朝練と痛み

 その夜は聞いていた通り、誰も兵舎に戻ってこなかった。

 ガンディを見送った後、寂しかったが我慢して湯を使って温まると、いつもより少し早めにベッドに潜り込んだ。

 ラスティが暖炉の火を落として部屋の明かりを消してくれる。

「それではおやすみなさい。明日も貴方に蒼竜様の守りがありますように」

 額にキスされて、彼の頬にキスを返す。

「おやすみなさい。ラスティにもブルーの守りがありますように」

 顔を見合わせて笑うと、毛布の中に潜り込み、扉の閉まる音がするまでそのままじっとしていた。



 ベッドの毛布の間には、お湯を入れた金属製の平べったい瓶が入れられていて、それ自体も柔らかなフェルト生地で包まれている。毛布の中だと中に入っているお湯がなかなか冷めないので一晩中とても暖かいのだ。初めて見た時にはとても驚いたが、これがあると朝まで足元が暖かくて快適なのだ。

 聞くところによるとこれもドワーフの技で、角の無い滑らかな楕円形の形と、水が漏れないようにしっかりと閉まる蓋を作るのがすごい技術なんだと教えられた。

 石のお家は、冬場はどうしてもある程度は冷え込む。特にベッドの中はひんやりとしていて、眠る時に暖まるまで、いつも寒い思いをしていたのだ。

 この湯たんぽと呼ばれる道具は、レイの寝る時の必需品になっていた。

「これって、どこかで売ってるのかな? 森のお家の夜は寒いから、売っているなら皆に送ってあげたいな」

 ふと思い付いたその案は、とても良い事に思えた。

「よし、明日にでも聞いてみよう! えっと、でも誰に聞くのが良いんだろう? ラスティ? それともロッカかな?」

 取り敢えず、明日まずはラスティに聞いて見る事にした。



「ブルー、いる?」

 小さな声で話しかけると、枕元にシルフが現れて応えてくれた。

『ここにいるぞ』

 嬉しくなって、シルフに向かって笑いかける。

「マイリー、上手くいったみたいだね。良かった……せっかく作ったのに、駄目だったらどうしようかって思ってたもん」

 小さな声でそう呟くと、シルフはすぐ側まで来て頬にキスしてくれた。

『心配はいらぬ。其方は安心して休みなさい』

「うん、今日お城で見たツリー、ものすごく大きくてびっくりしたよ。ツリーに、ニコスが作ってくれたみたいな柊とセージの飾りがあったの。あれからもう、一年になるんだね……」

 そう呟いてぼんやりと天井を見上げていると、不意に視界に何人ものシルフや光の精霊達が現れた。


『大丈夫』

『大丈夫』

『我らが守るよ』

『守るよ守るよ』


 くるりくるりと飛び回りながら、皆口々にそう言ってくれた。

「ありがとう、大好きだよみんな。これからもよろしくね。それじゃあ……おやすみブルー、また明日ね。シルフ、いつもの時間に起こしてね。僕は一人でもちゃんと朝練に行くよ……」

 すぐに穏やかな寝息を立て始めたレイの周りは、シルフやウィスプ達が、消える事もなく楽しそうに、眠るその姿をいつまでも見守っていた。






 翌朝、いつもの時間にシルフ達に起こされたレイは、身支度を整えるとラスティと一緒にいつもの朝練の訓練所に向かった。

 第二部隊の兵士達が何人もいるので、誰かに頼んで手合わせをしてもらうつもりだったのだ。

 しかし驚いた事に、そこにはルークとロベリオ達若竜三人組が先にいて、柔軟体操を始めていたのだ。

「おう、おはようさん。今日は来ないかと思ってたよ」

 ルークが、顔を上げて笑って手を振っている。

「おはよう。偉いぞ、ちゃんと真面目に起きて来たな」

 同じく柔軟をしていて顔を上げたロベリオが嬉しそうに手を上げてくれる。ユージンとタドラも笑顔で順番に挨拶してくれた。

「おはようございます。皆、お城じゃ無かったの?」

 ルークの隣に座って柔軟体操を始める。

「勿論、朝練が終わったらまた城に戻るよ。一日中じっとしてると身体が鈍るからね。朝は俺達は特にする事もないからこっちに来たんだよ」

「良かった。誰に手合わせを頼もうか考えてたの」

 嬉しそうに笑うレイに、タドラ以外の三人はニンマリと悪そうな笑みを浮かべた。

「もう、ヴィゴにやられた打ち身は治ったんだろう? 折角だから、この面子で乱打戦やってみないか?」

「勿論、俺達も防具は付けるよ」

 思ってもみなかった提案に、よく考えもせずにレイは即答した。

「お願いします!」

 目を輝かせるレイを見て、三人は揃って立ち上がった。何か言いたそうにしていたタドラだったが、レイに手を引かれて彼も立ち上がって、自分の防具と棒を取りに行った。



「おい……生きてるか?」

「ちょっとやりすぎたかな?」

「おーい、帰って来いよー」

「だからいくら何でもまだ早いって、僕は言ったのに」

 タドラの怒ったような声に、三人は苦笑いしている。

 乱打戦の終わった彼らの足元には、完全に叩きのめされて目を回しているレイが転がっていた。

「一応手加減はしたぞ」

「そうだよ。本気でやったら骨が折れてるって」

「そうそう、一応打ち身だけだろ……」

 言い訳をしている三人をもう一度呆れたように見たタドラは、ようやく目を開けたレイルズの額を叩いた。

「大丈夫かい? 今、ハン先生を呼んでもらってるから、まだ起きちゃ駄目だよ」

「えへへ。皆、すごいや……全然敵わなかった」

 一対一ならある程度は打ち合えるようになったと思っていたが、タドラがどうにか味方してくれたとは言っても三対二、気が付いた時にはまともに食らって床に叩きつけられていた。

「まあ、それでもある程度は打ち合えてたからな。大したもんだよ」

 慰めるようなルークの言葉に、レイは転がったまま笑った。

 身体中痛いし、体は全く動かなくて起き上がれなかったけれど、皆が手加減してくれているとは言え正面から相手をしてくれた事が嬉しかったのだ。

「おやおや。四対一は幾ら何でも可哀想なのでは?」

 ハン先生の声がして、立っていた四人が振り返った。

「一応、三対二になったんですけどね」

「まあ、一応配慮はしたって事ですか? ですがまだ、貴方達との腕前の差から言ったら、乱打戦はかなり無謀なのでは?」

「いや、こいつに一番不足してるのは経験ですよ。次は恐らく、もっと対等に打ち合えると思いますよ。本当に将来が楽しみだよ」

 ルークの言葉に、頷く三人も笑っている。

 最初からずっと手合わせしている彼らには、レイルズの目覚ましい成長振りが、手に取るように分かるのだった。

 防具を脱がせて怪我の様子を診ていたハン先生は、笑って立ち上がった。

「まあ、重篤な怪我はありませんね。でも出来れば、午前中は少し休ませてやってください。昼食前にもう一度診て、問題無ければ、午後からは精霊魔法訓練所に行っても良いですよ」

 午前中は自主的な勉強時間なので、今日は午後から行く事になった。

「ほら、起きられますか? このまま寝ていると、部屋まで引きずって連れて行かれますよ」

 からかうようなハン先生の声に、悲鳴を上げたレイは、手を引いてもらってどうにか起き上がる事に成功したのだった。




「うう……大丈夫だけど、まだ少し頭がクラクラするや」

 目眩のする頭を押さえながら、レイは小さな声で呟いた。

 今日は額に巻くバンドでは無く小振りな兜を被らせて貰ったのだが、正直言って、あれが無かったらどうなっていたのか、ちょっと心配になる程打ち合いは激しかったのだ。

 城に戻る四人を見送り、ラスティと一緒に部屋に戻る途中、レイは心配されないように必死で平気そうに振舞っていたが、実はまだちょっと目が回っていたし、あちこち痛かったのだ。

「無理なさらないでください。この程度なら少し休めば良くなりますからどうぞゆっくり休んでください」

 心配するラスティに笑い返して、レイは自分の足でちゃんと歩いて部屋まで戻って行った。

 部屋に戻った後は、湯は使わない方が良いと言われて、汗を拭いてもらった。それから部屋着に着替えて午前中はゆっくり休む事にした。




「うう、さすがに痛いや。これって昼までに治るかな?」

 ベッドに入るだけでも身体中が痛くて、思わずそう呟く。すると突然、左手の指輪から、ニコスがくれたあの大きな精霊達が現れた。


『主は頑張り屋さん』

『頑張り屋さん』

『頑張り屋さんにはご褒美を』


 そう言うと、声を揃えて綺麗な声で揃ってこう言った。


『痛いの痛いの飛んでいけ〜!』


 三人が、揃って一番痛かった右腕の辺りを軽く叩いてくれた。

「あれ、痛く無くなったや?」


『痛いの痛いの飛んでいけ〜!』


 もう一度そう言って、次に痛かった太腿の部分も叩いてくれた。

「ええ、どうなってるの? こっちも痛く無くなったよ!」

 ズキズキと痛んでいたそれらの打ち身から、まるで水が引くように痛みが無くなったのだ。


『少し痛く無くしただけ』

『でも治ったわけじゃ無いよ』

『無理も我慢も禁物』


 枕元で首を振る彼女達に、レイはそれでもお礼を言った。

「ありがとう、これでぐっすり眠れそうだよ。お昼までには少しは元に戻ってるといいなぁ」

 毛布に潜り込みながらそう呟くと、目を閉じた。

 しばらくすると、カーテンの引かれた薄暗い室内に、彼の穏やかな寝息が聞こえてきた。それを見届けてから、知識の精霊達は指輪に戻って行った。




「あれ、レイルズは来てないのか?」

「そうみたいだな。まあ、あいつも忙しそうだからな」

 図書館の入り口で、テシオスからレイルズを見ていないと聞き、ちょっと心配になったマーク達だった。

「当日は、まさか休むなんて事は無いよな?」

「どうだろうな。それは考えてなかったぞ」

 テシオス達に聞こえないように、小さな声でそう言うと、互いにこっそりと肩を竦めた。

「まあ、最悪遅れるかもしれないけど、渡せれば良いよな」

「どうせ、俺達が用意出来るもんなんて、この程度だもんな」

 苦笑いし合って、振り返った。

「じゃあ、今日は四人だな」

「それじゃあ行くとしようか」

 頷いて付いてくる二人と一緒に、いつもの自習室に向かうマーク達は、途中自習の為の本を何冊も持ち出して、それぞれ抱えて自習室に入った。

 テシオス達の勉強は順調なようで、降誕祭が終わる頃には上位の魔方陣の描き方を始めると聞き、本気で教えてもらう気になっているマークだった。




 午前中ゆっくり休んですっかり元気になったレイは、ハン先生の許可をもらって、お昼ご飯を食べてから精霊魔法訓練所に向かった。

 教室の前で遅めの昼食から戻って来たマーク達に会い、朝練で叩きのめされて午前中いっぱい寝込んでいた事を笑いながら報告した。

「いよいよ、本格的な訓練が始まってるんだな。怪我だけは気をつけろよな。無理は禁物だぞ」

「そうだぞ。怪我だけは本当に洒落にならないからな」

 真剣に心配してくれる二人に、レイも真剣な顔で頷いた。

「うん、僕も痛いのは嫌だから、気を付けます」

「でもまあ、それでもするのが怪我なんだよなあ」

 若干遠い目になるマークに、キムも隣で頷いている。

「俺はそんなの絶対に嫌だぞ」

「俺もだ、そんな痛い思いしてまで強くなる訓練なんてしたく無いよ」

 こちらも真剣に、揃って首を振るテシオスとバルドだった。

「お前達は、守られてる側だから別に良いんだよ」

 キムの言葉に、二人は揃って舌を出し、全員同時に吹き出したのだった。

「おやおや、楽しそうですね。ですがそろそろ時間ですから教室に入ってくださいよ」

 背後から聞こえた教授の声に、軍人二人とレイは、条件反射で直立した。

「はあい。今行きます」

 やる気の無さそうな声で返事をしたテシオスとバルドの二人が、手を振りながら教授と一緒に教室に入って行った。

「じゃあ、ここで解散だな。また明日な」

 一つため息を吐いたマークが手を振って自分の教室に向かい、キムも手をあげると図書館へ戻って行った。

「じゃあ、今日は歴史のお勉強! ああ、覚える事がいっぱいだよ」

 二人を見送って、大きく伸びをしようとして思わず腕を抑えた。

「いたた……駄目だ、動かすとやっぱり痛いや」

 小さくため息を吐くと、レイは気を取り直すように鞄を抱え直して、いつもより少しだけゆっくり歩いて自分の教室へ向かった。

 レイの肩や頭の上には、シルフ達が少し心配そうに並んで座って、その様子を眺めているのだった。

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