第99話 備えあればこそ
学園都市トコハ住宅街の一角。
犯人の潜伏先と思しき屋敷で得た情報をトリリス様達に伝えるため、急ぎホウゲツ学園へと戻ろうとするシニッドさん達の後に続いて俺は玄関から外に出た。
その直前、床に刻まれた見覚えのない英文を
そして、敷地から一歩出たところで立ち止まり、ここを見つけ出す際に作り出した人工雲も既に散って再び晴れ渡った空を見上げながら口を開く。
「念のため、また雪は降らせておきましょう。……サユキ」
「はーい」
作戦失敗にも等しい状況の中、俺の呼びかけに対してサユキはまた頼って貰えて嬉しいという感じに返事をしながら影から出てきた。
そのまま自然な動きで手を繋いでくる。
そんな彼女と共に、俺は再び探知の効果を持つ雪を学園都市トコハ全域に降らせた。
「犯人はもう逃げたのに必要なのか?」
「逃走しようと不自然に動くものがあれば、犯人かもしれないので」
疑問を口にするガイオさんに表向きの理由を答えておく。
そうしながら俺は、振り返って屋敷を見た。それなりに長く。
「……イサク。悔しいのは分かるが、屋敷を睨んだって犯人は戻ってきやしねえぞ」
そんな風に立ち止まったままでいる俺に、そうシニッドさんが諭すように言った。
「ええ。分かってます」
俺の視線の先には、ここに来る前には目で見て認識できなかった立派な屋敷がある。
その存在を、今は確かに認識することができている。
既に犯人が去った後なのだから当然だ。どれだけ見ていても変化などしない。
…………そう。それは当然のことだ。
たとえ前提が誤っていたとしても。
仮に犯人が未だにそこにいたとしても、今この瞬間は認識の書き換えは使えない。
そんなことをすれば、自分はここにいると主張するようなものだ。
だから――。
「分かっていますよ」
未練がましく呟いているかのような素振りを見せながら、俺は更に少しの間だけ屋敷を睨み、小さく嘆息してから前を向いて歩き出した。
一歩。
二歩。
そして三歩目。地面に足を下ろした瞬間。
「なっ!?」
背後で生じた異変。空間が軋みを上げるように響き渡った音を耳にし、シニッドさんが驚愕の声と共に振り返った。
合わせて、俺とサユキ以外の皆も素早く警戒態勢を取りつつ同じように屋敷を見る。
「イサク!? お前、何をして――」
それから、
その異変を引き起こしたのが俺だと即座に気づいたようだ。
まあ、一目瞭然だろうけれども。
彼らが目にしたもの。
それはその屋敷と敷地内の全てが閉じ込められた巨大な氷の塊。
高さ数メートルはある直方体状に発生させた、俺の
とは言え、俺の突然の行動に理解が及ばず、思考が停止してしまったらしい。
シニッドさんも咄嗟の問いの続きが出てこず、他の皆も当惑し切っていた。
そんな中、遠くからざわめきが少しずつ近づいてくる。
当然と言うべきか、突如として現れた氷柱に野次馬が集まってきたらしい。
近所の住人達も、屋敷全体を凍りつかせたことによって発生した空間が軋むような大きな音を耳にしてか、外に出てき始めている。
「お、おい! 早く解除しろ! 捕まるぞ!」
その喧噪に我に返ったのか、焦ったようにガイオさんが俺の肩に手を置いて揺らす。
悔しさの余り八つ当たりをしたとでも思ったのかもしれない。
……本当に捕まるのなら、今更消したところで免れることなどできないだろうが。
「トリリス様にはいざという時には無差別攻撃も辞さないと言っておきましたので。許容範囲内のはずです」
「それはいざという時の話だろう!? 無意味にこんなことをしたら――」
「意味ならあります」
トリリス様の名を出しても慌てたままでいる彼の目を真っ直ぐに見据えながら言葉を遮り、キッパリと断言する。
「恐らく犯人は、まだ中にいますから」
「な、何っ!? どういうことだ!?」
そのまま淡々と推測を口にした俺に、詰め寄るようにシニッドさんが問うてきた。
屋敷を後にしてホウゲツ学園に戻ろうとしていた俺達自身の判断を根底から覆すような内容だけに、無理もない反応だろう。
だが、それを前にして俺は、諸々の説明が少しばかり長くなりそうだからと返答を先送りにし、一先ず手を繋いだまま隣にいるサユキに視線を向けた。
「サユキ、もういいよ。ありがとう」
「うん」
彼女は俺の感謝に心底嬉しそうな笑みを浮かべながら、影の中に戻っていく。
それに合わせ、異常気象としか言いようのない春の雪も収まる。
「イサク!! 答えろ!!」
「シニッドさん、落ち着いて下さい。今、説明します」
後回しにされ、焦れたように声を荒げるシニッドさんに静かに返す。
「実は、玄関にある文字が刻まれてまして」
「文字?」
「はい。ヨスキ村での修業時代。こうした事態に備えて作った暗号です」
正確には単なる英文だが、救世の転生者であることを隠すため、そう言っておく。
「こうした事態に備えて、だと?」
困惑しながら繰り返すシニッドさんに首肯する。
イリュファから様々な複合発露を教えて貰う中で、俺にとって脅威になりそうな力に関しては当然ながら対策を考えていたのだ。勿論、今も考え続けている。
そして、その中の一つ。精神干渉。特に認識操作への対策の一例として、俺にだけ分かるメッセージを書き残すという方法を前々から考案していた。
そこへ来て見知らぬ英文。
記憶を書き換えられたとしか考えられない。
「その暗号を解くと『攻撃を受けている。今すぐ敷地全体を凍結しろ』とありました」
「……自分で刻んだ割には、他人事みたいな口振りだな」
「今の俺には刻んだ記憶がないですからね」
もっとも認識操作の仕方如何では、あの英文を書いた記憶が残っていた可能性もある。
だが、その場合でも英文の指示に従っていたはずだ。
想定は認識操作。うまくその記憶だけ残されていても不思議ではない。
とは言え、今回は完全に記憶がない。決定的な証拠だ。
恐らく屋敷に入った時点で、犯人にとって都合の悪い情報を俺達は得ていたのだろう。
ちなみに記憶が残っていたとしても、シニッドさん達への説明は一言一句同じだ。
「ですが、あれは俺にしか書けません。つまり――」
「玄関に入る辺りからの記憶は偽物ってことか!?」
「はい」
頷く俺に愕然とするシニッドさん。
第六位階の身体強化を持つ彼までも、となると正直俺も俄かには信じられないが……。
何かしらの方法で複合発露を解除させてから、認識を書き換えたと考えるしかない。
「手に入れた犯人の手記も、捜査を撹乱するための作り物でしょう」
シニッドさんは押し黙り、手に入れた手記に視線を落とす。
「ですが、そうだとしても犯人が中にいることにはならないのでは?」
「いずれにしても、既に逃げ出しているのではないでしょうか?」
と、口を噤んでしまったシニッドさんの代わりにウルさんとルーさんが尋ねてくる。
「かもしれません。ですが、太陽の位置的に俺達が屋敷に入ってからそう時間は経ってません。まだ証拠が残されている可能性もあります。それに――」
「「それに?」」
「俺が犯人なら、侵入者がちゃんといなくなるまで監視し続けますから」
あるいは敷地の外でそうするかもしれないが、少なくとも雪の探知では不自然な位置に存在している人間はいなかった。
恐らく、犯人はまだ屋敷の中にいたはずだ。
「と言う訳で、確認をしたいのですが……」
チラッと周囲を見回す。
説明をしている間に、大分人が集まってきてしまっていた。
「ちょっとこの氷は触ると危ないかもしれないので」
「……なら、俺達が見張っていよう」
「ガイオさん。タイルさん。すみません。お願いします」
二人に頭を下げ、シニッドさん達と共に氷の壁の前に立つ。
この氷は俺の複合発露の産物。故に形状も俺の意思一つで自由自在だ。
眼前に通り道を作り出しながら進んでいくことも容易い。
そして実際に氷の塊を掘り進み、屋敷の中の探索を再開する。
俺の想像通りなら、犯人は屋敷の入口を覗くことができる位置にいるはず。
その考えを基に、入口側に面した部屋を集中的に探した結果。
「お、おい。コイツは……」
二階のとある部屋。その窓際。
そこに案の定、氷漬けにされた人間がいて――。
「ライム……何故、ここに」
それを目の当たりにしたシニッドさんは、呆然と呟いたのだった。
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