第36話攻防1

7月10日深夜:尾池城(尾池砦)の城外・神田将監視点


 奇襲を成功させるために、兵馬に枚(ばい)を銜(ふく)ませ、私語や嘶(いなな)きを防いだ。兵は選び抜いた精鋭だから、よほどのことがないかぎり音を出したりしないが、馬はそうはいかない。夜襲が終わる前に、武田軍に気付かれる訳にはいかない。埴原城の放棄を提案した時から、轡(くつわ)に布を付けて咥えさせる枚を、兵馬の数だけ用意させていたのだ。今日なら戦勝祝いの宴の直後で、多くの兵が酔い潰れているはず。御屋形様の名誉のため、信濃武士の誇りのため、埴原城放棄の代償は払ってもらう!


「うぉ~ん、うぉ~ん、うぉ~ん」

 

「駈足~!」


 番犬が居たのか!


 甲斐の鬼畜共は、犬を全て喰い尽したと聞いていたが、嘘だったのか?


 善信は富裕で、兵や人夫の待遇がよいという噂があったが、嘘ではないのかもしれんな。相手にとって不足なし、何としても御屋形様に勝っていただく、そして我が武勇を天下に轟(とどろ)かす!


「火を用意せよ、放て~!」


 あらかじめ用意していた火矢を、300騎の選び抜かれた騎馬武者が射かける。小笠原流弓馬術礼法宗家の誇りにかけて、鍛え上げた弓術である。違(たが)える事なく、狙った長屋に次々と火矢が刺さった。


 騎馬隊は、尾池城(尾池砦)三の丸外周を、火矢を射かけながら素早く一周した。城兵が討って出ないのを確認して、さらに三の丸外周に火矢を射かけながら周った。用意した全ての火矢を城内に射かけた後で、俺が指揮する300騎は悠々と林城に帰った。






7月11日払暁:村井城(小屋館)


「若殿、尾池城が夜襲を受け、三の丸の長屋と小屋が焼き払われたそうでございます」


 鮎川善繁が、顔色一つ変えず冷静に報告する。


 油断したな、まさか尾池城の方を狙ってくるは思わなかった。村井城(小屋館)を狙うと予想して、迎撃の準備をしていたが、最初から尾池城を狙っていたのかな?


 それとも、村井城の堅固な守備を見て、急遽(きゅうきょ)狙いを尾池城に変えたのだろうか?


 いや、こちらの城砦群全てに密偵を放って、一番油断している城を狙ったと見た方がいい。楽観的に考えていると、また裏を書かれる恐れがある。相手が最強と想定して当たらないと、信玄に切腹させられるのではなく、敵に殺されてしまう!


「敵の大将は分かるか?」


「まだ判明しておりません」


「軍議をする、皆を広間に集めよ」


「承りました」


 鮎川善繁は、一度も顔色を変える事なく出て行った。






村井城(小屋館):大広間


「皆すでに聞き及びのことでしょうが、尾池城が焼き討ちされ、三の丸全てを焼き払われたそうです。犬狼部隊が事前に敵を察知し、遠吠えで知らせたのも関わらず、戦勝の宴で酔い潰れた城兵は討って出る事も、消火することもできなかったそうです」


 今日の議長を任された、於曾信安が威厳のある姿と声色で話す。さすがに板垣信方が娘婿に選んだ男、知勇兼備の武将だ。於曾信安に板垣家を任せるのが、1番武田家の利益になるだろうか?


「若殿、城代を斬首して軍令を正さねばなりません。若殿が夜襲の恐れを繰り返し説き、油断なきように言い聞かせたにもかかわらず、酔い潰れて城を焼かれるなど言語道断、厳罰に処さねば諸将に示しがつきません。普通なら城兵全てに処罰が必要ですが、雑兵はもともと愚かなものです、次の戦で先方を任せ償わせましょう」


 鮎川善繁が顔色を変える事なく、淀(よど)みなく自説を披露する。さすがだね、俺が厳罰を言い渡すと、いろいろ不都合がある。信玄の対極にあるべき俺は、余りに厳しい処罰や、無慈悲な戦術を自分からは言い出せない。善繁はそれを分かってくれているから、自分が憎まれ役を買って出て、厳しい処罰を主張してくれている。


「若殿、それがよろしいと思いますが、我が犬狼部隊の見張りは、襲撃前に敵勢を発見しております。処罰からは除外していただきとうございます。また今後は警備だけではなく、逆撃が可能なように、増員と役目変えをお願い申し上げます」


 狗賓善狼が、日頃の人好きのする笑顔の片鱗すらうかがわせぬ、実直な顔付で提案して来た、確かにこれも俺の能力の限界だろう。犬狼部隊を警備だけに使い、逆撃に活用する事など思いもしなかった。だが少しは言い訳させてもらうと、忍者に暗殺されるのが怖かったのだ。自分が何人もの敵将を素破に暗殺させているのだ、やり返される恐怖は尋常ではない。それに食料問題も大きかった、今までは犬狼に喰わせるだけの余裕がなかった。


「よき提案である。犬狼に迎撃されては、敵の兵馬も火矢を射かける余裕はなくなるだろう。里で修練する者を増やすため、犬狼部隊の学校を作り、そこで修練する者に衣食住を保証する。善狼、其方(そなた)の父に使者を出し、高遠城と花岡城に拠点を作らせよう」


「献策を採用していただき、感謝の言葉もございません。今後も若様のため、身命を賭してお仕え申し上げます」


「うむ、よくぞ申した。そなたに扶持10貫文を増額する、今後も励めよ」


「過分な褒美、有り難き幸せ!」


「さて、尾池城代の斬首についてご意見はありませんか?」


 俺と善狼の会話の終わりを上手くとらえて、議長の於曾信安が厳罰を確定しようとした。信安も、俺が厳罰を指示したのではない、と言う体裁を整える意味を理解しているのか?


 そうだとしたら、於曾信安も軍師として使えるかもしれない。今後も能力を見極めるために、注意して見ていこう。


「斬首やむなし」

「斬首で当然だ!」

「晒首(さらしくび)にいたせ!」

「いやそれだけでは甘い、一族一門を処罰すべし!」

「そうじゃ、子弟も斬首じゃ!」

「妻女は奴隷にすればよい」


 あぁあぁあぁ、暴走しているよ。これはいいタイミングだな、善繁と信安がせっかくお膳立てしてくれた好機だ、俺の印象がよくなるように活用させてもらおう。


「まあ待て、城代の油断は斬首で仕方なかろう。三の丸を全焼させられ、武田の武勇に傷を付けてしまったのだからな。だが今まで武田のために戦ってきたことも、事実としてあるのだ。子弟を共に斬首したり、妻女を奴隷に落とすは忍びない。旧功に免じて本人のみ斬首といたす!」


「「「「「はっは~」」」」」


「次に今後の対応ですが、何かご意見はありますか?」


 於曾信安が議論を進めようとする。小笠原長時が次にどう出るかを読み、我ら武田がどう対応すべきかを諸将に考えさせるべく、議論を誘導してくれているのだ。諸将の能力を底上げさせようとする、俺の考えを理解してくれている。それが分かると、沈着冷静で威厳のある姿が、さらに大きく見えるな。


「小笠原長時が次に打つ手ですが、恐らく兵の薄い城砦に夜襲を繰り返すものと思われます。場所は大軍が詰めている村井城から離れたところ、殿館、淡路城、櫛木城、波多山城が危険と考えられます。ですが最悪の場合は、複数の城砦を同時に夜襲される恐れがあります」


 鮎川善繁が、顔色一つ変えず冷静に淡々と説明する。


「地図を持て」


 俺は脳筋の戦馬鹿にも少しは理解してもらえるように、事前に用意しておいた大地図を持って来させた。やはり絵図があると理解しやすくなる。村井城(小屋館)を中心に、地形と各城砦の位置、村井城(小屋館)からの距離と移動時間も書き記させている。各城砦には何時でも活用できるように、予備も含めて最低3枚は用意させている。


「敵が林城から出陣するかの、枝城(えだじろ)から出陣するのかの判断はつきません。密偵に探らせるのが一番ですが、裏をかかれる恐れもありますので、全ての城砦が常に警戒しなければなりません。若殿! 全ての将兵を土地から切り離し、農繁期でも戦える軍にする事、凶作時でも決まった米麦を配下に与えてやりたいと言う、慈愛のお心は十分理解しております。ですが今は、櫛置殿を始めとする元々の城主を、各城砦の城代に任命していただけませんか?」


 城を取り上げた諸将が、驚きの目で鮎川善繁と俺を交互に見ている。まあ斬新な考え方ではあるよな。兵農分離と言う戦略的な面と同時に、凶作での飢饉が多いこの時代は、年貢免除を領主に命じても、必ず守ってくれるわけではない。守ってくれたらくれたで、収入不足で領主の戦闘力は激減する。ならば米の実りに関係なく、一定量の扶持を与える事で、戦闘力の平準化をするしかない。


「不作凶作で苦しむ民を、何もせずに放置することはできん。だが年貢減免を強制すれば、その方たち国衆が困窮することになる。それ故に、我が一定量の扶持を与える事にしたのじゃ。さすれば民に慈愛を与え、国衆の戦う力を保つことができよう。だが今回はやむを得ん、一時的に城代に戻す。だがあくまでも城代だぞ! 小笠原を討伐いたしたら元に戻す。くれぐれも油断することなく、敵の夜襲に備えよ!」


「「「「「御意!」」」」」


「さて、話を戻させていただく。元の領主殿が城代となることで、城の隅々まで知悉(ちしつ)しておるのですから、小笠原長時の夜襲を許し、尾池城代の様に斬首となるような事はありますまい。では次に本隊をどう動かすかですが、ご意見のある方はおられますか?」


「兵を分けて各城砦の守りを厚くする策もありましょうが、それでは各個撃破されてしまう恐れがありましょう、さてどうしたものか?」

 

 楠浦虎常が、各城代が援軍を望まないようにあらかじめ釘を刺してくれる。斬首を恐れる城代が、援軍を望むのは当たり前だが、俺がそれを拒否するのは不味い。よい事を言ってくれた、側近たちが順調に育っているな、喜ばしい事だ。


「若殿、此方から討って出ましょう。絵図を見てください、この井川城を攻めましょう。以前若殿が説明してくださったように、井川城ならば小笠原長時が林城から援軍に参っても、田川を濠代わりに迎え討つことができます、荒井城や平瀬城からの援軍は、奈良井川を濠代わりに迎え討つ事が出できます。万が一渡河されても、敵は背水の陣となります。何よりも井川城に援軍を出さねば、小笠原は国衆の信頼を失います。そうなれば小笠原に、我が武田の城砦に夜襲を仕掛ける余裕はなくなりましょう」


 鮎川善繁が理路整然を説く。確かにその通りだ、しかし敵に我ら以上の策士が居たらどうだろう?


 何か対応策を取ってくるのではないか?


「諸将に尋ねる。我らが井川城を攻めた時に、諸将ならどう対応いたす。皆が小笠原長時に成った心算で考えて見よ、もう二度と裏をかかれるわけには参らぬ」


「敵が川を渡って攻め掛かるのが不利と言う事は、我らが小笠原勢に攻め掛かるのも不利と言う事ですね。ならば兵数に劣る小笠原でも、兵を分けて夜襲を続けられるのではありませんか? 我ら武田の城攻めに対応した上で、武田の城砦を夜襲できれば、小笠原の武名が上がります。そうなれば、未だ去就を鮮明にしていない信濃国衆が、小笠原に傾くかもしれません」


 狗賓善狼が鮎川善繁の上を行く洞察力を示す、驚いたね!


 何時の間にかこれほど成長しているとは、俺もそこまでは考えてなかったよ。以前に侵攻策を練ってから、ずいぶんと時間が立っている。敵の夜襲と言う新たな条件も加わっているんだ、もう一度一から策を練り直すべきだったんだ。ならばどうするべきか?


 

「ではどうすべきかな?」


「尾池城、埴原城を落とし、背後に敵を受ける恐れがなくなった今こそ、林城を直接討ちましょう!」


 ほう、確かにな。慎重居士の俺だが、ここは討って出るのが最善だな。林城を囲まれては、城を出て夜襲などできなくなる。


「その策を取ろう! 明日林城を攻める、皆準備を怠らぬように!」


「「「「「おぅ~!」」」」」

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