まだ夕食まで少しお時間がありますから、どうなさいますか? 殿下とマイリー様以外の皆様は休憩室におられますよ」

「殿下とマイリーはいないの?」

「はい。殿下とマイリー様は、今日は一度も城から戻られていませんね。他の皆様も、戻られたのはつい先程ですよ」

 起き上がってずれた剣帯を直しながら、レイは立ち上がった。

「皆忙しそうだね。じゃあ僕もちょっと休憩室へ行って来ます」

 そう言って手を振って、洗面所で手を洗ってから足早に部屋を出て行った。

「レイルズ様、今休憩室へいったら……今日あった事を洗いざらい全部言わされますよ」

 何となく、彼の顔が浮かれているのに気付いていたラスティは、彼が出て行ってからわざわざそう言って小さく吹き出した。



「おかえり。どうだった? 花祭りを見に行ったんだろう?」

 扉を開けて中を覗くと、若竜三人組は陣取り盤を前にして遊んでいるし、ルークとヴィゴも、同じく陣取り盤を前に対戦しているようだった。

 扉が開いた事に気付いたルークが、陣取り盤を見つめていた顔を上げながらそう尋ねた。

「ただいま帰りました。うん、ガンディも一緒に彼女達と花祭りの会場へ行って来たよ」

 ルークの声に応えて休憩室の椅子に座ったレイを見た全員が、ほとんど同時に吹き出した。

「ちょ……お前、どうしたんだよ、その鼻!」

 振り返ったルークの言葉に、レイは恥ずかしそうに笑って舌を出した。

「えっと、ちょっと転んだの。それで、ガンディに診てもらってこんな事されたの。でももう全然痛くないから大丈夫だよ」

「でもまあ、ガンディに診てもらっているのなら心配いらんな」

 顔を上げたヴィゴにそう言われて、レイは元気に返事をした。

「あ、ヴィゴ、明日彼女達もご一緒させていただきますってさ」

 それを聞いたヴィゴは笑って頷いた。

「おお、それは何よりだ。待っているぞ。娘達も楽しみにしているからな」

「えっと、それで明日は何時頃に行けば良いですか?」

「昼食をご一緒しようと思うから、昼の少し前に来てくれれば良い。どうする? 迎えの馬車を寄こそうか?」

「えっと、どうなんだろう?」

 首を傾げるレイを見て、ヴィゴは小さく笑って顔を上げた。

「シルフ、ガンディは今何をしておる? 呼んでも大丈夫か?」

『会議室で難しい症例について話している』

『いっぱい話してる』

「それなら今呼ぶのは不味いな。では会議が終わったら呼んでくれるか?」

『了解了解』

 頷いてくるりと回っていなくなったシルフを見送り、ヴィゴはレイを見た。

「その辺りは、後ほどガンディと打ち合わせておくから、決まったらラスティに伝えておく」

「分かりました。よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げると、タドラが入れてくれたお茶を受け取ってロベリオの横に座った。お茶を置いて陣取り盤を覗き込む。

 しかし、盤の上の駒はバラバラで、陣形が全く出来ていなかった。

「あれ? 何してるの?」

 今からするところなのかと思ったが、そうでもないようだ。第一、いつも使っている攻略本が無い。

 不思議に思いロベリオの顔を見ると、彼はニンマリと笑った。

「それでは、今から尋問時間と致します。皆様、お集りください」

 事態を悟って逃げようとした瞬間、背後からルークに胴体を羽交い締めにされ、タドラとユージンに両側から肩を組んで完全に確保されてしまった。

「では質問を開始します。で、どうだったんだ? 花は確保出来たのか?」

 満面の笑みのロベリオに顔を寄せてそう聞かれ、レイは必死になって首を振った。

 しかし、その顔は既に真っ赤になっていて、花撒きの結果は、誰の目にも一目瞭然だった。

「やだー! 絶対言いません!」

「言え! 素直に全部言わないと、くすぐりの刑だぞー!」

 目の前で指を開いて笑いながらロベリオが言い、態とらしく悲鳴をあげたレイが逃げようとして果たせず、思いっきり脇腹を擽られてまた悲鳴をあげるのをヴィゴは横で見ながら堪えきれずに吹き出したのだった。



『宝物の花束』

『ディアはご機嫌』

『素敵な恋は成就したのよ』

『恋は素敵』

『可愛い恋』


 その時、呼びもしないのに何人ものシルフ達が現れて、レイの頭の上で丸く輪になって手を取り合ってそう言って歌いながら踊り始めた。

「へえ、そうなんだ」

 皆、それを見上げて笑っている。

 ルークの腕の拘束が緩んだ事に気付いたレイは、そっと抜け出そうとした。

 しかし、次の彼女達が歌う言葉に、レイは堪えきれずに悲鳴を上げた。


『恋は素敵』

『恋は素敵』

『甘いキス』

『素敵なキス』

『可愛い二人に祝福を』

『素敵な恋に祝福を!』


「こら待て!絶対逃すもんか!』

 笑ってそう叫んだ再びルークが力一杯締め上げ。両側からの拘束も力がこもった。

「やだー! 絶対言いません!」

 捕まったまま笑ってそう叫ぶレイを見て、シルフ達は手を叩いて大喜びしていた。




 ようやく拘束から解放されたレイは、すっかりぐちゃぐちゃになった服を直しながら、照れたように笑った。

「自力で確保した花束を、ちゃんと受け取ってくれたよ。大事にするって言ってくれた」

 真っ赤な顔をしてそれでも胸を張る彼を見て。若竜三人組とルークは笑顔になった。

「良かったな。彼女の事、大事にしろよ」

「おめでとう。しっかり頑張れよ」

「何かあったらいつでも相談しろよな」

「良かったね」

 皆から祝福されて、嬉しそうに笑うレイを、ヴィゴは少し離れたところから何か言いたげに黙って見つめていた。

「さて、そろそろ食事に行くか」

 立ち上がったヴィゴに続いて、全員が休憩室を後にしたのだった。



 食事の後、改めて休憩室に戻ってからも、若竜三人組はレイを囲んで話に花を咲かせていた。話の内容は、主にロベリオとユージンの恋の武勇伝について。

 好き勝手に話をしては無邪気に笑う彼らを見て、ヴィゴは小さくため息を吐いた。

 正直言って、まさかこんなにも早く彼の恋が成就するとは思わなかった。

 しかしこうなると、彼にはまた別の心配が出てくる。

「シルフ、マイリーはまだ戻らないか?」

 小さな声でシルフに尋ねると、彼女は首を振った。

『さっき部屋に戻った』

「食事は?」

『お城でお客様と一緒に食べてた』

「そうか、それなら良い」

 そう言って立ち上がった。

「では俺は少し早いが休ませてもらう。レイルズ。明日は待っているから彼女達と一緒に来るんだぞ」

「はい、よろしくお願いします」

 真っ赤な顔を上げて嬉しそうに笑うレイを見て、ヴィゴも笑顔になった。

「ではお休み。お前達も適当に休めよ」

 そう言って出て行く後ろ姿を見送り、彼らの隣に座っていたルークは何か言いたげだったが、小さく首を振って黙ってそのままお茶を口にした。





「マイリー、いるか?」

 彼の部屋をノックしたヴィゴは、出て来た彼の世話役のアーノックに案内されて部屋に入った。

 マイリーは既に補助具を外していて、何故か大きなソファーに横になっていた。その足元にいるのは、ハン先生と衛生兵が二人。

「どうした? 何故ハン先生がここに?」

 思わず駆け寄り、覗き込んでそう尋ねた。しかし、マイリーは部屋着のままで、何か治療したような様子も無い。

「どうした、こんな時間に?」

 それには答えず、マイリーが上半身を起こして笑いながら、逆にそう尋ねた。

「ああ、久しぶりに一杯やろうかと思ってな」

 左手に持っていた年代物のウイスキーの瓶を見せる。

「おお、それは良いな。アーノック、何かつまみになるものを頼めるか。ハン先生ありがとうございます。もう大丈夫ですよ」

 衛生兵が立ち上がって車椅子を寄せて、二人掛かりでマイリーの両腕を取り支えて車椅子に座らせた。

「ありがとうございます」

 お礼を言うマイリーに一礼すると、衛生兵はヴィゴにも一礼して部屋を出て行った。

「それでは私も失礼しますね。あまり深酒はしないように。まあ、あなた方には無駄な忠告でしょうけれどね」

 そう言って笑って立ち上がったハン先生も、ヴィゴの腕を叩いてそのまま部屋を出て行ってしまった。



「何そんなところに突っ立ってるんだよ、ほら、座れよ」

 自分で車椅子を動かし、マイリーは机の横に車椅子をつけた。

 この部屋の床には、車椅子を楽に動かせるように他の部屋のような絨毯が敷かれていない。

 石の床を見つめていたヴィゴは、顔を上げてとにかく彼の向かい側に座った。

「失礼します」

 アーノックが、ワゴンに乗せて持って来たおつまみとグラスを手早く机の上に用意するのを、二人は黙って見ていた。

「では、失礼いたします。何かありましたら隣におりますのでお声をかけてください」

 そう言って一礼すると、続きになった隣の部屋に下がった。

 それを黙って見送ると、ヴィゴはマイリーを見た。

「話があったんだが、その前に確認だ。何故ハン先生がこんな時間にここにいたのだ? しかも衛生兵と一緒に」

 彼を見たマイリーは、困ったように笑った。

「別に大した事じゃない……って言っても信じないって顔だな」

 無言のまま自分を見つめるヴィゴに、マイリーは笑って自分の左足を見た。

「一日補助具を使って立っていると、どうしても鬱血して足が浮腫むくむんだよ。それで、寝る前に、いつも来てもらってマッサージを頼んでいる。今日は少し痛みがあったので、ハン先生にも来てもらったんだよ」

 初めて聞く話に、ヴィゴは目を見開いた。

「いつからだそれは……」

「まあ、どうしても無理してるからな。診てもらったら怪我の跡の部分に少し腫れもあるらしい。明日、朝一番でモルトナとロッカに頼んで、腫れている部分に当たらないようにベルトの位置を調整してもらうよ」

 そう言うと、マイリーは勝手にヴィゴが持って来たウイスキーの瓶を開け、氷を落としたグラスにゆっくりと注いだ。水の精霊達が作ってくれたその氷は、透き通って綺麗な光を放っている。

「俺の事は良いよ。それより何か話があったんだろう? 聞くよ、今度は何だ?」

 差し出されたグラスを受け取り、二人は揃ってそれを上げた。

「精霊王に感謝と祝福を」

 声を揃えてそう言うと、ゆっくりとグラスに口をつけた。



 グラスを置いて大きくため息を吐いたヴィゴを、マイリーは黙って見つめていた。

「改めてお前に聞きたい。レイルズとあの巫女の件だ」

「……相変わらずだな。前置きも無しにいきなりそう来るか」

「俺はお前と違って、回りくどいのは苦手でな」

 それを聞いたマイリーは声も無く笑うと、もう一口酒を口にして、手にしたグラスをゆっくりと回してから机に戻した。

「お前の心配も言いたい事も分かるよ。確かに、これは大問題だ」

 二人が無言で見つめるその先では、胡桃の殻に座ったシルフが、不安げに彼らを見つめていた。

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