第347話 始まる新たな世界を共に行く

 激動の一日から数日後。

 少女祭祀国家ホウゲツの中心。首都モトハのヒメ様の御所にて。


「――今のところ、影響らしい影響はありません」

「それはよかったです」


 そこでヒメ様から現状の報告を聞いた俺は、安堵と共に小さく息を吐いた。

 イリュファのアーク複合発露エクスコンプレックス呪詛アヴェンジ反転リトリビュート応報オールオーバー〉による破滅欲求の逆流は、まだまだ限定的で人々の行動に目立った変化を生むには至らないはずではある。

 だが、そうは言っても一抹の不安は心のどこかにはあった。

 俺でさえそうなのだから、やはりイリュファの逡巡を責めることはできない。


「ですが、イサク様。本当によろしかったのですか?」

「ええと、何がですか?」


 躊躇いがちに問いかけてきたヒメ様に、意図が今一掴めず思わず問い返す。

 すると、彼女は困ったように口を閉ざし、代わりにトリリス様が答えた。


「お前の、いや、人間の命に限りがあること。それがこの方法の最大の問題点な訳だが、本当にあの解決手段でいいのかということだゾ」

「あれでは形を変えた人身御供とも言えるのです……」


 続けてそう心配そうに告げたディームさんに思わず苦笑してしまう。

 二人は大袈裟な言い方をするが、手段としては単純極まりない。

 今はホウゲツ学園で教育を受けている人魚の少女化魔物ロリータターナと真正少女契約ロリータコントラクトを結び、不老の身となる。ただそれだけのことだ。

 そして、この世に観測者が存在する限り生き永らえ、イリュファの力で【ガラテア】を通じて破滅欲求を逆流させ続けるという訳だ。

 勿論、契約はちゃんと体が成長し切ってからのつもりだ。そこは曲げられない。

 それはともかくとして。

 恐らくヒメ様達は、そうして未来永劫その役割に縛られ続けることを、半ば生贄に捧げられているようなものだと考えたのだろう。しかし……。


「俺を犠牲にしようとしていた人達の台詞とは思えませんね」


 そう軽い口調で返すと、ヒメ様達は揃って口を噤んで俯いてしまった。

 そんな彼女達の様子を見て慌てて「すみません」と頭を下げて謝る。

 冗談のつもりだったが、伝わらなければ強烈な皮肉にしかならない。

 俺は別に誰かを責めたい訳ではないのだ。


「何にせよ、俺は人身御供だなんて思っていませんよ」

「……そうは言うがな、イサクよ。世界のために何があろうとも生き続け、責務を負い続けねばならぬというのも、決して楽な道ではないのじゃぞ」

「ええ。分かっています。その覚悟は、しています」


 実際に五百年もの間、使命を果たすために生き続けてきた内の一人であるアマラさんの実感を伴った言葉に頷き、決意の程が伝わるように真剣な口調で応える。

 それを恐れるようなら、最初から運命を覆そうなどとは思わない。

 大人しく生贄として捧げられていればよかったのだ。

 しかし、大切な人達が生きるこの世界の一員として、破綻が目に見えている危うい救世を続けさせるような無責任な真似をする訳にはいかなかった。

 その事実に気づいてしまった以上は。


「けど、それは人身御供とは違います。俺にとっては恩返しのようなものですし」

「恩返し……とは……?」


 俺の理屈が理解できなかったのか、チサさんが独特の口調で問う。


「俺は、前世で親不孝にも両親よりも先に死んでしまいました。それが一つの大きな心残りでした。勿論、前世の両親に償うことは不可能ですが……この世界に生まれ、親孝行をできる機会をくれたことについては、感謝以外ありません」


 だからこそ、再び先立つ不孝を繰り返す訳にはいかなかったし、そうならずに済む方法を世界のための犠牲だとは全く思わない。

 むしろ一石二鳥。一挙両得だ。


「……イサクの言葉は全くの本心だよ。私達を恨むような気持ちも全くない」

「アコさん、心を読まないで下さいよ」

「心じゃないよ。世界に刻み込まれた情報を読んでいるだけさ」


 俺の苦情に、アコさんは屁理屈を言って誤魔化す。

 昨日会いに行った時にちょっと意地悪をしたことへの意趣返しかもしれない。

 まあ、俺としても彼女達とは今まで通り、いや、もっと気を遣わないような関係でありたいと思っているので逆に嬉しいぐらいだが。


「――だってさ」

「アコさん、また……」


 続けてアコさんに俺が心の中で思ったことを口にされ、気恥ずかしさを抱く。

 昨日のイリュファは、それこそ羞恥プレイもいいところだったようだ。

 自分で自分を罰することで、少しでも気が楽になったのならよかったけれども。

 それはともかくとして。


「まあ、これから先、本当に長い長いつき合いになるはずですからね。遠慮なんかしてたらやってけません。あれだけ偉そうに言っておいて情けない話ですが、破滅欲求の影響を本当の意味で最小限にするにはヒメ様達の協力が不可欠ですから」


 破滅欲求を抑え込むには個々人の自制心も当然大事だが、衣食足りて礼節を知るという言葉もあるように、生活水準や社会情勢などの環境次第という側面もある。

 こればかりは俺個人がどれだけ尽力しても微々たる影響しか及ぼせない部分だ。

 隅々まで生き届かせるには人員と社会的な機構が必要となる。

 五百年もの間、しっかりと運営されてきた国家のサポートがあれば、この試みの悪影響となる部分をより小さくすることができるはずだ。


「色々とぶち壊しておいて何ですが、どうか助力をお願いします」

「遠慮したらやっていけないと言ったのはイサク自身だろう? だったら、そこはこう、四の五の言わずに手伝えとでも命令すればいいのさ」


 深く頭を下げて言った俺に、冗談っぽくアコさんが返す。

 続けて彼女はヒメ様達を見回すようにしながら「そうだろう?」と問いかけた。


「……何にせよ……霊鏡ホウゲツを砕かれた以上……よりリスクの少ない方法を選ばざるを……得ない。……現時点では……イサクに従うのが最善……だ」

「チサもすっかり捻くれて。イサクを殺さずに済んでホッとしているくせに」

「それとこれとは……話が別……だ」


 茶化すように言うアコさんに、気まずそうに顔を背けるチサさん。

 心優しく純真な少女だったという彼女。

 すっかり擦り切れてしまっているような印象を受けるが、心を殺し続けずに済めば、いつかはチサさんもそんな自分を思い出す日が来るかもしれない。

 そうなるように是が非でも世界を守っていきたい。

 そう強く思いながら、難しい顔のトリリス様に視線を向ける。


「……まあ、誰も犠牲にせずに済むのなら、それに越したことはないのだゾ」


 どこか諦めたように、嘆息気味に告げる彼女。渋々といった様子だが……。

 それに対して、アコさんが「これは本心」と再び心の内をばらしてしまう。


「今更方針転換していいものかっていう罪悪感のせいで、こんな表情だけどね」


 恐らくは一種の荒療治のつもりなのだろう。

 アコさんは言葉を続けながら、口を噤んでいるディームさんに目を向ける。

 黙っているなら、こっちで勝手に考えを話すとでも言いたげだ。

 そんな視線を受けて、ディームさんも観念したように口を開いた。


「救世の転生者を犠牲にするために万難を排そうと苦しむよりも、犠牲を減らすために苦心する方が余程マシなのです……」

「……まあ、旧来の救世に破綻が見えつつあったことは事実じゃからな。世の安定のために別の方法を試さねばならん時が来たのじゃろうよ」


 アコさんに促される前にディームさんに続いたアマラさんの言葉は、真偽の判定を待つまでもなく本心に違いない。

 それでも五百年という積み重ねのために保守的な迷いが彼女達にもあったのだろうが、ことここに至っては一先ず受け入れる気になってくれているようだ。

 こうなると残るヒメ様の本心が気になる。

 自然と視線が集まり、彼女は微かに息を吐いてから話し始めた。


「旧来のやり方を保つため、救世の転生者を生贄とする頻度を高める。人口を削減する。いずれも私達にとっては好ましくない方法です。かと言って、イサク様のやり方に諸手を挙げて賛成することもできません。ですが……」


 ヒメ様はそこで一旦区切り、アコさんを一瞥してから率直に続ける。


「最善の方法を模索する猶予は得られると認識しています。その間も、私達の使命それ自体は変わりません。人々が安らかに過ごせるよう尽くすのみです」


 俺は彼女の答えに、十分だと小さな笑みを浮かべた。

 一つの方法に拘り続けなければならない道理はない。

 俺もまた決して思考をとめることなく、誰も犠牲にせず済む一層確実な方法を追求していかなければならないだろう。

 それこそ俺のやり方に致命的な問題が起きれば、旧来の救世を軸とした方法に立ち戻ろうとする動きが生じてしまう可能性だってあるのだから。

 いずれにせよ、そのスタンスでいてくれるなら問題はない。

 願わくは、未来の果てまで互いにとって最良の関係でありたいものだ。


「……さて、じゃあ、そろそろお暇しようか」

「そうですね。テレサさん、お願いします」

「はい。イサク様」


 アコさんに頷いてから呼びかけた俺に、静かに控えていた彼女が応じる。

 救世の転生者に対する険のある態度もなくなった、幾分か柔和な表情と共に。

 その彼女の転移によって、俺達は学園都市トコハへと帰ったのだった。

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