④そして目は出揃った

 視界のなかには、つい先程まで戦場だった場所にありながら気持ちよさそうに眠りこけるフォーティア。その顔は実に幸せそうで、呆れと共に気が抜けてしまう。

 しかし、彼女は彼女で今回の一連の闘争ゲームにおいては、いや、もっと前からの積み重ねもあって色々と気苦労があり、そこをつけ込まれて酷い目に遭ったのだ。

 少しばかり緩んだ様子を見せても許してやるべきだろう。


《Change Anthrope》《Armor Release》


 と言うことで、雄也は変身を解き、労る意味を込めて彼女を背負ってやった。


(軽くて余り実感がないのがあれだけど……)


 人一人分の重さも向上した身体能力を前にしては、それこそ羽毛のようだ。

 人を背負っているという事実に対する趣のようなものは、薄れてしまっている気がする。

 その代わりに女の子特有の柔らかさの方を強く意識させられ、少々気恥ずかしい。

 これがもしアイリス相手なら、背中の柔らかさは感じられなかったはずだが。


『何か変なこと考えた?』


 割と長く、かつ濃くつき合ってきているためか、表情で読まれてしまったようだ。

 ジトッとした目で見詰められてしまう。


「いや、何にも」

『そう』


 とりあえず誤魔化しもバレバレだろうが、追及はしないでくれるようだ。

 が、あるいは、こういうことの積み重ねで頭が上がらなくなるのかもしれない。


「う、んん」


 そんな益体もないことを考えていると、背後、と言うか耳元からフォーティアの息がかかる。どうやら目が覚めたようだ。

 その気配に、一瞬アイリスが身構える。

 万が一のことを考えてのことだろう。


「あれ、アタシ……」


 直後、惚けたような声が出て、アイリスもまたもう心配はないと判断したらしい。

 ホッとしたように構えを解く。

 雄也は変なところで心配性な彼女に苦笑しつつ、視線をフォーティアの顔が乗っかっている側の肩へと向けた。


「ティア、気がついたか?」


 そして、そう至近距離から問う。


「ふえ? ……って、ユウヤ!?」


 すると、フォーティアはその余りの近さに驚いたようで上半身を逸らそうとし――。


「うわっ、とと」


 落ちそうになって慌ててしがみついてきた。

 結果、むしろ先程までより密着する形となる。


「ご、ごめん、ユウヤ。大丈夫かい?」

「ああ。問題ない」


 実際、背中で大分負担のかかる動きをされても揺らいだりはしない。

 フィジカル的な意味では。

 ただ、さすがにこうも顔が近いとこちらも意識せざるを得ない。

 意識せざるを得ないが、すぐ傍にアイリスがいるので、その辺の微妙な感情は顔には出さないようにしておく。

 まあ、ついさっき考えを読まれたことを鑑みても、無駄な努力に過ぎないだろう。

 しかし、分かっていても変な罪悪感のせいで無意味な隠蔽をしてしまっている訳だ。

 悲しい男のさがとでも言うべきか、男女の機微の罠と言うべきか。


【ユウヤ、後で私も】


 とは言え、アイリスは必要以上に粘着する性格ではない。

 彼女的にはそれで済む話で、雄也の努力はそれこそ無に帰してしまう。

 もっとも、だからと何もしないのは彼女の好意に対する甘えになりかねないが。

 と、雄也がそんな益体もない思考を巡らしている間に、アイリスはフォーティアに向き直って文字を改め始めていた。


【ティア、無事でよかった】


 全員の気持ちを代弁するような言葉が、彼女の前に浮かぶ。


「あ、はは。大分迷惑かけちゃったみたいだね」


 それを目にして、フォーティアは気まずげな苦笑いから心底申し訳なさそうに言う。

 そして彼女はそこで一つ区切りを入れると、深く溜息をついた。


「ごめんね、皆。アタシが焦ったばっかりに」


 それからフォーティアは自分を責めるように続けて、雄也の服を掴む手の力を強める。

 空元気も長続きしない程に落ち込んでいるのだろう。

 ドクター・ワイルドの口車に乗せられてしまったことを、余程悔やんでいるようだ。

 しかし、相手が相手だ。

 どうあろうとそうなるように追い込まれていたに違いない。

 そう思ってしまうのは実に嫌な信頼感だが。


「結果としては、戦力が揃ったんだ。これでよかったんだと思っておこう」


 だから、そうフォローを入れる。

 が、やはりと言うべきかフォーティアの反応は今一。


「けどさ……」


 彼女は沈んだ声で否定的に呟いた。


「終わったことだ。後悔があるのなら、この先の戦いで返すしかあるまい」


 するとラディアが傍に来て言い、フォーティアの背に軽く触れながら続ける。


「私も含めてな」

「先生……」

「済まなかった。私がウジウジとしていなければ、もっと早く助けられたものを」


 ラディアは頭を深く下げ、声色に悔恨を滲ませた。


「い、いえ、そんな。アタシこそ先生に偉そうなこと言って……」

「お前は事実を言っただけだ。何も悪くはない」


 更に彼女は慰めを口にするが、自分を責めている人間には余り効果がない。

 だから、視線を下げたままのフォーティアに、ラディアは一呼吸置いて再び口を開く。


「今回はお前も私も色々と失態を演じてしまった。それもまた事実だ」

「……はい」

「自分が嫌になっただろう?」


 今のフォーティアには、むしろ責めに近い言葉こそ心に届き易い。

 ラディアの問いかけに彼女は深く、項垂れるように頷いた。


「私もだ」


 そして続いた言葉に、フォーティアは顔を上げてラディアを見る。


「ティア。これを糧としよう。羞恥も自己嫌悪も、心さえ折れていなければ成長の原動力となる。変化も成長も進化も、今の己の否定という側面を持つのだから」


 身も蓋もない言い方かもしれない。

 だが、現状に満足している人間が自らの意思で変わろうとすることは決してない。

 するはずがないし、意味もない。


「不完全故に、人は理想を目指す。お前がよく言っている『昨日の自分より強くなる』というのは正にその好例の一つだな」

「先生……」


 ラディアの言葉に、フォーティアはそれを噛み締めるように目を閉じた。

 自分自身の座右の銘のようなものを引き合いに出されただけに、胸に響いたようだ。


「私も今日を機に変わろうと思う。もっと強い心を持てるようにな」


 そんなラディアの決意の声を耳にして、フォーティアは頷いて共感を示す。

 その反応を見て、彼女はもう大丈夫だと判断したのだろう。

 ラディアはフォーティアに頷き返すと「さて」と全員を見回した。


七星ヘプタステリ王国に帰るか。……と言いたいところだが、イルミノ様に何も言わずに、という訳にはさすがにいかんだろうな」


 それから深刻そうに言って溜息をつく。

 どうあっても苦手意識は消えないのだろう。


「先生。さっき変わるって言ったばかりなのに」

「こ、これから変わるのだ。だが、今はまだ変わってはいない」


 呆れたようなフォーティアの突っ込みに、ラディアは恥ずかしげに軽く顔を背ける。

 とは言え、そうした割と子供っぽいところを妖星テアステリ王国のお偉方以外に普通に見せているのは、ある意味で大きな変化とも言えるかもしれない。


「ま、まあ、実際ティアの言う通り、向き合わなければならないこともある。一先ずイルミノ様のところへ戻るとしようか」


 そうして少し気まずげに早口でラディアが言った直後――。


「なっ!?」


 突如として、まるで太陽が巨大になったかのように空の全てが輝きで満たされた。

 この場にいる全員の最大魔力を足し合わせても決して叶わない程の、強大なそれの気配を撒き散らしながら。

 その光は一瞬で消え去ったものの、目が眩んでしまって状況を把握できなくなる。


「な、何が……」


 少しして視界が元に戻るが、すぐには何が起きたのか分からなかった。

 が、目に映る光景には強い違和感がある。何かが足りない。


「た、大樹アルブマテルが……」

「あっ!!」


 愕然としたラディアの声で、雄也は違和感の正体に気づくことができた。

 妖星テアステリ王国外郭からでさえ雄大な姿を確認できたそれが、消失している。

 空が広くなっている。


「っ! 〈エアリアルライド〉」


 咄嗟に軽く上空へと飛び上がり、その方向を確認する。と、四分の一程の高さから上が完全になくなっていた。

 断面に火がついている辺り、先程の光で焼失したことが分かる。

 いや、昇華したと言った方がいいかもしれない。


(い、一体、どれだけの熱量を……)


 目の前の事態を理解するにつれ、戦慄が大きくなる。

 今ある力ではどう逆立ちしても足元にも及ばないだろう力。異世界にあって尚常識外のそれが引き起こした現象は、間違いなくドクター・ワイルドの仕業だろう。


「くっ」


 自分達もそれなりに強くなったと実感があるのに、いつまで経っても差を見せつけられるばかり。イタチごっこの様相だ。

 思わず歯を食い縛る。


(けど――)


 それでも耐え忍んで、食らいついていかなければならない。

 無理と言えば許してくれる訳でもないし、何より、これまでの所業を許すことができるような相手でもないのだから。


(今の自分が駄目なら、もっと、もっと強くならないと)


 心が折れて屈してしまいそうにならないように、つい先程までのラディアとフォーティアのやり取りを振り返り、それを支えとして強く意思を保つ。

 こういう時、一人ではないということは本当に心強いものだ。


(そうだ。昨日の自分より強くなるために)


 改めてそう思うことで、意識的に心を落ち着かせると――。


「とにかく、イルミノ様のところへ行くぞ!」


 呆然自失としていた状態からラディアが脱し、慌てたように駆け出していってしまう。


「って、ちょ、待って下さい!」


 さすがに祖国の一大事だからか、その制止は彼女に届かなかった。


(仕方ない)


 危険性があるのか状況把握に努めるべきだろうが、かと言ってこの場にいてもそれができる訳ではない。

 結局渦中に入らなければ何も分からない。

 だから、雄也達もまたラディアの背中を追って駆け出したのだった。


    ***


 幼い頃から当たり前の光景だった。空にそびえる大樹アルブマテルの姿は。

 それが失われたことによって、長年妖星テアステリ王国を離れていたラディアでさえ強い衝撃を受けてしまったのだから、聖都アストラプステに住まう民が混乱するのは無理からぬことだ。

 しかし、街の喧騒とは対照的に、変わらず神殿の奥に座している光の巫女たるイルミノは余りにも落ち着いていた。異様なまでに。


「あ、あの、イルミノ様?」


 フォーティアに変わると言っておきながら、やはり苦手意識が消えず微妙にどもりながら問い気味に呼びかける。

 すると彼女は今ラディア達に気づいたとばかりに、視線をゆっくりとこちらに向けた。

 落ち着いていると見えたのは、呆然としていたからだったのだろう。

 そんなイルミノの態度にラディアは、あるいは彼女こそ大樹アルブマテル消失に最も動揺していたのかもしれない、と思った。

 光の巫女として、妖星テアステリ王国の象徴たるそれに並々ならぬ思い入れがあったことは間違いないのだから。


「ラディアですか。よく無事に戻ってきましたね」

「え?」


 そのイルミノから労るような言葉をかけられ、ラディアは思わず戸惑いの声を上げてしまった。罵倒の一つや二つ当然あるだろうと思っていたのに。


「あれ程までに強大な力。誰が腕輪を身に着けようと防ぐことは不可能でした。貴方を責めようとは思いません」

「は、はい……寛大なお言葉、ありがとう、ございます……?」


 事実として、あの攻撃に対処できる者がいなかったのは確かだ。

 だが、そうではあってもこれまで目の敵にされてきたのだ。

 論理的な判断の下で評価されるという可能性そのものが、ラディアの頭にはなかった。


「ですが、大樹に封印されていた六大英雄最後の一人、真妖精人ハイテオトロープビブロスは……」


 解放されてしまったと見るべきだろう。

 だと言うのに、彼女のこの反応はやはり違和感がある。

 先祖代々守り抜いてきたものを破壊され、呆然として思考が乱れてしまっているというだけでは説明できない気がする。


「今回の敵の強さを鑑みれば、貴方の言う通り、遅かれ早かれ封印は解かれていたことでしょう。是非もないことです」


 目を閉じて冷静に答えるイルミノが酷く気持ち悪い。

 何か得体の知れない存在を前にしているかのようだ。


「……何にせよ、敵がこれ以上この国に干渉してくる可能性は低いでしょう。やはり最も人口が多く、全ての種族が住まう七星ヘプタステリ王国が狙われる危険性は高いはず」


 その考え自体に異論はなく、一先ず「はい」と同意する。


「であれば、貴方は七星ヘプタステリ王国に戻り、危難に備えるべきです」


 更に続いた言葉に頷きつつも、釈然としない気持ちは極限まで高まっていた。

 こんなにも物分かりがいい人間だったのであれば、フォーティアを救うために行ったあの対話は一体何だったと言うのか。


(諦め? 自暴自棄?)


 そうなった理由を考えるが、そんな程度のものしか頭に浮かばない。


(あるいは、それなりの力を持ったが故の懐柔?)


 いずれにせよ、彼女の態度が軟化したからと言って好感は持ち辛い。

 イルミノが提案してくれるなら好都合。

 彼女への応対の仕方を考えるためにも、一旦帰るべきだろう。


「では、私達は七星ヘプタステリ王国に戻ります」

「それがいいでしょう。しかし、この国は貴方の祖国。いつでも帰ってくるのですよ?」

「…………はい」


 懐柔という単語が脳裏に浮かんだせいか、イルミノの声が猫撫で声に聞こえてしまう。

 言われずとも、ドクター・ワイルドがこの国を狙えば、それを防ぐために訪れるが。

 とにもかくにも、ラディアはイルミノから醸し出されている気色の悪い感覚から逃れるように速やかにその場を辞去し、ユウヤ達と共に七星ヘプタステリ王国へと転移した。


(折角変わろうと決意したというのに、肩透かしを食った気分だ。全く、こればかりはいくら何でもあんまりだろう)


 心の内で、最後の最後で締まらない状況に軽く悪態をつきながら。


    ***


「行ったか」


 己の駒達が転移していく気配を感じ、ワイルドは小さく独り言ちた。

 眼前にはイルミノの後ろ姿。

 彼女はラディアとの会話の時とは打って変わって、糸の張りつめたマリオネットのように固まってしまっている。

 ワイルドはそれを不快そうに見ると、突然その背中を蹴り飛ばした。


「お前達のような存在はいつも同じことを抜かし、同じ真似をする。だが、だからと言ってその無様な姿に慣れることができる訳ではない。いつ見ても反吐が出る」


 床に転がり、しかし、機械的に起き上がって元の位置に戻るイルミノに吐き捨てる。

 これを見ても分かる通り、彼女は今ワイルドの支配下にあった。

 ただ、そうなったのはつい先程。彼が放った閃光が大樹を焼いた後のことだ。

 即ち先程のラディアとの対話だけは、ワイルドが仕組んだものということになる。

 どうしてそんなことをしたのかと言えば――。


「もはや俺の目的に、この国でのイベントは意味も価値もない。時間の無駄だ」


 そうした合理的な判断のためだ。

 イルミノとの衝突が、目的成就のために有用となるのであれば放置しただろう。

 しかし、ことここに至っては心の内の最も大きい蟠りを早々に解消してやった方が、短期的にはメリットが大きい。何故なら……。


「ようやく揃った。こちらの駒も、あちらの駒も」


 既に計画は最終段階に入りつつあるのだから。

 長期的な展望は、それこそ意味がない。

 故にイルミノの命を奪うこともない。

 ここで彼女が死ぬこともまた、別のイベントが発生してしまう要因になるのだから。

 このままそれらしい言動を取る人形として配置しておくだけだ。

 光の巫女はそもそも妖星テアステリ王国の象徴たる装置なのだから、機能を果たしていれば誰も気づくことはない。

 感情を読むことに依存した一般的な妖精人テオトロープは、模造したそれを読ませておけば違和感を抱くことすらできはしないのだ。

 もっとも進化の因子を持ち、己の意思を取り戻した人間であればその限りではないが。

 いずれにせよ妖星テアステリ王国は、物語上の描写されない部分の如く、目に見えないところにある歯車の如く、後はひたすら機械的に回っていくだけだ。

 人間・・に認識されないままに。

 そしてワイルドは妖星テアステリ王国にあってもはやその国の存在を忘れたかのように、唐突にその場から転移した。

 七星ヘプタステリ王国は王都ガラクシアスの上空へと。


「後は少し切っ掛けを与えてやれば完成する。全てが整う」


 そのまま滞空して眼下の街並みを見下ろしながら、彼はこの時を待ち焦がれていたとばかりに口の端を吊り上げる。


「待っていろ、ウェーラ。今度こそ辿り着いてみせる。そして……世界に呪いを振り撒いた女神を、必ず殺してやる!」


 それから狂気と憎悪の入り混じった色で瞳を染め、ワイルドはもう一度転移して己の拠点へと戻っていったのだった。

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