第13話 ねこカフェ
それからもヘレナは毎日やって来て、他愛もない話をしてゆくのだが、あげははその度に後ろの席から、背中をチクチクされるような視線を感じていた。
『ヘレナ、ええ子やん』
夏芽がむくれる度、あげはは夏芽に言ってみるものの、夏芽の反応は鈍い。まあ、ヘレナも嫌がってる素振りもないことやし、ウチが騒いでもしゃあない。夏芽はヘレナの何が気に入らんのやろ。金髪とか英語とか、言い訳にしか聞こえへん。最初は褒めてたやん…。
あげはは気持ちをドリブルしながら下校の道を歩く。20分程で自宅に着くのだが、さっきからあげはの脇にチョウチョがくっついて飛んでいる。初めは、『あ、チョウチョやな。これ、お母さんが言うてたアゲハチョウやんな』位しか思っていなかったのが、ずっとくっついてくるから気になりだした。そのうち、少し先へ飛んで行ったアゲハチョウは、バス停近くの植栽の下に座っているネコの尻尾に止まった。茶色っぽいそのネコは、頭を上げ自分の尻尾の方をチラッと見る。アゲハチョウは尻尾で
「ネコちゃん、ネコちゃん、尻尾にアゲハチョウ止まってるけど、そーっとしといてあげてや。悪いことせえへん子やから」
ネコはあげはの方を見て小さな声で「みいん」と鳴いた。あげははしゃがみ込んで両者をじっと観察する。するとネコがのっそり立上がり、歩き出した。アゲハチョウは飛び上がって、今度はネコにまつわりつく。茶色のネコはお腹がややふっくらしている。アゲハチョウはメタボネコと友達なんかな。そんなのってあり?あげはは疑問を持ちつつそっとネコについて行った。
少し行って、ネコは一軒の建物の前庭に入っていく。最近できた新しい家だ。建物の前は芝生が敷き詰められており、並んだミカンの木で半分隠れた玄関らしきの横には、郵便ポストと表札看板が立てられていた。ネコは樹木の下を通り、建物の壁に開けられた小さいくぐり戸の中に消えた。わ、入ってしもた。ん?周囲を見回すとアゲハチョウが樹木を避けるように舞い上がる。そして、まるで『私の役目はここまでよ』と言わんばかりに山の方へ飛んで行った。玄関脇の看板があげはの目に入った。
『Cafe Cats』
え?カフェ? お店やん…。こんなとこ一人で入ったことないけど、ネコ入ってしもたし…。あげはは勇気を振り絞ってドアを引いてみる。
♪ チョリーン
ドキッ!ドアベルの音が周囲に響く。すぐに声が聞こえた。
「いらっしゃいませ!」
まだ若い女の人だ。あげはは半身をドアに滑り込ませて言った。
「あの、さっきここにネコが入ってゆきました」
「ああ、ウチのネコなのよ」
「え? それでCats言うんですか?」
「ん、まあね。ねこカフェにするつもりなんだけど、まだ一匹しかいないの。シャニーって名前よ」
その人はにっこり微笑んだ。
「シャニーが連れて来てくれたお客さんだから、入って入って!」
「あ、でも、こんなお店に来るの初めてやし、そんなお金もないし」
「はは、大丈夫よ。実は今日オープンした所でさ、初めてのお客さんだからサービスしちゃう」
「えー、ラッキー」
あげはは全身を店に入れてドアを閉め、その人が指さした席に座った。
「ね、キミは関西訛だけど、大阪の子?」
「はい、ちっちゃい頃から大阪で、去年ここに来ました」
「カッコいい木造校舎の中学の子だよね」
「はい。水樹中学。2年の沢井あげはって言います」
「あげは? アゲハチョウのあげは? 可愛いねえ」
「え・・・? ちょっとチャラいですけど」
「んな事ないよ。私さ、苗字が『橘』なのよ。橘にあげはちゃんが来るって、よく出来た偶然ねえ」
「タチバナ?ですか」
「そ。アゲハチョウが好きな木だからね。ま、あげはちゃんはまだ子どもだから青虫だけどね」
「え?やっぱり…。ウチ、足が悪くてひょこひょこしか歩かれへんから、いつもはアゲハちごてイモムシやって苛められます」
「あらー、それは酷い話」
眉間に皺を寄せながら、女の人はジュースを持って来てくれた。
「ほら、これって当店自慢の柑橘系ミックスジュースよ。飲んでみて。ネコって柑橘系の匂いが苦手だからこれ作ってると近くに寄って来なくて助かるの。ほら今もいないでしょ。どこかへ逃げて行ったの」
あげはは『へえー』と言いながらストローをグラスに突っ込んだ。美味しい! 甘くて酸っぱくて爽やか!
「めっちゃ美味しいです。あの、えっとタチバナさん、上手ですね」
女性は笑った。
「そりゃお店やりたいって思うんだから、ちょっとは出来ないとね。それと私『橘 香苗(たちばな かなえ)』って言うから『香苗さん』でいいよ。橘って何だか堅い苗字だしね」
こうして友だちのいないあげはは、ずっと歳上の素敵な女性と友だちになった。勿論、店のスタッフでもあるシャニーともだ。あげはは香苗さんからシャニーのお腹はメタボではなく赤ちゃんだと聞いた。そして下校時、ほぼ毎日Catsに立ち寄るようになった。部活みたいやな、あげはは思った。Catsではシャニーのお世話をする代わりにジュースをご馳走になる。香苗さんの手も楽になるし、あげはも美味しいジュースが飲める。まさにWin-Winの関係だった。あげははシャニーを構いながら店のテーブルで宿題をしたりもする。店に来るリネン屋さんや宅配便のお兄ちゃんとも知り合いになり、あげはの世界は一気に拡がった。
あげはがCatsに通い始めて10日程経ったある日、ヘレナは下校時に前を歩くあげはを見つけた。よし、びっくりさせたろ。『わっ』とか言うんと
準備が出来たヘレナは顔を上げた。しかし、はあげはの姿が消えている。あれ?そんなに急に見えなくなるもんかな。ヘレナは不審に思いながら歩き出す。たしか、ここら辺まであげは来てた筈や…。ふと脇を見ると最近できた新しい家。看板が立っていて『Cafe Cats』と書いてある。え?ここへ入ったんかな。ヘレナがそーっと家に近づき、周囲を探る。家の後にでもいるんかなと角を回り込んだ時、表から『チョリーン』というドアベルとともにあげはの声が聞こえた。
「シャニー、ほら歩き!たまにはお散歩せんと元気な赤ちゃん産まれへんよ。ウチと一緒やったら歩くの遅いから丁度ええやろ」
家の角から覗くと、あげはがお腹ぽっこりのネコとじゃれている。笑顔だ。
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