第106話私的軍議3・信玄調略

9月信濃諏訪城の奥殿:鷹司義信視点


「ねぇねぇねぇ、宗滴さんの頼み聞くの?」


 桔梗ちゃんが興味津々に聞いてくる。


「う~ん、どうしようかな?」


 史実の宗滴殿の後継者は無能なんだけどな、かと言ってまだ敵対するとは決まってないしな。


「今は同盟されてもいいのではありませんか、無下に断って一向衆と手を結ばれては信繁様が御困りに成られます。後々邪魔になれば、その時考えればよいのではありませんか」


 楓ちゃんが冷静冷徹に答える。


「若様の御考えになってる天下の構想の為に、朝倉が邪魔になった時、宗滴殿との盟約を破ることで御名に傷が付いてしまう事が心配です」


 茜ちゃんが俺の事を思って、心底心配そうな表情で、それでも楓ちゃんにも配慮する事を忘れず、直接は反対せずに会話に入って来た。


「いや世間の評判を考えるのは止めたよ、今川の失敗を繰り返す訳にはいかないからね」


「では宗滴殿と延景殿(義景)連名の盟約を、御屋形様と連名で結ばれ、御屋形様が延景殿の後見も御引き受けに成られるのですね?」


 茜ちゃんが念を入れる様に確認して来た。


 確かに御屋形様が後見まで引き受けておいて、それを裏切るのは世間体が悪い。


 この決断は、武田家の将来に大きな影響を及ぼすかもしれない。


 だがまあだいじょうぶだろう、朝倉家の最初の正室は細川晴元の娘だけど、娘を生んだ際に死んでいる。


 継室に入った近衛稙家殿の娘も、長らく子を成さぬので、実家に帰すから武田から継室を迎えたいと書いてきている。


 一緒に付いて行く家臣に優秀な者を送り込めば、特に問題無く朝倉家を取り込めるはずだ。


 史実でも、俺の知る範囲では国衆と地侍の力が強く、朝倉家は完全な戦国大名とは言えなかったはずだ。


 実際影衆に調べさせても、守護大名と戦国大名の中間くらいの統制力だから、送り込んだ家臣団に延景殿(義景)を傀儡に仕立て上げさせよう。


「茜ちゃん大丈夫よ、無能で叛意の有る一門家臣は誅してしまえばいいわ。優秀な一門家臣は、近衛府で独立直臣化すればいい。忠義の一門家臣は評してあげるの、そうすれば若様の御名に傷は付かないし、朝倉家も安泰だわ」


 楓ちゃんが言ってる事は、まるで史実の信長だな。


 信長も、優秀な陪臣を直臣に取り立てて評価している。


 だがこれ功罪相半ばしてるんじゃないだろうか?


 確かにこれなら、直臣に取り立てた陪臣の主人は、元からの直臣への加増を減らして、家臣の強大化を防ぐ事もできる。


 だが陪臣を取り上げられた主人は、どんな気持ちになるのだろう?


 優秀な者を育てたと評価して貰ったと喜ぶのだろうか?


 だが結果として、領地はそれほど増えない事に成る。


 陪臣を取り上げられた上に、加増も少ないと恨みに思う者もいるかもしれない。


 降伏臣従した、大身の敵性陪臣を抱えた大名や国衆なら、蔵入り地や直領が増えたと喜ぶのだろうか?


 1つ1つのケースで違うのだろうが、これを読み違えると謀叛が連発するかもしれないな。


「最終決断は御屋形様がされるさ、勘助もいるし、俺たちが心配する事は無いよ。でもまあ俺達の考えも送るから、責任は感じず、でも考えられる限りの意見を出してくれ」


「「「はい」」」


 御屋形様は更に話を詰められ、若狭の領有権にまで踏み込んだ、腹を割った話し合いをされたようだ。


 しかも宗滴殿と延景殿(義景)が、若狭の領有権は、甲斐武田家に有ると認められるとは思わなかった。


 宗滴殿も、延景殿の器量を危ぶんでおられるのかもしれないし、延景殿自身も、己の器量を諦観されているのかもしれないな。






9月遠江沖:第3者視点


「さて向こうはどう出るか、てめ~ら油断するんじゃね~ぞ!」


「「「「「おう!」」」」」


 間宮武兵衛と間宮造酒丞の兄弟をはじめとする伊豆水軍には、武田信玄からの調略が入っていた。


 伊豆水軍が持つ、安宅船1隻に対して300貫、関船1隻に対しては150貫、小早船1隻に対しては50貫を、武田家が扶持すると言う条件だった。


 しかも今川水軍を同条件で調略すれば、伊豆水軍に褒賞金を与えると言う好条件だった。


「お頭、奴らヤル気なんですかね?」


「俺達も今川の海賊衆も、何時までも斜陽の主家にいても仕方がない。陸には陸の、海には海の生き方が有る。何度かの接触で矢文は送っているのだ、もうそろそろ色よい返事が欲しいものだ。だがもうこれ以上は待てない、火矢の準備をしておけ」


「へい!」


 一方今川水軍へも、武田家から直接調略が入っていたのだ。


 条件は義信と信玄が擦り合わせていた為に、伊豆水軍と同じなのだ。


 だが切実で大きな問題が有るのだ、それは何方の誰が武田水軍の頭を務めるかという問題だ。


 双方の海賊衆にとっては大問題なのだが、義信と信玄にとっては、不毛でしかない船戦が勃発してしまった。


 双方が有利な風上を取ろうとしたり、扱ぎ手に死力を尽くさせ、敵陣形を崩さそうとする。


 だが最初の矢文の応酬で、とんでもない事が今川水軍から伊豆水軍い伝えられていた。


 以前から武田遠江軍からの調略があって、臣従する心算だったとの事だ。


 伊豆水軍にとっては、寝耳に水の情報である。


 それに自分達が参戦しなければ、今川水軍は調略に応じなかっただろうと思うが、今川水軍が絶対その事を認めない事は明らかだ。


 何よりも、武田晴信に対する不信感と焦りが心で渦巻いていた。


 武田晴信が、今川水軍にも調略の手を伸ばしている事を知らせなかったのは、自分達を信じていなかったという思いだが、これは自分勝手と言うものだろう。


 正式には自分達も未だに北条の家臣なのだから、武田晴信から機密を明かされるはずはないのだ。


 だがこれは褒賞金が無くなると言う大問題なので、身勝手極まりない思考をする者がいても、それはそれで仕方ないのかもしれない。


 焦りと言うのは、今川水軍が先に降伏してしまうと、相対的に自分達の地位が低下してしまうことだ。


 下手をすると、今川水軍を手に入れた武田晴信が、自分たち伊豆水軍の降伏を受け入れないかもしれないと言う事だ。


 双方夫々の船大将が、思い思いの手立てを心に秘めながら、今川水軍と伊豆水軍の間で、陣形争いが行われていた。


 双方死力を尽くしていた為、決定的な勝敗も無く、何時の間にか距離を置いて対陣する事に成っていた。


 最後に矢文を交わし合い、双方の調略担当者と話し合う事が決まり、決戦は行わずに分かれる事に成った。


 まあ仕方のない事だろう、互いに武田に降って、身の安泰を図る事に決めたのだ。


 矢で傷つけ合う事も、火矢で焼く事も、乗り込んで切り結ぶ事も躊躇われる。


 後は何方が先に下って、武田家内で優位に立つかの、先陣争いに成ってしまった。


 最終的には、今川水軍と伊豆水軍の全てが、一門家臣とその家族、積めるだけの家財を持って、武田家に降ってきた。


 しかし双方とも思惑(おもわく)は外れてしまい、もっと早くから鷹司に臣従していた佐治水軍が、これからの鷹司海軍太平洋艦隊の頭となる事になった。


 それとこれで王直のジャンク船団への依頼は、船戦としては無駄になったのだが、早くにジャンク船を太平洋艦隊に取り入れて訓練するにはよかった。


 この降伏劇は、今川と北条の双方に、大きな衝撃を与えた。


 何とか踏みとどまっていた今川方国衆が、一斉に武田家に降伏して来たのだ。


 だがここまで決着がついてからの降伏条件は厳しい。


 城地召し上げの上で、検地後に半知分の扶持支給であった。


 但し召し放つことになった一族一門家臣は、望めば武田家か鷹司家で召し抱えてもらえた。


 強かな国衆は一門と示し合わせて、別家を立てる心算で一門衆を召し放ちにして、譜代家臣を残す事にした。


 だが降伏臣従した国衆や地侍が、そんな事をする事は、義信も信玄も先刻承知していた。


 本家に近い者ほど、人質も兼ねて近習として召し抱えた。


「降伏臣従した今川国衆」

新野親矩 :新野城主

小笠原長忠:高天神城主

など遠江国衆は全て

富士信忠:富士城(大宮城)

葛山氏元:葛山城

など富士川から東の国衆の全て。


 この状態となり、富士川の東で踏みとどまっていた今川勢が崩壊した。


 名将・岡部正綱にも、もはやどうする事も出来なかった。


 問題は武田軍に対抗する切り札である、大竹盾兵と鉄砲兵が、足軽で編成されていた事だった。


 今川水軍の寝返りが分かった後で、武田家の陣から今川家の陣に、4種の矢文が大量に射込まれた。


 4つ目の新種矢文には、武具を持って逃げて来たら、鉄砲1丁銭2貫文・槍1本銭500文・刀1振り銭1貫文・大竹盾1つ銭100文で買い取ると書いてある、非常に悪辣な物であった。


 このため夜陰に乗じて、武具を持って武田に降伏する足軽が大量に出た。


 中には仲間の足軽や組頭の武具を盗んでいく者まで現れた。


 だからといって岡部正綱も、足軽から武具を取り上げるわけにはいかない。


 常に足軽に武器を持たせていないと、武田の急襲が有った場合に、今川軍の陣立てが間に合わないのだ。


 籠城すれば足軽たちも逃亡できないが、そんな事をすれば出入り口を封鎖され、兵糧攻めか火攻めで必敗する事に成る。


 出来る事は、組頭達に厳しく監視させることだけだったが、武田は悪辣だった。


 大竹盾隊を先頭に、毎日夜襲を仕掛けて来たのだ。


 今川軍が応戦の陣立てに混乱するのに乗じて、今川軍の足軽達が大量に逃亡したのだ。


 後は坂道を転がる様に、今川軍が崩壊するだけだった。


 業を煮やした足軽組頭が、逃亡しようとした足軽を切り殺したところで同士討ちが始まり、それが恐慌状態を産み、今川軍の全面敗走となった。


 事ここに至って、今川義元は打つ手無しと判断した。


 自身が隠居して、家督を武田の血を引く氏真に譲る事を条件に、武田晴信に降伏臣従の使者を送った。


 領地は現状維持で、富士川以西の駿河半国と、大幅に領地を失う条件だった。


 しかし相手は武田晴信である、この程度の条件では納得しなかった。


 相手が甥であろうと、確実に滅ぼせる状態で、手を緩(ゆる)めるほど武田晴信は甘くない。


 交渉相手が義信だったら、今川家の運命は変わっていただろうか?


 これも無理だっただろう、伊那焼き討ちを行った事で、今川家の未来は決まっていたのだ。


 さて、北条家の受けた衝撃は、どうだったか。


 武田家に対しては、伊豆水軍を持つ海軍力を背景に、出来る限りの支援を引き出そうとしていたのに、肝心の伊豆水軍が武田に寝返ってしまった。


 しかも武田軍と戦っていた、今川水軍までが武田家に寝返ってしまった。


 ここで北条氏康は、自身が戦略判断を誤った事と、武田晴信に騙されたことを思い知った。


 もし北条氏康が、伊豆水軍を遠江に送らなければ、今川水軍も武田家に降伏しなかっただろう。


 何より自分たちが河越で負ける前に、今川水軍に調略を仕掛ければよかったのだ。


 そうすれば伊豆水軍と北条水軍の連合水軍と言う、圧倒的な水軍力を持って、武田家に対する事が出来たのだ。


 窮すれば鈍すると言うが、小笠原長時の跳梁に苦しめられて、北条氏康は判断を過ったのかもしれない。


 何より期待していた嫡男の、北条新九郎が暗殺された事で、怒りに我を忘れて、判断を誤ってしまったのかもしれない。


 しかしここが正念場で有った、ここでさらに判断を誤れば、北条家は滅ぶ。


 北条氏康は、一応武田晴信に、伊豆水軍調略に対する抗議は行ったが、案の定逃げて来たので仕方なく受け入れたと返事があった。


 影衆と風魔忍軍の力で、辛うじて連絡は出来ているが、何時関東軍の包囲で、連絡が出来なく成るか分からない状態だ。


 この状態で、娘の輿入れを条件に武田家に援軍を求めても、受け入れてもらえるはずがない。


 三国志の呂布のように、娘を背負って討って出るなど笑止でしかない。


 ここは武田家に対して、相手が驚くほどの、思い切った条件を示すしかない。


 その条件とは、駿東郡で北条家が領有している、足柄城と高畑城の城地を持参金として、武田の子弟を養子に迎える事だ。


 これならば何が有っても、その地に北条の血と名跡は残る。


 だがあの武田晴信ならば、城地だけ受け取って、我が娘を城地から追い出しかねない。


 だから関東軍にも使者を送りたいのだが、前回の河越合戦で河越公方の足利義氏に、偽りの降伏の使者を送り続けて裏切った前科がある。


 その時の謀略で、扇谷上杉の上杉朝定を討ち取ってしまってもいる。


 そうなると使者を送るとしたら、佐竹義昭か小笠原長時の何方かになるのだが、小笠原長時が関東軍の要だろう。


 もし小笠原長時を北条家に招く事が出来れば、逆転の目も有る。


 ともに武田家を攻めると約束した方が、小笠原長時を味方に付けられる可能性がある。


 北条家は水軍を調略された恨みがあり、小笠原長時も信濃を追われた恨みがある。


 小笠原騎馬隊があれば、関東軍を討ち払う事も、武田に一泡吹かせる事も不可能ではない。

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