第29話

 光輝の運転する車は来た道を逆に戻り、しばらくして学校の正門の近くに至った。

 だが、車はその前を素通りしてしまう。そのまま裏門に向かい、その前に至ってようやく停車した。

 この学院には裏門が二つあるが、使われているところを見たことがない方だ。

 敷地内からこの門に来る術は、少なくとも朔耶は知らなかった。


「さすがに濡れたままで校内をうろうろする訳にもいかないからね。ここからだと直接私達の部屋に行けるから」


 質問を先回りしたような己刃の説明に納得する。

 確かに今の状態は何とも説明の仕様がない。


「降りるぞ」


 晶の言葉に従って朔耶達はそこで車から降りた。と同時に、千影が言われた通りに姿を消す。

 未だ雨は強いが、濡れるのはもう今更だと諦めておく。


「とりあえず、今日の残りの授業は出なくていい。公欠ということにしておく。まずは体を温めて、ゆっくりと休んでおけ。明日のアノミアには色々と聞かせて貰うからな」


 光輝は簡潔に言うと、再び車を発進させて、すぐ先の十字路を学校の塀に沿って走っていった。

 正門側にある駐車場に向かうのだろう。


「さて、まずは裏門を開けないと、ね」


 己刃は濡れた制服のポケットから普通の鍵とカードキー、そして、小さなリモコンの三つが束ねられた可愛らしい猫のキーホルダーを取り出した。

 彼女がその内のリモコンを手に取って操作すると、低い駆動音を響かせながら裏門が自動で開く。

 朔耶はこの門が電動式であることに驚きつつ、二人に倣って敷地内に入った。

 それを確認してから己刃が再度リモコンを操作し、裏門を閉める。


「朝日奈君、こっちだよ」


 初めて訪れた場所に少しの間立ち尽くしていると、己刃に言葉と視線で促される。

 彼女に従って管理棟の方に進んでいくと、妙に古びた扉の前に出た。

 そこは微妙に奥まった、裏門の外から見ても分からない位置にあった。


 見たところ、管理棟に入るための扉で間違いないはず。

 だが、その一階を思い返してもこの扉を見た覚えはない。覚えはないが……予測はできた。

 周囲を見回した限り、裏門からこの扉までの道は敷地の中で独立しているようだ。

 扉から出てくるか、裏門から入るかしかこの場所に来る方法はなさそうだ。


 その閉ざされた扉を、己刃はキーホルダーから今度は少し古めかしい鍵を以って開けた。

 そして、薄暗いその中へと己刃、朔耶、晶の順に入っていく。

 最後の晶が扉を後ろ手に閉め、内側から鍵をかける音がする。

 それと同時に、部屋は眩い光に照らされた。

 一瞬、視界が白く染まり、それから徐々に視力が戻ってくる。

 回復した視界にあったのは、再び扉。それも正面と右に一ヶ所ずつある。

 右の扉はどうやら予測通り、開かずの扉のようだ。

 もう一方の先の分からない扉は真新しく頑丈そうで、カードキー、暗証番号、指紋認証と最新のセキュリティーを備えていた。


『この学校にこんなところが本当にあったんだ』


 胸の奥で呟いた千影に同意するように頷く。

 地下の存在は晶達から聞いていたが、正直実際に目の当たりにするまで現実味がなかった。

 己刃がそれらの照合を済ませると、扉が自動で開いていく。

 その奥の部屋には一台のエレベーターが設置されていた。これで地下に向かうようだ。

 皆でそれに乗り込むと、扉が閉まると同時に階を指定する間もなく動き出す。

 階数の表示を見る限り、向かう先は地下一階に限定されているらしく、すぐに制動がかかってエレベーターは停止した。


「って、これは……」


 管理棟の地下。エレベーターで降りた先には、ざっと見ただけで左右にそれぞれ十枚程度の扉。

 その数だけ部屋があるのだろうが、これでは学校というよりもマンションだ。


「さて、朔耶。濡れたままでは気持ちが悪いだろう。とりあえず、あそこのシャワー室を使うといい」

「は、はあ、シャワー室、ですか?」

「ああ。本当なら部屋の浴室を貸してやりたいのだが、湯を張っていないからな。私達もシャワーで済ますしかない。我慢してくれ」

「いえ、それはいいんですけど」


 とにかく、学校の下に居住空間がある光景に対する違和感が物凄い。


「一応、中には予備の体操着が用意してあるはずだから、それに着替えてね」

「終わったらこっちの談話室で待っていろ。私達も上がったらすぐに行くからな」


 晶はそれだけ言うと、さっさと自分の部屋に入ってしまった。

 扉が閉まる直前、自分の足を不快そうに見ていた辺り、やはり濡れたタイツが気持ち悪かったようだ。


「制服は持ってきてね。後で一応乾燥機にかけておくから」

「わ、分かりました」


 そして己刃も、また後でね、と小さく手を振って自分の部屋に入った。

 彼女の部屋の扉には己刃の部屋と書かれた木製のシンプルなネームプレートがかけられていて、扉が閉まった拍子にからんと音を鳴らした。


「そうだ。忘れていた。二人共」


 一拍置いてからシャワー室に向かおうとしたところで、晶の部屋の扉が開き、顔だけを出した彼女に呼び止められる。

 朔耶が立ち止まって振り返ると千影もまた姿を現した。


「その、何だ。……ありがとう。逃げずに、助けてくれて。それと、だ。朔耶。嬉しかったよ。私を仲間と言ってくれて」


 晶は照れを誤魔化すような笑みを浮かべながら、頬を僅かに赤らめた。


「そ、それだけだ。ではな」


 そのまま恥ずかしそうに顔を引っ込めて扉を勢いよく閉める晶。


『え? え? もしかして、フラグが立った?』

「い、いや、そういうのじゃないだろ……多分」

『と、とにかく、シャワー室に行こ?』


 妙に慌てたような千影に背を押されながらシャワー室に入る。


「って、千影。一緒に入って来ちゃ駄目だろ?」

『あ、そそ、そうだよね。ごめんね』


 千影は顔を真っ赤にして、慌てて脱衣所から出ていこうとした。

 しかし、二メートル程離れたところで壁に阻まれたように進めなくなった。


『あ、あれ? 何だか離れられないみたい』


 微妙に浮かんだまま必死に足を前に出しているが、その場に留まり続けている。

 実に奇妙な光景だった。

 恐らく力の発生範囲に関係しているのだろう。

 晶の炎のように周囲二メートル以上に飛ばせないのは、千影の精神が朔耶の中にあり、切り離せる類のものではないからか。


『うーん、し、仕方ないよね。じゃあ、朔耶君の中に入ってるね』


 千影は諦めてその姿を消した。


『目、閉じてるから』

「あ、ああ。分かった。……って、ん? 千影、俺の中から見てたって言ったよな? なら、その、色々と、見たのか?」

『え? そ、そそ、そんなこと、ないよ。うん、ないない。本当だよ?』


 明らかに動揺して否定を重ねる千影。誰が見ても明らかな嘘だと分かり、恥ずかしさで顔が熱くなる。

 彼女の様子を見る限り、幻滅されるような行動はしていないと信じたいが、色々あってどんな言動をしたか逐一覚えていないので、変な振る舞いをしていないことを願うしかない。

 生活する上で変えようのない極プライベートな部分は、もはや諦めるしかないが。


「と、とにかく、入ってくるから。千影はちゃんと目を閉じててくれよ?」

『う、うん』


 微妙な雰囲気のまま、それきり千影は口を噤んでしまった。

 朔耶は千影が目を閉じていることを信じ、服を脱いでシャワー室に入った。

 とにかく手早く終えてしまおう、と思いながら。

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