エピローグB 裏切り者として

第26話

「お兄様、これは一体どういうことですか?」


 空が再び闇に覆われ、あの光景の感動も治まったところで女の子の不満気な声が船に響き渡った。先程は姿が見えなかったが、どうやら操舵室にいたらしい。


「いや、まあ、聞いていたんだろ? こいつがどうしてもって言うから」


 初めて見る弱った表情の戒厳。どうやら彼はこの女の子に詰め寄られると、強く出られないらしい。


「だからってお姫様抱っこだなんて! 酷いです。サクラもして欲しいのに!」

「そ、そこか!? ……分かった。帰ったら思う存分してやるから」

「本当ですか? なら、いいです。サクラは寛大な妹ですから」


 そのまま嬉しそうに戒厳に抱き着く女の子。その様子を見る限り、どうやら彼女が戒厳の言っていた妹らしい。

 と言うか、今正に彼女自身も口で言ったことだ。


「あ、あのー」

 そんな二人の邪魔をするのは少し悪いような気がしながらも、何となく放置気味になって居心地が悪くて困るので話しかける。

 と、彼女は戒厳から離れ、水を差されたというだけでは済まないような冷淡な目を向けてきた。


「え? あ、あの、その」


 その余りの豹変振りに戸惑いを覚えて口ごもってしまう。


「サクラに話しかけないで下さい」

「こ、こら、サクラ、アエルは――」

「分かって、ます。娘に罪がないことぐらい。ですけど、そう簡単に納得できるものじゃないです。……船の操舵に戻ります」

 そう告げるとサクラはアエルの近くにはいたくない、とでも言わんばかりに操舵室へと向かおうとした。


「あ、ま、待って! あの、さっき、助けてくれたのって――」


 戒厳は仲間と言っていたが、その直前に彼女の名を確かに聞いた。

 つまり、そういうことなのだろう。


「サクラは二キロ先の人間でも殺さずに無力化できます。理術ではなく、これで」


 彼女は傍に立てかけてあった武骨な形状の、恐らく銃に触れた。

 しかし、それはアエルの知るものとはかけ離れた異様な姿だった。


「理術と科学を融合させたスナイパーライフル。機械のサポートで、才能は関係なく少しの訓練で誰でも一キロ程度の狙撃が可能です。……十年前にこれがあったなら、あの戦争の結果は違っていたでしょう」


 そこに込められた憎悪に似た強い感情を前に、アエルは言葉を失ってしまった。


「サクラ達を理術に頼り切りの貴方達と一緒にしないで下さい」


 そして、彼女は吐き捨てるように告げて操舵室へと入っていった。


「済まない、アエル。サクラもフォルテに父親を殺されているからな。いきなり仇の娘と会って愛想よくできる程アイツも大人じゃない。許してやってくれ」

「あ……う、うん」


 サラッと告げられた戒厳の言葉に衝撃を受ける。


(この短期間に二人も父さんを仇とする人に出会うなんて……)


 そんなアエルを気にする様子もなく、彼は船に乗っていたもう一人の初老の男性へと視線を向けた。


「手間をかけました。少々野暮用にてこずってしまって」

「構わない。作戦は成功した。結果が出ているのだから文句は言わせないさ。それよりも戒厳。疲れているだろう。休むといい」

「ですが――」

「私は大丈夫。……この人に話があるから」


 戒厳が自分の方を見ながら遠慮がちに言うのを遮って、アエルは初老の男性を若干睨み気味に見ながら言った。


「分かった。では、アナレス。少し休ませて頂きます」


 戒厳は一つ頷くとアナレスと呼んだ男性に頭を下げて、船内へと入っていった。


「アナレス……やっぱり、裏切り者の、アナレス?」

「ほう。私を知っているのか?」

「当然、です。希代の天才理術師と呼ばれた男。レグヌムの存在を仮定し、レグナの生成方法を確立した。その実力は父さんも及ばないって言ってました。けど、突然レクトゥスを裏切り、他国にレグナの生成方法を流出させた、と」

「私も有名になったものだな」

「教科書に写真が載るぐらいには。勿論、記事はネガティブ全開ですが」


 船程の重量ある物体を浮かび上がらせて滑空までさせていた時点で、父親を遥かに超えた理術師が絡んでいる可能性は頭の片隅にはあった。

 それでも正直半信半疑だったが……。

 彼の顔を見た時点で事実と認めざるを得なくなった。

 相手がアナレス程の大物であれば、もはや納得するしかない。


「船を飛ばすだなんて、さすがは天才理術師ってところですか?」

「それは違う。如何に私とて通常のレグナだけでは不可能だ。だが、我々にはより高純度のレグナがある。それを用いればお前でも不可能ではないだろう」


 手に持った杖の先端を示すアナレスの言葉に驚愕し、アエルは目を見開いた。


「技術は日々進歩しているのだ」

「技術……」

「それよりも私に話があったのではないか?」

「それは……何故レクトゥスを出たのか、聞きたくて」

「ふむ。私はお前の場合とは事情が違うが、まあいいだろう」


 アナレスは無表情を装って言葉を続けた。

 が、その瞳には暗い光が見え隠れしていた。


「単純な話だ。私には妹がいた。しかし、彼女は理術の才能が全くなく、その上病弱だった。そうなればどうなるか、お前には分かるのではないか?」

「……レクトゥスは才能が全て。才能のない者に居場所は、ない」

「そうだ。努力する資格すらも奪われ、何もなせず、何者にもなれず、その上病弱故に私の妹は「結局この世界に何も残せなかった」と嘆きながら死んでいった」


 そこで一旦言葉を切ったアナレスを前に、アエルは何も口にできなかった。


「私は妹のような理術の才能に乏しい者のためにレグナを作り出した。しかし、それは才能ある者が独占する道具に成り果てた。挙句、レグナを頼みに他国を侵略しようという動きが見え始めた」


 レグナによって飛行距離が伸び、海を簡単に渡れるようになったことで、海を隔てた隣国が手の届く獲物になってしまったのだ。


「……そうなれば、レクトゥスが世界を支配することに――」


 そして、その果てには才能至上主義の思想が人類の総意となりかねない。


「そうだ。だから、私はそうなるのを防ぐために、他国へレグナの生成方法を伝えた。そしてその後は理術とは異なる何か、才能とは異なる何かを求めた訳だ」

「それでアシハラの科学を?」


 アエルの問いにアナレスは深く頷いた。


「科学とは、才能を凌駕する人の工夫。それを極めることこそ、亡き我が妹への手向けとなる」


 そう告げた彼の瞳に強い意思を感じる。


(才能を超える、工夫……)


 その言葉を繰り返しつつ、アエルはいつかの姉の言葉を思い出していた。


(知らないのなら知りなさい。分からないのなら学びなさい。自分自身を学び、世界を学べば、そこに新しい可能性はあるのだから)


 自分を支えてくれた言葉。そこにある向上意識。

 才能至上主義であるが故に才能に胡坐をかく、あるいは才能を理由に諦める者の多いレクトゥスでは珍しいその意識は、アシハラでは当たり前の考え方なのだろう。


「私からも一つ聞きたい。お前はこれからどうするつもりだ?」

「……私は戒厳に復讐をイコール仇を殺すこととするのは間違いと言いました」

「ああ。聞いていた」

「ですが、戒厳がカリダを殺した時、溜飲が下がったのも……事実です。そして何より、意思を貫けるだけの強さも、私にはありませんでした」


 奥歯を噛み締めながら絞り出すように言う。

 あれだけ戒厳に大言を吐いたにもかかわらず、結果はあの様だった。


「そうだな。どれ程の理想を語ろうとそれでは夢物語だ」


 冷淡に語るアナレスの言葉は至極もっともで、アエルは両手をきつく握り締めた。


「私は無知で、力も足りない。だから、知りたい。そして、強くなりたい。そのためにアシハラで学びたいんです」

「……そうか。ならば、アシハラで学ぶ手筈は私が整えておこう」


 幾分か穏やかな口調でそうとだけ告げると、彼はアエルに背を向けた。


「お前も今日はもう休むといい」


 そして、簡潔に言って操舵室へと入っていくアナレス。

 そんな彼の背中に一度深く礼をしてから、アエルは既に視界から消え去ったあの地がある方向を振り返った。


(姉さん、私はここで自分の道を探すよ。そして、いつか……)


 レクトゥスを、世界を変えられる自分になりたい。

 戒厳のような人を生み出さない世界を作り出したい。

 それは所詮願望で、今のアエルには何もかもが足りなさ過ぎるけれども。

 それでも、足りないものは知って学んで補って、いつか新しい可能性を生み出して見せる。だから――。


(その時まで、さようなら)


 アエルは心の中で別れを告げた。未来の帰郷を誓いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る