【仲間と愛と御法度と】SFPエッセイ082

 ちょっと出てくるよと家人に声をかけて近所をぶらぶらする。今年の秋は残暑もなく、なかなか止まなかった雨がようやく途切れ、これぞ秋晴れという日が続いている。つい先日までやかましかった蝉の声も最早聞こえてこず、草むらからはリリリリと秋の虫が求愛の音楽を奏でている。日差しはまだ少々厳しいが、蒸す感じはもうない。からりと爽やかな空気の中をふらりふらりと歩いて行く。商店が軒を連ねるあたりに差し掛かって豆腐屋のおかみさんと焼き鳥屋の親父に挨拶をする。朝晩が寒いくらいだね、うちはもう掛け布団を替えたよなどと他愛もないことを言い交わす。

 

 変われば変わったもんだなと思う。

 

 地方から上京してきたばかりの学生の頃、自分はできるだけ他者と関わるまいとしていた。一挙手一投足、誰かしらが見ている田舎暮らしは窮屈でたまらなかった。だから誰にも干渉されず、誰にも干渉することなく、根無し草のように生きていくことこそが自由で素晴らしいことだと思っていたからだ。いまだってそういう気持ちが全くないわけではない。することなすことに構われるのはたまらない。けれど当時と決定的に違うのは、自分は一人きりで生きているわけではない、ということを肌身を持って知っている点だ。

 

 学生の頃にはバンドをいくつもつくっては潰した。音楽性の違いだとか、あいつには協調性がないからとか、しばらく旅に出るとか、その都度あれこれ理屈をつけていたが、そんなのはみんな言い訳に過ぎなかった。単に自分が他のバンドメンバーと上手に関係を築くことができなかっただけなのだ。

 

 いまならそれがわかる。でも当時はわからなかった。

 

 こういうことは最初から難なくできる人もいれば、自分のように何度もしくじりながら、たくさんの経験を通してようやく身につける人もいる。どちらが偉いという話ではないのだろうが、他人にたくさんの迷惑をかけた分、できれば最初から身につけていたかったと思う。しかしまあ、この歳になってそんなことを嘆いても仕方がない。何も身に付けなかったよりはマシだと思いたい。

 

 学生の頃にだって何も気づかなかったわけではない。

 

 バンドを5つも潰すに至ってさすがに、自分は他者とのコミュニケーションにおいて何らかの欠陥があるらしいということに気づいた。その頃から他人が何を言いたいのか、何を言いたいのに言えないでいるのか、何を考えているのか、何を考えたいのに考えることができないのかといったことに興味が湧くようになり、ひたすら観察する癖がついた。それはそれで周囲の人間をひどく気味悪がらせたし、緊張させた。おかげで卒業するころまでに友人はほとんどいなくなった。

 

 社会に出るにあたって、半官半民の世論調査の仕事をするようになったのは、ある種必然的だったとも言える。どんな思想信条にも帰属することなく、世論がどのように形成されていくのか、それは大きく成長しそうなのか、早々に失速しそうなのか、そういう動きを現場で観察し、分析し、レポートする。それはまさに当時の自分にうってつけの仕事だった。かつて文化人類学者が異文化の中に飛び込んで、自分の知る文化とは全く異なる風俗習慣を観察する中で、その文化の持つ世界観・宗教観・価値観の体系を見つけ出したように、自分は新興の政治結社、宗教団体、草の根運動のサークル、デモ、集会、祭礼に足を運び、結社のメンバーや団体員、信者、群衆の一人となり、ひたすら観察し、分析し、レポートした。

 

 その体験は極めて大きな財産となった。

 

 自分のレポートは政府の関係部署で高い評価を受け、徐々に直接指名がかかるようになり、また調査対象の指定を細かに受けるようになってきた。当然のこととして、それが反政府運動や政府にとって好ましくない言論の監視だということはわかっていた。いわば政府の犬である。しかし、そんな呼称は自分には関係のないことだった。現場に身を置き、観察し、分析し、レポートする技術が高く評価されたことを誇らしく思うだけだった。

 

 後に〈大災厄〉と呼ばれることになったあの出来事がきっかけとなり国が東西に分断され、それぞれが独立政府を持つようになって間も無く、「西」からの依頼が来るようになった。分断以前であれば「東」も「西」もなく現場に足を運び、観察し、分析し、レポートするだけだった。しかし分断以降は別な政府となったので、「西」からの依頼は厳密に言うと「他国」からの依頼とみなすべき状態だった。でも当時、大混乱状態にあった中枢の人間は誰もそのことに気づいておらず、自分はその問題に気づいていたが、あえて気づかぬふりをした。分断以前と同様に仕事をすればいいと考えるようになっていた。

 

 言って見ればこれは二重スパイのようなものだった。しかし自分にとって、これは大きな転換点になった。雇い主が増えると同時に自分の中で意識が決定的に変わったのだ。

 

 今までの自分は政府からの依頼で動く一調査員にすぎなかった。けれどもその時点から、自分は雇い主に選ばれる側から、雇い主を選ぶ立場に変わったのだ。その場合の雇い主とは、単に「東」と「西」だけを意味しなかった。調査対象として潜入している団体や結社、サークルを自分の雇い主とみなすこともできると気づいたのだ。

 

 そして彼らと出会った。いま自分が世話役を務めているこの国のメンバーと出会った。生まれて初めて仲間を得て、そしていま生活を共にしている家人と出会い、そしてかつての雇い主に対する裏切りを実行することとなった。人生の終わりを前に、その全ての経緯を一冊の書物に(予定よりずいぶん大部になってしまった)まとめた。

 

 『仲間と愛と御法度と』。

 

 この物語は、自由が丘共和国独立にいたるまでの、四半世紀に及ぶ住民運動の記録であると同時に、一人のコミュニケーションに障害を持つ男が半世紀以上かけて他者との交流に開眼するまでの物語でもある。この観察と分析とレポートの雇い主は、いままさにページをめくるあなたである。自分の、最後にして、最大のレポートを、読者のあなたに捧げます。

 

(「【仲間と愛と御法度と】」ordered by 阿久津 東眞-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・世論調査協会などとは一切関係ありません。

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