森の大爺と最初の異変

 その日の朝、レイは、ひりつくような喉の痛みのせいでシルフ達に起こされる前に目を覚ました

「あれ……なんだろう?」


『おはようおはよう』

『起きた起きた』


 いつものように、笑って髪を引っ張るシルフに挨拶する。

「おはよ……ウゲホッゲホッ」

 声を出そうとすると喉に何かが引っ掛かったような違和感があり、急に出た咳が止まらなくなった。

 慌てて毛布に突っ伏して口を押さえて、必死で息を整えようとした。

 周りではシルフ達が、そんなレイを見て慌てふためいてアワアワと意味も無く飛び回っている。

「レイ! 大丈夫ですか」

 起こしに来てくれたタキスが驚いて駆け寄ってくると、咳き込んで丸くなっている背中を撫でてくれた。

「ご、ごめんなさい。大丈夫だから……」

 ようやく息が出来るようになって顔を上げると、真剣な顔のタキスと目が合った。

 彼は黙って、レイの額に手を当てて体温を見ると、ため息をつく。

「熱はありませんね。口を開けてみてください」

 喉に右手をやりながら左手で口元を突く。素直に口を開いた。

「喉は……少し赤いですかね。脈も正常。昨夜は寒かったですか?」

 ベッドはフカフカの毛布とお布団のお陰で、毎晩快適そのものだ。何度も首を振る。

「もう大丈夫だよ。ちょっと何かにせただけだって」

 心配そうなタキスに、笑って胸を張る。

「ですが……」

「ああ! もうほんとに大丈夫だから!」

 大きな声でそう言うと、急いでベッドから降りる。

 さっさと着替えてしまうと、こっちを見ているタキスの手を取った。

「顔洗ってくるから、行こうよ。先に戻ってて」

 まだ何か言いたそうだったが、それ以上何も言わずに立ち上がった。

「わかりました。でも、少しでもおかしいと思ったら、直ぐに言ってくださいね」



「おはようさん。今朝はよく晴れとるぞ」

「おはようございます。今日は久しぶりに上の草原へ行けますね」

 いつもの席に座ったギードと、振り返ったニコスも笑顔でレイに挨拶してくれる。

「おはようございます。それなら今日は、上の草原で皆のお世話の後は、精霊魔法のお稽古かな?」

 いつものお皿を出しながら、タキスを見る。

 ため息を吐いたタキスは、椅子に座わらずにレイの横に膝をついた。

「本当に、大丈夫ですか?」

 まだ心配そうにしているタキスに、レイはキスをすると肩を竦めた。

「ほんとに、ちょっとせただけだって! ほら、どこも何ともないよ」

 両手を広げて目の前でくるりと回ってみせる。

「どうした、何かあったのか?」

 ギードが、タキスを見ながら不思議そうに聞いた。

「先程、起こしに行ったら酷く咳き込んでいたんです。熱も無いですし、脈も正常。大丈夫と本人は言ってますが、でも少し喉が赤いように思いますね……」

「だから、ほんとに大丈夫だって!」

 心配そうに揃って自分を見る大人達に、困ったようにレイが笑う。

「ごめんね心配かけて、ほんとにもう何とも無いよ」

 元気さを見せるように、ぴょんぴょんと飛び跳ねて見せる。



 その時、机の上に現れた一人のシルフが、こう言った。

『蒼竜様から伝言伝言』

 ギードの腕に座るとこう続けた。

『今日は気候も良いので』

『森の大爺の元へレイを連れて行く』

『寒く無いよう準備しておいてくれ』

『だってさ!』

「おお、森の大爺だと! それは……出来る事ならワシも行きたいわい」

 シルフの言葉を聞いて、ギードが興奮したように目を見開いて、大きな声でそう言った。

「森の大爺?初めて聞きますね」

 タキスが、不思議そうにギードを見る。

 ニコスも、お皿に目玉焼きを取り分けながらギードを見る。

「俺も初めて聞くぞ。森の大爺って?」

 二人どころか、レイにまで不思議そうに見つめられて、ギードは苦笑いする。

「無論、ワシも噂でしか知らぬよ。この森の深部に、樹齢数千年になると言う巨樹があるそうだ。その樹には、創生の頃より宿し樹の精霊がおるのだとか。エントと呼ばれるのが、その精霊だ」

「それって……」

 タキスが、呆然とギードを見て呟く。

「そう、精霊王の物語に出て来る、あのエントじゃよ。伝説のお方にお会い出来るとは羨ましいの。お会いできたら、どんな風であったか教えてくれ」

 レイの頭を撫でながら、どこか遠くを見ているような表情で話すギードは、何故かとても寂しそうだった。

「さあ、まずは食べてしまおう」

 気持ちを切り替えるように、ギードが笑ってフォークを手に取った。

「そうですね。冷めてしまいますから、まずは頂きましょう」

 ニコスも、そう言って席に着いた。




 いつもの広場の掃除を手早く済ませ、皆を連れて上の草原へ上がる。

 レイは、お出かけ用にリュクを背負い、マントを羽織っている。

 リュクの中には、薄い毛布と座るときに地面に敷く厚手の布、水筒とミルクの入った瓶、それから軽食とおやつのビスケットが入っている。

 家畜達の世話をしていると、頭上に大きな影が現れた。

「おはようブルー。良いお天気になったね」

 見上げて手を振るレイの側に、大きな体は音も無く降り立った。

「うむ、先程伝言した通り、今日は森の大爺が起きておられるようだから挨拶に行こう」

「さっきギードが言ってたんだけど、森の巨樹に棲んでる樹の精霊様なの?」

「そうだ。さすがはドワーフ、よく知っておるな」

 ギードを見ながら、感心したように言った。

「ワシがその噂を聞いたのは、もう何十年も前の事です。冒険者達の出入りする、他所の国の酒場での……与太話ですよ」

 また寂しそうな表情で、地面を見ながら呟くように言った。

「噂にも真実は有る、その良い例だな」

 目を細めたブルーが言うと、もう一度ギードを見つめた。

「まさか、本当に今もまだおられたとは驚きです。レイよ、お会い出来たらどうかワシの分までよろしくお伝えしてくれ」

 顔を上げて蒼竜を見た後、レイの背中を叩いて笑った。しかし、それはまるで泣いているような、無理をして笑っているような笑顔だった。

「ブルーお願い。ギードも連れて行っちゃダメかな?」

 驚いたように目を瞬いたブルーは、もう一度ギードを見て目を細めた。

「構わぬぞ。何なら皆も行くか? 森の大爺も、賑やかで喜ばれよう」

 三人は、驚きのあまり声も無い。

「あ、有難きお申し出なれど……家畜や騎竜達をここに放ってはおけませぬ」

 我に返ったギードが手を振りながらそう言うと、蒼竜は辺りを見回して頷いた。

「それなら、シルフとノーム達にここの守りをさせておこう。それなら構わぬだろう。待っておる故、出かける準備をして参れ」

 そう言うと、何度か足踏みして足元の土を抉った。それを見て黒頭鶏くろあたま達が大喜びで走り寄って来る。

 満足そうにそれを見ると、側の岩の上に丸くなって座った。

 レイが、嬉しそうに振り返って皆を見た。

「一緒に行こうってさ! 待ってるから準備して来てよ。僕はその間に、牛と羊にブラシをかけておくね」

 まだ呆然としている大人達を、扉の中に追いやると、ブルーを見上げて大きな尻尾に飛びついた。

「ありがとうブルー。皆で一緒にお出掛けするのは久しぶりだね」

「そうだな。それにしても背が伸びたな。それに、身体も一回り大きくなったのでは無いか?」

 嬉しそうにそう言うと、顔を上げてその体に頬摺りした。

「毎日、腹筋と腕立て伏せとか頑張ってしているんだよ。絶対、ギードを投げるんだから!」

 勇ましく宣言する主を不思議そうに見つめて、首を傾げた。

「あのドワーフをか? あれを投げるのは……其方には無理だろう」

「そんなの分かってるよ! これは目標なの!」

 笑ってそう言うと、先日の組手でギードを投げ損なって押し潰された話をした。

「それは無謀にも程があるな。自分の力を見切るのも能力の内だぞ」

 可笑しそうに目を細めて言うと、もう一度頬摺りする。

「我の主は努力家だな。それでは、ドワーフを投げられる日が来る様に、其方の健闘を祈っておこう」

 笑って大きな額にキスを贈ったレイは、ブラシを持って牛の所へ走っていった。



「お待たせいたしました、蒼竜様」

 上着を着て包みを持った三人が上がって来たのを見ると、蒼竜はシルフとノームに草原にいる子達を守る様に命令した。

『了解了解』

『待ってる待ってる』

『あの子達と遊んでおります』

『我らに万事おまかせあれ』

 皆口々にそう言うと、家畜達やラプトル達の所へ飛んで行った。

「さて、それでは参ると致そう」

 皆を背に乗せると、ゆっくりと森に向かって飛び去った。

 草原では、それを見送ったラプトル達が、走り回るノームと、追いかけっこを始めた。




「いつもながら、すごい眺めだな」

 ニコスが呟く声に、タキスも頷いた。

「本当に、夢の様な光景です。飛んでいる鳥を見下ろすなんて……」

 タキスの視線の先には、大きな翼を持った黒鷺が二羽仲良く並んで飛んでいる。

「仲良しだね。番いかな?」

 レイが、黒鷺達を見ながら呟く。

「恐らくそうでしょうね。遠くて分かりませんが、少し小さい方が雄だと思いますよ」

 そんな風に景色を楽しみながら飛んでいると、目的の森に着いたらしく、ブルーが旋回を始めた。

 すると、森の一部がゆっくりと広がり始めた。見ている間に、大きな空間が出来て、小さな地面が顔を出す。

「あそこに降りるぞ」

 そう言うと、ゆっくりと降りて行った。

 驚くほどに樹高が高い。蒼竜の身体でさえ、完全に隠れてもまだ地面が遠かった。

 ようやく薄暗い地面に降り立つと、タキスを先頭に順番に降りて行く。最後にギードが、何とか自力で降りてきた。



「大爺、久しいな」

 蒼竜の降り立った草地の横には、壁かと見紛う程の巨大なオークの樹が、枝を広げていた。

 皆、声も無く目の前にそびえる巨樹を見上げていた。

 その時、幹の一部がゆっくりと動いた。

『久しいな、蒼き竜の子よ。主を得たそうだな。それは重畳ちょうじょう重畳。己の一部だ、大事になされよ』

 辺りに響く様な、太く重い声がゆっくりと話し始めた。

 樹の間から現れたそれは、曲がりくねった幹の一部の様だが、その先端の大きな瘤には対になった目があり、明らかにこちらを見ている。

「紹介しよう。我の主だ。以後、見知り置かれますようにお願い申し上げる」

「えっと、はじめまして。レイです」

 なんと言って良いか分からず、まずは挨拶してみる。

 幹の一部の目は、一度瞬くと、嬉しそうな声でゆっくりと話しはじめた。

『おうおう、何と幼き雛じゃ。愛らしや愛らしや。闇の眼の陥穽かんせいから戻ったそうだな。無事で何より、無事で何より。もう、あの様な事の無き様、森の結界を強化した故、安心なされよ。幼き雛よ』

 驚いてブルーを見上げると、安心させる様に大きく頷いた。

「この森の結界は、このお方が守って下さっておる。もうあの様な事は、決して起こさせぬ故、安心しろ」

 和やかに話すレイ達から少し離れた場所で、大人達は無言で固まっていた。

「ま、まさか、本物のエントにお会いできる日が来ようとはな……」

「本当です、言い伝えの通りのお姿で、話しておられる」

 ニコスとタキスが呆然と呟く横で、ギードが膝をついて泣いていた。

「フォルク、トビアス、なぜお前らがここにおらぬのだ……本当に……本当に……」

 振り返ったレイが、驚いて駆け寄った。

「ギード、どうしたの? 大丈夫?」

 すがりつく様にレイの手を取ると、何度も何度もその手をさすり、額におし戴くようにして、ギードはまた涙を流した。

「ありがとうございます、ありがとうございます。大切な友の夢が、一つ……叶いました。ありがとう……ございます……」

 どうしたら良いのか分からず、ギードの肩を撫でていたレイの背後から、静かな声が響いた。

『そこなドワーフよ、我は、其方の血族を知っておるぞ。よくぞこの森に帰ってくれた。待っておったぞ』

 この声に、ギードは、弾かれた様に顔を上げた。

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