第21話 青虫

 カレンダーが10月になったばかりのその日、あげはがCatsのアプローチに足を踏み入れたら、軒下にゴールドがいた。


「あれ?ゴールド一人で何してんねやろ」

あげはがひょこひょこと近づいてゆくと、ゴールドが毛並みを逆立てている。ネコパンチを繰り出そうとしているものの躊躇ためらっている気配だ。あげははゴールドの後に近寄ってその視線の先を見た。なんやこれ。大きな不気味な目をつけた緑色の虫がモゾモゾ歩いている。あげはは少し後ずさった。

「気持ちわるー。なんやねんこれ」

ゴールドはフーッと相手を威嚇した。緑色のもぞもぞしたのが先っぽからオレンジ色の髭みたいなものをにゅーっと出す。あげはは少し近づいて、そして顔をしかめた。

「うわ、くっさー、何やこの匂い」

ゴールドもちょっと後ずさりする。あげはが傍にしゃがみ込んだ。

「ゴールド、ちょっと待ち。触ったらあかんで、毒あるかも知れへんから、かもたらあかん」

あげははゴールドの背中を撫でてたしなめ、ドアを少し開いて叫んだ。

「香苗さーん、変なんおるー!」

香苗さんがどうしたの?と言いながら出て来ると、あげはは緑色の虫を指差した。

「あー、アゲハチョウの幼虫だよ。あげはちゃんと同じ名前のチョウチョの子どもね」

「え?これがアゲハチョウなん?こんな気色悪いのがぁ?」

あげはは緑色のモゾモゾを注視した。


「そう、きっとうちのみかんの葉っぱについてたのよ。下を歩いてるのはね、さなぎになる場所を探してんだと思う」

「蛹ってなんか固い奴?」


 香苗さんはあげはを見て微笑むと解説した。


「詳しくは解んないけど、蛹から出てきたらチョウチョに変身するのよ」

「へえ、そうなんや」

あげはが感心し、そして顔をしかめた。

「チョウチョの子どもは小さいチョウチョかと思てた」


「えー、中学生でしょ。知らないの?」

「ウチ、クラスのムラカミにあげは違うてイモムシや言われて、イモムシはずっと芋ばっかり食べてるモゾモゾやから、なんか嫌やなあって思てました」

香苗さんはちょっと吹き出した。

「それは嫌だわ。この子もこれからきれいなチョウチョに変身するのよ。だからそっとしておいてあげて。すぐに自分で良い場所みつけるから」

「ふうん。ほなゴールド、中に入ろ」


 あげははゴールドを抱えて店内に入った。

「ウチ、アゲハチョウはきれいでで好きやけど、他の虫とかあんまり好きちゃうから、イモムシとか見下してた」

「はは、ま、私も青虫はそれほど好きじゃないよ。キャベツに入ってる時なんて大騒ぎするからねえ」

「えーっ!キャベツに入ってるんですかぁ?」

「うん。無農薬で自然な証拠なんだけどね」

「ビミョーや…」

「確かにね」


 もぞもぞ地面を這っていた青虫、あげはは何だか自分のように感じた。お母さんがあげはには羽があるけどまだ子どもやから飛べへんって言うてたのはこういう事やったんか。そしたらウチも蛹になって、そしたらその後でチョウチョみたいに羽が生えて、そしたら今みたいにひょこひょこ歩かんでもすいーって飛べるんかな。そう思たらなんか可愛いやん、青虫も。あげはは両方の腕で自分をそっと抱きしめた。



 翌日、Catsへやって来たあげははドアを開けようとして、ふと壁の変なものに気付いた。うわ、なんじゃこれ…もしかしてこれがこの前言ってた奴かな。緑色の小さいのが板壁の下の方にくっついてる。


♪ チョリーン


「はーい、いらっしゃい」

「香苗さん。家に変なもんくっついてます」

「変なもの?」


あげははまた外に出て指差した。

「あー、ここにくっついたんだ。目立たないし鳥も来ないし手頃な高さで上手に選んだねえ」

「これ、もしかして蛹?」

「そう。昨日の青虫の蛹よ。まだ目みたいなのが透けて見えるでしょ」

「はーん」

「多分来年の春にアゲハチョウになるよ」

「へえー?それまでここにいるのん?」

「そうね、蛹で冬を越すんだよね」


そんな長い間、この中でじっとしてるんか。冬眠よりずっと長い。ふーん。


 その後、蛹は徐々に緑色になり目のようなものも見えなくなって、最後には茶色くなった。

「香苗さん。蛹ってあのまま動かへんの?」

柑橘ジュースを前にしてあげはが聞く。

「そうねえ、中でほら、はねを作ったりしてるわけでしょ。どうなってんだか私にも解んないよ」

「ふうん、でも冬眠やから寝てるんやろうなあ」

「そうねえ、春までの間、無事でいられるように、後でちょっと囲んであげるよ」

「うん!有難う!」


 やっぱり同類みたいやもんな。青虫よりは気持ち悪くないし。あげははストローをくわえた。

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