第96話 犯人の正体
認識の書き換えによって隠されていた屋敷。その大広間。
俺達の侵入を察知したかのように突如として現れた一人の少女と一人の青年。
「お、お前は――」
その二人、いや、正確に言えばアロン兄さんの名を口にした青年の姿を目の当たりにして、シニッドさんが大きく目を見開きながら戸惑いと共に呟いた。
少女の方は、間違いなく
紫色の髪と瞳。悠属性の特殊な
そして犯人と思われる青年。
黒いローブを纏った彼は、俺を呆然と見詰めている。
フードを外して素顔を露出させているが、その顔に見覚えはない。
兄さんの名を口にしたところを見るに、どうやら兄さんの知り合いのようだが……。
「ライムッ! お前こそ何故ここにいるっ!」
その青年に対し、シニッドさんが叫ぶ。
どこかで聞いたことのある名前と共に。
「ライム? ライムって、確か……」
「はい。アロン様の幼馴染です。十二歳の時に共にヨスキ村を出た」
影の中からイリュファに言われ、やはりと頷く。
十二年程前。兄さんがガラテアと遭遇した際にも行動を共にしていて、兄さんが連れ去られた事実を伝えてくれた人だ。
それまでは兄さん共々、飛び級でホウゲツ学園を卒業し、シニッドさんの下で補導員の新人研修を受けていたはずだ。
ガラテアとの遭遇後の動向については、今日まで全く耳に入ってこなかったが……。
「シニッドさん。彼は……」
そのライムさんはシニッドさんの詰問を完全に無視し、強い罪悪感の混じった複雑な感情を浮かべながら弱々しく問うてきた。俺と兄さんとの関係性を。
俺は複合発露〈
それだけに余計に兄さんと混同してしまったのかもしれない。
「……こいつはイサク。アロンの弟だ。それよりも質問に答えろ! ライムッ!」
そんなライムさんに対し、シニッドさんは簡潔に答えてから更に語気を強めた。
複合発露の力により、狼の如くなった鋭い歯を剥き出しにしながら。
「ここは他人の認識を書き換えるという重罪を現在進行形で犯し、多くの少女化魔物達を隷属させた容疑もかかった犯人が潜伏していると思われる場所だ!」
強調するように、ここがどういう場所か説明するシニッドさん。
恐らく彼も、既に内心では理解しているはずだ。
捜査関係者でもないにもかかわらず、彼がこの場にいる意味を。
「お前は……そんなところで何をしているっ!?」
それでも、新人研修を受け持った者として信じたくないのだろう。
推測とは異なる答えを求めるように、シニッドさんは彼に強く問いかけた。
「弟……アロンの弟、か」
対してライムさんは尚も質問に答えず、苦しげに目を閉じて呟く。
長らく感じていなかった痛みを思い出したかのようだ。奥歯を強く噛み締めている。
「ライムッ!!」
そんな態度の彼に、シニッドさんは苛立ちを顕にするように声を荒げる。
しかし、ライムさんはその圧力を柳に風と受け流し、自嘲するようにフッと笑う。
「分かっているんでしょう? 想像の通りですよ」
「………………そうかよ。どうやら何かの間違いじゃねえみてえだな」
返ってきた答えにシニッドさんは獣の顔を一層歪め、しかし、即座に眼前の存在を敵と見定めたような獰猛な表情を浮かべ――。
「動機は拘束してから聞かせて貰う!! 行くぞ!!」
そしてライムさん……いや、一連の事件の首謀者たる彼に敬称を使うべきじゃないな。
ライムへと他の四人と共に同時に突っ込んだ。
身体強化系の複合発露。それも第六位階。
シニッドさんに至ってはその重ねがけ。
並の
幼馴染であるアロン兄さんの弟である俺。
一時とは言え、補導員の研修に際して師事していたシニッドさん。
深い関係性を持つ人間がいたからこそ、ライムはわざわざ姿を現してまで言葉を交わそうとしてしまったのだろうが、それが命取りだ。
EX級補導員とS級補導員を相手に逃げ切ることは容易ではない。
シニッドさんの言う通り、動機の解明は後でゆっくりとやるとして、彼を捕縛できれば一先ず事件は収束するだろう。
…………などというのは安易な希望的観測だった。
「なっ!?」
予測は即座に裏切られ、シニッドさんの手は空を切る。
その手が届く直前で、ライムとその傍にいた少女化魔物の姿がかき消えてしまった。
「馬鹿な! 俺達は第六位階の身体強化状態にあるんだぞ!?」
それを認識の書き換えによるものだと判断したらしく、愕然として叫ぶガイオさん。
確かに彼の想像通りなら、僅かたりとも捉えられないなどあり得ない。
しかし、そのあり得ないことが起きていた。
次の瞬間、ガイオさんの背後にライムが突然現れ、その首筋に手刀を叩き込む。
「がっ!?」
ただそれだけでガイオさんは鈍く呻くと共に倒れ込み、意識を失ってしまった。
「ガイオ!?」
そんな彼の下へと慌てて駆け寄ろうとしたタイルさんだったが……。
「あぐっ」
またもや、いつの間にか姿をくらましていたライムがタイルさんの死角に出現し、ただの一撃で彼女まで昏倒させてしまった。
そしてライムは再び消滅と出現を繰り返し、大広間の上座の辺りに静かに立つ。
「お、お前……」
眼前の状況を前に行動を起こすことができなくなり、シニッドさんが愕然と呟く。
僅かな時間の中でS級の補導員である二人を無力化した相手。
俺達の想定を遥かに超えた力を持つ存在を前に、無策で突っ込む訳にもいかない。
シニッドさんは距離を取り、警戒を保ったままライムを睨む。
「第六位階の身体強化の只中にある人間の意識を一撃で刈り取る。まさか、お前も同系統の複合発露を持つ少女化魔物と真性
「さて、どうでしょう。ただ……あれから十二年。少なくとも、俺も何もしていなかった訳ではありませんよ。シニッドさん」
「くっ」
嘲笑とは違う虚しい笑みを浮かべながら告げるライムに、シニッドさんは歯噛みする。
認識の書き換えばかりがクローズアップされた事前情報と、旧知の人間との遭遇。
相性がいいはずという思い込み。かつての彼の能力。
諸々絡み合い、慎重さが欠如してしまった己に怒りを覚えているのだろう。
「転移と身体強化、なのか?」
こちらから手出しできない状況の中、口の中で呟くように自問する。
思えば、シニッドさん達は屋敷に入った段階で第六位階の身体強化状態にあった。
にもかかわらず、彼らの前で突如として大広間に出現したライム達。
認識の書き換えならば、そのような形で認識されることはないだろう。
勿論、俺は認識の違いを察することはできないが、彼らの反応を見るに俺と同じような見え方をしていたことは間違いない。
即ち、空間転移系の複合発露で現れたと考えるべきだ。
加えて、ガイオさん達の意識を一撃で奪った威力。
同等の位階の攻撃でなければ不可能だ。
素手による一撃だったことを見ても身体強化系と見るのが妥当か。
「……こうなったら」
いずれにしても俺に取れる選択肢は多くない。
最大の攻撃に賭けるしかない。
そのためにタイミングを見計る。
「ライム――」
そしてシニッドさんが口を開き、ライムの視線が彼に向いた正にその瞬間。
俺は
壁も床も天井も。一瞬にして凍りつく。
相手の強さが読めない以上、僅かな隙も見逃すことはできない。
不意打ちに近い攻撃だが、相手からの文句は捕まえた後で聞けばいい。
しかし……。
「さすがはアロンの弟だけのことはあるみたいだな」
全身氷漬けにするつもりで放った攻撃はライムに届きもせず、その上、彼は俺の背後の空間に浮遊していた。周囲の氷の影響を受けないためだろう。
触れいていれば、そこを起点に凍らせることもできたものを。思わず舌打ちする。
しかも祈念詠唱がない。これは複合発露によるものだ。
「一体いくつの……」
認識の書き換え。空間転移。身体強化。空中浮遊。
数だけなら俺も負けてはいないが、ライムが持つ複合発露は尽く俺達の得意分野や作戦を潰す形となっている。しかもまだ底が見えない。
にもかかわらず、こちらは既に手詰まりの感がある。
「くっ」
それでも何とか表面上平静を装い、脳裏で打開策を必死に探りながら。
俺は、何故か苦しげな顔を浮かべるライムを見据えたのだった。
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