栗拾いと異変の予感

 翌日、午前中はルーク達に手伝ってもらった豆とは別の種類の豆の収穫作業を行った。これは枯れる寸前まで畑で育てて苗ごと収穫する種類だ。数日かけて乾かしてから豆を鞘から取り出す。手間は掛かるが美味しい豆なので、ニコスが気に入って毎年作っているのだ。

 昼食の後、午後からは芋畑に肥料をすき込む作業を行った。途中からやって来たブルーは、作業するレイを、座った坂道からずっと眺めて過ごした。

 時々作業の手を止めて手を振るレイに、その度にブルーは嬉しそうに顔を上げて喉を鳴らした。


『タガルノではまだにらみ合いが続いてる』

『古き民達は攻めあぐねている』

『彼らを手伝って良い?』

『タガルノの兵隊は嫌い』


「必要なら手伝ってやれ」

 少し離れている為、畑仕事をしている彼らにシルフ達の声は聞こえない。ブルーは定期的に入るタガルノの様子を聞きながら、正直言って戸惑っていた。

 本来なら、今こそ自由に動ける要石であるブルーが行って、要石の封印を占拠している奴らを蹴散らしてそこに居れば良いのだ。以前、ここで大爺の代わりに臨時の要石の役割をしたように。

 しかし、主を得てしまった為に簡単にそこに行けないという、思わぬ板挟み状態になっているのだ。

「どうするべきなのだ……レイに事情を話して別行動を取るにしても、いつになったら終わるのか分からぬ状態では待ってくれなどとは言えぬ」

 ましてや、レイは竜騎士になれるのをあんなにも楽しみにしていたのに。



 人の子の寿命がどれだけ短いか、ブルーはよく知っている。ほんの一時だけだと思っても、人の子の寿命はあっという間に終わってしまうのだ。

「何故、よりにもよってこの時期なのだ。タガルノの忌々しい奴らめ」

 思わず尻尾を打ち振ってしまい、辺りに一気に舞い上がった砂埃に慌てた。

「どうしたの?ブルー」

 手押し車に肥料を積んで運んでいたレイが、驚いてブルーを見た。

「う、うむ。ちょっと考え事をしていて、つい尻尾を振ってしまっただけだ。すまない」

 慌ててシルフに風を起こさせて、舞い上がった埃を払った。それを見てこっちに向かって笑ったレイの笑顔をブルーは直視できなかった。

「大爺、我はどうすれば良いのだ……」

 密かにため息を吐いて、その場に丸く座り直した。

 レイの後ろで、タキスが何か言いたげにブルーを見ていたが、結局何も言わずに作業を続けた。




 奇妙な緊張感を孕んだまま午後の農作業も終わり、休憩するレイはチョコチップクッキーを齧りながら立ち上がって側に来てブルーを見上げた。

「ねえブルー、今日はどうしたの?」

「何がだ?」

 突然そう言われて、ブルーは意味が分からずそう聞き返した。

「えっと、何て言ったらいいんだろう。上手く言えないけど、とにかく今日のブルーは何だか変だよ」

「そ、そう言われてもな……」

 まさか、気付かれているとは思っていなかったので密かに慌てたが、素知らぬ振りをする事など簡単な筈だった。

「本当にどうしちゃったんだよ。ねえ、何かあるの?」

 しかし、レイはそんなブルーの様子に更に眉間のシワを深めた。

 タキスは、そんなレイを見て無言で慌てていたが、口出しせずに黙って二人の様子を見守っていた。ニコスとギードは、そんなタキスの様子に気づいていたが、二人も賢明にも口出しせずに黙って見守っていた。



「少し前、タガルノとこの国の間で戦いがあった事は知っておるか?」

 しばらく無言だったブルーが、小さなため息を吐いて話し始めてくれた。

「ルークが怪我をしたって言ってた、あの戦いだね」

 詳しくは知らないが、国境付近で大きな戦いがあった事はレイも聞き及んでいる。

「その時に、タガルノとこの国の間に張られた結界にいくつか問題が生じているのだ。詳しくは話せぬが、遠く離れた場所だがこの蒼の森は色々な意味で結界の要なのだ。無関係ではいられぬ。それ故に、結界を修復する為に我がせねばならぬ面倒な事が多い」

 説明してくれる話の半分程度しか理解出来なかった。困っていると、タキスが側に来てそっとレイの肩を叩いた。

「レイ、竜騎士様方が文字通り身体を張ってこの国を守ってくださったように、蒼竜様もまた、別のやり方でこの世界を守ってくださっているのですよ。当然、心配事もあるでしょう。お邪魔をしてはいけませんよ」

 タキスを見たレイは、悲しそうな顔で頷いた。

「もちろん分かってるよ。だけど、何か僕にも手伝えないかなって思っただけ……役に立たなくてごめんね」

 そう言って見るからにしょんぼりしたレイは、ブルーに背中を向けてしまった。それを見て慌てたブルーは、首を伸ばしてレイの背中に何度も頬擦りをした。

「なぜ、其方が役に立たないなどと言うのだ。レイ、こっちを向いてくれぬのか?」

「だって、僕ばっかり貰ってばかりで、何にもブルーに返せていないんだもん。せめて、何か……」

 振り返ってそう叫ぶレイの懐に、ブルーはその大きな頭を差し込むようにして押し付けた。

 愛おしいその腕が、受け止めて力一杯抱きしめてくれるのをブルーは心から嬉しく思った。

「覚えておいてくれ。レイが笑っていてくれれば、我はそれだけで幸せなのだ。其方の全てを守りたいと思う。そのための苦労は、苦労では無いぞ」

「うん。大好きだよブルー」

 そう言って大きな額に何度もキスをした。




 草原に放していた家畜や騎竜達を集めて連れて来ると、ブルーは泉へ戻った。

 明日は皆で栗を拾いに森へ行くからブルーは一緒には行けない。シルフを付き添わせる事にして、その間にブルーは森の大爺を訪ねる事にした。

 予知夢を見る事が出来る大爺には、恐らく今回のレイの身体の異変についても知っていた筈だ。

 なぜ知らぬ振りをしたのか、絶対に問い詰めてやるつもりだった。






「さて、それでは行きましょうか」

 朝食の後、家畜の世話を済ませたレイ達は、ニコスの作ってくれたお弁当を持って、それぞれの騎竜に乗って蒼の森へ栗拾いに出掛けた。

 先頭はいつものようにタキスで、レイ、ニコス、ギードの順で一列になって走って行った。

 レイの肩と頭にはブルーが寄越してくれたシルフ達が座っている。ノームは、地面を伝ってついて来てくれるらしく、手近な場所のカナエ草の群生地が近付けば教えてくれる事になっているらしい。

「良いお天気だね」

 久し振りのポリーの背に乗って、レイは嬉しそうに空を見上げた。

「くーり拾い、栗拾い!楽しい楽しい栗ひーろい!」

 走りながら、レイは以前歌っていた調子っぱずれの花祭りの歌の替え歌版で、栗拾いの歌を歌っていた。それを聞いた三人は、無邪気なその様子に鞍上で笑いを堪えるのに苦労していた。



 森の中を駆け抜けて、いつもの道とは違う別の方角に出た。

『こっちこっち』

 シルフ達が指差す方角に、タキスが乗ったヤンが向かった、レイ達も遅れずにその後に続く。

 茂みをかき分けて出た少し広い草原の横には、栗の木の林が広がっていた。

「何と、こんな所に栗の木の群生地があったとはな」

 感心したようにギードがそう呟いて、ベラを止めた。

「我々も知りませんでしたね。しかも、いつも採っていた場所よりも木も大きいし栗の実も大きいですよ」

 感心したようなタキスの声に、嬉しくなったレイはポリーの背中から飛び降りた。

 それぞれにラプトルの背から降りた一行は、シルフ達が落としてくれたイガを集めて、手分けして、ひたすら栗を取り出して集めた。

 これは、ギード特製の分厚い皮手袋をしての作業だ。

 硬いイガに苦労していると、ノーム達が出て来てくれて一緒に栗を取り出すのを手伝ってくれた。

『これは虫が食っておりますから駄目ですな』

 時々そう言って、ノームは栗の実を取り出しては地面に放り投げていた。

 あっと言う間に、予定していた全部の袋いっぱいに栗を拾う事が出来た。更に別に持って来ていた予備の袋まで一杯になっても、栗の実はまだまだ沢山あった。

 ギードが火蜥蜴を呼んで栗をその場で焼いてくれたので、レイは大喜びで焼ける度に大きな栗の実を幾つも頬張っていた。レイの肩に座ったシルフは、そんなレイの様子を飽きもせずに嬉しそうに見つめていた。



「レイ、こっちの袋にはイガごと入れてくれるか」

 ニコスが荷物からまた別の大きな袋を取り出して渡した。見るからに分厚くて硬い生地で作られた袋だ。

「あ、まだ袋があったんだね。でもどうして栗だけじゃなくてイガごと? イガは食べられないよ」

 もらった袋を開きながら不思議そうな顔をするレイに、ギードが教えてくれた。

「栗のイガは、焚き付けに使うとよく燃えるんじゃ。それに、ニコスが染料としても使うからな。いつも多めにイガも採って行くんじゃよ」

 確かに、針だらけのイガはよく燃えそうだが、これが染料になるなんて初めて知った。

「これが染料に? どんな色になるの?」

 ノームが渡してくれるイガごと袋に入れながら、レイはニコスを見た。

「栗のイガを煮出した液で毛糸を染めるんだ。優しい黄色っぽい茶色や灰色になるよ。去年、レイのセーターを作っただろ、薄茶色の。あれが栗のイガで染めた毛糸だよ」

 思い出したレイは嬉しくなって、ノームが選んでくれるイガをどんどん袋に入れた。あのセーターの優しい色はレイのお気に入りだったのだ。

「このトゲトゲから取った液であんな優しい色に染まるなんて、森の恵みってすごいよね」

 足元のノームが嬉しそうに頷いた。


『森の恵みに無駄な物はありませんぞ』

『無駄だと思うならそれは使い方を知らぬだけです』


「本当にそうだね、すごいな」

 一杯になった袋の口を閉じながら、レイはまだまだ落ちている栗の実を見た。

「これって、放っておくとどうなるの? 芽が出て木になるの?」

『もちろんそうなる実もございますぞ』

『ですが森の動物達も栗の実は大好物ですからな』

『放っておけばあっと言う間に食い尽くされてしまいますぞ』

『リスや鹿それに猪なども栗は大好物です』

「そうなんだ。じゃあ心配いらないね」

 いっぱいになった袋を担いで、一旦集めた。




「お疲れさん。それじゃあ一休みして弁当を食べるとするか」

 シルフ達がイガを飛ばして開けてくれた場所に、いつもの敷布を敷いて皆で座る。

 良いお天気の空の下、森で食べるお弁当は本当に美味しかった。

「あんなに栗を食べたのに、お弁当は食べられるよ」

 笑って分厚い薫製肉を挟んだパンを食べるレイに、ニコスは苦笑いしていた。

「さすがは育ち盛りだな。特に最近は食べる量が俺達と違うぞ」

「しっかり食べてくださいね」

「確かに、見ていて気持ちが良いくらいに食べるのう」

 今まで三人の中では、一番よく食べていたギードだったが、恐らく今のレイなら普段のギードよりも食べているだろう。しかも、まだまだ背も伸びそうな勢いだ。

「どれ位大きくなるのかのう。近くで見られなくなるのは寂しいが、それは良い事でもあるんだろうな」

 ギードの小さな呟きは、ニコスとタキスには届いていたようで、二人も少し寂しそうに笑ってレイを見つめていた。



「ん? 何? どうしたの?」

 リスのように口一杯にパンを頬張ったレイが、三人の視線を感じて振り返った。

「レイ、ここにお弁当がくっついてますよ」

 笑ったタキスが、レイの口元に付いていたパンのかけらを取ってやった。

「ありがと」

 笑ったレイは、口の中のものを飲み込んでから、カナエ草のお茶を飲んだ。

「お腹いっぱい!ご馳走様でした!」

 少し休憩してからお弁当箱を片付けて、皆でお昼寝をした。

 レイの胸元や髪の毛にシルフ達が潜り込んで、レイが起きるまで一緒に眠る振りをしていた。






 一方、ブルーはレイ達が森へ出発したのを見届けてから、大爺のいる場所へと向かった。

「大爺、話がある。出て来てくれ」

 以前、レイ達と一緒に来た場所に降り立ち、目の前の巨大なオークの樹に向かって少し大きな声でそう言った。

『うるさいのう、何事じゃ』

 ゆっくりと幹の一部が現れてブルーの前に来る。

『一別来じゃな。元気そうじゃな、蒼き竜の子よ』

 ブルーは大爺を睨みつけるようにして大きく尻尾を打ち振った。

「大爺にお聞きしたい。ご存知であったろうに、竜熱症の危険に付いて何故もっと早く教えてくれなかったのだ。そのせいで、レイは危うく死ぬところであったぞ」

 苛立ちを隠そうともしないブルーに、大爺はしばしの沈黙の後、突然笑い始めた。

「何がおかしい!」

 もう一度尻尾を打ち振り、更に怒りを募らせる。

『ほほほ、これが笑わずにいられようか。己の無知を棚に上げて、我を責めるか』

「な……」

 怒りの余り言葉も出ないブルーに、大爺は更に言い放った。

『そうであろう? 己の悲しみに溺れ、三百年もの長きに渡り知識を蓄えることを放棄した報いじゃ。助けてくれた全ての者達に感謝するが良い。そして謙虚という言葉の意味を知るが良い』

 無言で己を睨みつけるブルーに、大爺は口調を変えて諭すように言った。

『己が如何に未熟であったかこれで知れたであろう。此度知り得たえにしを大切にするが良い。あの雛にとっては、まさに命綱じゃからな』

「大爺、貴方にはどこまで見えているんだ」

 怒りを鎮めた静かなブルーの問いに、大爺の一部である幹は、まるで首を振るように左右に小さく揺れた。

『全てを。なれどそれは、確定された未来と不確定な未来が混在しておる。我に出来るのは見届ける事だけだ。全ては永遠に完成されぬ輪の中にある』

「全てを知っても、それを話すことは出来ぬ……か」

『如何にも。我に出来るのは見届ける事だけだ』

「分かった、ならばこの件はもう良い。レイは無事に森へ戻ったのだからな。それからもう一つ聞きたい事がある」

『言ってみよ。答えられるかはまた別の話じゃがな』

「今、タガルノで何が起こっているのだ。誰があのような暴挙に出た?」

 幹の眼は静かに閉じてまた左右に振られた。

『過去の怨念が現し身うつしみをまとい現れておる。誰がやったのかは……我にも見えぬ』

 驚いたブルーは、顔を上げてオークの樹を見上げた。

「どう言う事だ? この世に大爺に見えぬ事などありはせぬ筈」

『我に見えぬという事は、相応の力を持った者が邪魔しておるという事だ。ゆめゆめ油断するでない。大いなる危険はすぐ近くまで迫っておる。古き民達の行い次第では、最悪の事態もあり得るぞ。彼らにはノームを通じて力を分け与えておる。しかし、大地の力が弱っていて思うように届かぬのだ』

「ならば我も……」

『そなたは今は、決して主の側を離れてはならぬ』

 強い口調でそう言われて、ブルーは思わず口籠った。

『決して主の側を離れてはならぬ。常に寄り添い力を共にせよ。そして、いずれ来る嵐の時までに雛を育てよ。それが今の其方の役割ぞ。迷うでない、常に主の事を一番に考えよ。決して忘れるでない、其方はもう一人ではないのだからな』

 そう言うと、曲がりくねった幹の一部は静かに元の位置に戻り動かなくなった。



「ありがとう大爺、我の迷いは晴れた。今は出来ぬ事を考え悩むのでは無く、大切な主の事を考えるとしよう。何か変化があれば教えてくれ。この森と結界は任せた」

 そう言うと、大きく翼を広げてゆっくりと上昇して飛び立って行った。

 それを見送るように、少しだけまた幹が動いて空を見上げた。

『行ったか。己の定めと戦う者よ。其方のこれからに幸多からん事を』

 その言葉が合図であったかのように、広がっていた樹々がまるで生きているかのように動いて重なり合い、大爺のいた場所を深い緑で覆い隠してしまった。

 後にはもう、深い緑の森が広がっているだけだった。

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