第23話

 左手首の腕時計を横目で見ると時刻は十二時十五分。

 随分と遅れてしまったが、どうやら姫子は何とか無事でいるようだった。


「あ、貴方、達……」


 腹部を抑えつつ、弱々しく見上げてくる姫子に隣にいた佳撫が慌てて駆け寄る。


「大丈夫ですか? 姫子さん」

「大丈夫に、見えるの? これが」

「す、すみません」


 恐縮したように頭を深々と下げた佳撫に、逆に姫子は虚をつかれたように一瞬言葉を詰まらせた。


「それより、何で――」

「遅れてしまって、すみませんでした。道に迷ってしまって。結局、一旦街に戻って姫子さんの道着を利用した物質空間接続で来たので……」

「そんなことを、聞いているんじゃないわ」


 多少はダメージが和らいだのか、気丈に睨みつけてくる姫子。


「どうしてここに来たのよ! 勝ち目なんかないのに!」


 しかし、叫ぼうとしていながら全く叫びにはなっておらず、その声は掠れ気味で弱々しかった。


「俺は、勝ち目のない戦いなんかしない。……佳撫、もう少し離れているんだ」

「はい。兄様」


 佳撫はそう言うと懐から紙飛行機と一枚の折り紙を取り出し、紙飛行機を優司とは逆の方向に飛ばした。と同時に姫子の手を取り、再び符号呪法を使用する。

 次の瞬間、佳撫と姫子はその場に一枚の紙を残して、紙飛行機の位置まで瞬時に移動していた。

 更に佳撫はそこでさらに折り紙を取り出して紙飛行機を素早く折り、四方八方へ飛ばし始める。

 同質、近似の意味を持つ物質を扉として移動する符号呪法によって、いざという時の逃げ道とするためだ。

 徹はそれを視界の端で確認しながら、レオンが変じた剣の切っ先を右後方の地面に向けるように構え、低く腰を落としながら優司を注視した。

 と、こちらの準備を待っていたかのように、優司が静かに口を開く。


「少しはマシな目つきになったな、徹もどき。死ぬ覚悟はしてきたか?」

「していない。死ぬ覚悟なんてできる訳がない。だけど、それでも、全て人任せにはしない程度の覚悟はしてきたつもりだ」

「……成程。以前はレオンが戦っていた訳か」


 即座に村正の刀身を返して峰を見せ、中段に構える優司。

 対して徹は片手剣らしく片手で持った剣の先を後方の地面に刺し、優司を見据えた。

『剣製呪法「飛燕」』

 レオンの言葉を合図とするように優司が動き出す。それに合わせて、しかし、双方の間合いに入らない内に、徹は地面を切りはがすように一気に切り上げた。

 瞬間、複数の小刀が生成され、切り上げの勢いそのままに優司へと飛翔する。

 森羅の徹の符号呪法、その系統は剣に特化した武器生成。

 それは周囲の物質を剣状に再構成できるというもの。

 使用方法はレオンの発現と同様に強くイメージすることだ。


「もっと――」


 一陣が目標に到達する前に、徹はさらに地面をはぎ取るように剣を振るった。

 そのまま連続して大地を切り裂き、波状に小刀を撃ち出す。


「小癪な」


 それを前にして優司は忌々しげに、しかし、どこか楽しげに表情を歪め、足を止めて村正を振るった。

 刃に弾かれた小刀は塵となって崩れ去るが、何分質よりも量の勝負だ。

 如何にフィクション級の達人でも、人間の範疇にある限り、連続して迫り来る散弾を避けずに全て刀で弾くなど不可能。

 一割程度の小刀が優司の体に吸い込まれ、突き刺さっていた。


「まだだ!」


 さらに左右交互に切り上げて、飛ばした小刀で優司を射抜いていく。

 刀などの近接武器には間合いの外から遠距離攻撃を加える。

 これこそ素人が剣の達人に勝つ唯一の術だ。

 元よりつけ焼刃程度の剣術で達人級の相手に勝てるはずもない。

 気概とか根性とか精神論でどうにかなる話でもないのだ。

 そもそも、負ける勝負から逃げ出すような臆病な人間に、そのようなものを期待されても困る話だ。


 ならば、たとえ卑怯と言われようともこうする以外にない。

 これは工夫なのだ。

 そして、工夫を卑怯と罵るならば、人間万人卑怯になるだろう。

 もし一般人に、例えば熊を駆除しろと言えば、まず銃をくれと言われるはずだ。

 相手と同じ素手で向き合うのは明らかに平均的な人間の範疇ではない。

 むしろ強過ぎる力の方を卑怯と罵ってもいいぐらいだ。

 平等な戦いなど、個人の能力すら綺麗にならした上でのもの以外嘘なのだから。


 散弾銃と言うよりも機関銃と表現する方が相応しい連続攻撃は、着実に優司の体を破壊していき、遂にはその頭部、脳があるべき場所に小刀が突き刺さった。

 そこまでしてようやく優司はゆっくりと後方に倒れ込む。


「どうだ?」

『これで終わりではないだろう』

「それはそうだ」


 明らかに優司は遊んでいる。

 異常復号体としての真の姿を現さないまま終わるなどあり得ない。

 いくら対峙しているのがまともに切り結ぶこともできない臆病者の素人だとしても、そこまでの油断をしてくれる相手ではない。

 この程度の攻撃では敗北しないと踏んでいるからこその、その戦い方のはずだ。


「中々面白いことをするな。徹もどき」


 果たしてゆらりと立ち上がり、愉悦と血に塗れた表情を見せる優司。

 当然のように、突き刺さっていた小刀は全て地面に落ちて、その傷は急激に癒えていく。


「レオン!」

『了解した』


 瞬間、徹はレオンに身体の支配権を委譲し、即座にレオンが体を繰って優司へと一直線に駆けた。

 そしてレオンは、まだ完全に体勢を整えていない優司にではなく、村正の地肌、鎬に向けて剣を振り下ろした。


「むっ!?」


 瞬間的にレオンの意図に気づいたのか、優司の顔から余裕の色が消え失せ、剣を腕で受けて速度を殺し、村正を隠すようにして飛び退った。

 そして怒りを込めた、燃え立つような瞳を向けてくる。

 それは間合いを絶妙に外すとか仕切り直すとか、そういう類のものではなく、完全に戦闘圏外まで離脱する逃げの一手だった。


『予想通りだな。やはり、異常復号体となった時点からあの村正が本体となっている。むしろ優司の肉体はパーツに過ぎない』


 先日の戦いの中でレオンは疑問を抱いていたらしい。

 村正の一刀でレオンが消滅しないことを確認した次の攻撃から、刀身を反転させたままという不自然な峰打ちの形を取っていたことに関して。

 更には確実に刀で防げる攻撃を態々体で受けたことや、傷ついた体が再生したことに関しても。

 故に、レオンは一つの予測を立てていた。正に今彼が言った通りのことを。

 つまり、優司を倒すためには村正の方を破壊する必要があるということだ。

 あの禍々しい気配も元はあの村正から。臭いは元から断つしかない。

 だが、村正の特性によって符号呪法による攻撃は無効化されてしまう。

 加えて、通常の武器では符号呪法で生成された武器を破壊するどころか傷つけることすらもできない。

 それを破壊できるとすれば、同じように符号呪法で生成された武器でありながら例外的に無効化されないレオンのみだ。しかし――。


「やっぱり、レオンだと後一歩及ばないみたいだな」

『そのようだ。全く恥ずかしい限りだが』

「仕方ないさ。お前はいわゆる特殊形だからな」


 今の不意打ちの一撃を避けられた以上、もはやレオンには不可能な話だ。

 相手も弱点を知られたと気づいたはずで警戒を強めるに違いない。

 小細工レベルの系統呪法を使用しても隙を作り出すことなどできはしないだろう。

 だから、徹は右半身を前に出して剣先を優司に向けて構えた。

 本来ならば、完全に防御を優先した型だ。

 そんな徹を前にして優司は言葉を一切発することもなく、ただ静かに異常な雰囲気を強めていた。

 やがて、あの時と同じように地面が蠕動し、おぞましくも優司の体を這うようにして駆け昇っていく。


「くっ」


 二度目とは言え、さすがにその異様な光景に先の戦いでの恐怖が甦り、徹の体は硬直してしまいそうになった。


「まあ、それでも――」

「馬鹿っ! 呑気に話している場合じゃないでしょ!?」


 後方から姫子の焦燥に彩られた声が聞こえてくる。

 どうやら多少は回復したようだ。


「早く元の世界に逃げなさい! もう無理よ!」

「お、落ち着いて下さい、姫子さん」


 半ば取り乱したように叫ぶ姫子は佳撫に任せ、徹は優司から視線を外さずにいた。

 そうこうしている間にも優司の体は異常復号体としてのそれに近づいていく。

 落ち窪んだ目はその奥に灯る青い光を不気味に揺らめかせ、異常なまでの威圧感を放っていた。

 それを前に甦った畏怖が体を駆け巡り、腰を砕こうとしてくる。

 体の震えを隠せない。


「雪村さん、さっき言ったばかりじゃないか。俺は負ける勝負はしない主義なんだ」


 それでも何とか歯を食い縛り、口調だけは平静を装い続ける。

 トラウマ的に呼び起こされる強烈な恐怖を受けながらも、思考は冷静であることができる。何故なら――。


「弱い俺なんかに挑まれた時点で、あいつの負けは既に決まっているんだから」


 徹は左手を強く握り締め、その腕を飾るネイビーブルーの腕時計を見詰めた。


「そうだろ?」


 その徹の呼びかけに応えるように腕時計は濃紺色の輝きを放ち始める。

 それは瞬間的に激しい輝きとなって徹を包み、周囲を照らした。


「え?」


 姫子の戸惑うような声が響く中、輝きは緩やかに納まり、徹のすぐ隣には寄り添うように一人の少女が静かに目を閉じて立っていた。

 そして、その目がゆったりと開かれる。


「主様の求めに応え、奇剣ルナ、ここに具現致しました」

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