護る者達
主を連れ去られ、激怒して飛び去った蒼竜を呆然と見送った三人は、しばらく経ってようやく動けるようになってから、倒れていた雪の上からなんとか身を起こした。
「何と言う事だ。まさか目の前で、ああも易々と
「全くだ。しかもあの蒼竜様のお怒りを見たか。まだ震えが止まらんよ」
ギードとニコスは、まだ呆然としたまま
「確かに、我らの敵う相手では無いようだ……彼の事は蒼竜様にお任せして、我らは戻って家を護ろう」
「お、おう。確かにそうだ。あの子の戻る場所を護らねばな」
まだ呆然と、空を見たまま話す。
二人は、話す事で何とか冷静さを取り戻そうとしていた。
タキスは未だ呆然と空を見上げて、言葉も無く固まっている。
立ち上がったギードが、側に行き肩を叩いた。
「しっかりしろ。蒼竜様に言われたように、直ぐに家へ戻るんだ。邪気を払い家を護らねばならぬ。お主の知識が必要だ」
「……護る……」
「そうだ、いつまでぼんやりしておる。早く戻るぞ。立て。立って柊を拾え」
地面に落ちた柊の枝の入った籠を拾いながら、ギードはわざと厳しい口調で叱責する。
その声に我に返ったタキスは、慌てたように立ち上がると、体に付いた雪を払いもせず柊を拾い集めた。
「帰りましょう。確かに貴方の言われる通りです。あの子の帰る家を護らねばなりません」
大急ぎで柊の入った籠や荷物を、イチイの木を積んだ荷車の隙間に積み込み、ギードが御者台に、二人は荷車の縁に座る。
力綱を打つと、トケラはかなりの早足で歩き始めた。まるで、一刻も早く戻らねばならない事が、分かっているかのように。
家に着くまでの間、誰一人、一言も喋らない。
時折、精霊達が現れて荷車の縁に座るが、三人は何も言わない。
精霊達も黙って彼らに寄り添った。
家までの道程が、これ程遠く感じた事は無かった。ようやく家の上の草原に出た時、三人の口からは殆ど同時に溜め息がもれた。
「シルフ、柊の枝を持って行って、廊下と家の空気取りの全ての窓を護って下さい。急いでお願いします」
ギードの家の、勝手口の前に停めた荷馬車から飛び降りながら、タキスが現れたシルフ達に声をかける。
『了解』
『了解』
現れた何人ものシルフ達が、籠に盛られた柊の細い枝を、次々と手折って持って行く。
「
『了解』
『了解』
今度は、ウィンディーネ達が現れて、シルフの後を追っていなくなった。
「光の精霊。家の中の全ての浄化処置をお願いします。それから部屋や廊下、家畜や騎竜のいる広場や階段に、
現れた光の精霊達にきつい口調でそう言うと、振り返った。
「すみませんが、この子の世話をお願いします」
トケラの鼻先を撫でながら、ギードにそう言うと、両手に柊の入った籠を持って、足早に勝手口から家へ入っていく。
残りの籠と、シルフ達が手折って荷車の中に落ちた柊の枝を拾って、ニコスが無言で後に続いた。
誰一人お互いの名を呼ばない。
闇の冥王の眷属である闇の眼が現れ、どこから見ているか分からない今、迂闊に名を呼ぶ事は自殺行為だ。
「……しっかりしろ!」
水場の大きな水桶の前に立って、震えている事を自覚したタキスは、持っていた籠を足元に下ろして、自分の頬を両手で打った。
「しっかりしろ! 何も考えるな! 今は、自分が出来うる限りの事をしろ!」
目を閉じて自分に言い聞かせるようにそう言うと、大きく一つ深呼吸してから顔を上げ、水桶の中に柊の枝を出して手を切るような冷たい水で洗い始めた。
「柊はこれだけだ。後は何をしたら良い?」
籠を持ったニコスが水場に駆け込んで来た。
「ここをお願いします。全て流水で洗い、水を切ってから柊を二本と、今から私が持ってくるセージの枝を一本、紐で扇状に束ねて、それをありったけ作って下さい。私は香炉で焚く為のハーブを調合します」
「了解だ」
タキスの背を叩き、顔を見て頷く。
「お願いします」
タキスも、顔を見返し頷いた。
その後は、言葉も無くニコスは水場で柊を洗い始める。
振り返りもせず、足早にタキスは薬草庫へ向かった。
食料庫の隣に、タキスの作る薬の材料や在庫を置く為の薬草庫がある。
その部屋に入ると、まず先に、壁に吊るしたセージの束を丸ごと持って水場へ走った。
セージをニコスに無言で渡して急いで戻ってくると、戸棚からいくつものハーブの入った瓶を手早く選んで確認しながら机の上に出していく。
「ニガヨモギの新芽とセージ、ペパーミント、ローズマリー、後はタイムとオレガノ、サンダルウッド……」
準備が整うと、大きなすり鉢に手早く用意したドライハーブを計って混ぜていく。
細かくすり潰したドライハーブの入った鉢を机に置くと、壁の作り付けの戸棚から、いくつもの香炉を取り出して机に並べる。
小匙で、すり潰したハーブの粉を中に盛り、火蜥蜴を呼んで火を付けてもらう。
火の付いた幾つもの香炉をワゴンにまとめて乗せると、家中の扉や大きな窓辺に順に置いていった。
香炉が無くなるともう一度薬草庫へ戻り、残りの香炉にも同じように、ハーブを入れて火を付けてワゴンに乗せて、ギードの家の扉や窓にも同じ様に置いていった。
「あと、これだけあります。仕事部屋は、入ってませんのでご自分でお願いします」
トケラの世話を終えて戻ってきたギードに、トレーにまとめて置いた香炉を渡した。
「おう、了解だ。直ぐに置いてくるわい」
そう言って、トレーごと持って奥の部屋へ入って行った。
「シルフ、煙を廊下と全ての部屋に循環させて下さい」
現れたシルフにそう言うと、部屋へ戻った。
見送ったシルフは、言われた通りに風を起こし、香炉から出る煙の帯を家中に巡らせていく。あちこちに置いた香炉にも、それぞれシルフが現れて同じ様に煙を巡らせ始めた
ニコスの作ってくれた柊とセージの束を、扉や窓辺に打った金具に全て吊るしていく。その後を追う様にして、水の精霊達が柊の束に聖水を振りかけて回った。
ようやく全ての作業が終わると、三人は集まった居間の椅子に、崩れる様に座り込んだ。
三人とも、残った柊の枝を持ったまま、握りしめたその手を離さない。
シルフが、居間に置かれた香炉の番をしている。
皆、無言でそれを見ていた。
怖いくらいに張り詰めた緊張感の中、突然シルフが現れて現状を報告してくれた。
『蒼竜様が奴を見つけた』
『奴は闇の中に逃げ込んで出てこない』
『捉えたまま睨み合ってる』
また別のシルフ達が現れたが、今度はかなり慌てた様子で立て続けに話す。
『蒼竜様は怒ってる』
『最強の雷を使うかもしれない』
『窓を開けてはいけない』
『窓のない部屋へ逃げて』
『窓の無い部屋へ逃げて』
それを聞いた三人は、無言で立ち上がって、家畜や騎竜のいる広場へ急いだ。
彼らも異変を感じているのか、不自然なほどひと塊りになってじっとしている。
「もう一つ地下へ避難するぞ、ついて来い」
ギードがそう言うと、皆大人しく従った。
上の草原へ登る螺旋階段の反対側に、下へ降りる階段がある。
急いで階段を降りて、下の部屋へ入った。
そこは上とほとんど同じ大きさの広場になっているが、真ん中に太い柱が立っている。
タキスが、持っていた柊の束をその柱に吊るした。
「すまぬが、しばらくの辛抱だ。ここにおってくれ」
家畜達も騎竜のそばから離れず、皆、先程と同じ様にひと塊りになって、怯える様にじっとしている。
「大丈夫じゃよ、蒼竜様を信じて待とう」
不安そうにするベラとポリーの、首筋を軽く叩いてから三人は広場を出た。
ギードが広場の扉を閉めると、外から大きな鍵をかけて、鍵の上に持っていた柊の束を吊るした。
階段を上って家へ戻ると、窓のあるいつもの居間ではなく、廊下の奥側の窓の無い部屋へ入った。
扉を閉めると、ニコスが持っていた柊の束を扉に吊るした。
その部屋は普段は使われていないが、綺麗に掃除はされている。空気窓から、ゆっくりと香炉の煙が流れて部屋中を清めた。
部屋には、こじんまりとしたテーブルと椅子、それにソファが置いてあり、三人はそれぞれ椅子やソファに腰掛けた。
「……今は信じて待つ事しか出来ないのは分かっていますが、ただ待つだけなのは辛いですね」
タキスがため息を吐いて呟くと、机に突っ伏した。
「それでも、今は待つ事が我等の役目だ。迂闊に動いて、我等まで奴の術中に嵌れば、取り返しのつかん事になる」
ギードも、腕を組んで目を閉じる。
「こんな気持ちで誰かを待つのは……いつ以来だろう」
何かを思い出す様に、ニコスは肘を立て、握った両手に額を当てて祈る様に目を閉じた。
沈黙が部屋を支配する。
突然、地震のような地響きと共に轟音が響いた。
石の壁がビリビリと震え、その衝撃を伝える。咄嗟に顔を上げた三人は、無言で宙を睨む。
固まったように動かない三人の前に、突然シルフが現れて嬉しそうに跳ね回り始めた。
『戻った戻った』
『無事のお戻り』
『奴は散って無くなった』
『良かった良かった』
何人ものシルフが現れて、テーブルの上でくるくると輪になって踊り始めた。
三人は同時に立ち上がって声を上げた。
「やった! やったぞ!」
「素晴らしい、さすがは蒼竜様だ!」
「ああ、やってくれましたか」
三人はお互いの肩や背中を叩き合い、先を争う様に部屋を出て廊下を走る。
そのままギードの家まで走ると、勝手口を開いて転がる様に外に飛び出した。
暮れ始めた空の中を、大きな影がこっちへ向かって飛んでくるのが見えた。
三人は空を見上げたまま無言で待った。
やがて巨大な竜が到着し、目の前にゆっくりと降りてくる。
その背中には、確かに真っ赤な髪の少年が座っている。
「レイ!」
タキスが、それを見て我慢出来なくなった様に駆け出した。二人も後に続く。
「ただいま! ただいま!」
蒼竜の背から飛び降りてきた少年が、タキスに飛びつく。
タキスは言葉も無く、飛び込んできた体を力一杯抱きしめた。
「本当に貴方なんですね。よく……よく無事で……」
抱きしめた確かな暖かさに涙があふれる。
「全く、さすがは蒼竜様だわい」
「おお、本当に良かった。どこも怪我はないか?」
ギードとニコスも、タキスに代わって交互に抱きしめて、レイの額や頬に何度もキスをした。
キスするギードの髭に擽られて、レイは声を上げて笑った。
「ギード! 待って! お髭がくすぐったいよ!」
もう一度、泣きながらタキスがレイを抱きしめた。
「心配かけてごめんなさい、怪我はないよ。タキス、お願いだから泣かないで。僕はちゃんと帰ってきたから」
顔を上げて、泣きじゃくるタキスの頬に何度もキスをした。
「あのね、エイベルに会ったよ」
タキスが、弾かれた様に顔を上げた。
「今……今なんて言いました?」
「奴に捕まって、どうしたらいいのか分からなかった時に、助けに来てくれたの。僕達、友達になったんだよ」
呆然とレイの顔を見つめる。
「エイベルの事、忘れない。もう二度と会えなくても、大切な友達だよ」
「あの子と……友達に?」
レイは、タキスの顔を見て頷いた。
「いつか、輪廻の先で会えることを信じてるって、そう言ってたよ」
あふれる涙のまま、もう一度抱きしめた。
「それから……タキスに伝えたい言葉はもう伝えたって、そう言ってたよ。何の事だか分かる?」
「精霊王よ、感謝します……ええ、ええ、確かに聞きました、あの子の言葉は、確かに私に伝わってます」
レイの額にキスをして、抱きしめた手を放した。
それから、じっと顔を見て泣きながら笑った。
「お帰りなさい、貴方の家へ。皆、貴方が帰ってくると信じて待ってましたよ。愛しい私達の養い子」
今度は、レイが泣きながらタキスを抱きしめた。
「うん、僕の家はここだよ。……ただいま」
噛みしめる様にそう呟くと、もう一度抱きしめたタキスの頬にキスをした。
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