第二十一話 焦燥

①無力感を抱きながら

    ***


「アタシの生命力とか魔力って、どうやってもこれ以上強くならないんでしょうか」


 それはユウヤと出会う数年前のこと。

 フォーティアは既に生命力も魔力も潜在能力として示されたレベルに至り、伸び悩みどころか全く成長が自覚できなくなってしまっていた。そして、そのことで思い悩み、幼い頃に家庭教師をしてくれていたラディアに相談しに来ていた。


「……どうにも、ならないんでしょうか」

「潜在能力が変化したという事例は記録にはない。伝承に謳われるのみだ」


 深刻な声で問うたフォーティアに対し、彼女は難しい顔をして答える。


「現実問題、生命力と魔力という意味においてはそれ以上強くはなれんだろう」

「そう、ですか……」


 下手に慰められるよりは、きっぱりと言われた方が余程いい。

 とは言え、即座に納得できるかどうかは別の話で、フォーティアは肩を落として俯いた。


「この世界の人間の常だ。お前だけに限界がある訳ではない。そして、その中で私やお前は十分に恵まれている方だ。それは分かっているだろう?」

「……はい」


 やや叱るような口調に頷く。重々理解はしている。

 全人口中のダブルSの割合を思えば、贅沢な悩みであることも。


「まあ、そうは言っても、お前の年齢では認めることも難しいか。ましてや成長の限界が来てすぐではな」


 不満を隠せないフォーティアの声色に、ラディアは仕方がない奴だとばかりに苦笑した。


「いいか、ティア。強さとは何も単純な生命力や魔力だけで決まるものではない。技の冴えや相手との駆け引き、地形の利用など様々な要素で決まるものだ」


 そして告げられたのは、ある意味当たり前のこと。

 だが、どうしても決定的な力の差を覆せる程のものではないように思えて、だからフォーティアには余りピンと来なかった。


「ふむ……」


 すると、ラディアはその様子を見て腕を組み、何ごとか考え込み始めた。


「どれ、少し待っていろ。〈アトラクト〉」


 それから何やら書物を転移させ、中身をパラパラと捲って軽く確認してから一つ小さく頷いてこちらを見た。


「それは?」

「勇者ユスティアの冒険譚だ。これをお前にやる。隅々まで熟読するといい」


 ラディアはそう言うと、その本を差し出してきた。


「は、はあ。けど、勇者ユスティアの話ならアタシも大体知ってますけど……」


 かなり重厚に装丁されたそれに、フォーティアは一度目線を落としつつもすぐには受け取らず、そう口にしながら困惑気味に彼女の目を見た。

 それこそ話自体は子供でも絵本やら何やらで触れる機会があるので、彼の業績については今更調べる必要などないはずと思うのだが。


「これを読んだことは?」

「えっと、ありませんけど……」


 表紙を見ただけで、即座に読んだことがないと分かる。

 そもそも、これ程高価そうな本を手に取った経験はない。


「であれば、お前の役に立つはずだ。これは数多あるユスティア関連の書物の中でも、彼の戦いについて最も詳細に書かれているものだからな。先程の私の言葉を納得できるようにもなるだろう」


 ラディアはそう言うと、半ば押しつけるようにそれを渡してきた。

 そうまでされては受け取らざるを得ず、両手で持ちながら表紙、背表紙と矯めつ眇めつ確認する。その段階では、正直ラディアの指示とは言え本当に有用か半信半疑だった。

 が、彼女の言葉はある面では正しかった。

 家に帰った後、借りた手前さすがに目を通さなければ不義理だと軽く流し見たところ勇者ユスティアの戦い方に引き込まれ、一気に最後まで読んでしまったのだ。

 傀儡勇者召喚に巻き込まれる形で召喚され、当初はその補正を受けられずに生命力にも魔力にも恵まれなかった彼。

 腐らずに鍛錬を続けて尚、敵対者のほとんどは格上だったにもかかわらず、奇抜な発想を基にした魔法で戦力差を埋めるその姿に深く感銘を受けた。

 そして以後、この本を参考にしたことによって、フォーティアの強さの幅は確かに広がっていった。それは間違いのない事実だった。


(事実だった……けれど、ね)


 そうは言っても素の能力の限界は変わらずそこにある。

 変化を実感して尚、鬱屈した感情は胸の奥で淀み続けている。

 それでも、その感情に気づかない振りをして「昨日の自分より強くなる」と、そう必死に自分に言い聞かせてきた。

 ユウヤに出会ったのは、それが隠し切れない程に蓄積されていた時のことで、潜在能力において限界のない異世界人たる彼を意識するのは当然のことだろう。

 何かが変わるかもしれない。

 そう考えて積極的に彼と関わりを持ち、そして実際に己の上限は取り払われた。

 しかし、それは結局のところ新たな苦悩の始まりでもあったのだった。


    ***


「っと。おはよう、イーナ」


 イクティナもまたラディア宅に居候することが決まり、引っ越しが済んだ明くる日の朝。

 部屋を出てすぐ彼女とバッタリ出くわし、雄也は片手を上げながら挨拶をした。

 が、何故かイクティナは信じられないものを見たとばかりに呆然と立ち尽くしていた。


「どうしたんだ?」

「あ、ああ、い、いえ、その……」


 不審に思って問いかけると、イクティナは大分どもりながら微妙に頬を赤くして視線を左右に揺らす。何やら混乱しているようだ。


「イーナ?」


 しかし、そんな反応をする理由が分からず、首を傾げて問い気味に名前を呼ぶ。

 すると、彼女は意を決したようにこちらの目を見詰めながら口を開いた。


「さっきメルちゃん……クリアちゃんかもですけど、ユウヤさんの部屋から寝間着のまま出てきたんですけど、あの」


 最後まで言い切ってはいないが、何となく言わんとしていることを理解する。理解してハッとする。間違いなくあらぬ誤解を受けている。

 最近では当たり前になって感覚がおかしくなっているが、客観的に見れば外聞がいい状況とは決して言えない。メルクリアの体が年齢に反して大人びているから尚更だ。

 慣れとは怖いものだと思う。


「ああ、いや、あれは、だな」


 だから、改めて指摘を受けると焦ってしまうが、今はとにかく弁明しなければならないと雄也は口を開いた。が、間が悪く、それを妨げるように――。


【どうしたの?】


 そう問いながら、朝食の準備を終えたらしいアイリスがやってきた。

 どうやら、まだ勝手が分からないだろうイクティナを呼びに来たようだ。


(あ)


 状況を鑑みて、色々と察してしまう。

 この展開。ほぼ間違いなく更なる誤解を生むパターンだ。

 だから、せめてその場凌ぎの誤魔化しだけでも試みようとするが――。


「アイリスさん、その、ユウヤさんの部屋から……」


 雄也が何か言う前にイクティナは口を開き、寝間着姿のメルクリアが出てきた旨を繰り返した。間に合わなかったようだ。


【問題ない。いつものこと】

「いつものことって、いいんですか!?」


 素っ気ない文字に驚いたように声を大きくするイクティナ。

 そんな彼女の問いに応えてアイリスが文字を作り変え始める。


【大丈夫。間違いが起きないように私も一緒に寝てるから】

「へ?」


 その内容が一瞬理解できなかったのか、イクティナは呆けたようにポカンと口を開けた。


「そ、そっちの方が大丈夫じゃないですよ!!」


 それから一層顔を赤くして尚のこと強い口調と共にアイリスに詰め寄った。

 案の定、状況が悪化してしまったようだ。思わず頭を抱える。


【羨ましいの?】

「はい……って、そこじゃなくて!」


 慌てて首をブンブンと横に振るイクティナ。


【そこはいいの?】


 アイリスの問いへの肯定を撤回していないことを突っ込まれ、彼女は顔を真っ赤にしてしまった。そうしながら視線を向けられるが、何とも反応のしようがない。


「そ、そこはいいんです!」


 イクティナは尚のこと恥ずかしげに目をギュッと瞑るが、それでも以前から好意を示している手前、否定することはできないようだった。


「と、とにかく、何でそういうことになったんですか!?」


 それから色々と誤魔化すように彼女は問う。


「い、いや、アイリスは、あれだから」

「あれって……」

【私、婚約者】


 平たい胸を張るアイリスだが、あれとはそれのことではない。

 マイペースで割と押しの強い(ただし、最後の最後の一線は越えない)性格のことだ。

 とは言え、雄也自身拒否していないのだから、全てをそのせいにはできないが。

 ある意味、既に尻に敷かれているのかもしれない。


「婚約したって言っても、まだ結婚はしてないんですよ!? と言うか、あの二人も一緒だなんて何と言うか、その、あの……」


 イクティナは最後の部分で首筋まで真っ赤にして口籠ってしまった。

 碌な想像をしていないことが表情から丸分かりだ。

 意外と彼女も耳年増なのかもしれない。


「メルとクリアは色々と事情があってさ」


 自分以外の誰かが大きく混乱した姿を見ると、大分冷静になるものだ。

 雄也はこういう場合は一から正確に説明するに限ると考え、一つ一つ振り返った。

 以前の事件で双子がお互い以外の血の繋がった家族を失ってしまったこと。これは当然イクティナも知っている話だが、前提として口にしておく。

 その上で、一つの肉体を共有したことによってその寂しさを互いの体温で紛らわせることすらできなくなり、夜眠れなくなってしまったこと。

 そうした理由で彼女達の方から一緒に寝て欲しいと頼んできたこと。それらを伝える。


「……そういう理由なら、まあ、メルさんとクリアさんについては分かりました」

【私は?】

「アイリスさんは……もう諦めます」

【ん。それがいい】


 簡潔に作られたアイリスの文字を前に、イクティナは疲れたように深く息を吐く。それから彼女は呆れたように苦笑した。

 早々にこの家での雰囲気を理解できてよかった、ということにしておこう。


【そんなことより朝食。食堂に来て】


 アイリスはそう字を改めると、話は終わったと雄也達に背中を向けて歩き出した。


「イーナ、行こうか」

「あ、はい」


 振り返らず食堂に向かうアイリスの後にイクティナと共に続き、食堂を目指す。


「遅かったな」


 そしてそこに入ると、ラディアからチクリと刺されてしまう。

 既に雄也達以外の全員が席に着いていた。フォーティアもいる。

 彼女は朝が弱かったが、双子が来た辺りから自分で起きるようになっていた。

 散々嫌がらせのような起こし方をした効果があったと言うところか。


「ほら。早く座れ」

「すみません」


 言葉で促され、軽く謝りながら少し足早に所定の位置に座る。

 言っては何だが新参者であるイクティナは、端っこの方だ。


「では、食べるとするか」


 少ししてアイリスが一通り料理を運んできたところで、食事を開始する。


「ところで……一先ず敵の動きは鎮静化したようだが、しばらくどうするつもりだ?」


 それから、ある程度料理が減ったところでラディアがそう問うてきた。


「そうですね。いつ何が起こるか分かったものではないので、訓練を継続するしかないと思います。魔力吸石の回収を行いながら」

「ふむ。まあ、確かにそれしかないか」


 正直、手詰まりな感はある。

 それでもコツコツと今やれることを積み上げていくしかない。


「あ、ユウヤ。ちょっといいかい?」


 と、そこへフォーティアが割って入ってくる。


「どうしたんだ?」

「アタシはさ。魔力吸石の回収に専念させて貰えないかな?」

「回収に専念?」


 確認するように繰り返して問うと、彼女は真剣な表情で頷いた。


「だが、ティア。Sクラスの魔物は数が限られている。効率が上がるとは思えないぞ」


 雄也がフォーティアの頼みの是非を頭の中で判断する前に、やや眉間にしわを寄せてラディアが言う。


「AクラスでもBクラスでも。塵も積もれば何とやら、です」


 そんな彼女の忠告に応じてフォーティアはそう返した。

 確かに、Sクラス以外では本当に塵以下の価値しかないにしても、全くの無意味ではないだろうが……。


「戦いは数だからね。後二人。是が非でも揃えないと」


 フォーティアはそう雄也に告げてから、ラディアに強い視線を向けた。


「先生も、そろそろ覚悟を決めるべきじゃないですか? 進化の因子によって潜在能力の限界が取り払われたおかげで、もう少しで以前のイーナと同じレベルの魔力ってとこまで強化されてるんでしょう?」

「それは……そうではあるのだが」


 問い質すフォーティアに、言葉を濁して視線を逸らすラディア。

 それは即ち、後少し魔力が高まれば魔力吸石を吸収させずとも腕輪を身に着けるだけで変身が可能となる、ということだ。


「正直アタシは先生が羨ましいです。同じダブルSでもアタシは生命力寄りだから、折角進化の因子を貰っても魔力吸石を相当量集めないといけない」


 恐らく生命力も変身後の強さに関わってくるはずだが、単純に腕輪の力を解放するだけならば確かに魔力と魔力吸石の合計で決まるようではある。

 元々魔力寄りなラディアであれば、変身へのハードルが限りなく低いのは事実だ。

 もっとも、彼女には他の部分で躊躇う理由があるようだが。


「とにかく、アタシはしばらくそうするからね」

「あ、ああ。分かった」


 こちらを振り返って言うフォーティアの目に有無を言わせぬ迫力を感じ取り、雄也は半ば強制されるように頷いた。


【ティアがいない間は、私も訓練に参加した方がよさそう】


 と、フォローするようにアイリスが文字を作る。


「そうだね。頼めるかい?」

【任せて】


 そんなこんなで話が決着し、しかし、どことなく張り詰めた空気を感じながら食事を終える。


「……じゃあ、今日の訓練に行こうか」


 そうして雄也達はフォーティアとラディアを除いた面々で、賞金稼ぎバウンティハンター協会のいつもの訓練場へと向かったのだった。

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