ルークとヴィゴ

「あれ、どうしたんですか」

 レイにおやすみを言って部屋に戻って来たルークは、ランタンの灯された廊下の扉の前にいたヴィゴに驚いて声をかけた。

「いや、ちょっとな……」

「まあ、立ち話も何だから入ってくださいよ」

 笑って部屋の扉を開ける。

 ヴィゴはルークが右手に持った剣を見たが、何も言わずに後について部屋に入った。



「レイルズのところに行っていたのか?」

 剣を棚に戻したルークは、ちらりとヴィゴを見て頷いた。

「ええ。以前、俺が砦で怪我した時に話したのを覚えてますか?」

「竜の主とは何だ、と言うあの話か?」

「まあそんなとこです。多分、今の竜騎士隊の中では俺が一番レイルズの立場に近い。恐らく……俺が通った戸惑いや壁に、あいつもぶち当たるんじゃ無いかと思ってね。ちょっとした先輩のお節介をしに行ってただけ……何ですか」

 すぐ側で立ったまま無言で自分を見つめるヴィゴに、ルークはやや気圧されたように仰け反って後ろに下がった。

「戸惑いや壁……何の事だ?」

「近い近い! 落ち着いてよヴィゴ。どうしたんだよ一体……」

 下がった場所に、椅子がはみ出していたのに気付かず、つまずいたルークが咄嗟に椅子の背を左手で掴んでしまう。

「痛たっ!」

 湿布は、お土産を片付けた後でタキスに交換してもらった。マッサージもしてもらい普通にしている分にはもう痛みはほとんど無いのだが、さすがにまだ体重を支えるだけの握力も筋力も戻ってはいない。

 それを見て慌てたヴィゴが、片手でルークが後ろに倒れるのを支えた。

 小さくため息を吐いて、椅子を引いてルークを座らせる。

「すまん、驚かせたな」

「びっくりするじゃないですか。どうしたんです?」

 左腕をさすりながら、ヴィゴを見上げてルークは苦笑いしている。

「あれしきの酒で酔いましたか?」

「まさか。ちょっとお前と話がしたくて来たんだが、いないのでどうしたのかと思ったら……シルフ達が、お前がレイルズのところへ剣を持って行ったと言うので心配になってな」

「ああ、あれね」

 棚に置かれたミスリルの剣の上には、シルフが座って番をしていた。二人の視線を感じたシルフは、嬉しそうに笑って手を振っている。

 ルークは笑って手を振り返して、もう一度ヴィゴを見上げた。

「座ってくださいよ。そんな近くで立たれたら、尋問されてるみたいだ」

 考えに沈んでいたヴィゴは、我に返ったように顔を上げて頷いて椅子に座った。




「何を話していたのか、聞いても良いか?」

「いきなりそこから来るんだ」

 からかうように笑って肩を竦める。

「俺はマイリーと違って、回りくどいのは苦手でな。何か問題があるか?」

 強いヴィゴの視線にたじろぎながら、ルークは先程レイと何の話をしたのか順を追って話した。

「いきなり刺青を見せたのか。それは……怖がられたろう?」

 当然、竜騎士達は皆ルークの背中の事は聞いているし、実際に見せてもらった事もあるが、何も知らないレイにそれをいきなり見せるのは、ちょっと乱暴に思えた。

「俺もさ、怖がられるかと思ったんだけど……レイルズの奴、なんて言ったと思います?」

「さあな、何と言ったのだ?」

「格好良いって、言われました」

 それを聞いたヴィゴは、堪える間も無く吹き出した。

「無邪気な事だな」

「もう、眩しすぎる無邪気さですよね、あれは」

 二人は顔を見合わせて、また笑った。

「まあ、良くも悪くも純粋なのだ。それは彼の長所だが、一歩間違えれば短所にもなり得るな」

「魑魅魍魎の巣食うあの王宮で、どこまで彼が今のままでいられるのか、俺は正直言って心配ですよ」

「まあ、まだ未成年だって事が唯一の救いだな。とにかく二年あれば、とりあえず何とか……なるだろう」

「その間は何ですか! そこは、自信持って大丈夫だって言ってくださいよ」



 笑っているルークを見て、ヴィゴは確信していた。彼は明らかに何か誤魔化している。

 大抵の事は、気付いても見て見ぬ振りをしてやるヴィゴだったが、ことレイルズに関してはそうはいかなかった。



「それから?」

「え?何がですか?」

 まだ笑っていたルークが、驚いたように顔を上げる。

「それから、彼とどんな話を?」

 無言で自分を見つめるヴィゴに、ルークは小さくため息を吐いた。

「……剣に書いてある言葉について。あの言葉の、言葉の通りの意味だけじゃ無く、そこに込められてる竜騎士の心得を話しましたよ。それから、間違いなくタキス殿が話してないであろう、竜の保養所での一連の出来事」

「話したのか!」

 思わず出した大声に、自分で驚いて慌てて小さな声で言い直した。

「待て、本当に話したのか」

「話しましたよ。全部ね。だって、知らなかったで終わって良い事じゃないでしょ。もちろんレイルズには何の責任もないし、恨みも恐怖も無いってちゃんと言いましたよ。本気で驚いてました。でも、お互いにとって、結果的にはあれが最善だったと思いますよ。誰も死なず、オニキスの怪我だって、最終的には怪我の原因だったラピスが治してくれた。俺達竜騎士が背負ってるものの重さについても、少しだけ話しました。多分分かってくれたと思いますよ」

「その辺りは、いずれ時間をとってゆっくり話そうと思っていたんだがな」

「まあ、詳しい事はもちろんヴィゴからも話してやってください」

 肩を竦めるルークに、ヴィゴは頷いた。

「竜騎士としての心得とか、体を鍛えるのはもちろんだけど、どちらかと言うとレイルズに必要なのは ……処世術とか、他人との距離感とかそっちじゃ無いですかね。絶対、誰でも簡単に信用して悪い奴に騙されそうだ」

 ルークは、自分で言っておいて思わずその場面を想像してしまい、小さく笑って情けなさそうに首を振った。

「確かにな。まあ、その辺りはマイリーが適任だろう」

「レイルズの教育係って、やっぱりマイリーになるんですか?」

「恐らくな。何ならお前がやってくれても良いんだぞ」

「どうしてヴィゴがやらないんですか?」

 思わず拗ねたような言い方になったルークの頭を突いてやり、ヴィゴはまだ、皆に言っていなかった予定を話した。



「俺は、秋から当分の間、精霊魔法訓練所で、ある訓練兵の臨時講師を務めることになった。九十六番砦で発見された、例の精霊魔法に適正のあった新兵。覚えてるか?」

「ああ、確か……マーク二等兵」

「第四部隊の配置転換に伴って上等兵に昇進したそうだぞ。彼が精霊魔法に苦労してるらしい。どういう訳か、光の精霊魔法のライトやフラッシュを易々と使いこなす癖に、攻撃魔法の一番の基礎である風の精霊魔法のカマイタチも、水の精霊魔法のカッターも、全く出来んらしい。教授達が揃って頭を抱えておるそうだぞ」

「何だよそれ。何で光の精霊魔法が出来て、簡単なカマイタチやカッターが出来ないんだよ」

 ルークも思わず真顔でそう言ってしまうくらい、精霊魔法を使う者にとっては、その二つは難易度が桁違いに違うものなのだ。

「精霊魔法の適性についてはほとんど差は無いらしいから、全く理由が分からんそうだ。それで泣きつかれてな。とにかく会って見てみる事になった。今後どうするかは、とりあえず一年はやらせてみてから決めるそうだ。最悪、実戦部隊では無く後方支援に特化させて、光と治癒の精霊魔法のみでやらせる案も出ているそうだぞ」

「成る程ね、まあ、光の精霊魔法を使いこなせてる時点で、もう第四部隊は絶対に彼を手放さないでしょうけどね」

 そう言って、突然思いついた。

「ねえヴィゴ、レイルズを精霊訓練所に入れてやるってのはどうです? 身分は明かして行かせても良いし、別に単なる騎士見習いとして行っても良いと思いますよ。あそこを出た兵士なら、その後も、間違いなく俺達と関わる確率が高い。レイルズの将来の為にも、身分を問わず同世代の友人を作らせるにはぴったりの場所だと思いますけどね」

 不意を突かれたヴィゴはしばらく黙っていたが、考えがまとまったのか大きく頷いた。

「確かにそうだな。竜騎士見習いとしてしか考えていなかったが、一個人として行かせてやるという手もあるな」

「まあ、もちろん教授陣への根回しは必要だろうし、念の為に、ある程度事情の分かってる者を置く必要もありそうですけどね」

「確かに、考える価値はありそうだ。戻ったらマイリーに提案してみよう」

 納得したように頷くヴィゴを見て、ルークは苦笑いしながら追加した。

「多分、マイリーはそのつもりなんだと思いますけどね。そうでなかったら、わざわざ貴方に精霊魔法訓練所の臨時講師の話なんて来ませんよ。当然、その話ってマイリーから言われたんでしょ?」

 呆気に取られたようにルークを見て、ヴィゴは唸るように言った。

「お前……いつもながら、感心するな。何故そんなに簡単に分かるんだ?」

 そう言われたルークは、少し悲しそうに俯いて、小さな声でこう言った。

「簡単ですよ。そうしないと生きていけなかったからです。ガンディがよく言ってるでしょ。人の性格なんてそう簡単には変わりませんよ。俺はいつだって周りを見て、自分に危険がないか常に判断することを迫られてました。俺だけじゃ無い。下手すれば仲間達全員の命が掛かってましたからね。無責任な判断は出来ませんよ。常に新しい情報を手に入れ、その中から正しい情報を掴むための知識と人脈。そして、素早い実行力。どれも欠く事の出来なかった大切な事です」

「やはり、マイリーの後継はお前しかいないな」

 本気で言ったのだが、ルークは本気で嫌そうにした。

「やめてくださいよ。俺はそんな器じゃ有りません」

「そうか、案外適任だと思うがな」

 もう一度言ってやったが、また嫌な顔をされただけだった。

「まあ良い。選択肢は多い方が良いからな。レイルズについても将来はまだまだ未知数だ。どんな風に成長してくれるか楽しみだよ」

 そう言って立ち上がったヴィゴは、ルークの肩を叩いた。

「明日の予定ってどうなってるんですか? もう戻るんですよね?」

「明日、午後から、ラピスがいる蒼の泉を見せてくれるそうだ。それから、レイルズのお母上の墓と、エイベル様の墓参りに行くぞ。タキス殿はもう一日ぐらい泊まって行ってくれて構わないと言ってくださってるんだがな、まあその辺りはマイリーと相談するよ」

「了解です。そうか、タキス殿はここにエイベル様のお墓を作ってたんだ。じゃあ、皆で順番にお墓参りに来ないとね」

「それは良い考えだな。ここに来る大義名分が立つぞ」

 二人は顔を見合わせて、揃って大きく頷いた。



「それなら今後、誰かがここに来る時は食材持参で来るべきですね。街と違って、足りないからって簡単に買えません。食料の備蓄にだって予定はあるだろうから、急に来た俺達の予定外の食事まで全部世話になるのはさすがに申し訳ないですよ。街で暮らす俺達が思ってる以上に、食料の確保って重要なんですよ。自分の食べる分ぐらいは最低限持って来るのが礼儀でしょうね」

 思ってもみなかった事を言われて、ヴィゴは思わず考え込んでしまった。

「お前、もしかして……お土産に、妙に食材が沢山あったのはそう言う意味だったのか?」

「まあ、ヴィゴは食べるのに苦労した事なんて無いでしょうから実感無いのは当然ですよ。だと思ったから、行く前に俺がマイリーに言ったんです。泊まらせてもらうなら、最低限二人分の食材は持って行くのが礼儀だってね。マイリーも、さすがにそんな事考えて無かったようで驚いてたから、今と同じ話をしました。で、ああなった訳」

「確かに言われてみればその通りだな。ありがとう。知らずにここに迷惑を掛けるところだったな。それじゃあ戻るよ、邪魔したな」

「はい、おやすみなさい。俺ももう休みます」

「着替えは大丈夫か?」

「これは被るだけだから大丈夫ですよ。明日の朝は、すみませんがお願いします」

 苦笑いしながらそう言うルークに、ヴィゴは頷いた。

「それじゃあおやすみ」



 扉を開けた時は暗かった廊下は、ヴィゴが出た瞬間に次々にランタンに明かりが灯り、一気に明るくなった。

「火蜥蜴達か。ご苦労様」

 煌々と灯るランタンには、それぞれ火蜥蜴達が丸くなっていたのだ。それに笑って話しかけて、ヴィゴは自分の部屋に入った。

 扉が閉まった瞬間に、廊下は一気に明かりが消えて、再び真っ暗に戻ったのだった。

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