第22話

 非日常が日常を侵食してから二日。木曜日。今日は今日とて晶と訓練。

 最初の一時間は己刃とは別行動で晶と共にアノミアの巡回を行い、グラウンドに戻ってきてすぐにそれは開始された。

 朔耶は全く気づかなかったが、晶によれば迷い子からタナトスが具現化し、それを己刃が倒したらしい。

 迷い子は既に教会に避難しており、己刃は教会の傍でグノーシスの使徒達を監視している。

 教会内で行わないのは、その内部では全ての気配が絶たれてしまうためだそうだ。

 晶が監視を行わないのは、几帳面な己刃の方が向いているかららしい。

 晶にその理由を聞いた時、体を動かす方が好きなのだ、と彼女ははにかんでいた。


「さて、今日の訓練はこれまでにしよう」


 自分の砂時計を確認しながら晶が言う。

 しかし、その砂時計はまだ後三〇分程度の砂が上に残っていた。

 昨日に比べて大分早い。

 晶の推測ではデュナミスを得たおかげで向上しているらしい、この変身状態の身体能力のおかげで折角訓練も上手くいっているのだから、もう少し続けたいところだが。


「どうかしたんですか?」

「うむ。朔耶。お前は位階のことも知らなかったぐらいだから、どうせ力についても説明を受けていないのだろう?」

「力に目覚める条件のことなら聞きましたけど」

「それではない。力を扱う上での注意点だ。……まあ、お前の力の特性だと別に聞かなくてもいい気もするが、いや、使徒に対する上では必要か?」


 後半をぶつぶつと首を傾げながら言い、晶は、まあいい、と顔を上げた。


「まず、この力は精神力の所産だ。実のところ、火だとか水だとか物理的な法則に従った優劣は本来的にはない。この世界では力の使用者がそう思うから優劣ができるのだ」

「……えっと、つまり、火は水に弱い、とかいう思い込みで、ってことですか?」


 物理学的に考えても、それはあくまでも熱エネルギーの与奪であり、強弱の問題ではない。

 つまり、古くは五行説から続くような、肌に染みついた考え方に引きずられる、ということらしい。


「そうだ。だから、強い精神力さえ持っていれば、火で水も氷も全て焼き尽くすことができるし、例えば雷すらも打ち消せる」


 そう言ってから、晶は決まりが悪そうに頬をかいた。


「しかし、まだまだ私のような未熟者ではその思い込みを捨てられないのだがな」


 現実で培った常識は、筋道立てて打ち消そうとしても不可能だ。

 そんなことができるのなら、この世界では誰もが空を飛べるはずだ。

 ここは意識のはっきりし過ぎた夢のようなもの。常識が邪魔をして全てに制限がかかってしまう訳だ。

 優劣はあるものとして考えた方が無難だろう。


「次に力の発現範囲、作用範囲についてだ。……これはお前のような力では関係ないかもしれないが、まあ、私達のような飛び道具で戦う相手と対峙した時を想定して考えろ」

「はあ、飛び道具ですか」


 朔耶の言葉に晶はいつもの横柄な感じで腕を組み、大袈裟に深く頷いた。

 ふわふわの金髪が、強い癖のためにある程度まとまったままで大きく揺れる。


「通常、私達の力は自分を中心に半径約二メートル以内でしか発現できん。私達は一度その範囲内に力の形を作り、それから投げつけなければならないのだ」


 確かにこれまで見た限り、己刃も晶もそうしていた。

 直に相手に力を使った方がいいのではないか、と疑問に思ったこともある。

 その答えはそういうことだったらしい。

 自分を中心に半径二メートルだと、ちょっと体を伸ばして手が届く範囲ぐらいか。


「また、力が届くのは自分の目で認識できる範囲だ。視力と同様個人差があり、当然遠ければ不確かになり、弱い力しか作用しなくなる。逆に言えば、近ければ近い程に強い力を発現できる、という訳だ」


 万有引力や電磁気力も遠ければ急激に弱まるし、これも常識の弊害かもしれない。


「だから、使徒と戦う時は適切な間合いを選択しなければならない。特に相手の周囲二メートル以内に入るのは危険だ。私なら直接火を放てるし、爆発させることもできる。己刃なら相手の内側から黒刃で突き破ることもできなくはない」


 その状態を想像して朔耶は表情を軽く歪ませた。


「まあ、精神力の点で大きく上回っていれば、相手の傍に寄っても耐えられるかもしれないがな」


 晶の口振りは実質不可能という感じだった。

 やはり、相手の間合いに入った時点で終わりと考えた方がいい。


「なら、やっぱり俺は逃げるしかないじゃないですか」

「一人の場合はそうだな。しかし、仲間がいれば違う。力の発現にはある程度集中力が必要となる。それを乱すことができれば相手の間合いに入ろうと攻撃は受けん。朔耶のように近接戦しかできない場合は連係が重要となるのだ」

「成程……」


 神妙に呟いた朔耶を前に、晶は表情を和らげた。


「とは言っても、私や己刃と共にある限り、お前が前に出て戦う必要はない。大体、お前が前衛に回っても一瞬で負けるだろうからな。まあ、この先私達や頼れる仲間がいない状況で戦わざるを得なくなった時の参考にしておけばいい」

「は、はあ」

「そんな心細そうな顔をするな。心配せずともそんな状況はまずないさ。……では、そろそろ教室に戻るとするか」


 余程情けない顔をしてしまっていたのか、晶は朔耶を安心させるように優しい微笑みを見せてから校舎へと歩き出した。

 しかし、守られてばかりというのはやはり引け目を感じてしまうものだ。

 あの時、千影を守ろうとして逆に庇われてしまったため、尚のことそう思うのかもしれない。


「あ、あの、晶先輩」


 いつも二人と別れる二階の踊り場で、階上へ向かおうとする晶を呼び止める。

 彼女はブロンドの髪を揺らしながら振り返った。


「どうした?」

「……すみません。態々訓練して貰って。戦闘では役に立てそうにないのに」


 無力な自分につき合わせることが申し訳なくて頭を下げる。


「馬鹿。仲間なのだから、そのようなことを気にするな。それに前にも言っただろう? 私はお前が気に入っているのだ。……それと、慣れるとアノミアは意外と暇だからな」


 最後の部分をポツリと呟いてから、晶は慌てたように、今の話は己刃には内緒だぞ、と悪戯っぽい笑顔を浮かべる。己刃が迷い子の対処でいないからこその冗談だ。


「それより朔耶。……大丈夫か?」


 表情を真剣なものに戻し、じっと見詰めてくる晶に朔耶は戸惑った。


「な、何が、ですか?」

「いや、そろそろ、何と言えばいいのか……違和感、のようなものを色々と抱く頃かと思ってな。この状況に慣れてきて、逆に」


 朔耶は一瞬言葉を失ってしまった。

 与えられた可能性に縋って何とか取り繕っている表層を見抜かれ、取り去られたようで。


「い、いえ、大丈夫、です」

「……そうか。まあ、何かあれば相談してくれ。いつでも乗るからな」

「はい。ありがとうございます」

「だから、礼などいらん」


 晶は仰々しくも優しい口調で言うと、朔耶の肩をぽんと叩いて三階へと駆けて上がっていった。

 しかし、その姿が視界から消える寸前に見えた彼女の横顔には、僅かながら寂しさのようなものが見て取れた気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る