②近況報告的な

【おはよう、ユウヤ】


 朝。目が覚めて最初に目に映るのは愛らしい獣人テリオントロープの少女の微笑み。と挨拶の文字。

 既に一ヶ月近く続いている習慣だ。

 もう状況シチュエーションには慣れつつある。が、最初無表情だった彼女が、指切りをした日辺りから徐々に表情を和らげていく様子は日々新鮮で、寝惚けた頭に幸福感を叩き込んでくる。

 約束を果たすまでは自重と言っておきながら、正直毎朝綱渡りだ。ほんの少し体を起こせばキスしかねない近距離は精神衛生上問題があり過ぎる。


「……おはよう、アイリス」


 平静を装いながら挨拶と笑顔を返し、彼女がベッドを離れるのを待って起き上がる。

 彼女、アイリス・エヴァレット・テリオンは王立魔法学院の同級生にして現在同居中の女の子。同級生ではあるが、年齢は雄也の五つ年下。十五歳だ。

 非常に整った容姿に琥珀色のセミショートから覗く獣人テリオントロープらしい犬耳。ふさふさの尻尾。二週間前の事件以来着るようになったミニスカメイド服。

 合わせて端的に言うと犬耳美少女メイド状態にある。


【朝御飯の用意をするから、少ししたら降りてきて?】


 雄也が体を起してベッドに腰かける体勢になったところで、アイリスは掌の上に魔法で文字を作り出した。彼女はドクター・ワイルドが起こした事件に巻き込まれ、その際に進行性の呪いをかけられて発声できなくなってしまっていた。

 その時に守ってやれなかった引け目もあり、彼女が自分に好意を抱いてくれているのは理解しているが、呪いを解いてけじめをつけるまでは今の関係に留まるつもりでいる。


(けど、なあ……)


 その考えはアイリスも同じはずなのだが、彼女は結構マイペースなので正直心配だ。

 何でも獣人テリオントロープの女性は半端なく一途な代わりに暴走しがちという話だから。

 こうなると、雄也がしっかりしなくてはならないだろう。


(俺の自制心、頑張れ。超頑張れ)


【ユウヤ?】


 思考が横道に逸れて反応が遅れたせいか、小首を傾げたアイリスに顔を覗き込まれる。


「ん、あ、ああ。うん。分かった。朝御飯な」


(けど、それはいいとして近い。近いって)


 アイリスの無防備な態度に早速自制心を揺るがされながら、何とか動揺を抑え込む。

 彼女はそんな雄也を不審には思わなかったようで、コクリと頷くと踵を返した。が、何かを思い出したようにすぐに立ち止まり、再びこちらに向き直る。


【後、ついでにティアを起こしてくれると助かる。今日も起こせなかった】


 少しばかり申し訳なさそうに言い、今度こそアイリスは部屋を出ていった。


「ティアは正攻法じゃ起こせないからなあ……」


 呆れを声色に滲ませながら独り言ち、雄也は軽く体を解してから自室を出た。

 そして、同じ階にあるティアことフォーティア・イクス・ドラコーンの部屋に向かう。

 雄也と同い年の龍人ドラクトロープである彼女は、人類の天敵たる魔物や魔獣を狩って生計を立てている賞金稼ぎバウンティハンターだ。その中でも最上位のSクラスに分類されている。

 アイリスの呪いを解くのに高クラスの魔物や魔獣が残す魔力吸石が必要となり、それらの住まう地へと連れていってくれるガイドとして紹介されたのが知り合った切っかけだ。

 それ以来、戦闘面で特にサポートを受けている。

 フォーティアの性格的に悪友という感じの関係か。

 二週間前の事件の後から、そんな彼女も雄也達と同居するようになったのだが――。


「全く、アイリスの暴走を防ぐようなことを言ってた癖に」


 一応ノックをしてから、反応のないフォーティアの部屋に入る。と、彼女は薄いかけ布団を地面に放り捨てた状態で、引き締まったお腹を出しながら幸せそうに眠っていた。

 基本的に美人と言って差し支えない彼女がキャミソールっぽい上着にホットパンツと露出が高い格好をしている上、おへそが丸見え。

 健全な青少年には中々目に毒な光景のはずだが、だらしなさ過ぎて色気は皆無だ。

 剣道少女風の和装を纏って凛とした戦闘時の姿を知っていると、そこからかけ離れたその姿は余りにも残念に思う。まあ、彼女の性格を考えると、らしいと言えばらしいが。


「ティア、起きろ。朝だぞ」


 肩を直接揺すって声をかける。いくら相手がフォーティアでも初日は素肌に触れるのは恥ずかしかったが、今となってはもう慣れた。

 むしろ、まだ起きて間もない雄也としては少し小突いたぐらいでは起きる気配がない呑気な寝顔には少しイラッとくる。なので――。


「〈ヒート〉〈ヒュミディファイ〉」


 嫌がらせに彼女の周囲の空気を加熱しながら加湿してやる。

 時節は夏。いくらヨーロッパ的な気候故に比較的過ごし易い王都ガラクシアスとは言っても、局所的に湿度を高めてやれば不快指数は一気に跳ね上がる。

 見る見る内にフォーティアの顔は不快そうに歪められ、じわりと寝汗が滲み始めた。


「っ、だああああっ! 毎朝毎朝、何すんのさ!!」


 遂には不快さに負けて勢いよくベッドから降り、こちらを睨みつけてくるフォーティア。

 一発で完全覚醒に至ったようだが、機嫌は最悪のようだ。熱帯夜を経験したことのある日本人として気持ちはよく分かる。正直、自分がされたら間違いなく怒り狂うだろう。

 と言う訳で、雄也は即座にフォローに入った。


「〈デヒュミファイ〉〈クールブリーズ〉」


 除湿して適度に冷やしてやる。と、フォーティアは全身を駆け巡る心地よさに表情を和らげ、それからハッとしたように唇を尖らせて不満げな顔を作った。


「ぐ、毎朝毎朝卑怯だよ」


 感情や感覚を際立たせるには落差が必要。不快から快へと一気に引き上げてやることで感じる気持ちよさは、ニュートラルな状態からのそれとは比べものにならない。

 サウナの後の水風呂のようなものだ。


「これのせいで怒ろうって気勢が削がれるんだよ。ったく」


 勿論それが狙いだ。計算通り。


「や、そもそも起きないティアが悪いんだろ。朝御飯は皆で一緒に食べたいから起こしてくれって言ったのはティアじゃないか」

「……あー、そりゃあそうだけど、さ。もうちょっとやりようがあるだろ? 感覚をもてあそばれて、正直毎朝精神的に疲れるんだよ……」

「けど、なあ。ちょっと揺すったぐらいじゃ全然起きないし」

「ま、これでも生命力Sクラスだからね。同レベルの人に殴られでもしない限りは、気がつかないんじゃないかな。元々眠りも深いしね」

「……それ、大丈夫なのか? 寝込みを襲われたりしたら」

「なら、明日は襲ってみるといいよ。楽しいことになるからさ」


 そう言ってニヤリとほくそ笑むフォーティア。表情に反して鋭く研ぎ澄まされたその目線に、気温が高いにもかかわらず背筋が震える。

 確かに彼女なら殺気を感じ取って反撃するぐらいできそうではある。が、それはそれとして不敵な顔がむかついたので、怯まされた意趣返しをしておくことにする。


「よし。じゃあ、変身して襲おう」

「ちょ、それはなしでしょ!!」


 フォーティアは慌てたように表情を情けなく崩した。ちょっと溜飲が下がる。


「何だい何だい。もう。折角恰好よく決まったと思ったのにさ」

「そんなことはいいから、さっさと食堂に行くぞ。アイリスが待ってる」

「はあ、全くユウヤはアイリス第一なんだから」


 揶揄するように意地の悪い笑みと共に言いながら、勢いよく立ち上がって部屋の外へと向かうフォーティア。そんな彼女の後を追いながら、反論のために口を開く。


「家事のほとんどをやってくれてるんだ。当たり前だろ?」

「ま、そういうことにしとくよ」

「しとくよ、じゃなくて、そういうことなんだよ」

「はいはい。そーですねー」


 じゃれ合うようなかけ合いをしながら食堂に入ると、既に食卓には朝食が並んでいた。

 まず、中央に置かれたバスケットにクロワッサンやバターロールのような形状のパンが大量に。それぞれの席にはコンソメスープ、ソーセージとベーコンが添えられたハムエッグ、フルーツ入りのヨーグルトがこれまた山のように盛りつけられて並んでいる。

 いかにも西欧風の朝食といった印象だが、朝からがっつりな感じは生命力と食欲が比例関係にあるこの世界アリュシーダらしさを表していると言えるだろう。


「遅いぞ、お前達」


 そう長テーブルの上座から呆れの滲んだ言葉をかけてきたのは、見た目十二歳ぐらいの人形のように美しいラディア・フォン・アルトヴァルトだった。

 魔動器の灯りに照らされてキラキラと煌く白銀の髪。負けず劣らず白く輝く肌。それらに相応しい整った顔立ち。尖った耳。

 元の世界で言うエルフの如き外見を持つ妖精人テオトロープだ。

 どう見ても美少女だが、分類的には少女ではない。

 王立魔法学院の学院長を務めており、そのことから分かるように見た目通りの年齢ではないのだ。(実年齢は三八歳とのこと。百何歳とか突き抜けた感じではなくて、とても微妙な気持ちになったのは内緒だ)

 異世界に召喚された雄也の保護者的な存在でもある。


「ほら。さっさと席に着け」


 ラディアの指示に従って自分の席に着く。彼女から見て右側の席だ。

 異世界初日にそこに座らされて以来、雄也はいつもその席を使っている。

 フォーティアはラディアの左側の席、雄也の正面だ。

 最後にアイリスが奥のキッチンから出てきて雄也の右隣に座る。これが定位置だ。


「では、いただきます」

「「いただきます」」【いただきます】


 勇者ユスティアが伝えたという日本人には馴染みの挨拶をして朝食を開始する。


「ん。スープがいい味だな。アイリス、また腕を上げたんじゃないか?」

【メルティナが残してくれたレシピの通りに作るだけだから。でも、少しは慣れたかも】


 オタク的には、レシピ通りができない上に何故か味見もしない頭がおかしいメシマズヒロイン達を沢山知っているので、正直この時点で十分ポイントが高い。


【メイドの人達には敵わないけれど】

「さすがに本職の者達と比較するのは酷だろう。まだ料理を学び始めて一ヶ月と経っていないのだから。しかし、十二分に助かっているぞ。今となっては雄也のための料理だけでなく全員分。さらには掃除や洗濯までこなしている訳だからな」


 柔らかい表情と共に言ったラディアだったが、周りを全く気にせずに黙々と食事を続けているフォーティアを見て呆れたように一つ深く嘆息した。


「どこかの誰かさんには見習って欲しいものだ」

「ア、アタシは一応家賃払ってますし……」


 口元に卵の食べかすをつけながら震え声で言うフォーティア。

 実際少なくない金額を入れているそうなので義務はないと言ってもいいだろう。

 家主と言うより姉からのだらしがない妹への苦言というところか。


「別にお前のことだとは言っていないがな」

「え、あ、う……そ、それより、早く食べちゃいましょう。冷めちゃいますよ」

「……全く仕方のない奴だ。だが、そうだな。折角アイリスが用意してくれたのだからな」


 そうして元の世界換算で三〇人前以上を食べ尽くし、全員で軽く食休みを取る。

 生命力の平均値が世間一般とかけ離れているので、この家のエンゲル係数はおかしなことになっている。とは言え、勿論世界を食糧難にする程ではないが。

 そもそも地球より人口が遥かに少ないし、魔法や魔動器の力で農耕牧畜が高効率で行われている。なので、あるいは世界全体がこのレベルのエンゲル係数だったとしても問題ないかもしれない。


「「「ごちそうさまでした」」」【ごちそうさまでした】


 全員で食後の挨拶をしてから、雄也は身嗜みを整えるために一人食堂を出た。

 ラディアは既に準備万端、アイリスはキッチンで食器洗いと片づけ、フォーティアは満腹になったせいか再び眠気に誘われてウトウトしている。

 魔法学院の制服を着て戻ってくると、丁度アイリスが洗い物を終えたようだった。


「では、アイリスが制服に着替えたら行くとするか」


 ラディアの言葉を合図に雄也達は全員でエントランスに向かう。


【じゃあ、着替えてくる】


 そう文字を残して、アイリスはパタパタと階段を駆け上がっていった。短いスカートを全く考慮していないようで、黒いピッチリとしたスパッツが丸見えだ。


「こらこら、いくらスパッツだからと言ってガン見するな」

「いえ、スパッツだからこそです。……あ」

「お、お前……」


 意識がアイリスの方に向いていたせいで口が滑ってしまい、ラディアからジト目を向けられる。が、合法ロリのジト目は一部界隈ではご褒美だ。


「まさかユウヤもスパッツ好きとはな。スパッツを広めた勇者ユスティアもそうだったらしいが、もしかして異世界人は皆そうなのか?」

「や、さすがにそれはないです」


 元いた世界の一般人の名誉を守るために断言しておく。

 それはともかく勇者ユスティアの醜聞を初めて聞いた気がする。

 少し、いや、かなり親近感が湧いた。


「じゃあ、アタシも部屋着をスパッツにした方がいい?」


 そこへフォーティアが意地の悪い笑みを見せながら、そう尋ねてきた。自分のホットパンツを指で軽く摘まみつつ。


「他の人がどうかは知らないが、俺はスカートから覗くスパッツが一番好きなんだ」


 それがベスト。長いTシャツやワイシャツから覗くスパッツはベター。

 スカートを脱がした後のスパッツは許容する。勿論、着衣が一番だが。


「だから、最初からスパッツだけってのはやめてくれ」

「あ、はい……」


 この主張には、さすがのフォーティアもドン引きしていた。


「真面目な顔で何を言っているのだ。お前は」


 呆れたように言うラディアに、今更ながらに曖昧に笑って誤魔化そうとする。

 間違いなく手遅れだが。


「ま、まあ、これもユウヤがアタシ達に気を許した証って奴じゃないですかね」


 立ち直った様子のフォーティアがフォローを入れてくれる。美しい友情だ。

 それから少しして王立魔法学院の制服で身を包んだアイリスが二階から下りてきた。家ではメイド服、外では学校の制服。どちらも似合っていて実に素晴らしい。


「んじゃ、アタシは二度寝に入るんで。行ってらっしゃい」

「うむ。行ってくる。……だが、二度寝は程々にな」


 フォーティアに対して呆れを強めながらも諦めたように言うラディア。それから彼女は、雄也とその隣に寄り添うように並んだアイリスに向き直った。


「では、行くぞ。ユウヤ、アイリス」


 両手を差し出してきたラディアに頷いて、雄也は右手を、アイリスは左手を取る。


「〈テレポート〉」


 次の瞬間、空間跳躍の魔法が発動し、雄也達は王立魔法学院の〈テレポート〉用ポータルルームに転移した。規格化された白が出迎えてくれる。


「ではな。ちゃんと真面目に学ぶのだぞ」


 石造りの廊下に出たところでラディアと別れ――。


「ああ、そうだ。忘れていた」


 教室へ向かおうとアイリスと歩き出したところを呼び止められ、振り返る。


「今日からお前達のクラスに編入生が加わるのだが……あー……まあ、何だ。頑張れ」


 ラディアはどこか躊躇いがちに言うと、意味深にしめて去ってしまった。「編入生?」と雄也がアイリスと顔を見合わせる間に距離が離れ、真意を確かめるタイミングを失う。


「えっと……」

【気にしても、多分どうしようもない】

「あー、うん、そうだな」


 フラグの気配を感じつつ、一先ず棚に上げてグラウンドに向かう。すると、一人の少女が待ち構えていて、こちらを認めた瞬間破顔してパタパタと近寄ってきた。


「おはようございます。ユウヤさん、アイリスさん」

「おはよう、イーナ」【おはよう、イーナ】


 イーナことイクティナ・ハプハザード・ハーレキン。クラスメイトの翼人プテラントロープだ。

 自然な新緑色の長く癖のある髪から風属性だろうとは分かるが、見た目では基人アントロープと区別がつかない。背中に小さな羽があるそうだが、それを見る機会は余程親密にならなければまずないだろう。

 能力的には、現時点で魔力Sクラスと将来有望だ。が、制御が余りにも不安定で魔法を頻繁に暴走させているため、落ちこぼれ扱いを受けている。召喚魔法の授業で彼女が起こした暴走事故が、雄也が異世界に召喚された原因でもある。

 もっともラディアによると、いくら暴走したからと言って異世界召喚が発動する程の魔力になる訳がないそうだが。何らかの偶然的な要素が重なったのではないか、と彼女は推測しているようだ。

 ともかく、イクティナはこの召喚事故の件に加え、以前アイリスと共に超越人イヴォルヴァーに襲われた際に何もできなかったことを深く気に病んでいるらしい。そういう理由で、彼女は雄也達が行っている朝の特訓に参加するようになったのだった。


「きょ、今日もよろしくお願いします!!」


 無駄に気合を入れて頭を深々と下げるイクティナ。本人は至って真剣な様子だが、どこか微笑ましさを感じる。その辺はクラスのマスコットっぽさが出ている。


「んじゃ、失礼して」


 雄也はそんな彼女の隣に並び、その右手を握った。

 その時にはアイリスは少し離れた位置に立ち、訓練に不釣り合いな鋭い眼光でこちらを見据えていた。別に嫉妬している訳ではない。デフォルトの目つきだ……と思う。


「準備はいいか? アイリス」

【問題ない】

「当たったら負けだぞ?」

【ん。分かってる】

「よし。なら行くぞ。〈マルチトルネード〉!!」


 その言葉を合図にグラウンドに無数の旋風が発生する。

 雄也はその内の一つを無作為に選び、アイリスの素の身体能力では絶対に避けられない速度で彼女へと向かわせた。

 対するアイリスは無詠唱の魔法で身体能力の強化を行い、容易く回避する。それを見て雄也は同時に複数のつむじ風を操作し、彼女を追いかけさせた。

 それでもアイリスは魔法の制御を手放すことなく、その全てを避け続けている。


「だったら、これでどうだ?」


 今度はアイリスを囲うように旋風を隙間なく配置し、徐々に狭めていく。

 もはや彼女の周囲に逃げ道はなく、単純な速さでは回避不可能だ。

 やがて渦巻く風は中央でぶつかり、一つの巨大な旋風と化す。しかし――。


「ん。アイリスの勝ち、だな」


 真後ろに何かが着地する音を耳にし、雄也は静かに告げた。

 果たして振り返るとアイリスの姿があった。彼女は魔法で足場を作って一気に上空へと駆け上り、魔法の風から逃れてきたようだ。


「いい感じだな。うん」


 呪いで発声できなくなったアイリスは、名前をつけてイメージし易くしたことで制御性を高めた規定魔法が使えなくなってしまった。それ故、制御しにくいが自身のイメージのみで魔法を発動できる自由魔法の特訓をしているのだ。


(まあ、今んところは頭の中で魔法の名前を唱えてるだろうし、厳密に言えば完全な自由魔法とは言えないかもだけど)


 何にせよ、アイリスが以前普通に使っていた魔法に関しては安定的に発動できるようになってきているようだ。彼女も技術向上の実感があるのか満足げな顔をしていた。


【イーナの方はどう?】


 アイリスの問いに隣のイクティナに視線を向ける。

 彼女は雄也が魔法を使っている間中、目を瞑って「むむむ……」と唸っていた。


「中々進歩が感じられなくてもどかしいです……」


 雄也がイクティナの手を握っていたのは、当然女の子の柔肌を堪能するためではない。

 魔力の操作を教えて貰った時の応用で、雄也の魔力を一旦イクティナに通しながら魔法を使用して制御の感覚を伝えているのだ。他人を通しての魔法の発動は制御の難易度が上がるため、雄也自身の魔法の訓練にもなっている。

 が、イクティナの感触は芳しくないようだ。


「んー。イーナがどんな風に魔力制御をしてるのかが分かればなあ」


 今行った方法とは逆にイクティナが雄也の体を通して魔法を発動させれば、彼女の魔力制御の癖が分かるには分かるのだが……。


【魔力制御ができない上に馬鹿魔力のイーナがやると、下手をすると雄也が破裂しかねない。危険。それに結局はイーナ自身が制御の感覚を掴まないと無意味】

「そうだよなあ」


 何か方法はないか、と二人で首を捻る。


「うぅ、すみませんすみません」


 そんな雄也達の反応にイクティナは恐縮したように頭をペコペコと下げた。


「謝る必要はないさ。ちゃんと俺達の訓練にもなってるし」

【そう。友達に遠慮しなくていい】

「あ、ありがとうございます」


 何故か潤目になって感謝の言葉を口にするイクティナ。恐らく、友達という単語が心の琴線に触れたのだろう。

 ドジッ娘(ただし被害甚大な)マスコットとして遠巻きに見守られるばかりで、本当に仲のいいクラスメイトはいなかったという話だし。


【そろそろ時間】

「ん。じゃあ、今日はこれぐらいにして教室に行こうか」

「は、はい。ありがとうございました」


 感謝を繰り返すイクティナに、アイリス共々頬を緩める。

 そうして三人揃って教室に向かい、席に着く。アイリスがアニメの主人公の指定席、窓際の一番後ろで隣が雄也。さらにその隣がイクティナだ。


「あ、そう言えば二人共知ってます? 編入生が来るみたいですよ」

「ああ。ラディアさんからさっき聞いたよ」


 そう答えてから首を傾げる。何故、学院長たるラディアから直接聞いた雄也達よりイクティナの方が情報が早いのだろうか、と。目に見える変化として教室の机が一つ増えているが、それだけで断定に近い口調で言うとは思えないし。


「イーナはどこで聞いたんだ?」

「寮で話題になってたんですよ。空き部屋に荷物が運ばれてきてて……って、ああ!」


 何かを思い出したように大きく目を見開いて、イクティナは大声を出した。まばらにいるクラスメイト達の視線が集まって、彼女は口元を手で押さえて小さくなる。


「どうしたんだ?」

「い、いえ、編入生の人、前にアイリスさんが使ってた部屋に入るみたいなんですけど、その話が出た時にアイリスさんが学院長の家に住んでるって噂を耳に挟みまして……」


 小声で尻すぼみに言うイクティナ。心なしか顔が赤くなっている。


「アイリスが寮を出た時は何て聞いてたんだ?」

「あ、えと、親戚の家に住むことになったって寮長から説明されました」

「なら、そういうことにしといてくれ」

「へ? あれ、そういうことにしといてって、えっと、その、つまり……あ、あわわわ」


 さらに頬を紅潮させながら雄也とアイリスを見比べるイクティナ。ろくでもない妄想が彼女の脳内で展開されていることがありありと分かる。


「ま、待て待て。ラディアさんもいるし、もう一人同居人がいるし、イーナが想像してるようなことはないぞ。ただ、イーナみたいに勘違いする人がいるからってことで」

「あ、で、ですよねー、あはは」


 イクティナは自分の想像を恥じるように頬をかきつつ、誤魔化しの笑みを浮かべた。


【これから先は分からないけれど】

「へ!?」

「アイリス……混ぜっ返すなよ……」


 振り返ってアイリスに文句を言うが、彼女は素知らぬ顔で前を向いていた。


「えっと……聞かなかったことにしときま、す?」


 曖昧な顔をして問い気味に言うイクティナに、雄也は若干精神的な疲労を感じながら首を縦に振った。アイリスのマイペースさにも困ったものだ。

 それからしばらくして教室の席が埋まった頃、教室の扉が開いて年増な担任教師ファリスが入ってきた。その後ろには前情報通りに見知らぬ女生徒がついてきている。

 その姿にクラスメイト(主に男子)からどよめきが起こった。

 理由は一目瞭然。編入生の外見だ。


(きょ、巨乳ダークエルフ、だと?)


 いや、初見のラディアの時とは違い、見た目がダークエルフ風の種族である魔人サタナントロープを見たことぐらいはあるのだが。

 しかし、ここまで胸がイメージ通りに大きいのは初めてだった。

 魔人サタナントロープ妖精人テオトロープに似た尖った耳と長い寿命を持つ種族だ。しかし、妖精人テオトロープとは逆に十歳ぐらいで体が成熟し、天寿を全うする直前で急激に老いるらしい。

 また闇属性であることを示すように肌は褐色で、髪の色も闇で染めたような漆黒だ。

 銀髪なら尚ダークエルフっぽさが増していたが、黒髪で描かれる場合もあるし、そもそもダークエルフそのものではないのだから別に構わないだろう。


「静かにしなさい!」


 ファリスが騒ぐクラスメイトを窘める中、巨乳ダークエルフ(仮称)は悠然と教室全体を見渡していた。

 よく手入れがなされていると分かる艶やかなロングヘア。気品溢れる顔立ち。立ち姿も姿勢がよく美しい。彼女が着ていると単なる学院の制服が豪奢なドレスのように見える。

 まず間違いなく、いいところのお嬢様だろう。

 そんな彼女はファリスに自己紹介を促され、一歩前に出て口を開いた。


「初めまして、皆様方。ワタクシは魔星王国の第二王女プルトナ・オネイロン・サタナンと申します。本日より学び舎を共にすることとなりました。よろしくお願い致します」


 その内容に再びクラスが喧騒に包まれる。

 雄也自身も驚愕で目を丸くした。


(美人なクラスメイトが増えるのはいいけど、王女とか厄介事の匂いしかしないな)


 できれば、面倒なフラグはスルーしたいものだ。

 そう思いながら何となしにアイリスへと視線を向ける。と、彼女は珍しく嫌そうな目を編入生に向けていた。知り合いなのかもしれない。


(あー……うん)


 これはフラグ回避できなさそうだ。

 そう諦めにも似た気持ちを抱いて、雄也は深く息を吐いた。

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