第62話最上・寒河江・ツツガムシ対応

7月20日出羽岩花城(岩鼻館):義信視点


 さてここからどう動くべきか?


 一緒に連れ巡っている出羽の国衆と地侍は、全く信用できない戦国武将たちだ。万が一この状態で戦になれば、出羽の国衆と地侍は、逃げ出したり裏切ったりする可能性がある。


 もし戦の途中で、賤ヶ岳の前田利家の様に、出羽の国衆と地侍が戦場を離脱したら、いかに俺の軍団でも動揺してしまうだろう。


 いや、一部の出羽の国衆と地侍が、関ヶ原の小早川秀秋の様に裏切りやがったら、戦略配置が崩壊するだけでは済まない。他の国衆や地侍が、友崩れや裏崩れを起こしてしまい、俺は負けてしまうだろう。


 ここから無理に南下しようとしたら、せっかく分裂した伊達家はもちろん、最上本家や最上八盾が、反鷹司で結束してしまう可能性がある。


 いや、それだけでは済まないかもしれない。二階堂家や畠山家はもちろん、田村家などの奥羽の国衆全てが、伊達家の下に集まる危険もあり得るだろう。


 ここで一旦(いったん)矛(ほこ)をおさめて、庄内方面に出るか?


 今回の北上で、出羽の諸将も表面上は臣従を誓ったが、本当に勢力下に置くには時間がかかるだろう。


 5年前後の威力巡回と、国衆や地侍が抱えている係争地を、鷹司家の直領地にする事。それに伴う、国衆の一門と家臣団切り崩しが、どうしても必要だろう。


 そこまでしてようやく、出羽諸将を外征にも動員できる戦力として、計算できるようになるだろう。


 だが今は、出羽を勢力圏とした分、目付に置く兵力を取られ、西上に使える直轄兵数は減ってしまうだろう。だがそれでも、蝦夷との交易利益を考えれば、日本海航路の安全確保のために、出羽を支配安定させる必要がある


 蝦夷から若狭までの日本海航路を独占していた、湊安東家の海賊衆は、一応俺の勢力下に入った。


 後は湊安東家と切り離し、完全に鷹司家に取り込んで、直臣にすることだ。そして新設中の鷹司海軍の中核として、戦力化することだ。


 そのためには、今は苦しくても、各湊に目付兵力を駐屯させる必要がある。今は絶対負けることが許されない。負ければ表面上だけ従っている出羽の国衆は、あっさりと俺から離反するだろう。


 皇室や朝廷を敬い、心底近衛府出仕を希望した武士を、俺の直臣として戦力化する!


 餓えや戦のせいで生死の瀬戸際にいた貧民で、足軽や黒鍬輜重に志願した者たちを戦力化する!


 それができれば、目付駐屯させた戦力を補えるだろうが、最低でも1年の訓練が必要だろう。


「若殿、寒河江兼広殿が参られておられます」


 鮎川善繁が取り次いできた。


「直ぐに会おう、お入り頂いてくれ」


 俺の近習衆に案内されて、二十歳過ぎの武将が入って来た。


「御初に御目に掛かります、寒河江家17代当主の寒河江広種と申します。本日は鷹司卿の御尊顔を拝し恐悦至極に存じます」


「兼広殿、わざわざ訪ねてくれたこと嬉しく思う。我は面倒な事が嫌いなので単刀直入に聞くが、今日訊ねてくれたのは、何か申したい事があっての事かな?」


「は、誠に勝手な願いながら、私を鷹司卿の幕下に加えて頂きたく参じました」


「兼広殿は独立領主として一族を纏(まと)めておられるようだが、なぜ我が幕下に入りたいのかな?」


「我が寒河江家は、天文の乱の間は、最上家が伊達家の内乱に加わっていたお陰で、平穏でございました。ですが最上家が独立を果たして以降は、最上家の圧力に苦心しております。最上義守殿と土佐林禅棟殿との間で、盟約の動きもあったのですが、残念ながら破談となりました。どうも義守殿は、我が領地を切り取る心算のようで、枕を高くして眠ることができません。一門家臣領民のためにも、鷹司卿に後ろ盾になって頂きたいのです」


「だが我が聞いておる話では、兼広殿の父上である広種殿は、最上一門と縁を結んでおられたとの事だが?」


「はい、確かにそうではございます。父も叔父も叔母たちも、幾重にも最上家とは縁を結んでおります。ですが義守殿は、その程度の縁は歯牙にもかけますまい。例え親兄弟であろうと、己が野心のためには躊躇(ちゅうちょ)せず、攻め殺しましょう」


「ふむ、この末世ではいたし方ないのであろうな。分かった、兼広殿を我が幕下に迎えよう」


 シメシメ、鴨が葱背負ってやって来たよ!


 影衆の報告では、寒河江家の石高は8万石程度だ。8万石程度では、伊達家や最上家がいるので、外征に動員はできないが、最上家を押さえるには丁度いい。


「重ねて鷹司卿に御願いがございます、我が寒河江家が鷹司卿の幕下に入った事を、最上に知らしめるためにも、どうか我が城に滞在して頂けませんでしょうか?」


「伺わせてもらおう」

 

「寒河江家勢力」

寒河江城:寒河江家本拠・三重の堀を持つ連郭式平城

溝延城:溝延家(一門衆)

左沢楯山城:左沢家(一門衆)

白岩城:白岩家(一門衆)

小泉楯:(楯とは城砦の事)

柴橋楯:橋間伯耆守(一門衆)

高松楯(落衣館):高松家(一門衆)

高屋楯 :高屋知近(一門衆)

本楯:

貫見楯:

新田楯:公平家(新田家)

長崎楯:中山宗朝(譜代衆)


 俺は寒河江兼広の降伏臣従を受けて、岩花城から南下をする事を決意した!


 全戦力を伴って、寒河江城への移動を開始した。この移動途中で宿泊したのは、最上庶流である清水義高の清水城、天童庶流の鷹巣館、太田佐仲の井手館、最上庶流で最上八盾の1家である楯岡満康の楯岡城、白鳥長久の白鳥城、天童庶流の長瀞城、寒河江家庶流の溝延城、そして寒河江城と、ゆっくり周辺諸家を威圧し、近衛府出仕を誘いながら移動した。






8月1日出羽鮎貝城:義信視点


 俺はここまでつき従ってくれた、出羽と陸奥の国衆と地侍を帰国させた。元々の直轄兵と、新たに近衛府出仕を希望した兵力を伴って、さらに南下した。


 この時に宿泊した鮎貝城主の鮎貝盛宗は、天文の乱当初は最上義守の支援を受けて、伊達植宗に味方した。だが伊達晴宗勢が、宮村館主の片倉伊賀守を中心に力を盛り返し、野川を越え鮎貝盛宗を攻めたのだ。


 片倉伊賀守が、成田の飯沢館などの五十川の諸館を攻め落とし、鮎貝盛宗勢を蚕桑村まで押し戻した。そのため鮎貝盛宗は伊達植宗を裏切り、伊達晴宗に寝返ったのだ。


 寝返りの褒美として、所領安堵と「守護不入」の特権が、伊達晴宗から認められていた。伊達植宗に調略を仕掛ける場合は、鮎貝盛宗が要の1つになるかもしれない。


 問題は、このまま南下する場合は、伊達晴宗に当初から味方して鮎貝盛宗と戦っていた、小桜城の片倉景親の勢力圏を通らなければならない事だ。


 ここから先は、伊達家の影響が強く、常時危険を伴う。表向き歓待する振りをして、城に招かれて毒殺などを計られても面倒だ。せっかく想定以上の成果があったのだから、ここは欲張らずに帰国しよう。


 そこで俺は、騎馬隊と歩兵部隊を分離して帰国することにした。俺は6000騎の騎馬隊だけを直卒し、帰国を急ぐことにした。歩兵部隊は鷹司実信と飯富虎昌に任せて、ゆっくり国衆や地侍を威圧してもらおう。


 この時影衆に対して、秘密の命令を下した。それは越後村上から朝日山地を越えて、出羽玉置郡長井の伊達家勢力圏に攻め込める、間道の整備と拠点となる山小屋の建設だった。


「恐ろしい事が起こりました」


 飛影が感情を押し殺して報告にやって来た。


「何事だ?」


「兵の中に赤虫に刺された者が数百人出ました」


「赤虫? なんだそれは?」


「越後の魚沼当たりの川筋に見られる虫刺されですが、刺されると命に係わります」


「それが出羽でも出たのか?」


「恐らく最上の川筋にも赤虫がいるようです」


「刺された者に共通点はあるのか? 症状には特徴があるのか?」


「共通するところは、徒武者か足軽で、休息時に河原で寝転がった者です。皆が高熱を発し、頭痛と気怠(けだる)さを訴えております。発疹が出ており、虫に刺された跡が見られます。以前に若殿が教えて下さった、リンパセツですが、刺された近くが膨れております」


「刺された者は、どれくらい亡くなるのだ?」


「魚沼の信濃の川筋と阿賀野の川筋の噂ですと、半数は亡くなるようでございます」


「取りあえず、腋の下と後頭部と首筋に濡れた布を当てて、できる限り冷やしてやれ。後は以前に教えた、塩を加えた重湯を食べさせてやれ。それと全ての兵に、休憩中でも寝転がるなと厳命せよ。越後の川筋には、永田徳本先生に弟子を送って頂くように、至急伝書鳩を飛ばしてくれ。越後の民も俺の大切な領民だ、見殺しにはできん!」


「承りました」


 飛影が近習衆に指示している。最近では、河原者出身者や山窩出身者も、普通に近習に加えている。彼らには、幼い頃から医療の知識も教えている。


 さて、今は高熱による脳症と脱水症状に手を打つくらいしかできんな。甲斐の水腫と違い、直ぐに症状が出たから、別の感染症か虫毒だよな?


 予防するには、寝転ぶのは論外にしても、糞暑くても衣服で守ることなんだが、それだけの布を確保するのは難しいな。


 一昨年にやっと海岸線が手に入って、ようやく魚肥を作成できたところだ。肥料が大量に必要な綿花栽培が本格化できるのは、蝦夷からの鰊肥料が大量に入手できるようになってからになるだろう。


 そうなると次善の策は何だ?


 赤虫が出た所には、近づかないのが1番だが、それは無理だろう。せめて脚を守る足袋かブーツを、赤虫発生地域に支給するか?


 だがそれで他地区との不公平感が出れば、謀反を煽る輩が出るかもしれん。やはり今まで通り、開発資本を投下して民を豊かにし、自分で足袋やブーツを買えるようにするしかないか?


 後は何ができるだろう?


 発生区域に入った後の入浴と、衣類の洗濯か?


 床几(しょうぎ)を買ったり作ったりできる者なら、休憩時は地面に座らず、床几に腰かけるように指導すればいい。


 赤虫が忌避する成分を見つけられればいいんだが、今直ぐ思いつくのは、除虫菊による蚊取り線香だな。それと俺が蚤(のみ)や虱(しらみ)よけに使ってる、栴檀液だな。あと俺が作れるのは、楠の葉や枝などを水蒸気蒸留してつくる、結晶の樟脳くらいだが。赤虫に効果があるだろうか?


 効果があるかどうかは分からないが、民のためにできる事は全てやろう!


 注意喚起をする事で、少なくとも赤虫に刺される者を減らせるだろう。何より足袋を買えるくらいには、民を豊かにしなくてはならない。そして足袋は、赤虫が忌避する汁に浸してから履く。若しくは全身に、赤虫が忌避する汁を塗るようにする。


 少なくとも俺や周りの者は、栴檀液で洗った下着のお陰で、蚤や虱の被害が激減している。この時代に生まれ変わって、最初に嫌だった事の1つが虫害だ。ならばこれも銭になるはずだ!


 栴檀液も樟脳も除虫菊も、商品として大量生産しよう。赤虫の被害で苦しむ民が、簡単に手に入れられるくらいに、安く大量に生産しよう!

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