初夏の訪れと竜騎士達の計画

 翌日もとても良いお天気だった。もう初夏といっても良いほどの気温に、ニコスが夏服用の薄手の服を幾つか出してくれた。



「今日は、皆を上の草原に上げたら、掃除をしてから夏野菜の間引き作業をしますからね。暑くなりそうなのでこの薄手の服で十分ですよ。ああ、日除けの帽子も忘れずに」

 夏用の帽子は持っていなかったのでニコスに聞こうとしたら、後ろからつばの広い帽子を被せられた。

「はいどうぞ。これは私が編んだんですよ。妻がよく編んでいたので編み方を教えて貰ったんです」

 得意そうにそう言うと、自分の分も被ってみせた。

「どうです? なかなか上手に出来ているでしょ?かぎ針って言う、先の曲った針で真ん中から渦巻状に編んでいくんですよ」

 やや硬めの麻の糸で編まれたその帽子は、細かい編み目ながら、通気性も良さそうだ。

「お揃いだね。ありがとうタキス、これなら日差しも大丈夫だよ!」

 嬉しくて、帽子を押さえて振り返った。

「じゃあ、着替えて来るね」

 貰った服と帽子を手に部屋へ戻ると、急いで着替えて居間へ戻った。

「えっと、思ってたんだけどギードはどうしたの? もしかしてお寝坊さん?」

 ここにいないギードが心配になって、お皿を出しながら聞くと、ニコスが鍋をかき混ぜながら教えてくれた。

「ああ、今日からしばらく鉱山に籠るからね。家で準備をしてるよ。ちなみにこっちの鍋は、ギードに持たせる分だ」

 覗き込んだ鍋の中は、細かく刻んだ肉が炒めてある。

「これは、挽肉に濃く味をつけて炒めたもの。これは保存が効くからね」

 机に置かれた大きな弁当箱に、その挽肉をまとめて入れた。側に置かれた大きな袋には、干し肉の塊や乾燥させた豆や野菜がいくつも入っている。干したキリルの入った袋もある。

「鉱山の仕事は、常に危険と隣り合わせだし、力仕事だからね。ギードの好きなのを中心に、いつも沢山作って持たせてるんだ」

 そう言いながら、窯から硬く焼き締めた大きなパンを取り出し、麻布で包んで籠の中に入れる。

「これはそのまま食べないよね」

 箱に入った乾燥した豆や野菜を見て不思議になった。

「ギードは、冒険者出身だから、こういう保存食を戻して食べるのは上手く料理出来るんだよ、面白いだろ。まあ、だいたい水に浸けておいて煮込めば良いからな」

 笑いながら、箱を積んで包んでいく。

「そしてこれが俺の特製のスパイス。肉につけても良し、スープの味付けにも使える」

 ニコスが手にした瓶は、ハーブのブレンドされた岩塩だ。

「誰かさんの、名誉の負傷の時のやつだぞ」

 それを聞いたレイは思わず吹き出した。

「もうやだ。怪我は治ったよ!」

「うっかりさんは誰ですか? 怪我した、転んだ、ぶっつけた。痛いよ痛いよ、どうしよう」

 ニコスが笑いながら、子供の童謡を歌う。

「泣く子はだあれとツグミが笑う。どうしましょうかと雲雀が笑う」

 思わずタキスと一緒に後を継いで歌って、皆で同時に吹き出した。

「何の騒ぎだ? また怪我したのか?」

 ギードが、笑いながら居間へ入ってきた。

「おはようギード。鉱山へ行くんだって?」

「おお、おはようさん。無事に山開きも終わったしな。農作業も一段落したし、しばらく篭ってくるわい」

 そう言って、いつもの席に座った。

「さあ、食べましょう。今日も忙しいですよ」

 ニコスの声に、皆、席に着いた。




「暑っい! 何これ、もう夏なの?」

 帽子を脱いで汗を拭きながら、レイは思わず文句を言った。

 日差しを遮る物のない畑で作業していると、汗が流れて止まらない。手拭き布で何度も汗をぬぐいなら、夏野菜の間引き作業を続けた。

「急に暑くなると、さすがに疲れますね。端までやったら少し休みましょう」

 隣の畝で作業していたタキスがそう言って、畝の端を指差した。

「じゃあ、競争!」

 レイが大きな声でそう言うと、二人も声を上げて笑って、暑い中での作業に没頭した。

「いっちばーん!」

 殆ど同時だったが、僅かな差でレイが一番だった。

「ちゃんとやりましたか?」

 僅かの差で負けたニコスが、笑いながらレイの列の畝を見る。

「間引き作業は、村でも手伝ってたから、得意なんだもん」

 レイは胸を張ってそう言うと、持っていた籠ごとニコスに渡した。中には間引いた苗や小さな実が幾つも入っている。

「おお、ちゃんと出来てますね。じゃあやっぱりレイが一番だ」

 籠の中を見ながら、二人も笑って負けを認めた。




 間引いた野菜は、サラダにしたり酢漬けにしたりして全て美味しくいただく。

 その為、それぞれ取った物は丁寧に籠に入れて分けると作業小屋の横の日陰に持って行った。

「あれ? 何だろう?」

 その時、不意に何かの気配を感じて、レイは空を見上げた。

 しかし、見上げた空は雲一つ無い快晴のままで、遠くに雲雀が飛んでいるのが見えただけだ。

「ブルーが来たのかと思ったのに、違うや。なんだろ?」

 しばらく空を見上げていると、籠を持ったタキスが立ち止まって振り返った。

「レイ、どうかしましたか?」

「ううん、何でもない。今日はブルーが来ないなって思って」

「そう言えばそうだな。普段ならそろそろ来られる頃だろうに」

 ニコスも、立ち上がって空を見上げた。

「ブルーって、畑仕事してるのを見るのが好きだよね」

 笑うレイに、二人は同時に同じ事を言った。

「見てるのは農作業じゃ無くて、作業している貴方の事だと思いますけどね」

「あはは、確かにそうかも。でも僕も、大きなブルーが、小さくなって窮屈そうにあの坂道に寝転がってるのを見るの好きだよ」

「確かに、あの坂は蒼竜様には窮屈そうだな」

 ニコスが、思い出して笑っている。レイも笑顔で大きく頷いた。



 和やかに、そんな他愛もない事を話している三人は知らない。

 ブルーが念入りに編み上げた、特別製の結界にこの辺り一帯は守られていて、空からでは、この場所を見つけることすら出来なくなっていると言う事を。







 北の砦では、朝食を終えた竜騎士達が、捜索に出かける為の準備をしていた。

「だからお前は休んでろって。 ハン先生にまだ駄目だって言われたんだろ」

「……もう大丈夫なのに」

 張り切って着替えたのに、まだ安静にしていろと言われたタドラが、クッションを抱えて拗ねている。

「仕方あるまい。いくら回復が早いと言っても、昨日の今日だからな。お前は諦めて留守番していろ」

 ヴィゴにまで諭されて、タドラはクッションを抱えたまま後ろを向いた。

「絶対無事で帰って来るって、約束して……」

 二人は顔を見合わせた。

「当たり前だ。こんな所で死んでたまるか」

「生きて帰ってこその任務達成だからな。それでは行ってくる」

 部屋を出て行く二人を見て、立ち上がった。

「……見送りぐらい構わないでしょ」

 拗ねたように言って二人の後に続く、ハン先生もそれは止めはしなかった。




 中庭には、三頭の竜が並んで待っていた。

 一番大きいのが、まるで年代物のワインのような黒味がかった濃い赤の鱗と鬣を持つ、ヴィゴの相棒のシリル。

 その隣には、ルークの相棒の白竜パティとタドラの相棒の緑竜ベリルが並んでいる。

 鞍が乗せられているのは、シリルとパティの二頭だけだ。

「それでは行ってくる。お前はゆっくり休んでくれ」

 ヴィゴがそう言って、タドラの肩を叩く。ルークも笑って背中を叩いた。

「行ってくるよ。留守番よろしくな」

 タドラは、何か言いたそうにしていたが、一つ息を吐くと顔を上げて敬礼した。

「どうか無事のご帰還を」

 後ろで、ハン先生も直立して敬礼した。

 軽々と竜の背に乗った二人も揃って敬礼を返した。

 二頭の竜は、緩やかに上昇して砦の上空を旋回してから森の方へ一気に飛んで行き、その姿は直ぐに見えなくなった。

 無言で、敬礼したまま見送るタドラに、緑竜ベリルが喉を鳴らしながら頬擦りしてきた。

「良かった。貴方が無事で良かった」

 静かに頬擦りしながら、ベリルはずっとそう呟いていた。

「ごめんね、心配かけて……」

 そう言って敬礼を解いたタドラは、ベリルの頭をずっと長い間抱きしめていた。




 森の上空を旋回しながら、ルークは心底戸惑っていた。

「ええ、どうしてだ? 間違いなくこの辺りなのに……」

 眼下に広がる緑一面の森を見ながら、何度も首をひねる。

「本当にここなのか?」

 ヴィゴも不思議そうにしている。

「ええ、竜の背山脈の端があそこで、あの大岩がここに見えて……そうです、やっぱり間違いありません」

 周りを見渡して現在位置を何度も確認し、戸惑いつつも断言した。

「ふむ、ここだとしたら、一体どう言う事だ?」

「大きな草原と岩場、綺麗に開墾された畑もありましたから、見失う訳ないのに」

 不安そうにルークがそう言って、もう一度辺りを見回す。

「一度降りてみるか……」

 そう言って、ヴィゴが竜をゆっくりと降下させようとした時だった。

 何人ものシルフが、慌てたように目の前に現れた。

『駄目』

『この森は駄目』

『森に降りてはいけない』

『降りてはいけない』

『危険危険』

『絶対駄目』

『危険危険』

 驚いた竜が、降下を止めて勝手に空へ戻った。しかも、さっきよりもかなり高い位置で止まる。

「……やはり降りるのは駄目か」

「どうしますか?」

 二人は顔を見合わせる。無言で頷いた。

 ため息をつくと、ヴィゴが大きな声で話しだした。



「昨日の話だが、どう思う?」

 心得たルークも、大きな声で打ち合わせ通りに答える。

「ここの竜に、主がいるかも知れないって話ですか?もし本当なら、とんでもなく危険ですよね」

「無防備に竜との接触を続ければ、竜人やドワーフとは違って我々人間には致命的な病が待っているからな」

「本当に恐ろしいですよね、竜熱症は。俺は、こいつと絆を結べた事を後悔した事は無いけど、正直言って今でも竜熱症は怖いですよ」

 パティの首筋を軽く叩きながら、森を見下ろす。

「竜の側にいるだけで人間だけがかかる病、王都では、特効薬が見つかったおかげで、近年死の病では無くなったけれど、薬が手に入るのは王都の白の塔だけですからね」

「そうだな。長らく我が国歴代の竜騎士達が、皆短命だったのは、ほぼ間違い無くこの病のせいだったのだからな」

「特効薬が見つかって良かったよ。俺、短命になってもいいから竜騎士になれるかって言われたら……」

 ルークは無言で首を振った。

「全くだな。俺も……受け入れるにしても、相当な覚悟と意志の強さが必要だ。考えたくは無いな」

 ヴィゴもシリルの首筋を撫でてやりながら森を見下ろした。



 森に変化は無い。

 無言のまま、上空でしばらく待ったが、期待した老竜からの接触も無かった。



「もし会えたら、この森の竜の主に薬を渡せるのにな」



 ルークがため息を吐いて、最後の台詞を言う。

 もうしばらく待ったが、やはり反応は無い。

 しかし、異様な程に森は静まり返り、鳥の鳴き声一つしない。

 明らかに異常な状態だった。

 間違い無く、老竜はこの話を聞いていると二人は確信した。



 しかし、張り詰めた空気と無言の圧力に、これ以上は危険と判断もした二人は、ここでもう一つの方法を取る事にした。

「シルフよ。この森の老竜に伝言を頼む」

 ヴィゴがそう言って、指輪から出て来た大きなシルフに向かって話しかけた。

 彼女は頷くとくるりと回っていなくなる。

 高位のシルフは、かなりの長文も覚えてくれる。恐らく老竜の所まで行って伝言を伝えてくれるだろう。

「さて、少し森を見回るか」

「そうですね、案内します。こっちに大きな湖があるんですよ」

 何度も蒼の森の上空を飛んだルークは、大体の目印になるの物の位置を覚えている。

 大きな岩だったり、一際大きな木だったり、湖や山の形も目印になる。

 やはりどう考えても、ここに森の住民達の住む場所があった筈だ。

「せめて会えればなぁ」

 思わず呟いて、その場を後にした。

 しかし、いつまでもずっと背中に圧力のある視線を感じて、心臓はいつもの倍以上の早さで脈打っていた。




 午前中いっぱい何度も森の上空を巡回している間中、ずっとあの視線は追いかけて来ていたが、結局、老竜からの接触は全く無かった。

「残念だが一旦砦に戻ろう。食事をしてからもう一度作戦を練り直すぞ」

「ヴィゴ、あの……」

 ヴィゴがそう言った時、小さな声でルークが呼びかけた。

「どうした?」

 隣を飛ぶルークを振り返ると、彼の顔面は蒼白になっている。

「俺、……あの……」

 そう言うと、蒼白な顔色からさらに血の気が引き、苦しそうに胸を押さえた身体がゆっくりと傾いた。

「ルーク! 気をしっかり持て!」

 そう叫んで即座に竜の下に周り、落ちて来たルークの身体をギリギリで受け止めた。

 受け止めた衝撃で、ヴィゴの身体も大きく揺れる。

「シルフ、支えてくれ!」

 咄嗟に叫んで、左手でシリルの首にある手綱を掴もうとして滑った。

 あっと思った時には、ヴィゴの身体も抱えたルークごと斜めに傾いた。鞍から完全に身体が浮く。



 落ちる!



 咄嗟にルークの身体を抱きしめて衝撃に備えたが、斜めになったまま、これ以上落ちる様子が無い。

 目を開けると、何人もの見慣れない大きなシルフ達が、ヴィゴの背中や肩を引っ張って支えてくれていた。

「おお、ありがとうございます」

 一斉に押されて、鞍に座り直す。

 手元の手綱を引っ張って身体を起こした。



 竜の鞍には、騎竜のようにはみを咥えさせるような手綱は無い。

 手綱は、鞍を取り付けているベルトと一体になっていて、首を回った長いベルトがそのまま手綱になっているのだ。

 これは、あくまでも竜騎士がバランスを取る為のものだ。



「シルフよ、ありがとうございます」

 振り返ってもう一度礼を言った時、もう先程のシルフ達の姿はどこにも無かった。




 ヴィゴは、意識の無いルークを抱えたまま、無言で呆然と森を見下ろした。

「……助けられたな」

 この高さから落ちていたら、二人とも無事ではすまなかったろう。

 一つ大きく息を吸うと、大声で森に向かって話しかけた。

「この森の竜よ、お助けいただき感謝します。私はファンラーゼン王国の、竜騎士隊より参りました。ヴィゴと申します。この御恩は忘れませぬ。もしも、この森では分からぬ、困った事がありましたら、どうか我々の事を思い出して下され。いつなりと力になりましょうぞ」



 しかし森はもう、鳥の声や葉音がさざめく普通の森に戻っていた。

 あれ程に感じていた、強い視線も気配も全く感じられない。



「砦に戻ろう。ルークよ、残念ながら大騒ぎ再びだぞ」

 苦笑いしながら、意識の無い彼に話しかける。

「オパール、ついてこれるか?」

 振り返って、白竜に話しかけた。

「はい、大丈夫です。主を助けてくださり感謝します」

 怯えるように、翼を何度か羽ばたかせて答えた。

「仕方あるまい。これは確かに格が違うわ」

 首を振ってルークを抱え直すと、ゆっくりと二頭の竜は砦に向かって戻って行った。

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