③因習からの解放

    ***


《Wing Assault》


 ゼフュレクスへと駆ける中、女性的で甲高い電子音と共に翼人プテラントロープが持つ飛行補助器官を機械化して巨大化したかのような翼が背中に生み出される。

 特訓において最もしっくりきた武装だ。

 イクティナはそれを新緑色の装甲の上から威嚇するように大きく展開した。

 ゼフュレクスへの攻撃を無意識に忌避する気持ちを、抑え込むように。


「待て、イクティナ! 何をするつもりだ!!」

「ゼフュレクス様を攻撃する気!? それでも守り人の血を引く翼人プテラントロープなの!?」


 と、父親と母親が背中からそう強い声を投げつけてくる。


「私には、守り人の資格なんてないですから」


 対してイクティナは、苛立ちを抑え込むように意識的に平淡にした口調で返した。

 そもそもは二人からぶつけられた言葉を。


「だから今、この場で古き因習を終わらせます。束縛を断ち切り、本来父親と母親が当たり前に望む自由を二人に取り戻させるために」

「や、やめろっ!」

「そんなことをされたら、守り人である私達は――」


 精神干渉を重ねられ、完全に思考を歪まされてしまっている二人の言葉を黙殺し、そのまま足を止めずにゼフュレクスへと迫る。

 既に敵と成り果てたそれは、その段階に至ってようやくメルクリアの牽制の影響から解放されたようだった。


「グガアアアアアアアアアアッ!!」


 そして、獣の如き眼光を以ってこちらを捉え、イクティナを獲物と定めて威嚇するように叫ぶ。やはり理性の光は欠片も見て取れない。


「〈エアリアルライド〉!」


 それを前にイクティナは翼型の武装を広げ、魔法による空力制御を用いて僅かに浮かび上がったまま敵へと向かう。


「グオオオオオオッ!!」


 それに応じてゼフュレクスは咆哮を伴いながら、イクティナよりも一回り以上も巨大な腕を薙ぎ払った。風属性だけあって、それは空気の流れを乱さずに音もなく迫り来る。

 イクティナは相手の懐へ入り込むことでその一撃を避け、擦れ違い様に鋭利に研ぎ澄まされた羽を束ねて相手を切り裂かんとした。


「ギアアアアッ!?」


 刃と化した翼が肉に通る手応えはあった。

 しかし、傷は浅く、苦痛の声も小さい。

 まるで硬いゴムを切ったように抵抗が大きかった。

 やはり同属性故に、通常の攻撃では威力が出ない。


(なら……全力の一撃を叩き込むだけ!)


《Convergence》


 だからイクティナは魔力の収束を開始し、そうしながらイクティナは一旦敵との間合いを開いた。


「〈オーバーマルチトルネード〉!」


 更に無数の激しい風の渦を生み出して牽制しつつ、己に出せる限界の力を発揮するために、未だ両親を抑え続けてくれている双子を振り返る。


『メルさん、クリアさん! アサルトレイダーを!』

『はい! 再準備はできてます!』


 イクティナの〈テレパス〉の意図を汲んでメルが即座に答え、彼女の指示によってかアサルトレイダーが傍に駆け寄ってくる。そしてそれは、双子が改造したその魔動器のスタンダードな形態たる大砲の如き武装へと変形した。

 すぐさま抱え込むように手に取り、その照準をゼフュレクスに合わせる。


《Final Wing Assault》


 そのままイクティナは、翼状の武装に蓄えた魔力をそこに加えるためにアサルトレイダーの全体を包むように羽を動かし、砲身の先を示すように翼の先端を向けた。


「やめろイクティナ!! やめてくれっ!!」


 と、父親たるコラクスが狂乱したように絶叫を始める。

 強大な魔力は感じられずとも、その仰々しさに只ならぬ脅威を感じたのだろう。


「ゼフュレクス様っ!!」


 そんな彼に加えて、母親たるペリステラもまた悲鳴の如く呼びかける。


(お父さん、お母さん……)


 そのように取り乱した両親の姿を見るのは初めてのことで、イクティナは少し戸惑いを抱いた。

 ユウヤのおかげで守り人に対するコンプレックスをある程度振り切って尚、僅かな躊躇いが胸に生じる。


(だからって、今のあれはただの害獣!)


 その感情を振り払うようにそう心の内で断じ、武装化したアサルトレイダーの引金を引いた。と同時に――。


「イリデセントアサルトカノン! プラス、ヴァーダントアサルトバスター!」


 翼の先に《Convergence》で収束した魔力を道標の如く放出し、アサルトレイダーより解き放たれた六色の魔力に溶け込ませる。

 それによって混ざり合った力は新緑色の輝きのみを一層強め、一直線にゼフュレクスへと向かった。


「やめろおおおおおおおっ!!」


 既に撃ち出されたそれは、一際大きく繰り返された父親の絶叫などでは止まらない。

 その一撃は間違いなくゼフュレクスに直撃した。


「ゼフュレクス様あああああっ!」


 そして、悲痛なまでの母親の叫びを切り裂くように、力の余波による衝撃音が場を覆う。

 蓄えた魔力の内、敵に通ったのはやはり風属性のみ。

 とは言え、同属性たる自分自身でも正面から受け止めればただでは済まないと分かるだけの威力は備えていたのだが――。


(まだ、足りない!?)


 ゼフュレクスは倒れてはいなかった。


「グ、ルル……」


 それでもプルトナの攻撃の時とは異なり、目に見えて全身が傷ついているし、多少なり怯んでもいる。今までで最も効果があるのは間違いない。



「ガアアアアアアアアアッ!!」


 しかし、ゼフュレクスがそう咆哮した正にその瞬間、体表全体に無数に刻まれていた傷は逆再生のように塞がれてしまった。


「なっ!?」

『……どうやら治癒の魔動器も備えてるみたいです!』


 驚愕を顕にしたイクティナに対し、メルが注意を喚起するような口調で告げる。


『同属性以外は無効化。同属性は減衰。生半可な攻撃は回復、か。ハッキリ言って、作った奴はかなりの性悪ね』


 続いてクリアが独り言のような言葉を忌々しげに〈テレパス〉で呟いた。

 人工魔獣と言うだけあって、二重三重に欠点を補おうという意思が感じられる。


「ふ、は、はは。や、やはり落ちこぼれの娘などに守護聖獣たるゼフュレクス様を倒すことなど、できる訳がないのだ」


 と、ゼフュレクスの健在振りを見て、コラクスはイクティナの攻撃を前に顕にしていた焦燥を隠すように引き攣った笑いを浮かべて言った。


「え、ええ。さすがはゼフュレクス様!」


 同意するペリステラもまた表情に彼と同じものを浮かべていて、二人共もはや狂気に駆られているようにしか見えない。


(こんなの、やっぱりおかしい)


 イクティナは、その様子に戸惑いを超えて恐怖を抱いてしまった。


(洗脳、操り人形。自由な意思を失うって、こういうことなんだ)


 だからこそ、ユウヤは自由を奪う者を許さないと繰り返すのだろう。

 これまでも理屈の上では同意してはいた。

 不自由より自由の方がいいのは一般論と言っていいはずだから。

 しかし、実感を伴って理解し、心の底から納得したのは初めてのことだった。

 ゼフュレクスへの敵愾心も膨れようというものだ。

 何より、この存在の干渉によって、今日この時まで自分が不遇な扱いを受けていたのだとすれば尚更のことだ。


「いい加減にしてよ! お父さんも、お母さんも! 二人共、あれに心を歪まされてるんだよ!? 気持ち悪いと思わないの!?」


 盲信するようにゼフュレクスへの称賛を繰り返している両親に対し、イクティナと似た意見を抱いたらしいアエタが叫ぶ。にもかかわらず――。


「私達は正常だ!」

「アエタもおかしなことを言っていないで、イクティナを止めなさい!」


 父親と母親はアエタの言葉にすら聞く耳を持たなかった。

 自分がおかしくなっていることに気づけないことが、洗脳の恐ろしいところだ。

 やはりゼフュレクスを滅ぼさなければ、両親の意識を正すことはできないのだろう。

 だが、既に最大出力には至ってしまった。

 これ以上の魔力は逆立ちしても捻り出せない。


(どうすれば――)


『イーナ、集中しろ!』


 と、ユウヤに注意を促され、再び仕かけてこようとしていた敵に気づかされる。


「グオオオオオオオッ!!」


 直後、ゼフュレクスは馬鹿の一つ覚えのように突進してきて、全身から力を引き出さんとするように吼えながら腕を薙ぎ払ってきた。

 とは言え、真翼人ハイプテラントロープとなったイクティナの移動力であれば回避は容易い。

 それだけでなく、たとえ直撃しても同属性故に大きなダメージにはならない。

 ただし、それは相手にも言えることであり、このままでは泥仕合もいいところだが。


(いけない。戦いに集中しないと)


 ユウヤに今正に言われたことを心の内で繰り返し、自戒する。

 しかし、意識するとむしろできないのが常のこと。


(集中……集中? …………っ! そうだ!)


 自分に言い聞かせながらも全く集中できていない中、逆にそのおかげで状況を打開する方法を閃く。が、イクティナは同時に内心で自省もした。

 考えついてみれば余りにも単純。

 それを当たり前に実行できない辺りは、偏に経験不足のせいに他ならない。


《Convergence》


 そしてイクティナは、その方法を実行するために再び魔力を収束させ始めた。


「……今度こそ、解放して上げますから」


 そうしながらイクティナは、両親に向けて静かにハッキリとした口調で告げた。

 実際もはやそれは願望ではなく決定した未来。

 故に声色にも自然と滲み出ていて――。


「イクティナ? まさか……」

「そ、そんなこと、ハッタリに決まっている!」


 明らかに様子が違うと捻じ曲げられた心でも察することができたのだろう。

 両親は焦燥を尚のこと強め、半ば怯えたように表情を歪める。


《Final Wing Assault》


 だが、今更逡巡するつもりはない。

 人の心を歪め、自由を脅かす存在は倒さなければならない。倒すべきなのだ。

 勿論、私情も多分に含んでいる。むしろだからこそ、今ここで長きに渡る守り人の因習をこの手で断ち切ることも厭わない。


「ヴァーダントアサルトフェザー!!」


 そしてイクティナは翼状の武装を大きく展開し、それを構成する一つ一つの羽を分離してゼフュレクスへと飛ばした。

 先頭を行く羽が着弾し、しかし、その胸部に僅かに傷をつけるのみに終わる。


「ガアアアッ!!」


 痛みを示す相手の叫びも小さい。


「や、やはり所詮は……」


 その一つだけの威力を見て父親は問題ないと判断しようと試みたようだったが、言葉は続かなかった。母親もまた無言で諦めたように俯いている。

 何故ならば、直撃した羽の後ろには無数に同じものが控えているからだ。


「終わり、です。ゼフュレクス」


 イクティナは敢えて「様」をつけずに言い放ち、回復が始まってしまう前に全てを先の着弾点一点に集中して連続で叩き込んだ。

 ダメージは小さくとも確実に削れるのであれば、数を撃てば貫くことができる。


「グ、ガアアアアアアアアアッ!!」


 少しずつ抉れていく傷に、さすがのゼフュレクスも耐えられなくなったようで逃げを打とうとする。が、羽はどこまでも追っていき、振り払わんとする前足を避けて一点を狙い続ける。更に敵は魔法で風を繰って妨害を試みてくるが――。


「〈オーバーエアリアルカーム〉!」


 イクティナはそれ以上の魔力を以って無理矢理周辺の大気を安定化させ、執拗に攻撃を一ヶ所に集中させた。


「アア、ガ、アアアッ! アア、ア……」


 やがて羽はゼフュレクスの巨体を貫き、厚い肉の壁を抜けて背中から空に舞い上がり、そのまま急降下して今度は背部に突き刺さった。

 突き抜けた穴はそれなりに大きく、心臓が傷つけられながらも脈打っている様が見て取れる。これも放置すれば再生してしまう可能性があるだろう。


(止めを!)


 だから、イクティナは残る羽全てを今度は心臓目がけて飛ばした。


『見事だ。お前は守り人の中で最も優秀だった』


 瞬間、理性を完全に失っていたはずのゼフュレクスから〈テレパス〉が届く。

 周囲の無反応さからして、イクティナだけに向けられたもののようだ。


『これで私も眠ることができる』


 そしてゼフュレクスが満足そうに続けた直後、無数の羽が心臓に突き立てられ、長き間先祖達を因習に縛りつけていた存在は死に絶えたのだった。


    ***

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