咳の発作と体の異変

『おはようおはよう』

『朝です起きて』

『お寝坊さん』


 いつものようにシルフ達に起こされたが、目覚めてすぐに違和感を感じた。妙に喉が渇いている。

「おはよ……ゲホゲホゲホ」

 どう言う訳か、咳が止まらない。

 タキスに知られたら、また心配をかける。

 慌てて毛布で口を塞ぎ、無理に息を整えて我慢するとなんとか咳は止まった。



「あれ? 喉が渇いてたの、咳をしたら治っちゃった……なんだろ? 変なの」

 何度か深呼吸をして、落ち着いたことを確認して服を着替えようとしたところで、タキスが起こしに来た。

「おはようございます……おや、今朝はちゃんと起きましたね」

「おはようございます。だって、今日から上でポリーに乗るんだもん」

「そうでしたね。今日は良いお天気ですから、予定通り上の草原でポリーに乗る練習ですね」

「うん、頑張るよ」

 笑って洗面所へ向かった。

 何事もなかったかのように振舞っていたが、話しているとまた、喉の渇きとひりつくような痛みが感じられて不安になった。

「村にいた頃は、風邪なんてひいた事無かったのにな」

 洗面所で顔を洗った後。何度かうがいをしてようやく喉の渇きと痛みが和らいだ。

「よし、今日も元気!」

 鏡に映る自分にそう言うと、居間へ向かった。




 いつもの豪華な朝ご飯を食べてから、食後のお茶を飲んでいると、また咳が出て止まらなくなった。

 慌てて後ろを向いたが、三人にひどく心配されてしまった。

「大丈夫だって、ちょっと噎せただけだよ」

「ですが……」

 タキスが、喉に手を当てて口を覗き込み様子を見てくれる。

「熱も腫れもないですね。痛みは?」

 じっと顔を見られて、思わず目を逸らす。

「……あるんですね?」

「痛いんじゃなくてカサカサする感じ。喉が乾くの」

 視線に耐えきれず、正直に申告する。

 タキスはため息を吐いて立ち上がった。

「喉の痛みに効く飴がありますから、今日のところはそれを舐めてみてください。それと、洗面所にミント水を作っておきますので、うがいはそれでしてくださいね」

「ごめんなさい」

 思わず謝ったが、タキスは笑ってキスしてくれた。

「貴方が謝る必要はありませんよ。今日は、本当なら休んでいてほしいですが、ポリーに乗りたいんでしょ。なら、寒くないようにしてくださいね」

 そう言うと、薬草庫へ幾つかの薬を取りに行った。

「本当に大丈夫か?」

 ニコスとギードも、心配そうに覗き込んでくる。

「本当に大丈夫だって」

 無理に笑ったけど喋るとまた少し喉が痛くなって来て、誤魔化す様にして、こっそり横を向いて唾を飲み込んだ。



 タキスに貰った蜂蜜とハーブののど飴は、効果抜群だった。それに美味しい。

 上の草原に上がる前に、小瓶に入れたのど飴を、ベルトに付けた小さな鞄に入れて貰った。

「ありがとう。これで大丈夫だね」

 レイは笑っていたが、タキスは心配顔だった。

「これは、あくまで飴であって、薬ではありませんから、咳や喉の痛みが一時的に収まるだけで、治るわけではありませんからね。治ったと勘違いしないでください」

 まだ心配そうにしているタキスに笑ってキスすると、広場の掃除をする為に鋤鍬を取りに走った。




「おはようブルー、今日は良いお天気だね」

 いつものように来てくれたブルーに、元気に駆け寄って挨拶をする。

「うむ、しばらくお天気が続くようだぞ」

 嬉しそうに頬摺りしながら、ブルーがそう言った。

「そうなんだ。じゃあ、いっぱい練習出来るね。でも残念でした。今日は、精霊魔法の練習じゃなくて、ポリーに乗るんだよ」

 レイが嬉しそうに言うのを聞いて、ブルーは目を細めた。

「ほう。もうラプトルに乗れるようになったのか。それは大したものだ」

 世話の終わったポリーに、レイが一生懸命鞍を付けているのを、ブルーは後ろから面白そうに眺めていた。

 その後ろでは、ギードがノーム達に、万が一の場合に備えてお願いをしていた。




 まずは、ブルーの前でひらりと乗ってみせる。

 もう、乗り降りは簡単に出来るようになったので、ちょっと自慢気に胸を張ってブルーを見上げる。

「うむ、大したもんだ。なかなか様になっておるぞ」

 褒められて、嬉しくなった。

「では、まずはゆっくり走らせて見ましょう」

 ベラに乗ったタキスが、横に並んでくれた。

「見ててね」

 自慢気にそう言って視線を前に戻すと、ゆっくりとポリーを進ませる。

 練習場と違い地面がデコボコな為、バランスを取るのが難しい。何とか必死にバランスをとって、タキスに付き添われて草原をゆっくり一周まわった。

「ほら、上手に乗れたでしょ」

 嬉しそうにブルーを振り返った瞬間、バランスを崩してずり落ちるように背中から落っこちた。

「……またお世話になりました。ありがとうございます」

 空を見上げたまま硬直していたが、とりあえず、受け止めてくれたノーム達にお礼を言う。


『良い良い』

『励め励め』

『落ちても我らが受け止めるぞ』


 妙に嬉しそうに言われて、何だか悔しくなった。

「ああもう! もう一度やる!」

 一気に立ち上がって手綱を掴もうとした時、急に膝の力が抜けた。

「うわっ!」

 前のめりになっていた身体を止められず、そのまま顔から地面に激突……はしなかった。


『何事か?』

『如何致した?』

『乗る前に転ぶとは如何いかに』


 耳元で聞こえていた、呆れたようなノーム達の声が遠くなる。

 何かおかしい、と思った時には体が全く動かず、そのまま目の前が真っ暗になって、意識が遠くなった。



「……レイ……っかり……」

「レイ……聞こえ……レイ……」

 誰かが自分を呼んでいる。だけど、酷い耳鳴りがして声がよく聞こえない。

 心臓が物凄い速さで脈打っている。全力疾走しても、これほどにはならないだろう。

 それなのに、体は氷のように冷たく感覚が遠い。

 ようやく体に感覚が戻ってきた。呼びかけに応えようと口を開いた直後、物凄い喉の痛みと共にえずくような咳が出た。

 咄嗟に体を横にして、丸くなって口を押さえる。

 それでも咳が止まらない。

 誰かが背中を撫でてくれたが、お礼を言う事も出来なかった。せっかく明るかった目の前がまた暗くなり、抵抗も虚しくそのまま意識を失った。




 目を開いた時に見えたのは、いつもの見慣れた天井だった。

 起きようとしたが、身体が石になったみたいに重くて動かない。何とかゆっくりと首を動かして横を向くと、泣きそうな顔で覗き込むタキスと目が合った。後ろには、同じく心配そうな顔のニコスとギードもいる。

 何か言おうと口を開いたが、喉が張り付いたようで声が出ない。

「喋らないでください。熱はありませんが、貴方の体の状態は、明らかに異常事態です」

 額にキスして、また泣きそうな顔をする。

「貴方の体に何が起こっているのか、私には分かりません。痛みがあれば分かるはずなのに……」

「だいじょう……どこも、痛く、ない、よ」

 ゆっくり話すと、何とか声が出た。

「無理に喋らないで。お願いですから今日はもう休んでください」

 そう言うと、少し体を起こして水を飲ませてくれた。

 喉の痛みが少し楽になり、もっと飲みたくて口を開けた。直ぐに理解してくれて、また飲ませてくれる。

 何度か水を飲んでから、また横になった。



 手足の先が冷たくて、感覚が妙に遠い。自分の体が、全く自分の思う通りに動かないのは、初めての経験だ。不安になって、タキスを見ると涙が出てきた。

「大丈夫です。必ず原因を調べます。貴方はどうか安心して休んでください」

 タキスがしっかりと抱きしめてくれて、何度も額にキスしてくれた。

「ごめんなさい」

 謝る事しか出来なかった。

 こんなに良くしてくれるのに、心配ばかりかける自分が情けなかった。

「……ごめんなさい」

 また音が遠くなり、目の前が真っ暗になった。




 翌朝、レイは空腹で目を覚ました。

 あんなに痛かった喉の痛みは、綺麗さっぱり消えていて体は快調そのものだ。試しにゆっくり大きく深呼吸をしてみたが、どこも何ともない。

 ただひたすらに、お腹が空いた。

 ゆっくりと体を起こすと、シルフ達が喜んで側に来てくれた。


『おはようおはよう』

『もう大丈夫?』

『どこも痛くない?』

『無理は駄目』


「おはよう。えっと……ほんとに何ともないよ。何なんだろう」

 シルフに答えながら左手が動かなくて驚いて横を見て、また驚いた。

 タキスが、床に座り込んだ状態でベッドに突っ伏して寝ている。

 レイの左手は、タキスの手にしっかりと握られていたのだ。

「もしかしてこれって、もしかしなくても一晩中付いててくれたんだよね」

 横に置かれた机には、いくつかの薬草や、薬を作る道具が無造作に置かれている。

 火はついていないいが、薬湯を作るための簡易コンロと小鍋まで置いてあった。

 申し訳なくて、どうしたらいいのか分からない。無言で慌てていると、タキスが目を覚ました。



 起き上がって顔を上げたタキスと、まともに目が合った。



「……えっと、おはようございます」

 なんと言って良いのか分からなくて、咄嗟にいつものように挨拶をする。

「レイ……起きても大丈夫なんですか」

 呆然と顔を見たまま、タキスが呟くように言う。

「えっと、心配かけてごめんなさい。あの、ほんとに自分でも不思議なんだけど、ほんとに大丈夫です。喉も全然痛くないし、普通に元気なの。何でだろう?」

 困ったように笑って言うと、いきなり抱きしめられた。

「良かった。良かった……本当にどこも痛くないですか?苦しくないんですか?」

 大丈夫な事を知らせるように、タキスの体を力一杯抱きしめ返した。

 指の先まで、自分の思った通りに動く。どこも痛くないし、耳も普通に聞こえる。

「ほんとに大丈夫。なんなら今からラプトルにでも乗れるよ」

 冗談のつもりだったが、真顔で反対されて、慌てて謝った。

 その様子を見て、ようやく本当に大丈夫のようだと信じてもらえたみたいだった。

「それにしても、昨日の発作は何だったんでしょうか?あんな状態は、初めて見ました。どんな感じだったんですか?」

 答えようとした時、大きな音でレイのお腹が鳴った。

 無言で顔を見合わせ、そのままタキスがレイのお腹を見る。直後にレイの顔は真っ赤になった。

「ご、ごめんなさい。だって、お腹が空いて目が覚めたんだもん」

 枕に抱きついて、誤魔化すように大声で言うと、タキスがホッとしたように笑って背中を叩いてくれた。

「本当に元気になったようですね。まずは食事にしましょう。良い事です。食べられるなら、しっかり食べてください。詳しい話は、食後にしましょう」

 そう言ってベッドに座るレイをもう一度抱きしめて、額にキスしてからタキスは立ち上がった。

「あの……」

「何ですか?」

 思わず声をかけたら、直ぐにこっちを向いて返事をしてくれた。

「あの、昨日はずっと付いてくれてたんだよね。僕、ほんとに大丈夫だから、食事したら少し休んで下さい。僕がその分働くから」

「貴方って子は……」

 大きなため息をつくと、もう一度、戻って抱きしめてキスしてから、泣きそうな顔でレイの額に自分の額を当てた。

「その台詞は、そっくりそのまま貴方に返しますよ。食事が終わったら、貴方は今日は一日ベットの上です。大丈夫でも、休んでください」

「だって、ほんとに大丈夫なんだよ」



 すると、タキスは本気で怒ったようにレイを睨んだ。



「駄目です。貴方は、今日は、一日、お、や、す、み、で、す」

「……はい」

 了解の返事以外、とても聞いてくれそうに無い勢いだった。

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