第91話全面攻勢

4月甲斐葛谷城:武田信玄視点


「御屋形様、今川勢およそ8000、が葛谷城の後詰に入った模様でございます」


「兵力はほぼ互角だな、信友、一当(ひとあ)てして敵の戦意を図れ、虎光は後詰を致せ」


「「は!」」


穴山信友:武田家重臣

室住虎光:武田家重臣

成瀬正一:室住虎光の与力

石黒五郎兵衛:室住虎光の与力


「正一、騎馬隊を率いて何時でも横槍を入れられるように致せ」

 

「は!」


「五郎兵衛は大弩砲を準備し、今川勢に撃ち込めるようにせよ」


「は!」


 武田信玄は、甲斐と信濃佐久の専業武士8000兵を動員して、一気呵成に富士川を攻め下った。


 北条や関東管領の上杉に対して、備えの兵を残さねばならないため、信玄としては限界に近い動員だった。


 一方の今川義元も、三河から攻め寄せる鷹司軍に対抗しようと、可能な限り兵を集めていた。


 だが信玄に背後を取られることを恐れ、今川館に集まっていた兵の内8000を岡部正綱与えて、葛谷城の援軍に向かわせた。






4月遠江の武田軍:第3者視点


 義信は護衛の近習・小姓・傷病兵・人質を率いて諏訪に戻った。


 一方諏訪からは、今年戦陣に加わることを認められた新兵(騎馬鉄砲隊・鉄砲足軽隊・弓足軽隊・黒鍬輜重隊)が、膨大な軍需物資とともに撤退してきた軍勢に加わった。


 今回の今川戦は強引な部分が多く、今上帝や朝廷に対する名分を立てるため、鷹司義信と三条公之は軍には加わらなかった。


 総大将には武田信智が立てられたが、実質指揮を執るのは、副将兼陣代に抜擢された飛影だった。


 同じく副将に抜擢された飯富源四郎(山県昌景)と共に、信智が養子先で誇れるくらいの軍歴と功名を得るために、軍勢の指揮を助けをすることになっている。


 武田信智軍3万2000の先陣任されたのは、長年の渡り青崩城砦群を守ってきた楠浦虎常だった。


 楠浦虎常は、年月をかけて調略していた、伊那と遠江の国境に領地を持つ、今川方国衆と地侍を味方に加えて、総勢8000兵の先陣を指揮して一気に遠江に乱入した。


 三河国衆の裏切りと鷹司軍の三河進駐、公家衆の逃亡、武田信玄の駿河侵攻と、度重なる事件に遠江国衆は著しく動揺していた。


 その状況で武田信智軍が伊那口からの侵攻を始め、日名地家、平賀家、奥山家が今川を裏切り、武田軍の先陣に加わったのだ。


 遠江国衆は大きな衝撃を受け、今川と武田のどちらに味方すべきか、決断をつけられない者が多くでた。


「楠浦虎常が調略した国衆」

裏鹿城   :日名地家

平賀屋敷  :平賀助太夫

高根城   :奥山民部少輔貞益

水巻城主  :奥山美濃守定茂

大洞若子城主:奥山加賀守定吉

小川城主  :奥山兵部丞定友


 飛影は楠浦虎常と8000兵を小川城に入れ、降伏臣従した国境の元今川国衆を虎常の寄騎とした。


 その上で犬居城一帯に勢力を持つ天野一族は後回しにして、参陣を内諾している井伊直盛の井伊谷城まで一気に進行した。


 田上善親(井伊直親)と事前に話し合っていた井伊直盛は、武田信智軍の遠江侵攻を受けて即座に降伏の使者を送っていたのだ。


 井伊谷城に入った武田信智軍は、二郎法師の鷹司義信側室輿入れを正式に受け入れた。そしてこの事を井伊・奥山・平賀・日名地を通して、遠江の国衆と地侍に知らせ降伏を促した。


 井伊家の今川離反と二郎法師の鷹司輿入れは、動揺していた遠江国衆に止めを刺した。


 今川家に忠誠心厚い掛川城主の朝比奈泰能と泰朝の親子、宇津山城の朝比奈氏泰、二俣城主の松井宗信などの他、駿河に近い天竜川左岸の国衆は表面上は今川方に残ったものの、天竜川右岸に領地を持つ国衆の大半は、武田家に降伏臣従してきた。


 しかし天竜川右岸でも、血縁の関係で仕方なく今川方に残る国衆もいた。


 朝比奈泰能と婚姻関係にある佐久城主の浜名頼広と、頼広の妹を妻に迎えている日比沢城主の後藤佐渡守直正は、圧倒的な不利にもかかわらず、今川の旗を降ろさなかった。


 そこで狗賓善狼が、指揮下の僧兵8000と共に、今川に味方する城を包囲した。そして使者を送り、降伏臣従すれば、今川につき武田と敵対している縁戚の朝比奈一族を、何があっても助命すると約束した。


 まず最初に、大軍の中で孤立し、援軍の見込みのない浜名頼広が降伏臣従を誓った。


 そして浜名頼広は後藤直正に使者を送り、後藤直正にも武田家に降伏臣従するように勧めた。


 浜名頼広の使者を受けた後藤直正は、勝ち目のない事は重々承知していたので、朝比奈一族の助命を大義名分として、武田家に降伏臣従した。


 その後で狗賓善狼は、三河国境で浜名湖沿岸にある、朝比奈泰長が籠城する宇津山城を包囲した。


 狗賓善狼軍が何度も降伏の矢文をを射込むも、城内からは何の反応もなかった。


「頼広殿、約束をした舌の根も乾かぬうちに悪いが、ここまで降伏を拒まれると攻め落とすしかない」


「分かっております善狼殿、ただ城攻め中に降伏したり生け捕りになった場合は、助けてやってもらえませんか?」


「それは承知しておる、何があっても助命すると約束している、それを反故にしたりはせんよ」


 善狼は大弩砲を用意して、情け容赦なく火攻めにした。


 肥松を先につけた十文字大竹矢を、火をつけてから矢継ぎ早に撃ち込み、さらに周囲から鬨の声をあげて城兵の心理を揺さぶった。


 味方の損害を出さないように、籠城兵の逃亡を催す助命の矢文を次々と射込んだ事で、夜陰に乗じて宇津山城を逃亡する兵が続出した。


 守り切れぬと判断した朝比奈泰長は、手勢をまとめて討って出てきた。朝比奈泰長は獅子奮迅(ししふんじん)の戦いをするも、最後は力尽きて捕らえられた。


「泰長殿、我はこの軍勢の大将を任せられた狗賓善狼と申す者ですが、御貴殿は今川家の家臣として、1人の武人として天晴な戦いをなされました。ここまで御働きに成られれば、武士の面目は十分でしょう。降伏して武田家に仕えられたらどうです?」


「お褒め頂いたのは嬉しきことなれど、我も今川家の武人、おめおめと生き恥を晒す訳には参らん、ここは死なせて頂きたい」


「うむ、天晴な覚悟ではあるが、朝比奈一族全ての助命を条件に、浜名殿と後藤殿に味方してもらっておる、彼らの心を汲み取って頂きたい。それに御貴殿がここで切腹されれば、他の朝比奈一門も切腹する道を選ばねばならなくなる、ここは一門衆のためにも、死ぬ事を思い止まっては如何かな?」


「浜名と後藤の事は片腹痛し! 己が命惜しさの裏切りを我の助命にかこつけるなど、武人の風上にも置けぬ恥さらしである。されど我が一門の事を考えてくださる狗賓殿には、心から感謝申す。しかしながら、事ここに至っては、我が武名に傷がつくことを恐れるのみ。我を思ってくれるなら、切腹させて頂きたい」


「重ね重ね天晴である。真に残念なことなれど、貴殿の武名を汚す事は我も望まん。浜名殿、後藤殿、それで宜しいな?」


「「は!」」


 朝比奈泰長は切腹して果てた。


「主な今川方:天竜川左岸」

掛川城:朝比奈泰能

    朝比奈泰朝

光明城:朝比奈太郎泰方

二俣城:松井宗信

匂坂城:匂坂六郎五郎長能

天方城:天方山城守通興

飯田城:山内通泰

堀越城:堀越貞基

久野城:久野宗忠

加賀爪館:加賀爪政豊

高天神城:小笠原長忠 

  外郭城砦群(獅子ヶ鼻砦・三井山砦・小笠山砦・中村城山砦・能ヶ坂砦・火ヶ峰砦)

馬伏塚城:小笠原長忠

岡崎城:四ノ宮右近

犬居城:天野氏宗家の天野景泰と元景の親子

篠ヶ嶺城:天野宮内右衛門藤秀

向笠城主:向笠資易


「今川方:天竜川右岸」

宇津山城:朝比奈泰長


「武田寝返り方:天竜川右岸」

曳馬城:飯尾連竜

向笠城:向笠資易

佐久城:浜名頼広

日比沢城:後藤佐渡守直正






遠江小川城:楠浦虎常視点


「貞益殿、天野の返答はどうじゃ?」


「いまだ去就に迷っておるようでございますが、可成り此方に傾いているようでございます」


「皆の衆、今川は三河を失い、遠江の半分も失った。もはや今川に未来はない事は、分かるな? 遠江は元々斯波家が守護であった、そこを今川が攻め取った。この間に遠江の国衆は、敵味方に分かれて苦渋を耐え忍んできたであろう。ここは国衆同士争うことなく、武田に味方してはどうか? 武田に味方するならば、鷹司卿に近衛府出仕を推挙しよう。その事、天野一門にも強く伝えてもらいたい」


「「「「「は!」」」」」


 儂は武田家に臣従を誓った遠江の国衆や地侍を使って、未だに去就に迷う遠江の国衆を調略した。


 特に最前線を接している天野一門の調略には力を入れ、山岳部から駿河に侵攻する道を確保することにした。


 今川を寝返った遠江の国衆や地侍は、少しでも手柄を立てて、武田家での地位を確立したいと思っているはずだ。彼らの功名心を刺激して、命懸けの奉公をさせねばならない。






遠江天竜川流域:第3者視点


 武田信智軍と今川軍は、天竜川を挟んで対陣していた。


 武田軍1万6000兵に、降伏臣従した遠江の国衆1500兵が加わっている。


 一方今川軍は、駿河からの援軍が間に合わず、天野勢も先陣の楠浦虎常に備えているため、田仕事に忙しい農民を無理やり動員しても、3000兵弱が限界であった。


 1万7500兵対3000兵と言う、圧倒的な戦力差がついてしまっている。合戦の勝敗は、始まる前の準備でほぼ決まってしまうのだ。


 まあ桶狭間のような大逆転もあるのだが、そんな事は滅多にないからこそ、今でも語り継がれているのだが。


「浮橋を掛けよ!」


 武田信智が、事前に打ち合わせた通りの下知を下す。大竹盾に守られた足軽が、多数の竹を束ねて作った浮橋を川に浮かべようとする。


 一方今川勢は、川岸に近づき矢を射かけ、武田の架橋(かきょう)を邪魔しようとする。


 天竜川の中でも、特に川幅の狭い所での攻防で、大竹盾に阻まれ今川の矢は効果を表すことができず、徐々に川に浮橋が浮かべられていく。


 兵数の少ない今川勢は、架橋を邪魔できないと判断し、武田勢が橋を渡った直後に包囲殲滅すべく、半円形に厚く兵を配備して行く。


「放て!」


 またも武田信智が、事前に打ち合わせた通りの下知を下す。今川が渡河阻止のために、密集するだろう事は予測できていたので、大弩砲を準備していたのだ。


 今川勢の密集陣形に、十文字大竹矢が矢継ぎ早に射込まれた。狼狽混乱する今川勢では、裏切りが勃発した。堀越城主の堀越貞基が、指揮を執っていた朝比奈泰朝に襲い掛かったのだ。


 堀越家は今川貞世(了俊)の末裔であり、当初は遠江守護職であったが、駿河今川家の家督相続争いで義元と敵対して逼塞していた。


 復権を目指して、河東の乱で井伊家と共に北条と組んで、義元を挟撃しようとするも、武田信虎の介入で成功せず、事後に大きく所領を減らされていた。


 影衆の報告でその事を知った鷹司義信は、今川との決戦を決意した時点で、堀越貞基の調略を進めていたのだ。


 朝比奈泰朝は、堀越貞基の攻勢を防ぎ切ったものの、今川勢は裏崩れと友崩れを起こして敗走し、国衆はそれぞれの城に逃げ帰った。


 武田勢はその場に留まった堀越勢に迎えられて、悠々と渡河を終え、匂坂城包囲に向かった。


 このような状況は、尾張と三河に進駐していた今川勢にも伝わり、大混乱をきたした。


 特に遠江で敵味方に分かれた3人の岡崎城代は、城内での戦闘を起こしかねないほどの緊張と反目をきたしていた。


 そこに滝川一益の使者が訪れ、鷹司義信が武田信玄に仲介し安全を保障するので、岡崎城は松平竹千代に返し、それぞれ遠江や駿府に帰国してはどうかと提案してきた。


 鷹司義信は、この度の合戦は鷹司家・近衛府・朝廷は関係しておらず、武田家と今川家の私戦であるという。


 今川から見れば、何の言い訳にも成らない言葉だが、四面楚歌の三河今川勢には、強く非難できる状態ではなかった。


 確かに近衛府に出仕した形式の三河国衆は、遠江に動員はされていないが、滝川一益が三河と遠江の国境を巡視するだけで、十分けん制効果がある。


 三河今川勢は、決断を迫られた。


「尾張三河にいて孤立しかけている今川方」

三河岡崎城代 :山田景隆・飯尾乗連・二俣持長

三河岡崎城在番:匂坂六郎五郎長能

三河田原城代 :朝比奈元智

尾張鳴海城主 :山口教継・教吉

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