第54話天文20年(1551年)14歳・越後侵攻

天文20年(1551年)1月10日甲斐躑躅城の小人郭改め騎馬隊郭:義信視点


 正月の家臣たちとの宴会も終わり、やっと落ち着いた日々が戻ってきた。下戸(げこ)の俺には、年末年始のこの時期は地獄の日々だ。今日は元難民の子供たちと勉強をしに、騎馬隊郭にやって来た。子供たちとの時間は、俺にとってかけがえのないものだ。


「若様! 今日は何するの?」


「う~ん、囲碁でもしようか茜ちゃん?」


「え~、お料理しようよ若様、活きのいい青大将がいるんだよ、とっても大きいの!」


「あ~、桔梗ちゃん蛇はまた今度ね、今日は干蛸と南瓜の煮物を作ろうね」


「若様、申し訳ございませんが、若様が来られた時しか油を使わせていただけませんので、できましたら揚げ物が食べたいのですが?」


「あ~、そうだね楓ちゃん、じゃあ猪の唐揚げを作ろうか?」


「え~じゃあ青大将を唐揚げにしようよ若様~」


「桔梗ちゃん、青大将は忘れようね、その代わり鰻を蒲焼きしようね」


「そんな事より若様、早く囲碁いたしましょう」


 幸せだな、早く日本を統一して、穏やかな日々を取り戻したい。テレビもPCもファンタジー小説もないけど、この子たちとの穏やかな時間を愉しめる、平和な日本にしないと。






3月甲斐躑躅城の騎馬隊郭:義信視点


 昨年末から武田家では慶事が続いていたが、特に俺は鷹司家の当主となり、従二位・左近衛権中将に昇叙任官が決まったと伝書鳩が届いた。この機会に、一気に周辺諸国の国衆に対する調略攻勢をかけた。


 特に親子2代に渡り、4度の主殺しを行った事になってしまった、越後の長尾景虎に対する討伐令を、足利義藤将軍・細川晴元管領から手に入れたのは大きかった。武田家に対して不利を悟っていた越後の国衆は、降伏臣従の体裁(ていさい)が整った事で、雪崩(なだれ)を打って調略に応じて来た。


 足利義藤将軍と細川晴元管領は、俺の度重なる資金提供を受けている、しかも去年は、俺から幕府軍・管領軍の中核となる、能登・越中軍800騎3000兵を送ってもらった義理がある。


 2つの援助で、総兵力1200騎1万5000兵を整えることができ、三好長慶軍と対峙する事が可能となっている。そのお礼と、さらなる資金提供と援軍を期待されて、越後討伐令を出す決断をされたのだろう。


 まあ俺が越中・信濃を手に入れた事で、越後併合が確実と判断されたのだろう。これからも少しでも多くの援助を得るために、先張りされたと言う面もあるだろう。






3月越後春日山城:第3者視点


「御屋形様、いかがなされますか?」


 神田将監が小笠原長時に今後の事を尋ねてくる。


「主殺しの景虎と、これ以上一緒にいることはできん!」


「御屋形様! 何処で誰が聞いているやもしれません!」


「分かっておる将監。だがな、主殺しの件は別にして、負けが見えているここにいても仕方なかろう?」


「確かにそうでございますが、ならば将軍家のお誘いをお受けになりますか?」


「馬鹿を申すな! 儂が健在にもかかわらず、甲斐の鬼畜を信濃守護にした将軍などに味方できるか!」


「ならば平島公方を擁する、三好に味方されますのか?」


「三好も主(あるじ)を何度も変える不忠者! あのような者の傘下に入れるか!」


「ならばいかがなされますか?」


「最上を頼る」


「ならば東国から援軍を募(つの)ると言って、早々に春日山城を出ましょう」


 史実では三好長慶の客将となった小笠原長時だが、馬廻り衆を率いて最上を頼って落ちていくことになった。






4月越後春日山城:長尾景虎視点


 義信は雪解けを待って、武田勢を一気に越後に侵攻させてきた。武田の調略に応じた越後国衆が、各地で一斉蜂起し、俺に味方する国衆を動揺させた上でのことだ。鷹司を詐称する義信めと、弟の実信と叔父の信廉が副将となって攻めて来やがった。


 信玄が甲斐に残っているとは、俺を舐めるのも大概にしろ!


「もはやこれまでです、将軍家を頼って上洛いたしましょう!」


 幼少からの俺の補佐役をしてくれている、本庄実乃が決断を催してきやがる。


「嫌だ! 儂に濡れ衣を着せた武田に守護職を与えた将軍家など、絶対に頼る事はできん!」


「一時の方便でございます。将軍家に味方して上洛するならば、無事に越後を出ることを許すと、義信も申しています。上洛さえしてしまえば、後は約束を反故(ほご)にして、平島公方様に御味方すればよいのです!」


「そんな不誠実な約束などできん!」


 本当は城を枕に討ち死にしてでも、武士の面目を保ちたかった。だが俺に忠誠を尽してくれる、国衆や馬廻りを道連れにするわけにはいかなかった。


 俺は武田家の者などと会うのは絶対嫌だったので、本庄実乃が代わりに、色々な条件を交渉してくれた。最後まで忠誠を尽してくれた者たちが、害されないような条件を引き出した上で、鷹司義信と和議を結んだ。


 俺は必ず越後を取り返すと言う、復仇の決意を固め、本庄実乃と僅かな手勢を率い、船を使って海路で上洛することにした。


「長尾景虎の味方だった主な国衆」

鳥坂城主 :中条藤資

栃尾城主 :本庄実乃

箕冠城主 :大熊朝秀

本与板城主:直江景綱

三条城主 :山吉行盛・山吉豊守






4月越後春日山城:鷹司義信視点


 俺は越後侵攻の準備として、信濃各地の城砦に駐屯させていた、歴戦の将兵を集めた。同時に昨年の凶作と食料相場の高騰で、大量に集まった難民を、小人・黒鍬・足軽に仕立て上げて、交代要員として各城砦に派遣した。


 新たな難民たちも、駐屯中に猛訓練を施し、兵士として役立てる様に準備をした。昔からの難民からは、騎馬隊・足軽弓隊に配備されるような、騎乗資格のある武士や練達の兵士も多数現れている。


 将兵を入れ替えた城砦には、青崩城砦群もあった。飯富虎昌を越後侵攻軍の副将の1人に迎えて、代わりに楠浦虎常を派遣した。他にも漆戸虎光と曽根昌世を軍師に加え、各城砦の城代務めていた武将や、甲斐譜代衆で手柄を立てたい者も加えて、越後侵攻軍の陣容を厚くした。


 その上で俺は、上田長尾家の坂戸城主である長尾政景を筆頭に、多くの越後国衆を蜂起させた。その後で、信濃衆を先陣に関川を下って、春日山城を目指した。


 侵攻の途中で、すでに寝返りを約束していた、鳥坂城の将兵を先陣に加えた。その後でさらに関川沿いを下り、鮫ヶ尾城の堀江勢や西条城の将兵も先陣に加えた。


 春日山城を包囲した俺は、不動山城の山本寺定長などが味方に集まるなか、謙信と降伏交渉を開始した。謙信は上洛して将軍家の味方する事を条件に、味方した国衆の本領安堵と、上洛の安全を保証する事を求めて来た。


 だが史実の謙信の行動から推察すると、越後守護職を武田家に与えた将軍家に味方するとは、とてもじゃないが思えない。それに越後の国衆は極力(きょくりょく)討伐(とうばつ)して、その領地を俺の直領にしたかった。最初から俺に味方してくれた国衆は、約束を反故(ほご)にして討伐できない。だから謙信に味方した国衆は、少々あくどい手を使ってでも殲滅(せんめつ)したい。


 特に直江津・柏崎・寺泊や、沼垂湊・蒲原津・新潟津の三か津の確保は、今後の武田家の繁栄ためには絶対条件だ。各湊を直轄化しなければ、日本海航路貿易の安全を守れないし、莫大な交易収入も絵に描いた餅になってしまう。


 越後の沿岸線を全て直轄化するには、揚北衆・三条長尾家・古志長尾家などの勢力を、早急に押さえなければならない。


 そこで俺は、謙信に国衆の本領安堵の約束はしなかった。むしろ謙信個人に有利な、謙信が上洛後に誰の味方に成るのも自由という、個人的な条件を出した。謙信に味方した国衆の待遇は、国衆と個別に交渉する事とした。


 3万を超える軍に包囲された謙信は、仕方なくこの条件を受け入れた。景虎が船で京に落ちるのを確認して、春日山城に残った将兵は開城した。そこでようやく俺たち武田軍は、春日山城を確保する事ができた。


「鷹司卿、景虎を追放して春日山城を確保しましたので、後の越後攻略は我らに任されて、甲斐にお戻りください」


「しかし信廉叔父上、これからの匙加減が大切なのです。半治召し上げや半治扶持化で土地を取り上げ、甲斐・信濃・木曽・飛騨の国衆に土地を与えて土着化させないと、真に越後を手に入れた事にはなりません。」


「それは我らにお任せ下さい、躑躅城では九条の姫君が、婚姻の儀を御待ちでございますぞ」


「それは私事です。越後の統治に失敗すれば、多くの家臣領民が死ぬことになります。決して疎かにできる事ではないのです」


「兄上! お任せ下さい」


 鷹司実信を名乗ることになった二郎が話しかけて来た。


「実信殿、そうは言っても大切なことなのだよ」


「でも兄上、信廉叔父上がおられ、虎昌や虎光もいるではないですか」


「では叔父上、飛影を軍師副将に引き上げ、一切を相談の上で進めて頂けますか?」


「いやそれはさすがに・・・・」


「認めます鷹司卿」


 飯富虎昌が横から話に加わって来た。


「虎昌殿」


 飛影が少し驚いている。


「若殿の軍資金は、全て飛影殿の奮闘でもたらされたものです。若殿が元服される前から、常に御側で仕えていた。越中攻略で大功のある騎馬鉄砲隊も、飛影殿の部下が差配(さはい)しておる。ここは若殿の下知(げち)に従うべきであろうよ」


「そう言われれば確かにそうだな。鷹司卿の御心(みこころ)のままに!」


「では叔父上、最初から従ってくれた越後国衆には、銭で褒賞銭と扶持銭を加増してください」


「分かり申した」


「長尾政景殿には、知行や扶持の加増は行わず、魚沼郡の分郡守護代の地位で納得してもらってください」


「もしどうしても納得しなければ、どういたしましょう?」


 飛影が横から確認して来る、ここは大切な駆け引きだと分かっているのだろう。


「政景殿の一族一門を扶持武士として、納得していただける限り取り立ててくれ。そうだな、5万貫文までなら、別家に取り立てて構わない。最初から味方してくれた政景殿を、ここで離反させるわけにはいかない。だが越後で土地を与えるわけにもいかないから、その辺の匙加減は飛影に一任する」


「承りました」


「他の国衆も、できるだけ朝廷の官位官職か、幕府の役職で納得してもらってくれ。どうしても必要な場合だけ、政景殿と同じように、一族一門を扶持武士として別家に取り立ててくれ」


「承りました」

 


『越後侵攻軍編制』

総大将:鷹司義信

副将 :鷹司実信・飯富虎昌・武田信廉

軍師 :鮎川善繁・漆戸虎光・曽根昌世

侍大将:於曾信安・板垣信憲・曽根昌世・滝川一益

   :相良友和・今田家盛・加津野昌世・米倉重継

足軽大将:狗賓善狼・市川昌房・田上善親・田村善忠

武将:酒依昌光・板垣信廣・有賀善内・武居善政・武居堯存・金刺善悦

  :金刺晴長・矢崎善且・小坂善蔵・守矢頼真・松岡頼貞・座光寺為清

  :知久頼元・山村良利・山村良候・贄川重有・大祝豊保・鵜飼忠和

  :両角重政・山中幸利・小原広勝・小原忠国・武居善種・花岡善秋

  :大祝右馬助勢・諏訪満隆・座光寺頼近・千野光弘・千野昌房・沢房重

  :千野靭負尉


『越後攻略軍兵数』

甲斐衆 :1000兵

信濃衆 :3000兵

扶持武士:3500兵

足軽弓隊:4000兵

足軽槍隊:9500兵

騎馬隊 :5000兵

黒鍬輜重:6000兵

総計:3万2000兵


『越後侵攻時の部隊配置』

「越中国」

総大将      :武田信繁

扶持武士団    :2400兵

飛騨・木曽・諏訪衆:2200兵

槍足軽      :3000兵

越中国衆     :8000兵


「信濃国」

妻籠城  :甘利信忠・扶持武士団:1000兵

青崩城砦群:楠浦虎常・扶持武士団:1000兵


横谷入城:浅間孫太郎

三才山城:赤羽大膳

北条城等:三村勢

福応館 :福山善沖勢

丸山館 :丸山善知勢

殿館  :殿勢

荒井城 :島立貞知

櫛木城 :櫛置当主

波多山城:櫛置勢城代

淡路城 :櫛置勢城代

村井城(小屋館):諏訪満隣勢


伊深城主:後庁重常


花岡城:元難民が統治

金子城:元難民が統治

その他統治地域の城砦は元難民が統治

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